第8話


 遡ること一ヶ月前、駅のホームで拾ったひとつのキーホルダー、ふわふわの猫の形。紗栄がお父さんと共有しているキーホルダーを先に雪村紗栄のものだと気づいたのは、大越さとしの方だった。拾ってすぐに漢字フルネームで『雪村紗栄』と書いてあるのを知った。そして、妹がそれを落としたことも知っていた。拾ってすぐに落とした雪村花鈴にわたした。

「あ、あの。これ、落としましたけど。」

「あ‥‥すいません。ありがとうございます。」

 それから、花鈴は愛のキューピッドだと勘違いしていたが、ただ猛アプローチしていたのは花鈴の方で、毎朝同じ駅ですれ違っていて、よく見掛けていた意中の人だった。片思いだった。

「わざわざ拾っていただいて、ありがとうございます。お礼がしたいので、よければ、ライン教えてもらっていいですか?」

 積極的に話しかけた花鈴。棚からぼたもちのさとし。クラスメイトの雪村紗栄に遠回りに近づけると思っていた。誘いにはなるべく断らないスタンスでもあるさとしは初対面で軽く承諾した。

「お礼なんていらないけど、連絡先くらいなら。」

 スマホを出して、ラインのQRコードをお互いに読み取った。電車に乗る行列の中での作業だった。


 プルルルルル


 発車のベルがなる。

「あ、時間だから、また。」

 さとしは、荷物を背負い直し、手を振って電車にのりこんだ。ラインの連絡先を手に入れた花鈴は嬉しくてずっと胸元でスマホを握りしめていた。右手で手を振って別れた。花鈴は反対側のホームに並び直した。誇らしげだった。外は粉雪が降っていた。

 その一部始終を見ていて、気に食わない女がいた。それは、紗栄のクラスメイトの伊藤美奈子だった。駅のホームの自販機近くで影から2人の様子をみて腹が立っていた。

(私のさとしくんどうしてあいつが連絡先を交換しているのよ。私でさえ、連絡先を知らないのに、しかも年下だなんて!! あれは西中学じゃない。むきーーーー悔しい。)

 ハンカチをちぎりそうなくらいかんだ。学校になんて、遅刻してもいいってくらい感情がむきだしになった美奈子だった。それを知りもしない花鈴とさとしだった。

 

 大越さとしは、ずっと前から紗栄のことを知っていた。クラスメイトということ、メガネをかけて暗い自分を演じていること。そして、紗栄が他校の制服着替えて、フルメイクをして、街に出掛けた姿を見たことがあった。本当はわかっていた。さとしは、無理して、違う自分を演じている紗栄を本当の姿で学校に通ってもらいたかった。学校の友達に雪村紗栄の過去を知っている人がいて、どんな中学時代をすごして、今のあの格好になったのか。すこしずつ、本当の自分になっている紗栄を見て安堵さえも覚えていた。


それは、中学2年の思春期真っ只中、クラスで事件は起きた。中学の紗栄は、友達付き合いは今と真逆でキャピキャピしたカーストで言うところの上の方で仲間を作っていた。ふとしたきっかけで解散の危機になった。それは、ボタンのかけ違いのようなものだった。

「紗栄、今日、部活休みだけど、部室、一緒に付き合ってくれない?」

 テスト期間中で部活が休みだった。紗栄はバレーボール部に所属していた。伊藤美奈子のようなお姫様気質の坂口映美(さかぐちえみ)が紗栄を部室に誘う。カーストの上位にいたが、紗栄は勉強は当時学校よりも家でする方だったため、テスト期間はかなり重要な時間だった。いつも、そうなることはわかったいたはずの映美もその時ばかりは何か話したいことがあったのか、推しが強く誘われていた。

「映美、ごめん。本当にごめん、私、うちで勉強しないとだめなんだ。埋め合わせはちゃんとするから。」

 紗栄は振り切って、帰ってしまった。これが原因でカースト上位にいることに危機が迫っていた。

 映美は、紗栄に相談したかった。今、テスト勉強どころではない状況の家庭がグチャグチャしていることを。逃げ出したかった。帰りたくなかった。毎日の夫婦喧嘩の両親。本当に離婚するって話が持ちあがっている。居場所を映美は求めていた。美しく目に映る世界を。紗栄という明るく、おおらかで優しさに溢れている彼女に身を寄せたかった。その想いは、すがることから憎しみに変化していった。どうして、私ばかり苦しい思いをしているのか。あの人にも私と同じ苦しみ味合わせたい。そんな思いに変化した。その誘いを断ることをしなかったら、映美は普通の友達のままだったかもしれない。

 翌日、テスト中にも関わらず、いじめが起きた。朝、登校すると下駄箱の上靴に大量のガビョウ。紗栄は気づかずに踏んでしまう。

「いたっ!」

 その場で靴下を脱ぎ、保健室にすぐ向かった。先生に包帯を巻いてもらい、とりあえず途中からテストに参加させてもらえた。ガビョウはもったいないと紗栄は袋に入れて持ち帰った。こういうことになった理由は薄々感じていた。犯人も知っていた。それでも今あるポジションを守りたくて平然としていた。

