第17話


 外はチラホラと雪が降り続いていた。仙台駅前のペデストリアンデッキでは、手袋とコートを着用した人で行き交っていた。地面は凍りついて歩くのもやっとのこと。つるんと転ぶものもいた。寒い中、柵の周辺ではTikTok撮影にカシスオレンジの名の女性がダンスをしていた。紗栄はその近くを気にせずに通り過ぎる。今日は東京出張に行っていたさとしが仙台に帰ってくる頃だった。土曜日で仕事が休みのため、荷物が多いため、駅周辺の駐車場に車を停めていた。なんとか、ここ数ヶ月、車に乗せてもらっていたため、ペーパードライバーを打破出来ていた。

 新幹線の正面改札口の前でスマホを見ながら待ち構えていた。

『今どこ? 仙台着いたよ。』

 ラインにてコメントとともにのぞくようなポーズをポチッとスタンプが押された。

『改札口の近く。』

 すぐ返したら、まもなくしてキャリーバックのキャスターをコロコロ動かしながら、目の前に黒スーツとトレンチコートを着たさとしが現れた。本当は改札口で待ってることは遠くから見ていて、念のために確かめたかったらしい。

「ごめんね、お待たせ。」

「大丈夫。車、少し遠いけど西口の駐車場に停めてたよ。」

「うん、ありがとう。行こうか。お昼、何か買ってく?」

「それならまかせて! 朝一番にウチで作っておいたから。」

「え! なに?」

「帰ってからのお楽しみ。」

「わかった。んじゃ、ほら。」

 さとしは、右にキャリーバックを持ち、左腕を三角の空間を作ってみせた。空気を読んだ紗栄は、スッと右手を添えた。そのまま、左のポケットに紗栄の手と一緒に手を入れた。

「寒いから、ポケットは温かいけど転ぶなよ。」

「気をつけます。」

 頬を膨らませながら言う。微笑ましかった。2人とも心がポカポカとしていた。この何気ない瞬間が、とても愛おしくていつまでも時が止まってしまってほしいとさえ考えてしまうくらいの出来事が起きるなんて夢にも思わなかった。

 アパートの玄関のドアを開けて、荷物を置くと、ドアを閉めてさとしは紗栄の左腕を引っ張って、自分の体に寄せた。壁ドンしながら顔をそっと近づけてそっと唇にキスをした。体が暑くなり、心臓が鼓動が速くなった。

「ごめん、我慢できなくなって…。」

 紗栄はコートの両すそを引っ張って、お返しキスをした。

「謝らなくても、大丈夫だよ。私も寂しかったから、帰ってきてくれて嬉しい。」

 そう言われたさとしは、飼い犬のように耳がきゅんと下がるくらいに頬を赤らめる。

「続きしてもいい?」

「ダーメ、せっかくご飯作ってたんだから、夜までお預け。昼間からご近所さんに聞こえたらまずいでしょう。隣のおばあちゃんとおじいちゃんびっくりするから。ほらほら、荷物も片付けないと。」

 さとしの口に人差し指をつけられた紗栄はテキパキとバックの中から洗濯物を取り出して洗濯機へと運び入れたさとしは、一気に現実に戻されてとぼとぼとリビングに行くと、クリアファイルに入った退去申請書を見つけた。

「紗栄、これ何?」

「あぁ、それね。3日前に加奈子さんだっけ?書類書いてくださいって置いて行ったよ。そういや、さとし引っ越しするの?」

「いやぁ、聞いてないよ。初耳学の林先生だよ。」

「なにそれ。初耳でしょう。林先生いらないでしょ。」

「他に何か言ってた?」

「埼玉に転勤するって……。」

 さとしは、疑問に思った。直接会社から辞令が来ていないのに加奈子から話が来るわけがない。そんな重要な話を自分にされないのはなぜか気になった。直接確かめようかと思ったが、とりあえずお腹が空いたので、椅子に座って手を合わせた。

