17.白き癒し手
チェシカの前に立ちはだかる黒き魔獣。まるで彼女の心情を読み、行商人と
「――邪魔よ」
小さく、低く。しかしはっきりと聞こえ届く声。
言葉の意味はわからずともその声音に潜む"意思"は、
グルルルと警戒の唸り声をあげ、容易には飛び込まず重心を低くして攻めにも守りにも対応出来るように身構えた。
美しき少女の姿に
怒りはない。
恨みはない。
憎しみはない。
ただただ純真無垢な殺意があった。
チェシカの濃密な殺意を乗せた殺気が膨らんだその瞬間。
「おらぁぁぁぁぁ!!!!」
突如、横合いから野太い気合の声と共に大柄な紅い影が現れる。
「ヴォーク!?」
黒き魔獣は一挙動でその場から数メートルの距離を跳んで、剛剣の一撃を躱した。
標的を失った剣は止まることなく、轟音と共に地面に巨大な
「ちょ!? あんた、何してんの!!」
「はっ!! 何だか
そう言いつつ深紅のマントをたなびかせて、チェシカの返事も待たずに
「待ちやがれ!!」
その後を追いかけていくヴォーク。
「チェシカ! おっちゃんをッ!!」
「くッ!!」
今はゴチャゴチャと考えている暇はない。
チェシカはそう割り切る。
「【
座り込む行商人の元を座標にして跳ぶ。
チェシカと
「【
渦を巻いた風の槍が真っ直ぐに
「ギギィギギー!!」
魔術が炸裂した瞬間、湿ったような鈍い音と共に
「【
続けざまに炎の火球を放って
断末魔をあげることなく
「大丈夫!? おっちゃん!」
「あ、あぁ。お、お嬢ちゃんだったか。ありがとよ、助かったぜ」
「お腹の傷、見せて。――完治は出来ないけど、応急くらいなら――【
白く淡い光が灯った手の平を傷口に当てると、傷口を塞ぐまではいかずとも流れる血は止まった。とはいえ、動かせばまた血が流れるかもしれない。
(突発的で仕方なかったけど
「――あんたは」
そう声をかけられる。
声のした方を見れば戦士風の冒険者が二人とあともう一人。
二本の真っ白な流線形の耳。身体の大きさに比べ頭が大きい二等身の身長。人間の子供ほどの身長だろうか。毛綿のようなふさふさの体毛に覆われた顔からは、男女の区別がつかない。体つきも丸みを帯びていて、白を基調とした長衣を着ているのでなおさら分かりずらい。
「
思わず疑問の口調でつぶやくチェシカ。
一般的に
「あなた、聖術は使える? おっちゃ――この人の傷を
「わかったウサ!」
返事と共に一度その場でピョンと跳ねると、行商人の元へと駆け寄る。そのしぐさはこんな時であっても可愛らしいと思えるほどだ。
「……お願い」
何となくの間があいて治癒を求めるチェシカ。
「――天空に在りし我らが主よ ここに傷負いし者あり 慈悲たる奇跡をもって この者に癒しを与えたまえ――【
魔術同様、聖術にも略式聖術があるが、
行商人のそばに屈み、傷のある部分にかざした両手から、先ほどのチェシカの【
「これで大丈夫ウサ!!」
「痛たたたた! うさ耳のお嬢ちゃん、痛てぇよ!」
「あ、ごめんウサ」
「おっちゃん、お嬢ちゃんって見た目で女の子かどうかわかるの?」
「こんなに可愛いんだからお嬢ちゃんに決まってるだろ?」
行商人の男は『何を言っているんだ』と言わんばかりに確信めいた口調で言いきった。
「可愛いだなんて……ありがとウサ💓」
両手で頬を押さえ、若干桜色に染めながらくねくねと恥ずかしそうにその小さな身体をくねらせる
「あ、でもハクトは男なんだウサ」
「お、おう。そ、そうなのか。そりゃすまなかった」
何故か口調にがっかり感を滲ませる行商人の男。
「――あ、いや、和んでる場合じゃねぇぞッ! 町の北西の森の方に新しい魔族が現れたんだッ! すげぇ強そうなやつらがよ!」
冒険者の内の一人が、ハッとしたように我に返ると新しい情報を伝える。
「俺たちはそのことを冒険者ギルドに伝えようと思ってよ。俺たちも襲われたんだ。他のチームの奴らは何人かやられちまってた。俺たちは黒髪のねーちゃんに助けられたんだ。今一人で戦ってるかも。あのねーちゃんってあんたの仲間じゃ?」
「――ゼツナね」
チェシカがそうつぶやいた時、自分を呼ぶ聞きなれた声が聞こえてきた。
「デュターミリア様、
現れたのは自称戦闘用巫女服を着たミヤミヤ。白と赤を基調としたその服は破れているどころか、汚れ一つない。
「そう。冒険者たちは冒険者ギルドに?」
「いえ。町の中に入り込んだ魔族はほとんどいなくなったとはいえ、どこに潜んでいるかもわからないということで、中央の噴水広場に住民を集めて全冒険者で護衛しようということになったようです」
確かに個別で襲われると後手に回ってしまう。ならばいっそ一か所に集めて目が行き届く方が護りやすいというのは理にかなっている。
一つ問題があるとすれば強い魔族が現れた時、一網打尽になりかねないということだが。
「えーと、
「はいウサ?」
「みんなが集まってるっていう町の中央までこの人を連れて冒険者の二人と向かってほしいんだけど? 向こうでも怪我人がいると思うし聖術師のあなたが居てくれると、とても助かると思うわ」
「わかったウサ。怪我人はこの"脱兎の癒し手"たるハクト・ピョンにまかせるウサ!」
「――何だか危なくなったら一目散に逃げて行きそうな二つ名だね」
ハクト・ピョンと名乗った
それを見てぽつりとつぶやくヒュノル。
「ミヤミヤ、あなたも一緒に行ってもらっていい?」
「デュターミリア様、それは……」
チェシカはミヤミヤの言葉を首を振りながら手で制すると、先ほど思い至った懸念を口にする。
「魔族が町中で新しく現れていないことを考えると、転移の魔法陣はあたしが壊した一つだけみたいだから、これ以上増える心配はないと思う。でも、外から新しい魔族がやって来るかもしれない」
現に今、北西の森に新手の魔族が現れたという。
「そうなると冒険者たちだけだと心配だわ。だからあなたが町の中央にいてくれたら、あたしたちは安心して森の新手に対処できるから」
「――承知いたしました」
一瞬、何か言いたそうな表情を見せたミヤミヤだったか、最後はその言葉を飲み込んで了承の意思を伝える。
「ありがとう、ミヤミヤ。みんなのことよろしく頼むわね」
「はい」
「ヒュノル、行くわよ」
「オッケー」
背を向けて駆け出したチェシカに向けて「気ぃつけろよ! お嬢ちゃん!!」と叫んだ行商人の男に親指を立てて答えたチェシカは、振り返ることなく森へと向かって行った。
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