第二章 荒野の隠れ家と魔族の女

第1話 出会い

 ブルガオル平原。

 そう名付けられたこの地は、人里から離れた荒野だ。

 荒れた土壌どじょうは作物を育てるのには向かず、地理的にも戦略的価値は薄い。

 人も魔族もしいてこの地を占有しようとはしない、見捨てられた平原だった。

 広大な平原に住んでいるのは獣と魔物、そして俺のような人里に住めなくなった逃亡者だけだ。


 勇者隊の追撃を逃れた俺は、そこに隠れ家を造り、潜んでいた。

 日にちの感覚はとうに薄れていたが、ハディードの街の一件から、三月余りは経っただろうか。

 全身の傷はおおむね癒えていた。


 野の獣を狩り、木の実や果実を採る原始的な営みを繰り返す。

 無駄な時を過ごしていることは分かっている。

 なんのために自分が生き延びたのか。

 ただ生存するためだけの日々から、答えは何も見つからない。


 俺は人類の裏切り者として、各国に指名手配されてしまった

 もはや、人の住まう場所はどこであろうと、安住の地ではない。


 高台に潜み、獲物を探す。

 皮肉なくらい良く晴れた日で、太陽の光がまばゆい。

 それを心地良いものと感じられたのは、遠い過去の記憶みたいだった。


 理性とは無縁の肉食獣にでもなった気分だ。

 そんな俺の耳に、風に乗って人の声と足音が聞こえた。


 ――なんだ?


 息を潜めたまま、眼下に目をやる。

 見えたのは三人ばかりの男と、それに追われる人影。

 男たちの格好は似たり寄ったりで、遠目にも上等なものとはいえず、手にはそれぞれ刀身の錆びた剣や、手斧、戦槌を抜き身で持っている。粗末な格好から山賊のたぐいであると察せられた。

 追われている方の顔ははっきり見えないが、長い髪と体格から女だろう。


 ――一人の女を追う、ならず者たち。


 胸くそ悪くなる光景だった。

 無論、人々から追われる俺にとって、奴らの前に現れるのはリスクしかない。

 だが、放っておく気にもなれなかった。


 腰を上げ、丘を駆ける。

 女は足を取られたのか、地面にくずおれていた。


「へへっ、てこずらせやがって」


 男たちが下卑げひた笑い声をあげ、女を囲む。

 そして、手斧を持っていた一人が、その得物を振り上げた。

 女をなぐさみものにするつもりかと思っていたが……殺す気か?

 俺はさらに足を速めた。


 間一髪、男の振り下ろした斧を、俺は自身の剣で受けとめた。

 握り手が甘い。

 俺はそのまま、無造作に男の斧をはじきとばした。


「な、なんだてめえは。どこから現れやがった!?」


 動揺した男が上げた声に、苦笑してしまう。

 たしかに……。こんな何もない荒野に一人でいる人間など、こいつらのようなごろつきにとってすら、奇異に映るだろう。

 習慣から髭は小刀で剃り、日々の鍛錬は怠っていないが、着の身着のままで髪は伸び放題。

 賊らしき男たちの格好を、どうこう言えたものじゃなかった。

 だが、いくら野生動物まがいの姿に身を落とそうとも、女一人を群れて追い回すような男に成り下がるつもりはなかった。


「失せろ。いま消えれば殺すつもりはない」


 余計な言葉を交わすのもめんどうで、俺は男たちに向けて言い放った。


「んだと、てめえ」


 手斧をはじかれた男が、それを拾い上げ、再び襲いかかろうとしてきたが、


「まあ、待てよ」


 錆びた剣を持った、別の男がそれを制す。

 そいつは馴れ馴れしい笑みを浮かべ、俺の顔をうかがっていた。


「へへっ、正義気取りの兄ちゃんよ。どうやらカン違いしてるみてえだな」

「……何をだ」

「そこにいるそいつは魔族――人間の敵だぜ」

「なにッ!?」


 男の言葉に、不覚にも動揺してしまった。

 男たちの動向に気を配りながらも、背後にかばった女の姿を見る。

 遠目には分からなかったが、確かにその肌は薄い緑色で、尖った耳をしている。黒髪に見えた長髪は近くで見れば、日の光を吸い込むような、深い紫色だった。

 宝玉のような紅い瞳も、伏せたまつげの奥に見えた。

 ――たしかに、魔族の特徴だった。


「分かったか? オレたちはただ、人類の敵を退治しようってだけだ。もちろん、賞金目当てだがな。それが悪いとは言わせねえぜ?」


 ――どうする?


