魔王な嫁が世界を滅ぼす三秒前

織葉 黎旺

料理が冷める一秒前

 

 芳しい香草の匂いが鼻腔を突いた。一口大に切られた雷闘牛の脛肉をスプーンに乗せ、良く煮込まれたスープと合わせて口に含む。


「……うん、旨い」


 私の言葉を受けて、銀のツインテールを揺らし不安そうにオロオロしてた彼女の表情がぱあっ、と明るくなった。お世辞なしで普通に美味しい。闘技場などでよく見かける雷闘牛、凶暴で強力な魔物であるが故に市場に出回ることは少ないが、味自体は絶品である。ただ、このシチューに使われている脛肉は硬く、調理の難しい部位なのだが――よく煮込まれているお陰か、多少歯応えがある程度で十分に噛み砕けるレベルだ。今朝畑で取れたばかりの、新鮮な香草の香りがアクセントに良い。百点とは言えないが、九十点くらいはあげられる。ほぼ文句無しに合格である。


「まあ私が作ったのですから、美味しいのも当然ですわ」

「昔は『料理なんて食材を切って焼いていればいいのでしょう?』なんていって料理とはいえないブツを作り上げてた人がよく言いますね」

「えへへ」

「切って焼いとけばいい、っていうのはよく聞く典型的な料理下手の思考ですけど、まさか切って焼いた後に再びそれを煮て、更に蒸して、締めにレンジでチンするなんて愚行に走る人初めて見ましたよ」

「えへへへ」


 特徴的である、山羊のようなぐるぐると渦をまく立派な角を掻き、照れていらっしゃるご様子のルシファル。冒頭は褒めてたけど後半は別に褒めてないです。


「花嫁修業するー、なんて言い出した時は別にそんなことしなくていいのにと思ったものですが、随分成長しましたよね」

「家事を貴方に任せっきりにするのは申し訳ないと思ったのよ」

「私はそれでも構わなかったんですけどねえ」


 元々の向上心の高さ故か、上達はとても早かった。一部の家事に関しては私なんかよりも全然上手いが、料理好きとしてこれだけは譲れない。しかしまあ、魔物の調理なんてここに来るまでほとんどやったことなかったから私も手探りだが――


「ご馳走様でした」

「お粗末様でした~」


 満腹満腹。楽しそうに食器を片付け始めたルシファルを微笑ましく見守りながら、食後のコーヒーを楽しむ。一息ついたところで机の上に置いてあった夕刊に手を伸ばし、ペラペラと記事を捲る。今日に限っては毎日楽しみにしている四コマ漫画も連載しておらず、どのページも似たような話題が多かったので、渋々見出し記事を読む。


「『人魔戦争終結一周年記念式典をマクロニアで開催』……ねえ」


 ――古代より、人間と魔族は争い続けていた。争いの火種が何であったのか、それは永い永い時の間に忘れ去られてしまっていたが、お互いの間には遠い先祖から続く恨み辛み憎しみだけが残っていた。――しかし一年前。唐突にその戦争は終結することとなった。魔族側のトップである魔王の謝罪と、和解の提案によって。最初は誰もがその発言を疑い、やれ偽りの謝罪で人間を騙すつもりだの魔王が臆病風に吹かれて軟弱な思考に囚われてるだの散々な言われようだったが、人間側の王が歴代最高といえるほど穏健派だったこともあり、和解は唐突に行われた。とはいえ、つい昨日まで戦争しあっていたような状態だ。未だに両者の間には諍いが多いが、いつまでも過去に囚われていてはいけない、という自由な派閥が、お互いの文化や技術を伝えあっている。そしてその最たる場所がお互いの領土の中間に出来た都市、マクロニアなのだ。


「しかしその式典に魔王が出向かないのはよろしくないのでは……?」


 戦争の終結を祝う行事なのだから、両者のトップが出向くのは当然だろう。しかし魔王は不遜にも、この式典をドタキャンしたらしい。胸の痛みがどうとか、病がどうとか子供が遅刻の言い訳で使いそうな嘘臭い駄々をこねて行かなかった、と書かれている。――まああながち、病というのは間違っていないのかもしれない。


