第6話

その頃。救急車の中では、質疑応答がなされていた。

「ごめんね、いろいろ聞きたいんだけど、あなたはこの方の家族なんだよね。」

「はい。妹です。雪村紗栄は私の姉です。私は雪村花鈴です。」

 少し怯えながら話し出す。

「名前は雪村さんね。んじゃ、お姉さんの生年月日を教えてくれるかな?」

「平成17年6月11日が姉の誕生日です。今年17歳になってます。」

「うん、細かくありがとう。お姉さん、今眠ってる感じあるけど、何か具合悪くなったりとか…って君、大丈夫?」

 救命救急士と話しいて、緊張が走ったのか、花鈴は突然呼吸を荒くして息ができなくなっていた。過呼吸。急激なストレスにより生じることが多い。緊張しすぎたのだろうか。

「はい、これに息をゆっくり吐いてみよう。吸ってー吐いて吸って、これつけるからね。あと、血圧測っておくよ。」

 名札に救命士の佐藤と書かれていた。素早く処置をした。茶色の紙袋を口元に当てて、ゆっくり呼吸する。右手の人差し指にはパルスオキシメーター(酸素測る機械)をつけられた。数値が上がり始めてる。左腕には巻くタイプの血圧計。ポンプをポフポフ押している。

「うーんと、上が180下が90で、脈拍が100いってるね。血圧上がってるからゆっくりゆっくり呼吸してね。大丈夫、大丈夫だよー。」

 花鈴は佐藤さんに優しく介抱された。背中をさすって落ち着かせた。本人は死にそうなくらい苦しい思いをしている。息がまだ荒い。

「大丈夫、死なないから。ゆっくり呼吸することだけ考えてね。」

 

 すーはーすーはー


 だんだんと茶色の紙袋が湿ってきた。その湿り気は唾液だった。少し汚いなと思ったのか冷静さを取り戻してきた。徐々に眠くなってきている。


「やっと落ち着いてきたね。酸素も正常。血圧もう1回測ろうか。」

 また左腕に血圧計を巻かれた。花鈴はいつも通りの呼吸になってきた。

「血圧も戻ってきたみたいだね。ほら、大丈夫。上が110下が80だから、健康そのもの。良かった良かった。目の前でお姉さんが具合悪くしたら心配するもんね。優しいんだよ、きみは。」

 本当は違っていた。花鈴はそんなこと一つも考えていなかった。紗栄が本当に線路に落ちてしまえばいいのにって考えてしまっていたからだ。気持ちはあった。紗栄を押したのは、花鈴本人だ。さとしと仲良く一緒にいることに嫉妬心が強く芽生えた。実際は、ポンと押して、仲良くするのをやめてよって訴えたかっただけで、本当に線路に落とそうと言うつもりは無かった。罪悪感で、苛まれている。自分の中の天使と悪魔が戦っている。葛藤している。さとしが彼氏だということが自信持って言えていない。不安でいっぱいだった。心が落ち着いていなかった。さとしに送ったラインの返事が既読さえもしない状態が続いていたから。その中で笑顔で二人で話している姿を見た瞬間、とてつもない憎しみでいっぱいになった。姉妹で近しい間柄であることがゆえ、相手の性格や行動がよく見える。

 小さい頃、可愛いくまのぬいぐるみで争ったことがある。一つしかなかったそのぬいぐるみは姉の誕生日プレゼントだった。花鈴は、うらやましいとそのぬいぐるみをすぐに奪った覚えがある。ラッピング袋から出したばかりのものを誕生日ケーキの上で大事に渡された可愛いピンクの袋を満面の笑みで受け取っていた。憎らしかった。横にいた花鈴は紗栄のプレゼントを「かわいい」と言ってぬいぐるみを抱っこした。両親は、すぐに止めに入ったが、姉妹の喧嘩が始まった。ラッピング袋が破れたことを鮮明に覚えている。黒歴史となる。最悪の紗栄の7歳の誕生日だった。花鈴はその時5歳だった。紗栄は、最高に悔しかったのであろう。近所に聞こえるくらいの大きな声で騒いで泣いていた。泣いている間も、花鈴はくまを離そうとはしなかった。両親とも、手に負えない状態だった。姉妹、兄弟の嫉妬というのは、時に手に置けないほどの戦いになることもある。育児書という教科書に書いてあるような解決できないものがある。家族の中でのこれまでの関わりは教科書には書いてない。常識は通用しない。人間というものは、学者や研究者の第三者が勉強したものでは解決しないのだ。家族という輪の、組織の中でのルールは全てオリジナル。教科書になんてならない。産まれてから、毎日、一字一句メモしなければ、監視カメラで録画するわけでもない。誰とどこでどのように話しかけられたかとか、覚えられる訳がない。親がいくら注意したから直るもんでもない。親自身が鏡だから、人に傷つけることをしなきゃいい。とか、しなきゃいけないことわかっててもやってしまうのは親でも子でもある。その後を、どう対処するかが、人間の在り方であり、人間性が磨かれていくんだと紗栄と花鈴に母は教えていた。

