17.白き癒し手

 チェシカの前に立ちはだかる黒き魔獣。まるで彼女の心情を読み、行商人と殺戮蜂の女王キラービー・クイーンの所には行かさないとばかりに。


「――邪魔よ」


 小さく、低く。しかしはっきりと聞こえ届く声。

 言葉の意味はわからずともその声音に潜む"意思"は、双頭の狼オルトロスにもわかったのだろう。

 グルルルと警戒の唸り声をあげ、容易には飛び込まず重心を低くして攻めにも守りにも対応出来るように身構えた。

 美しき少女の姿に不釣り合いミスマッチな殺気が立ち昇る。

 怒りはない。

 恨みはない。

 憎しみはない。

 ただただ純真無垢な殺意があった。

 双頭の狼オルトロスが一歩引いたのは、果たして自覚があったか無かったか。

 チェシカの濃密な殺意を乗せた殺気が膨らんだその瞬間。


「おらぁぁぁぁぁ!!!!」


 突如、横合いから野太い気合の声と共に大柄な紅い影が現れる。


「ヴォーク!?」


 大剣グレートソードと呼ぶにはあまりに巨大なの柄を両手で握り、双頭の狼オルトロスに向かって上段を振り下ろす。

 黒き魔獣は一挙動でその場から数メートルの距離を跳んで、剛剣の一撃を躱した。

 標的を失った剣は止まることなく、轟音と共に地面に巨大な窪んだ円形クレーターを作る。


「ちょ!? あんた、何してんの!!」

「はっ!! 何だかうまそうな奴じゃねーか! 俺に譲ってくれよッ! お前さんはあっちの人間に用があるんだろ!?」


 そう言いつつ深紅のマントをたなびかせて、チェシカの返事も待たずに双頭の狼オルトロスに斬りかかって行く。

 双頭の狼オルトロスは後ろを向くと逃げるように、あるいは誘うように森へと駆けて行く。


「待ちやがれ!!」


 その後を追いかけていくヴォーク。


「チェシカ! おっちゃんをッ!!」

「くッ!!」


 今はゴチャゴチャと考えている暇はない。

 チェシカはそう割り切る。


「【翔破術グライディング】!」


 座り込む行商人の元を座標にして跳ぶ。

 双頭の狼オルトロスと戦っている間に、再び獲物を行商人に定めたのだろう。ふわりと針のある尻を上向きに浮かせたその挙動は、容易に次の行動を予見させる。

 チェシカと殺戮蜂の女王キラービー・クイーンの位置関係は一直線なのは都合がいい。範囲系魔術では行商人に被害が及んでしまう。

 

「【螺旋風槍トルネードランス】!」


 渦を巻いた風の槍が真っ直ぐに殺戮蜂の女王キラービー・クイーンに向かって飛んでいく。威力が減衰しない距離まですでに跳んでいた。


「ギギィギギー!!」


 魔術が炸裂した瞬間、湿ったような鈍い音と共に殺戮蜂の女王キラービー・クイーンは緑色の体液を巻き散らしながら吹っ飛んでいく。


「【火炎球ファイアボール】!」


 続けざまに炎の火球を放って殺戮蜂の女王キラービー・クイーンに留めを指すチェシカ。

 断末魔をあげることなく殺戮蜂の女王キラービー・クイーンは炎に包まれていった。


「大丈夫!? おっちゃん!」

「あ、あぁ。お、お嬢ちゃんだったか。ありがとよ、助かったぜ」

「お腹の傷、見せて。――完治は出来ないけど、応急くらいなら――【小治癒ミクロヒール】」


 白く淡い光が灯った手の平を傷口に当てると、傷口を塞ぐまではいかずとも流れる血は止まった。とはいえ、動かせばまた血が流れるかもしれない。


(突発的で仕方なかったけど回復液ポーション類だけでも持ってくればよかったわね。失敗したわ)


 回復液ポーションを持ってるか聖術を使える人を探して連れて来るかどうか悩んでいたところへ。


「――あんたは」


 そう声をかけられる。

 声のした方を見れば戦士風の冒険者が二人とあともう一人。

 二本の真っ白な流線形の耳。身体の大きさに比べ頭が大きい二等身の身長。人間の子供ほどの身長だろうか。毛綿のようなふさふさの体毛に覆われた顔からは、男女の区別がつかない。体つきも丸みを帯びていて、白を基調とした長衣を着ているのでなおさら分かりずらい。


兎人族ワーラビット?」


 思わず疑問の口調でつぶやくチェシカ。

 一般的に兎人族ワーラビットの種族的特徴として、あまり単独行動する者はいない。彼らは種族同士で集団的行動を好む傾向がある。とはいえ、今は都合が良い。これも一般的なことだが、兎人族ワーラビットには聖術を使う者が多いからだ。


「あなた、聖術は使える? おっちゃ――この人の傷をて欲しいんだけど」

「わかったウサ!」


 返事と共に一度その場でピョンと跳ねると、行商人の元へと駆け寄る。そのしぐさはこんな時であっても可愛らしいと思えるほどだ。

 

