第8話 勧誘

 右の拳を強く握り、立ち上がる。


「おぉぉぉぉぉ待て待て! 別に戦いに来たわけではない!」

「そう言われても……そんなに殺意を出されたら信用できないよ」


 レイセさんの身体ガチガチに固まっちゃってるし。


「ま、まだ誕生直後でコントロールが利かぬのだ。後数分待ってくれれば抑えられる。小娘を一度山の外へ出すからそれで良いか?」

「まぁ、はい」


 美女が手をかざすと、石像のようになってしまったレイセさんの姿が消えた。

 山の麓に気配を感じるし、彼女の言っていることは間違いではないようだ。


「……で、オタクは誰なの?」


 少々荒い言い方になってしまったが、レイセさんと違って善人とは言い切れないからな。

 絶世の美女といえど、身体から発している殺気は本物だ。

 それでもこの山の魔物より少し上くらいで、世間一般から見れば弱いのだろうが。


「わ、私を忘れたというのか……?」


 拳を握りしめてわなわなと震えている。


「忘れたも何も、オタクみたいなとんでもない美人に会ったことないよ、俺」

「い、いま美人と……? そ、そうであった! この姿では分からないのも無理はない!」


 ドレスがはち切れんばかりの胸を張り、彼女は声高らかに名乗り出す。


「思い出せ! 我こそが数十年前にお前に敗北した魔王・アロンである!」

「全く、冗談が上手いなぁお姉さん。最新のギャグってやつですか?」

「名前はジオ・プライムだったよな? この数十年間、片時もお前を忘れたことは――」

「よし、殺すか」


 負けるかもしれないが、もう一度全力でぶつかるしかない。

 瞬時に全身の力を抜いて、どんな攻撃が来ても良いように――。


「違う違う違う! 私はもう人間と争う気はない! だからその途方もない純度の気を当てないでくれ!」

「…………本当に?」


 争いがなくなるならこんなに嬉しいことはないが、騙し討ちを狙っている可能性もある。


「ほら見ろ、もう殺気を出していないだろう? コントロールできるようになったから引っ込めた。っていうかお前強すぎないか!?」

「そうか……?」


 言葉通り戦意はないようなので、とりあえず一安心だ。


「時が過ぎたとはいえ、何をしたらこんなに……あぁ、理解した」


 机の上に置いてあった本の山を見てアロンは理解したようだ。


「そう、俺は読書が趣味になるほど勉強したんだ。これが教養ってやつさ」

「……何を言っている?」

「そういえば、アロン……さんは盗賊じゃなかったの?」

「すごいマイペースだなお前!」


 質問したいことがたくさんあるからな。

 おっと、忘れかけていた。


「その前に、そろそろレイセさん呼び戻してあげない?」



「と、ととととととということは、かか彼女が先代魔王の生まれ変わり、ということで、よろ、よろしいですか?」

「ははは! そう怯えるな小娘、食ったりしないから」


 そう言いつつ、アロンはレイセさんの顔を覗き込んで舌なめずりしている。


「……その物騒な拳を解いてくれないか?」

「いや、あの時の盗賊だったら何しでかすかわからないし」

「魔王な? 確かにあの時は人間に化けていたけど魔王だって気付かなかった?」

「そうですよ! 身に纏う空気が全然違うじゃないですか!」


 そう言われてもなぁ。


「まぁいいや。面倒になってきたので二人の要件を聞ければと思います」

「突然冷たくなりますね……」


 畑仕事とかまだ残ってるしな。


「ではまず私から。私はお前と友になりに――」

「はい次」

「ちょっと扱いが雑すぎんか!?」

「はい次」


 レイセさんを見ると、先ほどと違ってかなりリラックスしているようだった。

 環境に慣れた、というやつかもしれない。


「私の目的は二つ。一つ目は勇者様……つまりジオさんを見つけること。そして二つ目は、あわよくば先生として迷える冒険者たちを導いていただきたいんです」

「嫌です」

「ありがとうござ……どうしてですか!?」


 俗世が嫌で山にこもってるわけだし、今さら出ていっても時代の流れについていけないだろう。


「じゃあ、とりあえず二人ともおかえりいただいても良いですか? 迷うようなら私が麓まで――」

「私たちの街には大図書館と呼ばれる本の聖地がありまして、ジオさんが来ていただけるなら特別にいつでも利用できるようにしてあげられます」

「…………本がたくさんあるんですか?」

「たくさんなんてもんじゃないです。もう山ですよ、山」


 死ぬまで手持ちの本で満足できる自信はあるが、さらなる知識に触れられるというのは魅力的だ。

 だが、それでは決断には――。


「あとは牛や馬、羊など好きなだけ贈らせていただきます」

「ぐっ……」


 うちは家畜を飼育していない。

 この山には魔物しかいないのだ。

 よく分からん魔物のミルクや肉は食べているが、やはり味は劣る。

 食が充実するというのは捨て難い……。


「他にも流行りというのがありまして……知っていますか? 最近のパンケーキはふわっふわなんですよ」

「ふわふわの……パンケーキ……?」


 パンケーキって確かぺったんこの食べ物じゃなかったか?

 どう作ればふわふわになるんだ?

 正直かなり気になっている。

 だが、それでも一度は捨てた世界に戻るというのは……。


「……きっと、あなたが思っているより世界は優しいと思いますよ、ジオさん。何かあれば私やギルドの人間が力になると約束します」

「…………」


 彼女の瞳は嘘をついているように見えない。


「私たちにはあなたが必要なんです。……だから来てくれませんか?」


 顎に手を当てて、長い間考える。

 三十数年生きてきて、必要だと言われたのは二度目だ。

 もしかしたら、外の世界は楽しいかもしれない。

 定期的に麓の村へ行っていたのは、外界と少しでも関わりを持っておきたかったからなのだろうか。

 山へ迷い込む子供を保護して育てたのは、自分が人間であることを忘れたくなかったからなのかもしれない。

 母親からしか向けられなかった言葉を贈られて初めて、俺は外の世界に未練を持っていると気付いた。


「……少しでもいいなら、お願いします」

「はい! こちらこそ!」


 手を差し出すと、レイセさんは力強くそれを握った。


「……私、忘れられてないか?」

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