朝食とからかいの五分前
「昨晩はお楽しみでしたね」
朝餉の完成を告げに来たセバスのその言葉に小さく震えた私だったが、ルシファルは「ええ♪」と大変上機嫌なご様子で笑った。まあこれに関しては、残念ながら何も文句は言えない。何故なら昨晩、ドアは開けっ放しだったからである。途中でそれに気づいて閉めたかったものの、ルシファルがまったく離してくれなかった。そりゃ皮肉の一つもいわれるよな、と思い「何というか、すいません」と小さく頭を下げた。
「いえ、仲睦まじいのは大変よろしいことです。お気になさらず」
アレを見たのなら仲睦まじいなんて言葉は出ないだろう、なんて愚痴は胸の奥に飲み込んで「どうも」と返しておく。昨夜のアレは最早捕食に近かった。肉食獣と草食動物との関係性に近いソレであった。ちゅっちゅちゅっちゅと酸欠になりそうな程口内を貪られる地獄。ルシファルが口紅を塗るような女性だったなら、私の顔はさぞかし大変なことになっていただろう。不幸中の幸いである。毎晩こんな夜を過ごしていたらとてもじゃないが体が持たないので、早いところ彼女を説得して丸め込まないといけないな、と小さく嘆息した。
「こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
恭しく頭を垂れたセバスの脇、開かれたゲートを潜る。朝食はビュッフェ形式なようで、会場は既に多くの客で静かに賑わっていた。上流層特有のこうした品のいい雰囲気は、嫌いじゃなかった。
「ルシファルさん、何か食べたいものはあります?」
「貴方と一緒なら何でもいいわ」
「強いて言うなら、貴方の食べたいものかしら」──そう笑って、彼女は体を密着させるように腕を絡めてくる。今私の食べたいものとなると、果物オンリーになってしまうがよろしいのだろうか。よろしいのだろうなあ。しかしそれでは彼女の栄養バランスが偏ってしまう恐れがあるので、満遍なく料理を盛り付けていく。
「やあ、おはよう友よ!」
気さくな挨拶に空いた片手で応えて、そのまま盛り付けを続ける。朝から羨ましいくらいに元気な奴だ。
「昨晩はお楽しみだったね!」
「!?」
思わず盛りつけたフルーツを落としかけたが、寸でのところで留まった。何故だ、何故知っている。
「ハハハ、ドアが開け放たれていたじゃないか。アレじゃあ隠せるものも隠せまい。そもそも昨夜はお隣さんだったからね」
「は──!?」
「ああ、勘違いしないでくれ。盗み聞きしようなんてつもりはなかったんだ、手洗に行く時にたまたま耳にしただけで。流石王宮の賓客室、防音性はバッチリだった。扉を閉めた時に確かめたから間違いない!!」
「…………」
「ハハ、どうした友よ。なんだその視線は、敵意と悪意に溢れ返る社交界に生きる俺でも、親友からの冷たい目には傷つくんだぞ?」
「何故その親友を助けてくれなかったのかを追求したいんだけど」
「それはもう、お楽しみだったからとしか」
一発殴った。グーで。社交界にあるまじき行為だろうが何だろうが、魔王の夫には関係ない。「いっ────!?」と瞳に涙を浮かべる光己を後目に、フルーツ盛りを再開した。
「いやいや、馬鹿にしてるわけじゃないんだよ。幸せなことじゃないか、あんなに求められるなんて」
「それ以上喋ったら間違いなく国際問題に発展するから、そのつもりで」
フォークを向けながらそういうと、「……すまない」と光己素直に頭を下げた。まあ悪気がないのはわかってるので、冗談である。
「お前約束の話、忘れてるだろ」
「もちろん覚えているとも。『我が友とルシファル嬢の、性的関係には一切触れない』だろう? いくらなんでもデリケートすぎると思って、一秒たりとも忘れたことはない!」
「デリケートな訳じゃないんだよ、自己防衛の一種なんだよ。もしそんな展開になったらその……多分死ぬしかなくなるから……」
「え、そんなに重いのかい!? 愛が!?」
「まあ……そんなところだよ」
夫婦ってのも難しいものだねえ、と難しそうな顔をしながら、ビュッフェの果物を素手で摘む光己。品がない、というか衛生的観点から見てもよろしくない。お里が知れるぞ。
「あら、十文字の」
「おはようございますルシファル嬢。高貴な光己です」
私を待ちかねたのか、ルシファルがやってきた。というか光己のその自己紹介は恥ずかしくないのだろうか。まさかそれを定着させていくつもりなのだろうか。だとしたら友人関係の解消も吝かではないのだけれど。
「何やら嬉しそうな様子だね!」
「ふふ、わかる?」
光己でなくともわかる。見た目からして既に、今日のルシファルは浮かれまくっている。普通の魔王はビュッフェ会場でスキップしないし、普通の魔王は鼻歌を歌いながら夫に近づいてこない。
「昨日はとっても嬉しいことがあったから……ね、ア・ナ・タ?」
「あー、まあ……そうだね、ルシファル」
これみよがしなウィンクから只管目を背ける。無心になるのだ、一度目を合わせてしまえば間違いなく誤魔化せない。
「おっと失礼、どうやら俺はおじゃま虫なようだな?」
「ええ」
「ハッハッハ、そこまでハッキリ言われては仕様がない! 俺はそろそろ行くとしよう。それじゃあまたな、友よ。また連絡する!」
高価そうなマントを翻して、光己は去っていった。騒がしいやつである、だからだろうか、別れた後に少しだけ寂寥の感があるのは。
「さてと、それじゃあ朝食をいただきましょう?」
「ええ」
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