第8話 最強装備
「マジ髪つやつやじゃん。俺、髪マジでカラーリングしてるからマジで痛むんだよね。マジでシャンプーなに使ってんの?」
ロングカーディガンを着た細身の男がやたら「マジ」を多様して宇多見に話しかけていた。
もしかしてこれ――ナンパ?
――あの宇多見が……。
今の彼女なら声くらいかけられても不思議ではない。しかし俺の中ではまだ『あの宇多見』であり、そのギャップは埋まっていないため違和感がすごい。
宇多見は完全に死んだ表情で言う。
「ちょっと記憶にないです」
「え、マジで? こだわりないの? それでマジ髪きれいなのマジじゃない?」
――『髪がマジ』……。
初めて聞いた言い回しだがなんとなく意味が伝わるのは日本語の懐の深さだろう。
「じゃなくて、洗った記憶がないというか」
「マジで!? ナチュラルビューティーじゃん」
無茶苦茶な返事からシームレスで褒め言葉につなげるあたり、かなり熟練のナンパ師なのではないか。
――人見知りだった宇多見が、あんなぐいぐい来るナンパ師と渡りあえるようになるとは……。
なぜか胸がじんとした。
などと感動している場合ではない。そろそろ助けに入らねば。カレシだと名乗れば難なく追い払えるだろう。
ナンパ師が宇多見の顔を覗きこんだ。
「つかマジ可愛いね、マジで。でもさ――」
ナンパ師が宇多見の顔に手を伸ばす。
「メガネ取ったほうがマジ可愛いんじゃね?」
「っ」
宇多見は怯えたように首をすぼめて身体を引いた。
「ちょっと待て」
俺は思わず彼らの前に進み出ていた。ナンパ師は手を止めてこちらを見る。
「なにマジで?」
「あんた今なんて言った?」
「なにマジで」
「うん、たしかに。でもそこじゃなくて。――『眼鏡をとったほうが可愛い』、そう言ったな」
「それがなに」
「マジで言ってるのか」
口癖が移った。俺は咳払いをする。
「あんたはなにも分かってない」
「マジでなにが」
俺は下っ腹に力を込め、言い放つ。
「メガネは! デバフじゃない! バフだ!」
ナンパ師は呆気にとられている。
――なんだ? 胸に響いて言葉もないか?
彼は怪訝な顔で言った。
「『バフ』って……?」
まったく響いてなかった。
「……え? 知らない? バフって一般的な言葉じゃないの?」
「マジで知らない」
「えっと、ゲームの用語で『ステータスを強化する』って意味。デバフはその逆」
「知らなかった。マジで教えてくれてありがとう」
ナンパ師は頭を下げた。
「どういたしまして。――じゃない! メガネを取ったほうが可愛い、なんてことはないって言ってる!」
「っつか、マジで誰?」
「え、誰って……。俺はこいつの」
「カレシです!」
宇多見はすっとんきょうな声をあげて俺のそばに駆け寄ったかと思うと、腕に腕をからめ、身体をぴったりとくっつけた。
――はあ!?
なに言ってんのなにやってんの!?
――いや、待て落ち着け。合ってる。恋人で。
というか、初めから恋人ですって名乗るつもりだったのに。
でも我慢ならなかったんだ。眼鏡をとったほうが可愛いだなんて。
「マジでマジ?」
ナンパ師は疑いの目を向ける。
「マジマジ。ね?」
「一応マジです――ぅぅぅううううう!?」
脇腹を目一杯つねられた。
「じゃあ、もう行こうよカレシ」
「お、おう、カノジョ」
俺は宇多見に引っ張られるままエスカレーターに乗った。
ゆっくりと俺たちは二階へ運ばれていく。
お互い無言。宇多見の体温が妙に熱く感じる。いや、熱くなっているのは俺のほうか?
間に耐えられず、俺は彼女に話しかけた。
「そ、それにしても、よく堂々と渡りあってたな」
「前の学校の友だちに教えてもらった。ナンパをいなすには、心を殺して適当な返事をするBOTになりきれって」
「まともに取り合わないのが効果的って感じか」
「そうそう。――でも実践したのは今日が初めて」
「え、そうなのか?」
「いつもはその友だちに守ってもらってたから」
「それにしては堂に入ってたけど」
宇多見はメガネのつるをつまんでくいくいと上下に動かし、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なにせ『バフ』がかかってますんで」
「っ」
勢いで言ってしまったが、さっきのだと『メガネのほうが似合ってる』と明言したようなものだ。
似合ってはいる。いや、似合ってるに決まってるのだ。
俺にとって、眼鏡の宇多見こそ宇多見なのだから。
「あ、あのな、俺が言ったのは眼鏡っ娘全般の話で」
「はいはい。ふふっ」
宇多見は上機嫌で笑う。
――浮かれてるんじゃねえよ……。
二階に到着した。エスカレーター乗降口の脇にあるフロアマップを確認し、ヘッドホン売り場へ向かう。
通路を歩きながら、俺は言った。
「あのさ」
「なに?」
「いつまでくっついてんだ?」
宇多見はいまだに身体を密着させていた。
「さっきの男ももう見てないだろ」
「いやいや、分かんないよ?」
「でも」
「いいから、念のため」
結局、俺たちはヘッドホンを購入して店を出るまでずっとくっつきつづけた。宇多見は終始、上機嫌のように見えた。
俺たちはなんだかんだ街中でいちゃつくことに成功した。
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