「おはよう。映美。昨日はごめんね。テスト終わったら時間作るから。」

 ホームルーム中に教室に来られなくて、テスト終了の休憩時間に声をかけた。周りのみんなはガビョウの件を心配してくれたが、映美は素っ気なかった。

「……テストで赤点取ったら、あんたのせいだから。」

 とてもシリアスなモードで投げ捨てられた言葉だった。映美はそういうと友達の取り巻きを3人連れて立ち去った。その日から紗栄はカースト上位から外された。自然と1人で過ごす時間が多くなり、エスカレートするいじめ。次の日もまた上靴にガビョウがあった。こんなこともあろうかと、上靴の下敷きにはコルク板を貼り付けていた。入っていたガビョウをすぐにポチポチとコルク板に刺した。これがまた足ツボになって健康になれそうとプラスに考えた。ありがたいことに数は前より少なめになっていた。たった一言のお断りを入れただけで、このありさま。女子ってとても面倒なものだなあとため息をつく。いじめはガビョウだけではなかった。机の上の落書き。筆箱などの私物の紛失。体育で使う運動着が袋ごとゴミ箱に投げ捨てられた。中学生なのに、小学生みたいないじめ。紗栄はそんなことされてもめげなかった。来年なったらクラス替えもあるし、今だけこの環境なんだと思うと滑稽でしかなかった。いつも授業なんて聞かなくても自学勉強で満点取れるし、むしろ通学しなくても勉強はできる。それでも学校に行くのはこの人間関係の大切さを学べと両親から言われていた。体を傷つけられることがなければ、なんとか行けると言い聞かせられていた。良くも悪くも若いうちに学べば大人になったときに上手い交わし方を、勉強できる。大事な時間だと。

 いじめはエスカレートしていった。触るもの全て敵になるようで、隣のクラスメイトに話しかけただけで無視された。生徒だけでなく先生までも。学校に来なくても勉強できるのが鼻につくらしい。学校という環境はもう、安心して呼吸ができる空間ではなかった。休み時間になるとすぐに屋上で暇つぶししてた。ここから落ちたら、どんなに楽だろうとよからぬことも考えたが、雲ひとつない真っさらな空に、綺麗な小鳥の鳴き声に救われた。そして、手元には太宰治の人間失格の小説でまだ私はマシと安心した。主人公には申し訳ないが、そう思ってしまった。この世界は一つじゃない。生きる場所はここだけじゃない。逃げてもいい。でも、もうちょっとの辛抱。負けたくない。とまぁ、屋上の鍵を閉めてられて、授業を受けることもできないこともあった。親切な誰かが、数分後に黙って開けに来てくれていた。誰かはわからないが、それが、紗栄のクラスメイトで高校になったときにいじめの件を大越さとしに話す男子だった。密かに中学の時、雪村紗栄に片想いしていた。告白することもなく、空気のような存在で卒業まで生きていたある意味ずるい男子だった。このいじめは長期戦で、中学3年になってからも続いていた。いつもギリギリのところで影ながら、紗栄を助けていた。石川良輔(いしかわりょうすけ)という。高校では隣のクラスにいて、大越さとしとは、剣道の部活で一緒だった。どうして雪村紗栄がメガネで暗い感じの格好で学校に来ている理由を中学の出来事があったからと教えていた。

 大越さとしは、雪村紗栄という存在を知ってなぜか助けたいと思った。2年間、ずっと我慢して押し殺して過ごしてきたはずの彼女をこのままではいけないと救いたいと心から感じていた。

 どうして、そう思うのかは謎でしかないが、本能がそうさせていたのかもしれない。放って置けない存在だったのか。


***


 喫茶店、マンチカンでドアのベルが鳴った。喜治が買い出しから帰ってきた。

「お? お客さん? いらっしゃい!

まだ開店前なのに特別接待はまさかのさとしか? なに、可愛い彼女連れてまた何か相談事??」

 ダンボールの荷物を運びながら入ってきた。優子は、コーヒーをさらに作り始めた。今日は長くなりそうだとパンケーキを焼き始めてた。香ばしい良い匂いが漂う。

「善兄~。頼むよ。俺の頼みを聞いてよ! 事件だから。」

 さっき告白してたさとしとは全然違うキャラクターが現れた。まるで、甥とおじさんのような関係だ。年の差が離れている従兄弟だった。とても可愛い少年に見えてしまった紗栄だった。

「はいはい。んじゃ、今日のカフェは閉店で。ビップ待遇でいいな。どーせ、例の風邪も流行っているし、他にお客さん来ないでしょ。な?優子いいよね。」

 尻に敷かれるのか、念のため、お嫁さんに確認をとる喜治だった。

「いいよ。ちょうど、パンケーキ焼いてた。善も一緒に食べよ! ほら、4人分。みんなで食べたら美味しいよ。」

 ふかふかの赤いソファに温かみのある大きいヒノキの木のテーブル。おしゃれな手作りであろう焼き物食器には、2層のパンケーキにとろとろバターにはちみつ。ちょっとしたカラフルサラダに目玉焼き。横にはマグカップのコーンスープ。とても美味しそう。ちょっと贅沢にオシャレな朝食。

