15.剣技、舞う

 視線の先、片方の腕を赤く染めた男が路地から這い逃げて来るのが目に入った。武装をしていないところを見ると町の住人だろう。

 男を認めた途端、ミヤミヤは走って来た速度を緩め「た、助けてくれッ!」と助けを求められた時には、

 その男を追いかけて路地から何か飛び出てくる。

 早朝の薄暗い中でもミヤミヤにはその何かの様子が見て取れた。一言で言えば犬の顔をした人型。遥か昔に犬人族ワードッグと呼ばれていたこともあった獣人族。しかし今では闇の者に堕ちた角犬顔コボルト


「た、頼むッ! あ、あんた冒険者ギルドの冒険者なんだろ? た、助けてくれッ!」


 恐怖に顔を歪め血だらけの腕の肩口を押さえ、足を引きずりながらもなんとかミヤミヤの元へ体を引きずって行こうとしている男に対して。


「あらあらまぁまぁ。何ですかソレは。恐怖そんなものわたくしに向けるだなんて。とても不愉快です」


 ミヤミヤは腰に帯びた細剣レイピアの柄に手を添える。しかし、まだ抜く気配を見せない。


「な、何を言って――ぐわぁぁぁ」


 追いついた角犬顔コボルトが、手にした短剣を男の背中に突き刺すと辺りに悲鳴が響き渡った。

 男はうつ伏せに倒れ、その背に角犬顔コボルトが馬乗りになる。


「あなた、わたくしに向けるのであれば"恐怖"などという下劣な物ではなく"信仰"です。崇めるのです」

「ぐ、ごほっ! わ、わか――あ、崇める! 助けてくれたら感謝もするッ! 礼もするッ! だ、だからたす――がぁぁ!!」


 男は最後まで口にすることは出来なかった。角犬顔コボルトの一撃で背中から心臓を貫かれ絶命する。


「――まったく。助けてくれたらなどと。順序が逆ですわ。

「グルル――ルゥ?」


 男の背に馬乗りのまま角犬顔コボルトは疑問に首を傾げる。目の前の獲物から恐怖の感情がまったく感じられないことに。

 魔族は人族の恐怖を糧とする。だからこそ簡単に殺さず痛めつけ、他の人族にそれを見せしめることでさらに効果を増幅させてきた。しかし、目の前の人族は何の痛痒も感じていないようだった。


「ガウガガゥ!」

「ヴヴヴゥー!!」


 雄叫びと唸り声を発しながら二匹の角犬顔コボルトが新たに加わった。それぞれに二本の短剣、一本の幅広剣バスタードソードを手にしている。


「あらまぁ、やれやれです。今更、わたくしが犬畜生の相手をしなければならないなんて、まったく。まぁ、でも――」


 そう愚痴りながらも、男が襲われている最中にも抜かなかった腰の細剣レイピアをシャラリと抜く。


「身体の慣らしにもならないでしょうけど、まあこの際、贅沢は言っても仕方ありませんわね。言葉が通じるかどうか怪しいものですけれど。――いらっしゃい、ワンちゃんたち。軽く遊んでさしあげましょうか」


 口元に笑みすら浮かべてゆっくりと角犬顔コボルトたちへと歩いて行く。両者の間に横たわる事切れた住人の男の事などもはや眼中にない様子で。

 と、幅広剣バスタードソードを両手に構えた角犬顔コボルトが駆け出して間合いを詰める。剣先で地面を削りながら振り上げるような一撃。


「あら?」


 思ったよりも良い動きをする角犬顔コボルトに対して、少しだけ感心を込めた驚きの声をあげるミヤミヤ。とはいえ、児戯に等しいことには変わりがない。

 太もも辺りの下半身を狙った一撃を、伸身の後方宙返りで躱す。

 何の予備動作もなく、膝のばねと重心移動だけでトンボを切って見せたその身体能力の高さは瞠目に値するが、戦いの場でとる回避行動としては隙が多すぎる。大道芸と大差ない。先ほど言ったように、本当に身体を慣らす為の準備運動程度にしか思っていないのだろう。


「ほら、いらっしゃいな。お一人づつと言わず、三人ご一緒で構いませんよ?」


 数メートル後方に着地したミヤミヤは「おいで、おいで」とが如く手招きをする。

 

「ガゥ!」


 ミヤミヤのその行為が侮辱されていると理解したのだろう。怒気を込めて咆えると、短剣を二刀持った角犬顔コボルトが一刀を彼女に向けて投げ放つ。

 風切り音をヒュウと一つ鳴らして向かってくる短剣を、ミヤミヤは細剣レイピアの平らな腹の部分でかち上げると、さらに連動した動きで刃先が上に向いた瞬間の短剣を細剣レイピアではたき返す。流れるような一挙一動はミヤミヤの技量を雄弁に物語っていた。

