第3話 隠れ家
俺はイブナを伴い、隠れ家へと戻ることにした。
どうやら複雑な事情があり、話も長くなりそうな気配だった。
日差しを遮るもののない荒野で立ち話では、無駄に体力を消耗してしまう。
相手が衰弱しているのであればなおさらだ。
――妹を救ってくれ。
移動のあいだも、イブナの投げかけた切実な声が頭から離れなかった。
胸の奥底をうずかせる響きがあった。
かつて勇者を名乗っていた頃。
人々の願い、訴えは星の数ほども聞いていた。
――どうか村を助けてください。
――離ればなれになった家族にもう一度会いたい。
――故郷を奪った魔王軍に、自分の代わりに復讐を。
彼らの
だから、イブナからその願いを投げかけられたとき……。
つかのま、それが魔族の言葉だというのも忘れ、自分が勇者に戻ったような錯覚に陥った。
肩越しに、俺の後ろを歩くイブナの姿を見やる。
ゆっくり歩いているつもりでも、乱魔の病に冒された彼女の足取りは遅れがちだった。
憔悴しきったその顔は、歩くのもつらそうだ。
――かまわないから、急いでくれ。
イブナの目は、俺にそう訴えていた。
俺は軽くうなずき、歩くペースは変えずに、先を行く。
彼女にも矜持があるのだろう、俺の手や肩は決して借りようとはしなかった。
妹……か。
不思議な響きだった。
魔族にも自分たちと同じように家族がいる。
そんな当たり前のことに、初めて気づかされた。
***
隠れ家にたどり着く。
元の主がいなくなって久しい
屋根も塀もなかば以上崩れ、風が容赦なく吹き込んでくる。
荒天の時なら雨漏りどころではないが、さいわいこの家には地下室もあるので、避難可能だ。
「ここがお前のすみかか?」
「ああ。残念ながら、レディを招くにはムードに欠ける家だがな」
イブナは肩をすくめ、俺の
それでも、久しく交わしたことのなかった他者との会話に、心地良さを覚える。
その相手が、戦場で出会ったなら確実に殺しあいを演じただろう、暁の魔将だというのは不思議なものだがな。
イブナはよほど衰弱していたのだろう。
廃屋に入るなり、崩れるように床に座りこんだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
重い熱病を思わせる、荒い吐息をこらえきれないでいた。
うずくまりながらも、胸を大きく上下させる。
「一応、魔力の回復薬ならある。気休めになるかは分からないが、飲むか?」
廃屋の地下室にあったものだ。
それが作られてからどれほど経ったものか分からず、正直自分で口にする気にはなれないが……。
この際、背に腹は変えられないだろう。
それ以外にも、幾つかの壊れた
おそらく、朽ち果てる前の屋敷の主は魔導士だったのだろう。
人里離れた荒野に隠れ住むように生きていたのだから、いったいどんな研究をしていたのか、あまり想像したくはないが……。
俺の問いかけに、声を出すのもつらそうな様子で、イブナはこくりとうなずいた。
「……妹のためだ。ほどこしに甘んじよう」
息をあえがせながらも、気丈に言う。
「そんな大げさなもんじゃないさ」
今度は俺のほうが肩をすくめる番だった。
苦笑しながらも、地下室の棚を探り、回復薬を手に取って戻った。
「自力で飲めるか?」
「当たり前だ。わたしは幼児ではないんだぞ」
弱りながらも、噛みつくようにイブナは返してきた。
俺は回復薬の入った瓶を彼女に放った。
手を噛まれたらかなわないからな。
「言っておくが、空き家に放置されてたもので、効果のほどは保証できないぞ。どれだけ昔のものかも分からないし、魔族にとっては毒かもしれん」
「かまわん。今は自分の命になど執着している場合じゃない」
すべては妹のため……か。
誰かのために必死になれるイブナの姿は、今の俺にはまばゆく映った。
イブナはほとんど一息に瓶の中身を飲み干した。
「……これは!?」
その目が驚きに見開く。
魔族の顔色など俺には分からない。
だが、荒い息が整い、目に生気が宿ったのはたしかだ。
いくら魔法薬と言っても、こんなに即効性のあるものなのか?
「……すまない。助かった」
彼女は律儀に居住まいを正し、頭を下げてくる。
本調子にはほど遠くても、先ほどまでよりずいぶん楽になったようだ。
魔力の回復薬が乱魔の病に対してどれだけ有効なのかは分からなかったが、応急処置程度の効果はあったようだ。
「いや、俺は何もしてない。感謝ならこの屋敷の元の主にしてくれ。何十年、いや、へたすると何百年前の人物かもしれないがな」
多少なりとも乱魔の病から回復すると、さすが暁の魔将と呼ばれただけの覇気が伝わってくる。
佇まい一つとっても、無造作に座っているのに隙がない。
紫苑のジュエドのときのように、敵として一騎打ちで戦ったなら、彼以上の強敵となったかもしれない。
「思った以上の効果だな」
「……ああ。これのお陰で体内の魔力が安定したようだ。だが、一時的なものだろう。またすぐに乱れそうな気配を感じる」
「自分で分かるものなのか?」
「なんとなくは、な。……回復薬はほかにもあるのか?」
「いくつか棚の奥に転がっていた気がする」
「わたしも地下を調べていいか?」
「ああ、もちろん」
と、イブナの腹のあたりから小さな音が鳴り、彼女は口をつぐんだ。
なぜか、睨みつけられる。
「……病み上がりだが、食欲はあるか?」
「いらぬ心配だ。魔族はヒト族とは違いひと月程度は何も口にしなくても……」
「いいから。兎の肉を干した保存食がある。塩がないのがつらいとこだがな」
俺はイブナの言葉を遮り、再び地下室に行って、食糧を手に戻った。
乾燥させた兎の肉、木の実、食用に適した野草などを可能な限りためこんでいる。
持ち出した半分をイブナに渡し、もう半分を自ら食う。
味気も食べごたえもない、食事とも呼べない糧食の補給のようなものだ。
イブナも俺も無言で食らう。
それでも、誰かと食糧を分け合うという行為に、自分が人間に戻ったような心地がした。
この数か月は、生きるともなしに、獣のごとく生きていた。
この荒野に隠れ住んで、初めて、飢えが満たされたような気がした。
イブナは食糧を口にするあいだ、後ろめたいような表情で顔をうつむかせていた。
おそらく、彼女の頭にあるのは妹のことなのだろう。
自分ひとりが食事をとっていることに、自責の念を覚えているのが伝わってくる。
俺も、逃亡者となってしばらくのあいだは、ハディードの街の光景を思い出し、飲食を身体が受けつけなかった。
住民たちの怨嗟の声、彼らを救うことができなかった悔恨が俺をさいなみ、食事も睡眠もろくに取れなかった。
それでも、人とは浅ましい生き物のようで、だんだんとあの街の出来事は記憶の中で鮮明さを失っていく。同時に、本能的な欲求が、飢え、渇きを満たすことを望んでいた。
それからは、獣のごとく欲求を満たすためだけに食糧を手に入れていた。
その浅ましさも含めて、”生きる”ということなのだろう、と今では思う。
そして、それはきっと魔族も同じことだ。
イブナが飢えを満たし、ひと心地ついたのを見計らい、俺は口を開いた。
「聞かせてくれるか。暁の魔将イブナに何があったのか。それとももう少し休むか?」
「いや、聞いてほしい。――わたしが魔王陛下を裏切ることとなったできごとをな」
そう前置きし、イブナは話を始めた。
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