「まあ、いいや。とりあえずお腹すいたからいただきまーす。」

 紗栄が朝から作ってくれていたお手製オムライス。デミグラスソースがたっぷりついていて、ちゃっかり国旗のつまようじなんて付いていたからお子様ランチみたいで少し気分が上がった。

「食べて食べて。ポテトサラダも作ってたから今出すね。」

 食器棚から小鉢を出してよそおうをした時、突然さとしのスマホが鳴り響いた。噂をすればというところだった。

「ありゃ、電話だ。」

 アゴ付近にチキンライスのごはん粒が付いたまま、さとしはスマホの緑の通話ボタンをスワイプした。紗栄はコトっとそれぞれの小鉢を置いて、自分自身もオムライスにありついた。

「はい、大越です…。」

『彼女に渡した書類書いてくれた?』

 有無も言わせず、用件だけ言ってくる。

「あ、今から記入するところです。いつまでに出せば良いですか?」

『悪いけど、今日、今から出てこれるかしら。』

「は? 今から?」

 さとしは焦った。まだオムライスもポテトサラダも堪能し終わってない。

『14時30分までに、地図送るからよろしく。必ず書類忘れてないでね。んじゃ。』

 イエスノーさえも返事すらしてない間に電話は切られてしまった。結構、強引だった。あと15分もなかった。ラインの地図を見るとここから徒歩10分にある市役所を示してあった。

「なんで、突然、市役所に行かなきゃないんだよ。しかもこの紙も…」

「た、大変だね。でもまあ、オムライスとサラダは取っておくから行っておいで。」

 さとしはブツブツ文句を言いながら書類に必要事項を記入して、脱いだばかりの上着を羽織った。

「ハンコも必要かなあ。」

「一応、持って行ったら?」

「そうだな。忘れたら怒られそうだし。」

 引き出しから認め印を取り出し、バックの中に入れた。クリアファイルにした用紙をバックに入れた。

「あ、お土産のカレーパンあるから先に食べてて。」

「うん、ありがとう。」

 がさごぞと、バックからカレーパンを取り出して渡す。

「んじゃ、行ってきます。」

「行ってらっしゃい。」

 徒歩で指示された市役所に向かう。何気ない笑顔で交わす瞬間が凄く貴重なことなんだと改めて思い出された。


 自動ドア付近で加奈子は、待ち構えていた。小走りで近くに行く。挨拶もなしだった。

「遅いよ。なんで早く来てくれないの?」

「いや、だって、俺さっき出張から帰ってきたばかりだから! て言うか、なんで急に呼び出すのよ。」

 加奈子はソワソワと誰かを待つように後ろを見たり前を見たりしていた。

「まあ、良いけど。書いてきた書類は?」

 納得いかないままイライラしながらさとしはバックからクリアファイルごと渡した。

「そうそう、これ、これ。ごめんね、さとし。」

「は? どう言うこと?」

 加奈子は書いた書類を見て確認すると、シールを剥がすように1枚の紙を綺麗に剥がし始めた。じっと見ていると退去申請書はダミーの紙だったようで、本当は婚姻届の用紙に入れ替わった。名前と住所の部分がそっくりそのまま手品のように当てはまっていた。

「え、は? どう言うこと? 俺、聞いてないよ。」

「でも、これはまだ未完成だから安心して。」

 そう言うと入り口付近の自動ドアから、かっぷくのいい男性が何やらイライラしながらこちらにやってくる。何だか怖い。さとしは背筋がぶるっと震えた。

「あ、ひろし! こっちこっち。」

 加奈子は突然、顔色を変えて、手招きしてその男性を呼び寄せた。

「加奈子、どう言うことだ?」

「だから、言ったでしょう。私にはもう、結婚を約束した婚約者がいるの。ほら、この通り、婚姻届にだってら名前書いてくれるんだから、嘘じゃないでしょう。別れてくれるんだよね、本当のことを言ったら良いってあなた言ったじゃない。」

 何となく修羅場的な状況になりそうな展開で、さとしはつばをごくんと飲み込んだ。

「俺は別れたいなんて言ってない。勝手にそっちが言ったんだろ。本当のことを言ったらって加奈子はいつも、嘘つくじゃないか! 本当のことはいつ言ったんだよ! 今だって、嘘なんじゃないのか! 俺は許さないぞ。」

