1-4 群青

 星南原会館の内装はそれこそ公民館のようだった。のっぺりとしたリノリウムの床に、トラバーチン模様の天井。ホール正面の壁には行事予定を記載するためのホワイトボードと掲示板が並んで取り付けられている。玄関ホールと一体化したラウンジに丸テーブルやベンチ、それにジュースの自動販売機まで備え付けられているのもな感じがした。


 それにしても奥の壁が随分と近い――あたしはおびただしい量のポスターが貼られた掲示板を見やりながら考える。外から見たときはもう少し奥行きがあったような気がするんだけど。


「壁の向こうが食堂になってるんだよ」


 姉崎があたしの心の内を見透かしたように言った。


「ちなみにその隣が調理室。夕ご飯は手分けして用意することになってるから、川原くんも協力してくれよ」


「了解。配膳とか、洗い物とか、料理以外なら何でもやるよ」


「料理はダメなのか。川原くんは」


 姉崎はそう言ってくすくす笑った後で、靴箱のところまで行ってアンクルブーツを脱ぎ始めた。金属製の大きな靴箱は箱の一つ一つに仕切り板が入っていて、上の段にクロックスタイプの黒いゴムサンダルが突っ込んであった。館内ではこれを履けということなのだろう。


 ところが、ふと脇を振り返ると、清乃と塔歌が外履きのままトコトコ中に入って行くのが見える。


「……良いの?」


 思わず姉崎に尋ねると、意外にも「大丈夫」との答えが返ってくる。


「わたしたちが一年の頃に規則が変わってね。今は館内土足オーケーなんだ。室内履きが置いてあるのは昔の名残さ」


 そう言いながらも、姉崎はあくまでサンダルに履き替えるつもりらしい。まぁ、ずっとブーツを履きっぱなしというのはさすがにしんどいか。


「靴脱いだ方が楽で良いと思うんだけどね」


 後ろでそんなことを言い出したの岩武君だ。彼もサンダル派らしい。


「女子は誰が履いたかわからないサンダルなんて履きたがらないものさ」


「能絵瑠ちゃんも女子じゃなかったっけ」


 岩武君が茶化すようなことを言うと、姉崎は彼のおでこを軽くつついて「わたしは少数派なんだよ」と返した。


「それならぼくも少数派だね。大抵の男子は面倒くさがって室内履きに履き替えたがらないもの」


「違いない」


 少数派コンビはそうしてくすくすと笑い合った。もしかしたらコンビではなくてカップルなのかも知れない。ついついそんなことを勘ぐってしまうくらいには親しげな二人だった。


「川原さんはどうする?」


 少し考えてから、結局スニーカーのままでいることに決めた。二人に遠慮したわけではなく、単に履きなれた靴の方が動きやすいと思ったからだ。


 あたしたちは揃ってホールに上がり、左奥のラウンジスペースへと歩を進めた。


「おー来たやっと来た」


 丸テーブルの側でバインダーを見ていた塔歌が顔を上げて言った。


「定刻までまだ余裕あるから、先に荷ほどきしてくると良いんだぜ。部屋割りは……はい、川原チャン。このプリントで確認してね」


 手渡されたのは日に焼けて少し反り返ったA4用紙だった。塔歌の言うとおり、合宿の日程や注意事項と合わせて、星南原会館の見取り図が印刷されている。


【Fig1.星南原会館見取り図】https://kakuyomu.jp/users/mikio/news/16818622174805790121


「ありがとう」


 見取り図によると、星南原会館は漢字の『凹』を左右東西に引っ張ってのばしたような形をしていた。センターラウンジと音楽堂とを繋ぐ長い廊下の南側には同じような大きさの部屋が並んでいて、その内のいくつかが宿泊室になっているようだ。書き込んである名前から判断するに、女子には二階の部屋が割り当てられているのだろう。あたしの部屋は――あった。一番西の部屋だ。


「お隣さんだね、鮎♪」


 清乃が横からプリントをのぞき込んでそう言ったので、あたしは「間に階段があるけど」と返す。


「ぐぬぬ。女子の間に挟まる階段許すまじ」


 またわけのわからないことを言っている。あたしは清乃をスルーして姉崎に「でも、一人一部屋なんてなかなか贅沢だね」と話を振った。


「てっきり誰かと相部屋になるのかと思ってたよ」


「今回はギリ部屋数が足りたからね。もう少し人数が多ければ一部屋につき二人ずつの部屋割りになるし、全体合宿なら二階の和室と多目的スペースで男女に分かれて雑魚寝だよ」


「雑魚寝は辛いなあ」


「辛いよー。特に多目タモクは床が固いから、一晩寝ると体がバッキバキ」


 あたしと姉崎の横で、清乃もセルフ肩もみをしつつそんなことを言う。吹奏楽部は女子の方が人数が多いらしいから、全体合宿のときは大体いつも広い方多目的スペースで寝てるのだろう。


「少人数の合宿で良かった。って、あれ? ちょっと待った」


 あたしはふと、プリントにことに気がついて、声を上げた。


「どうしたんだい?」


「姉崎の名前がどこにもない」


「そうだね」


 姉崎が軽い調子でうなずいた。


「わたしは離れに泊まる予定なんだ」


 プリントに離れは描かれていないが、周りの反応を見れば姉崎の言葉が事実だということはわかる。あたしの懸念は、さっき姉崎が『ギリギリ部屋数が足りた』と言ったことと、それにも関わらず会館内に寝泊まりするための部屋の空きが全くないということだった。


「……あたしが割り込んだせいで姉崎があぶれたってこと?」


「そう悪い方に想像を逞しくしないでくれよ。わたしが望んでそうしたんだから」


 あたしが言いかけるのを手で制して、姉崎は塔歌に目配せをした。


「部屋割りを決めたのはうちらだから、川原チャンが気に病む必要はないんだぜ」


「そうそう。それに、ひとりだけ離れの部屋に寝泊まりするというのも乙なものさ」


 二人の言葉に、清乃と岩武君も柔らかに微笑んだ。それであたしの中のわだかまりはすっかり消えてなくなってしまった。


「わかった。ありがとう」


「お礼は良いから荷ほどきをしてきなよ。一時からミーティングだから、川原チャンも五分前には音楽堂に集まるんだぜ?」


「了解。それじゃあ、また後で」


「山辺チャン、案内よろしく!」


「鍵は?」


「もう開いてる!」


「おーけー」


 そんなこんなであたしと清乃が二人で西側の廊下に向かって歩き始めたところで、まだラウンジに残っているつもりらしい岩武君が小さく手を振るのが見えた。


「吹奏楽部のメンバーはみんな気のいい人たちなんだね」


 あたしが言うと、清乃は大きく首を縦に振った。


「そうなんだよー。私は果報者なんです」


 みんなの中にはもちろん清乃も含まれているんだけどな。屈託なく笑う親友の横で、あたしはそんなことを思ったりもする。

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