「……お願い」


 何となくの間があいて治癒を求めるチェシカ。


「――天空に在りし我らが主よ ここに傷負いし者あり 慈悲たる奇跡をもって この者に癒しを与えたまえ――【治癒ヒール】」


 魔術同様、聖術にも略式聖術があるが、兎人族ワーラビットの聖術師はそれを使わず詠唱術式の聖術を使ってくれた。略式とは回復量、回復速度ともに違いが大きく出る。

 行商人のそばに屈み、傷のある部分にかざした両手から、先ほどのチェシカの【小治癒ミクロヒール】よりも濃密な光が生れ傷口を覆い尽くすと、みるみる内に傷が癒えていく。


「これで大丈夫ウサ!!」


 兎人族ワーラビットはニッコリ笑顔で傷のあった行商人の腹の部分をバンバンと叩く。


「痛たたたた! うさ耳のお嬢ちゃん、痛てぇよ!」

「あ、ごめんウサ」

「おっちゃん、お嬢ちゃんって見た目で女の子かどうかわかるの?」

「こんなに可愛いんだからお嬢ちゃんに決まってるだろ?」


 行商人の男は『何を言っているんだ』と言わんばかりに確信めいた口調で言いきった。


「可愛いだなんて……ありがとウサ💓」


 両手で頬を押さえ、若干桜色に染めながらくねくねと恥ずかしそうにその小さな身体をくねらせる兎人族ワーラビット


「あ、でもハクトは男なんだウサ」

「お、おう。そ、そうなのか。そりゃすまなかった」


 何故か口調にがっかり感を滲ませる行商人の男。


「――あ、いや、和んでる場合じゃねぇぞッ! 町の北西の森の方に新しい魔族が現れたんだッ! すげぇ強そうなやつらがよ!」


 冒険者の内の一人が、ハッとしたように我に返ると新しい情報を伝える。


「俺たちはそのことを冒険者ギルドに伝えようと思ってよ。俺たちも襲われたんだ。他のチームの奴らは何人かやられちまってた。俺たちは黒髪のねーちゃんに助けられたんだ。今一人で戦ってるかも。あのねーちゃんってあんたの仲間じゃ?」

「――ゼツナね」


 チェシカがそうつぶやいた時、自分を呼ぶ聞きなれた声が聞こえてきた。


「デュターミリア様、わたくしの方は粗方、片づきましたので、町の住人は冒険者の皆様にお任せしてきました」


 現れたのは自称戦闘用巫女服を着たミヤミヤ。白と赤を基調としたその服は破れているどころか、汚れ一つない。


「そう。冒険者たちは冒険者ギルドに?」

「いえ。町の中に入り込んだ魔族はほとんどいなくなったとはいえ、どこに潜んでいるかもわからないということで、中央の噴水広場に住民を集めて全冒険者で護衛しようということになったようです」


 確かに個別で襲われると後手に回ってしまう。ならばいっそ一か所に集めて目が行き届く方が護りやすいというのは理にかなっている。

 一つ問題があるとすれば強い魔族が現れた時、一網打尽になりかねないということだが。


「えーと、兎人族ワーラビットのあなた、いいかしら?」

「はいウサ?」

「みんなが集まってるっていう町の中央までこの人を連れて冒険者の二人と向かってほしいんだけど? 向こうでも怪我人がいると思うし聖術師のあなたが居てくれると、とても助かると思うわ」

「わかったウサ。怪我人はこの"脱兎の癒し手"たるハクト・ピョンにまかせるウサ!」

「――何だか危なくなったら一目散に逃げて行きそうな二つ名だね」


 ハクト・ピョンと名乗った兎人族ワーラビットは小さな手で小さな胸をポムっと叩く。

 それを見てぽつりとつぶやくヒュノル。


「ミヤミヤ、あなたも一緒に行ってもらっていい?」

「デュターミリア様、それは……」


 チェシカはミヤミヤの言葉を首を振りながら手で制すると、先ほど思い至った懸念を口にする。


「魔族が町中で新しく現れていないことを考えると、転移の魔法陣はあたしが壊した一つだけみたいだから、これ以上増える心配はないと思う。でも、外から新しい魔族がやって来るかもしれない」


 現に今、北西の森に新手の魔族が現れたという。


「そうなると冒険者たちだけだと心配だわ。だからあなたが町の中央にいてくれたら、あたしたちは安心して森の新手に対処できるから」

「――承知いたしました」


 一瞬、何か言いたそうな表情を見せたミヤミヤだったか、最後はその言葉を飲み込んで了承の意思を伝える。


「ありがとう、ミヤミヤ。みんなのことよろしく頼むわね」

「はい」

「ヒュノル、行くわよ」

「オッケー」


 背を向けて駆け出したチェシカに向けて「気ぃつけろよ! お嬢ちゃん!!」と叫んだ行商人の男に親指を立てて答えたチェシカは、振り返ることなく森へと向かって行った。












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