 短剣は投げた角犬顔コボルトの足元に突き刺さる。それもわざと地面を狙ったもの。角犬顔コボルトの額に打ち返すことなど造作もなかったが。


「お拾いなさいな。そしてほら、いらっしゃい」


 再びおいで、おいでをする。


「ガガウゥッ!!」

「ガゥ!!」


 三匹の角犬顔コボルトは合図をするかのように雄叫びをあげ合い、ミヤミヤに対して一列に隊列を組んで向かって行く。

 先頭の幅広剣バスタードソードを持った角犬顔コボルトが彼女の胸元へ向けて突きを繰り出す。

 それをミヤミヤはわずか半身程度を外に開いて躱すと、その横をすり抜けて行った角犬顔コボルトのすぐ後ろから、次の一匹が短剣の柄を両手で握りしめて、身体ごとぶつかる様に突進してくる――と、同時にその背を蹴り上がって最後の一匹が頭上から逆手に持った二本の短剣を獣の牙の如く振り下ろす。


「良き連携です」


 楽し気につぶやくミヤミヤ。

 瞬間、前に出ると長くしなやかな右脚で突っ込んでくる角犬顔コボルトの顔面に前蹴りを入れつつ足場とし、上から襲ってくる角犬顔コボルトには左脚で廻し蹴りを放つ。


「「ギャギャウン!」」


 顔面を蹴られ足場にされた角犬顔コボルトと、空中で廻し蹴りを受けて大きく吹き飛んだ角犬顔コボルトの悲鳴が重なった。

 廻し蹴りを喰らった一匹が落とした短剣を拾うミヤミヤ。

 手酷い反撃を受けた二匹の角犬顔コボルトは、幅広剣バスタードソードを持つ一匹の元へと駆け寄る。


「ギギャウ、ギャウ」


 何やらこそこそと算段している様子にミヤミヤは釘を刺す。


「あらあら。逃がしませんよ?」


 拾った短剣を手元が霞むほどの速さで投擲する。

 さきほど角犬顔コボルトが放った時とは比較にならない速度で、線を引くかのように幅広剣バスタードソードを持つ角犬顔コボルトの頬をかすめて、赤い血筋を付けて遥か後ろへと消えていった。


「――!?」


 一瞬、何が起こったのか理解できずに声も出ない。


わたくしに傷一つ付けることは出来ないでしょうけれど、命を賭してかかってらっしゃいな。手向けに一つ、わたくしの剣技をお見せいたしましょう。光栄にお思いなさい」


 剣士同士の決闘を思い起こさせるように、眼前で細剣レイピアを立てて構えるミヤミヤ。


「ガ、ガウゥ!!」


 逃げられないと悟ったのか、意を決するような掛け声と共に三匹の角犬顔コボルトは、再び彼女に向かって突っ込んでいく。

 今度は二匹が並走して来る。おそらくその後ろに三匹目が追従してるのだろう。

 剣の間合いに入ろうかという瞬間、前の二匹が左右に散開しそれぞれの方向からミヤミヤに向かって行く。

 正面の三匹目と合わせて、三方向同時攻撃。

 ミヤミヤは向かってくる角犬顔コボルトを見てつぶやく。


「同時――ではないですわね」


 角犬顔コボルトたちが迫る。

 ミヤミヤは先ほどの構えのまま。

 この光景を遠目から見ていた者がいたならば、ミヤミヤがほんの少し前に出ただけで三匹の角犬顔コボルトと何事もなくすれ違ったように見えただろう。

 しかし。

 ミヤミヤの間合いに入った順として左、右、正面。そしてその順番通りに細剣レイピアの刀身が無限の軌跡を描いて踊る。


「【無双天技ディヴァインズ・スキル】――とでも名付けましょうか」


 この場にそのつぶやきを聞く者は誰もいなくなった。

 三匹の角犬顔コボルトたちが、ミヤミヤの数メートル後方で首を地に転がした後、崩れ落ちるようにたおれていったが故に。

 ミヤミヤは懐から一片の布を取り出して、細剣レイピアの刀身を挟むと剣を引くようにして血のりを拭う。


「さて、と。デュターミリア様が仰った通り、冒険者の方々にはがんばっていただいて、わたくしはもう少し魔族狩りを続けるといたしましょうか」


 拭った手ぬぐいを捨て払って細剣レイピアを鞘に収めると、魔族の気配がする方向へ歩みを進める。

 血のりを拭った布がひらひらと舞い、苦悶の表情のまま斃れ伏す住民の男の顔に覆いかぶさったのは、意図したことか偶然か。真実は彼女の胸の内でしかわからない。












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