 救急車は、病院に着いていた。救命士の佐藤は、車からおりて、患者の詳細を看護師に伝え、同行者も念のため、治療するよう申し伝えた。それと同時に診察室へ運ばれた。

「外傷は?」

「ないです。頭部をぶつけている可能性があるとのことで、頭部CTの検査を希望しています。」

「よし、んじゃ、CT室へ運んで、技師の斎藤に連絡よろしく。それで、その子はどうした?」

 研修医と常勤医が慌ただしく、動いている。花鈴は、待合室のソファで看護師とともに介抱されていた。

「救急車に乗ってる時に過呼吸になったようで、今は少し落ち着いています。」

「既往歴は?」

「心療内科に過去に通ったことはあるそうです。病名はわからないそうです。」

「まだ中学生だよね。とりあえず、ベッドに寝かせて、点滴ラクテックしといて。」

 常勤医の冴島は、看護師に指示を出した。屈んで、花鈴の目線に合わせた。

「大丈夫、ここは病院だよ。安心して、ゆっくり呼吸してね。そうそう、上手。点滴するから、ベッドで横になってみて。」

 背中をさすりながら、紙袋をもってあげた。指先につけたパルスオキシメーターの数値が上がり始めた。ベッドに誘導される。緊張がまだ出ている。

「ご家族に連絡はできてる?」

「はい、さきほど、ケータイの方に連絡して、あと30分で到着予定です。」

「それじゃあ、大丈夫だね。家族が今向かっているから安心して、ゆっくり休んでて。あとよろしくね。」

 冴島は、別件の患者に向かうため、立ち去った。看護師の佐々木は、点滴を準備して、花鈴を落ち着かせた。静かに眠りについた。横になり、何も考える余裕もなくなったようで、泣き疲れて眠くなったようだ。小さな小さな子供のように望みが叶わないことに他人に委ねる。自分の責任ではない。責任の矛先が自分に向かうと精神的に落ち着かなくなる。あまりにも束縛も圧力もない環境で育ったからなのか、わがまま気質で責められることのない環境で育ったからかはわからない。悪いことは悪いと言われると想像以上に落ち込み呼吸ができなくなる。謝罪もできない。どんなに落ち度があってもすべて他人のせいに生きてきた人間だった。それでまかり通ってきたが、今回ばかりはそうは言ってられないのかもしれない。

「花鈴、花鈴。大丈夫?」

 母がベッドの横でそっと肩を揺する。

「……うん。」

 目が覚めた。枕元の横には紙袋が乱雑に置かれていた。慌てて、布団の中に隠した。母には以前、病院に通っていたことは知らせていなかった。自分が病気だということを教えたくなかった。祖母に付き添ってもらっていた。