「あ、さとしくんは、コンソメスープね。コーンスープダメだもんね。」

「え。そうなの? 知らなかった。」

「実は、とうもろこし苦手です。歯に挟まるからという理由です。なんてね。実は、とうもろこしアレルギーあるから無理なんよ。優子さん、いつもありがとう。」

「いいってことよ。お世話になってるもんね。」

「それ、俺には気を遣ってくれないもんね。いいなぁ、さとし。俺の嫌いなもの毎日出される。」

「ちょっと、あんた、何歳だと思ってるのよ。年齢に合わせた食事しないとブクブク太るよ! 嫌いなものってあんたは偏食すぎるのよ。何が葉物全部ダメだわよ。ほとんど食べられないじゃない。」

 痴話喧嘩が始まってしまった。紗栄とさとしはまぁまぁまぁと2人を制止した。

「仲良いですよね。言いたいこと言える関係っていいと思います。うちの家族は気を使いすぎて喧嘩するところなんて見たことないんで・・・。」

「そうかなぁ。ただ、うるさいだけよ。お互いに、まぁストレス発散にはなるかもね」

 優子は笑いながらいう。とても小さくなった喜治は気を取り直して、本題に入った。

「それはそうと、事件って何よ。さとし、お前何やらかしたの?」

 パンケーキをむさぼり食べ始めて、横で鬼のような顔の優子がいた。さとしは気にせず、話し始めた。紗栄はさっきと同様まぁまぁとなだめた。

「そんな、俺がやらかしたわけじゃなくて、むしろ、この紗栄の妹の方で、この動画見てよ!」

 スマホを片手に例の事件の様子を映し出した。明らかに花鈴が前にいる紗栄を押しているように見える。

「あ、この映像見たことある。昨日、ニュースでやってた。確かに不自然だなぁと思ってたけど、かなりのいじられようだよな。SNSとかそれで話題持ちきり。それにヒーローみたいに助けたやつが随分讃えられてたみたいだけど? なに? お前が? ヒーロー?」

 突然、喜治は笑いが止まらなくなって吹いた。

「昔、裸でぞうさんぞうさんってやってたやつがヒーロー? いや、何かの間違いだろ? お前じゃないって。」

 急に幼少期の話をされて恥ずかしくなったのか顔を真っ赤な猿みたいな顔をして怒り始めた。

「そこまでいうことないだろ! とにかく、俺が紗栄を助けたの。重要なのはそこじゃなくて、その押したって映像。不自然ってどういうこと?」

 涙が出るくらい笑っている喜治は、急に冷静になった。

「え、だからさ。一見、後ろの人が押したって見えるけど、もっと後ろの方が変に消えてないのかなって思って…わかる人にはわかるよ。明らかに。おバカな人はそのままを映像を受け取るだろうけどさ! プログラミングゲーム作りで大賞とった俺だからわかるのよ。」

 今の時代、写真をお手軽に合成できる。存在する人を存在しないことにできる機能までついている。合成はこわい。

真実ではないはずの映像が世の中に出回っている。それで誹謗中傷が起きている。

「……そうかもしれない。ちょっと待って、この写真の件、善兄よりも先に相談する人いたかも」

「は? 俺より先ってどういうことよ。」

「ちょっと電話してみるわ。」

 さとしはお店を出て外で電話をかけ始めた。喜治はため息をつく。

「そういや、紗栄ちゃんだっけ? 君はさとしとどういう関係?」

 善治は唐突に聞く。

「えっと、命の恩人という感じでしょうか。まぁ。クラスメイトです。」

 咳払いをして言った。優子は喜治が来る前の話を聞いていたため、なんとも言えなかった。

「へぇーそっか。あいつ、結構、誰にでも優しすぎて、勘違いされること多いからさ、本気になったら1番大事にすると思うんだよね。どっちかわからないけど、あいつには騙されないよう気をつけてな。」

 紗栄の肩をポンポンと軽くたたいた。応援しているんだか、やめておけと言っているんだか紗栄にはわからなかった。喜治は眠くなったと奥の方へ行ってしまった。久しぶりのカフェの休日でゆっくりしたかったようだ。

「紗栄、解決できるかもしんない! 駅に行こう!」

 電話を終えたさとしは、ドアを開けて、すぐにさとしは紗栄を呼んだ。

「え、お勘定まだだよ。」

「あ、いいよ。私たちのおごりだから気にしないでいいんだよ。行っておいで、終わったらお昼ご飯食べにおいで。ハンバーグ作って待ってるよ。」

 優子さんは食器を片付けながらいう。さとしは早く行こうとせかす。紗栄はおじきをして、カフェを後にした。

「優子さん、またあとで。パンケーキごちそうさまです!」

 喫茶店マンチカンのドアのベルがガラガラと鳴った。 まだ外は雪が降り続いている。

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