 正直、判断が付きかねた。

 この男の言うことも一理あった。

 魔族を討伐して賞金を稼ぐこと自体は、咎めるべき行為とは言えない。

 しかし、心情として胸くそ悪いことに変わりはない。一度かばってしまった以上、このまま放っておく気にもなれない。


 それにしても、なぜ魔族の女がこんなところに?

 それに、なぜこんなにも衰弱している?

 並以上の魔族であれば、こんな男たち程度片手であしらえるだろう。


 女の呼吸は荒く、けつまずいたまま起き上がることすら出来ないでいた。

 男たちは逡巡しゅんじゅんする俺をよそに、女魔族ににじり寄る。


「待ってくれ、兄弟!」


 不意に上がった声は、戦槌を持つ三人目の男だった。


「こいつの顔に見覚えがある。こいつは……賞金首のマハトだ!」

「なにっ!?」


 驚きの声を上げるのは、今度は男たちの番だった。

 俺の姿を注視し、下卑た笑みをさらに深くする。

 頭の中で、人相書きとでも比べているのだろうか。

 そして、手配書に記された賞金額のことも、思い浮かべているに違いない。


「なるほどなぁ。人間の裏切り者マハトか。だから魔族の女をかばうわけか」

「魔族に反逆者マハトか。こいつはツイてる。首二つ持ってきゃあ、一生遊んで暮らせるぜ」


 男たちの目が欲望に濁る。

 俺が何か言うまでもなく、勝手に合点し、今度は俺に向けて得物を構えはじめた。

 明確な殺意が叩きつけられる。

 腕は大したことのない連中だが、人を殺すのに慣れている気配だ。


 ……正直、助かった。

 向こうから襲い掛かってくれるなら、ためらいなく迎え撃てる。

 俺の顔と名前を知っている以上、生かしておくわけにもいかない。

 相手と自分の力量の差もはかれないのは、少し哀れではあるが……。


 何のために生き延びているのか分からない命ではあったが、こんなザコどもにくれてやるつもりもない。


「死ねえぇ!」


 三人でかかれば何とかなるとでも思ったのだろう。

 男たちは一斉に向かってくる。

 刃を交えるまでもなかった。


「しッ!」


 呼気こきとともに地を蹴る。

 そして、一息のあいだに斬撃をかいくぐり、三人を斬り伏せた。

 戦いとも呼べない、あっけない一幕だった。


「がっ……」


 断末魔の悲鳴を上げる間もなく、三つの死体が平原に横たわった。

 強靭きょうじんな生命力を持つ魔族と比較にならないほど、もろい。


 とむらう気も失せるような奴らだった。

 放っておいても、獣たちが腐肉を漁ることだろう。


 俺は剣を納め、後ろを振り返った。

 むくろとなった男たちにはもはや関心は失せ、魔族の女を見やる。


 いつの間にか女は立ち上がり、俺の顔をじっと見つめていた。

 敵意はない。むしろ、好奇に似た視線を感じる。


 刃が届くほどの距離で魔族と顔を合わせるのは初めてのことだ。

 奇妙な感覚だった。


「マハト、だと!? 貴様が、ヒト族の英雄マハトなのか?」


 懐疑かいぎと驚きの入り混じった声で、女はそう呼びかけてきた。

 女としてはやや低いが、澄んだ声だった。


 その声を耳にして、なぜか――。

 男たちを見たときは感じなかった想いが……。

 久しぶりに“人間”の声を聞いたという郷愁にも似た感情が……。

 胸の内から湧きあがった。

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