「救急車で運ばれたって?」

「うん。でも、大丈夫。もう、起きる。」

「そう?」

 花鈴はふとんをはねのけて、体をおこした。酸素ばかり吸いすぎたせいか、一瞬めまいがした。深呼吸して、かごに入っていた荷物を取り出した。

「ちょっと、トイレ行ってくる。お母さん、お姉ちゃんの話きいた?」

「あぁ、うん。お姉ちゃんも、もう大丈夫って先生言ってたから、帰ってもいいって、お会計とか帰る準備するから。トイレ行ったら、車に来て。正面玄関の近く駐車場ね。」

「わかった。」

 救急車で運ばれたからと言ってドラマのような緊迫した空気なんてないし、感動する場面なんてない。ただ、普通に診察して大丈夫だったら、会計して、お薬出されたら処方箋出されて、薬局行って終了となる。今回、外傷は全くなし、むしろ、花鈴の精神的な症状の方が処置しどころがあった。心配されてた紗栄は検査したが特に目立って気になる部分なく異常なしであった。と言っても現時点で症状も治っており、特に緊急に必要な薬も出ず、かかりつけの病院に行ってくださいで事なきを得た。診察の会計もさほどかからなかった。

 バタン

 花鈴は車の後部座席に乗り、ドアを閉めた。紗栄は、平然と母の隣の助手席に乗っていた。

「家、帰るよ。今日、お父さん、夜勤だから三人で夕飯だね。お弁当でも買うかな? あ、でも8時すぎてるから…。」

「あたし……ごはんいらない。」

 花鈴はボソッと言う。母は、点滴をしたことを思い出し、寛容に受け止めた。姉のことを未だ気に食わないらしく、一緒にご飯食べる気にもおきなかった。

「花鈴はいらないのね。紗栄は?」

「私は……あまりお腹減ってないけど、おにぎりくらいでいいかな。」

 紗栄は、さとしに助けてもらったことが嬉しかったらしく、今でも心臓バクバクで上の空だった。恋わずらいで食欲がないらしい。花鈴のことなんて、全然気にしていなかったが、家に帰り、テレビを見たあとには、考えずにはいられなくなった。

 自宅につき、リビングで身につけていたマフラーを脱いだ。母がリモコンでポチッとテレビをつけた。番組と番組の間のちょっとした時間のニュースが流れていた。ローカルニュースだと信じたい。その内容は、まさかの紗栄の電車の前に転落した事故のことを伝えていた。監視カメラの映像ではなく、周りにいた群衆の何人かの目撃者のスマホカメラ映像だった。視聴者提供の文字がかかれていた。当事者の紗栄と花鈴、さとしの目元にはモザイクがかけられていたが、制服や持ち物は鮮明に映っていた。

「お、お母さん。これって……。」

 まさに、花鈴が紗栄を明らかに押している様子が後ろから撮られていた。決定的瞬間を捉えられていた。駅構内の監視カメラには映らない死角だったようだ。このことでSNSのTwitterやTikTok、Instagramのあらゆるところでもちきりだった。様々な場所で話題にあがり、たちまちニュースは全国に広まった。

「嘘でしょう。花鈴がそんなことするなんて、お姉ちゃん!」

 もう、母はパニック状態だった。顔をおさえて、その場に立っていられない状態だった。紗栄は、このニュースを花鈴に伝えようと二階の部屋に上がった。ドアの前で深呼吸した。

「花鈴、中入ってもいい?」

「やだ。だめ。」

「なんで?」

「だめ、絶対!」

 行った瞬間に花鈴はそばにあった辞書をドアに投げつけた。ガンと鈍い音がした。ぼこんとドアが少しへこんだ。紗栄はため息をつく。

「怒っているんでしょ。私のこと。」

「何も聞きたくない! やめて。」

 花鈴は、布団の中に潜り込み、耳を塞いだ。自分のスマホでニュースを見た。こいつが犯人だと個人情報がさらされている。どこから情報が漏れたかわからない。“可愛い顔してやることが残酷”というツイートが流れる。もう、SNSはあることないこと書かれる。小さなことが大きくなることもある。”中学生の殺人鬼“なんて、殺してもないのに大きく書かれてしまっている。冷静に話したくても話せない状況だった。

 その頃、大越さとしの自宅では、部屋でくつろぐさとしがいた。ただ、スマホニュースやSNS情報を見て、ガン見した。自分の後頭部が映っている。救ったのはこの勇敢な少年と褒め称えれている。嬉しいニュースかと思えば、花鈴の批判コメントが激しかった。世論はどれだけ人を蹴落としたいのだろう。ボタンのかけ違いかもしれないのに、殺してもないのに殺人鬼呼ばわり。その批判文字や批判言葉を見聞きして、さとしは落胆した。予測していた事態は起きていた。

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