「ルシファルさん」


 耳元の髪をくるくると指で弄びながら、構ってほしそうにそわそわと時折こちらを見つめていることに気づき、いい加減声をかけてあげた。


「ダメですわ、ちゃんと私のことは呼び捨てで呼んで」

「……ルシファルさん、寒くないんですか?」

「むう。別に寒くはないですが、少々スースーしますね」


 呼び捨てしない、というのは私の中の最後のささやかな抵抗である。くるりとその場で一回転するルシファル。丈の合わない少し小さなエプロンを着ているせいか、紐が肩から外れかけていて大変危ない。というか、どうして下着も何も着ていないんだ。裸エプロンなんて邪な文化誰に聞いたのだろう。


「ジンが男性にはこういう格好が効果的だ、というので。……お気に召さなかったかしら?」

「いえ、嫌いじゃないですよ」

「好きでは……ないんですか?」


 エプロンの隙間から豊満な胸の谷間が覗いて、思わず目を逸らした。


「好きです好きです大好きです」

「……ほ、本当に?」

「ええ。本当に。ルシファルさんって何を着ても似合いますよね」

「ふふっ、そういってもらえると嬉しいわ。でも――貴方には、一糸まとわぬ姿をお見せしてもいいのよ?」


 誘っているような上目遣い。ゆっくりと、私と彼女の距離が近づく。


「……いえ、まだそういうのはちょっと」

「貴方がそう仰るなら我慢するけど……もう夫婦だし遠慮することはないのでは?」

「前にも言いましたが、しっかり責任を取れるようになるまでは、駄目だと思うんです」

「でも私たちは――」


 とんとん、と。扉をノックする音が聞こえた。背筋に悪寒が走る。冷房でも点けたみたいに、部屋の温度が下がったのを感じた。


「はい」


 怖いくらいに微笑みだけは崩さず、ルシファルはゆっくりと扉に向かった。


「で、私たちの大切な時間を奪うに値する用件とは何かしら?」

 やってきたのは国の官僚数名だった。真ん中に立った一人が震える声で、細々と話し始める。

「あの、魔王様。自国の今月の作物の収穫状況、経済状況、様々な諸問題について拝見していただきたく……」

「……はあ」


 小さな溜息一つ。それだけで、彼女を正面に見据えた官僚達は、顔を青くして縮こまっている。


「そういう面倒なことは全て貴方達に任せると言ったでしょう?」

「しかし魔王様……!」

「五月蝿い」


 くい、と軽く手を払う仕草。それが発動のトリガーとなり、真ん中にいた官僚がドゴッ、と明らかに無事では済まなさそうな音を立てて壁に激突した。戦いを想定して相当丈夫な筈の魔王城の壁に、大きなヒビが入る。


「私一人いないところで支障なんてないだろう? 私がしていた仕事なんてその気になれば誰にでも出来る作業だぞ?」

「魔王様なしじゃとても荒くれ者だらけの魔族を纏めあげていくことなど出来ませんっす!どうか!そこをどうかご容赦ください魔王様ぁぁぁ!!」

「……………………」


 端の方にいた一番若そうな小物っぽい青年が、彼らの総意を伝える。魔王に対しての彼の勇気は買う。しかし、その堂々とした態度は、今の状況だと一周回って逆効果だ。


「わかった」

「ま、魔王様!」


 魔王は小さく頷いた。官僚たちは顔を見合わせて喜んでいるが、すぐにその笑顔は壊されることとなる。


「要はこの国が丸ごとなくなれば、それで問題ないのね?」


 すー、と息を吸った魔王は小さく詠唱を始めた。


「……は…………?」


 喩えるなら何だろうか――そう、仕事をしたくないから、会社を倒産させるという表現が一番近い。『自らやめるのも面倒だから』と、そうならざるを得ない状況を作ろうとしている。


 沈黙が場を包んだ。理解できない、という気持ちが見て取れる。魔王のことを理解している側近たちが残っていればそもそもこんな状況には陥らなかっただろうし、何から何に至るまで彼女の落ち度であるのだが――それを有耶無耶にして、ぶち壊せるからこその――――魔王。