 ひろしという男性は、怒りが込み上がっているのか鼻息が荒かった。さとしは、ビクッと反応してしまった。加奈子はさとしの後ろに隠れて怯えている。

「ひろしだって、嘘つくじゃないのよ。飲み会だって言って別な女の子とデートしてたし!」

「な、なんでそのことを!まあ、いい。とにかくだ、その男と本当に結婚するんだったら、別れても良い。嘘だったら、絶対に別れないからな!いいな!」

 ひろしは、事あるごとに暴力を振るうDV男だった。今は外出先と言うことで手加減しているが、暴言程度で済んでいる。さとしは、後ろに隠れる加奈子を、腕のアザを見て悟った。威圧的な言い方と言うことをきかないと許さない。何でこんな男と付き合わなきゃいけなくなったのか、大体の見当はつく。加奈子の持っているものや着ている服は相当高い服かと感じた。かなりの金額を貢がれているのかもしれない。もしかしたら、裏社会の人かもしれないと思うと背筋がピンとまっすぐに伸びた。ひろしの首筋にイレズミらしきものが見えた。

「あの!」

「あ?」

お怒りのまま、さとしの顔を見た。これ以上余計なことするなというような目で見られた。

「俺たち結婚します。本当です。」

 さとしは思ってもないことを言った。本当は加奈子と結婚したくない。でもこの状況、元彼女のよしみで救ってあげなきゃいけない気がしてきたとお人好し精神が丸出しだった。ひろしは、少し落ち着きを取り戻した。

「ほ、本当なのか?」

「な、加奈子。結婚するんだよな。」

「え、ええ。そうよ、だからこうして市役所にいるんじゃない。さとし、手続きするから婚姻届確認しましょう。」

 2人は手が震えている。よく見ると証人の欄が1人かけている。近くにいるのはひろしただ1人。加奈子はひろしにかいてもらおうと後ろ振り返った。

「ねえ、ひろし。私たちの結婚、祝福してくれるのよね。」

「ああ。そうだな。本当だったらな。」

「本当よ! その本当であることの証明にここの証人の欄に署名してくれない?」

 ひろしは腕を組んで考えたが、すぐに記入台の上で書き始めた。

「できたぞ。もちろん、今すぐに申請を出すだよな?」

 脅されるがごとく、さとしと加奈子は冷や汗をかいた。静かに、笑顔で頷いた。後ろにひろしは睨みをきかせて見ている。出さなければどうなるのか想像もつかなかった。市役所の職員に届けを出すと、無事受理されてしまったようで今日から大越加奈子となってしまったようだ。さとしは半ば複雑な思いで、外に出た。加奈子は婚姻届を出して、ひろしも機嫌が良いことに喜んでいる様子だった。さとしはこれからどうしたらいいかお先真っ暗だった。ヤクザ絡みの加奈子の元カレの指示のもと、婚姻届を出すことになってしまった。

(いや待てよ、俺はまんまと加奈子の罠にかかってしまったのでは無いか。どうして、元カレがシャシャりでてきて、結婚を急かす。おかしい。本当に好きな人なら結婚をとめるのでは?うーむ。)

 1人考え事をしていると頼んでもいないのに左腕に加奈子の手が乗っている。

「これで、私たち、晴れて夫婦になれたわね。」

 満面の笑みで言う。さとしは、崖っぷちから突き落とされた気分だった。そもそも、別れを切り出したのは加奈子でなんでこんな展開になってしまうんだ。

(俺は、紗栄と結婚して幸せな家庭を築こうとしていたのにー。)

「ああ、そうだなあ…。」

 ほぼ棒読みのセリフを吐いた。ハンコなんて持ってくるんじゃなかったと、後悔した。会社の上司であり、彼女であり、妻になってしまった。断ることを許されない状況を作られ、自分の口から出まかせの言葉を発信し、実際に結婚という名の行動を移してしまう。

 さとしはしばらくの間、本音を隠して生活することを決意した。


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