「薙げ疾風、突き砕け突風。千の刃となりて、我に仇なす命を刈り取れ――」


 体から漏れ出んとする魔力が渦を巻き、まだ発動に至ってもいないのに部屋の中の物を手当り次第吹き飛ばす。壁に叩きつけられた食器は割れ、数名の官僚も先程の仲間を追うように背後の壁に吹き飛んだ。運良く魔力障壁を展開出来た様子の青年は、呆然と魔王を見つめていた。


 無論、最上級の魔法に一介の魔力障壁など意味をなさない。恐らく硝子のように簡単に砕け散る。彼は果たして今、何を考えているのだろう。暴君への恨みだろうか。やり残していることへの後悔だろうか。走馬灯でも見えているのかもしれない。そもそも、何故こんなことになっているのか、現状に理解が追いついているのか――――


「――はあ」


 面倒なことになったな、と小さく嘆息。思考を切り替え、すぐさま体を動かす。風に負けずに一直線、詠唱を完成させる前の彼女に勢いよく抱きついた。


「暴覇―――って、え?ええ?ええええええええええっ!!??」


 先程までの威圧感は何処へやら。渦を巻いていた魔力は何故か逆回転を始め、辛うじてそこら辺に残っていた新聞紙などが吹き飛び、さりげなく官僚たちに追撃が加わった。

 自分からは積極的な割に、相手から来られると弱いタイプであることは知っている。いつもの彼女なら照れつつも喜んでいたはずだが、あまりにも突然だったおかげか、あたふたと振り払われた。


「急になんですのっ!?」

「怒ってるときは冷静な判断がしづらいものなので、落ち着かせてあげようと思いまして」

「む、むしろ逆効果よ!」

「で、落ち着けました?」

「…………その、もう一回ぎゅってしてくれると……落ち着けるかもしれないわ」

「はいはい」


 優しく抱き締めると、恐る恐るといった様子でこちらの腰に手を回してくるルシファル。女性の体温は男性のそれよりも高いと聞くが、熱でもあるんじゃないかってくらい温かい。大変格好悪いことに身長で大きく負けてしまっているので表情を伺うことは出来ないが、恐らく相当赤面しておられるのだろう。


「……落ち着いた?」

「落ち着いたわ」

「それなら離れない?」

「もう二度と離れない」

「……それだと、あんなことやこんなことは出来ませんよ?」


 耳元で囁くと、ぴくっ、と小さく可愛い反応が見れた。


「あんなことやこんなこと……とは?」

「そうですねえ……遊園地デートだとか、水族館デートだとか、映画鑑賞だとか……色々ありますねえ。一度離れてくれないとそれらをするのは大変難しいですねえ」

「むむむむむむ……」


 渋々、唇を尖らせながら離れていくルシファル。ちょろい。可愛い。


「じゃあ、今から遊園地デートに赴きましょうかっ!」

「駄目です。その前にお仕事しましょうお仕事」

「ええー……はっ、まさか。まさか本当は私とデートなんかしたくなかったりするのでは……?」


 小動物のような潤んだ瞳で上目遣い。あざとい。半端なくあざとい。


「違いますよ。無論、私だってルシファルさんと遊びたいです。でも多少の嫌なことがあるからこそ、そういった時間がより輝くのだと私は思いますよ」

「……だとしても、私は遊んでる時間だけで結構で」

「確かお仕事の中にテーマパークなどの建設がありましたね。あー、好きな人の設計した場所で一緒にデートできたら素敵だろうなー。こんなの自分の相手が偉大な人じゃないと味わえない体験だしなー」

「貴方達、さっさと私に仕事を回しなさい」

「はっ!魔王様!」


 勢いよく敬礼をした官僚達は、資料を抱えて魔王の元へ走った。数名はこちらにやってきて、何度もお辞儀と礼の言葉を繰り返した。いや、そんなに感謝されても困るから。大したことしてないから。


「あ、あの……ッ!」


 声の方へ振り返ると、先ほどの青年がこちらを見つめて立っていた。


「助けて頂いてありがとうございました!あなたは一体……?」


 貴様、なんと恐れ多いことを……ッ!なんて言って迫ろうとする官僚を諌めて、回答を考える。


「何者かって言われると難しいな……敢えて言うなら、そうだね、ただの人間だよ。魔王の夫ってだけでね」


 二重の厄介祓いが出来たし、庭で本でも読むか……彼女に気づかれないように、とぼとぼ歩き出した。

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