第11話

「やっと、外に出られた」

 もっと警備が厳重かと思ったが、長い回廊には誰もいなかった。

 差し込む陽の光を身体で受け止める。

 丸二日だったが、囚われの身がどれだけ苦痛で辛いのか、理解できた。


 俺はジュリアを「王城という牢獄」に十年間も縛り付けていたんだな。


「愛しい人が、自由を望むのなら叶えてあげるべきなのだろうな。白猫嬢もそう思うだろ?」

 白猫は牢獄から持ってきたマタタビを咥えたまま小首を傾げた。


「だが、この国には彼女が必要だ。王妃はジュリアしかいない」


 ちゃんと話し合おう。

 彼女がもし、もう一度婚約者になってくれたのなら、そのときは誰に何を言われようが、ジュリアの気持ちを優先させる。


 王妃になってくれるのなら、彼女のために猫を好きなだけ囲おう。その愛情が、自分には一滴たりとも向けられなくても。


 回廊の花瓶に生けられているガーベラの前で足を止める。オレンジの花を手に取り、花びらにキスをした。


 白猫がとんと肩に飛び乗ってきた。長い白いリボンを咥えていて、花を持つ手元に落とした。

「このリボンをどこで手に入れた? 白猫嬢は良く拾い物をするな」

 猫はにゃーんと答えた。

「これ、借りるよ」

 ガーベラを束ね、猫から受け取ったリボンで飾った。


 ジュリアを追うために吹き抜けの正面玄関ホールに向かった。すると、階下からユリアの怒鳴り声が聞こえた。二階の回廊からそっと下を覗く。

 

「セタンタさん! 本当に失敗したの? 理由は?」

「監視の者の報告によりますと、送りつけた子ども追跡者たちはジュリアさまに懐き、彼女から金銭を受け取ると笑顔で帰ってしまったそうです。しかも、誰の差し金かもあっさり打ち明けていたもようです……」


 子どもを使ってジュリアを脅そうとしていたのか。暴力を行使するよりはましだが、卑怯な連れ戻し作戦をよく思いついたもんだな。

 聖女の言動に驚いていると、そばにいた白猫がうーっと低く唸り、どこかへ行ってしまった。


 白猫嬢、どこへ?


「もう良いわ。私が直接出向きます。きっとあそこにいるはずだわ」

 猫を追いかけようとした刹那、聞こえてきた声に振り返る。

 聖女がセタンタや侍従たちの制止を無視して外へ出て行こうとしていた。


「ユリア嬢、待て!」

 柵から身を乗り出し叫ぶと、振り向いたユリアは目を見開いた。

「え、王子さま? 逃げてきたの?」

「ジュリアやみんなを巻き込むな。これ以上の勝手は許さない!」

 ユリアはきっと睨み上げた。

「私は、推しの猫を手に入れるまで諦めない。みんな捕まえて!」


 護衛兵が一斉に上ってくる。兵が二階に到達したタイミングで柵を乗り越え、階下へ降り立った。


 一階には老臣たちがそのままいた。拘束はしてこないがユリアとの間に割って入ってきた。足止めされている間に、彼女は行ってしまった。

 ちっと舌打ちをする。


「殿下。聖女さまの指示です。牢獄は戻りましょう」

 追いついた護衛兵に俺は「わかった」と大人しく答え、手を伸した。


 腕に触れられる直前、護衛兵の懐にすばやく潜り込み、彼の腰に差している剣を抜いて奪い取った。


「おまえたち、下がれ!」

 剣を一度大きく振り回し、これ以上近づくなと脅す。


「で、殿下! なりませぬ。抵抗はおやめください! 聖女さまの邪魔立てをしては……、」

「黙れ!」

 腹の底から叫んだ。セタンタと侍従、捕らえようと駆け寄ってきていた護衛兵数人が驚いて固まった。


「今、こうしている間にも蝗害で民が苦しみ死んでいく。それなのに、おまえたちは民より聖女が大事だというのか?」

 目の前にいるセタンタに剣先を向ける。


「高官たちは……いや、俺たちは、嵐が去るのを待つように、蝗害が落ち着くのをただ黙って見ていた。いよいよ深刻になってきても、まだ現実から目を背け自分たちだけ裕福に暮らし、聖女の出現を頼って、待っているだけだった」

 剣を下げると、老臣の肩を強く押した。


「高官の最高責任者セタンタ。しっかりしろ。小娘に良いように使われるな。いい加減に目を覚ませ!」

 剣の柄をぎゅっと握ると再び声を張った。


「私はウーエルス国の皇太子レオン・ノヴォトニーだ。私の権限で王城の食料備蓄を民に解放する! 国王にはそう申し上げよ。わかったら今すぐ作業に取りかかれ!」

「承知しました、殿下」

 セタンタが下がると、次に侍従長に目を向けた。


「蝗害の様子を視察する。俺は先に単騎で駆ける。おまえたちは準備が整い次第、追いつけ」

「殿下、それはいささか性急でございます」

「どこが? 二日も地下牢に閉じ込められ出遅れたくらいだ。……なんとしてもジュリアに追いつきたい。聖女も婚約者も連れ戻す! 直ちに準備せよ」


「殿下の仰せのままに」

 侍従長は「殿下の愛馬を正面へお連れします」と言い置いて、立ち去った。


 聖女がこの場を去り、魅惑が解けたようだな。

 彼女を追えば、ジュリアにたどり着けるかもしれない。


 正気を取り戻した護衛兵に剣を戻す。自分の声が届いたことに密かに安堵した。

「にゃーん」と猫の大きな声がして顔を上げた。

 白猫だ。戻ってきたらしい。

 自分がさっきまでいた回廊の柵の上で器用に座っている。口にはガーベラの花束がある。


 ぱっと離され、あわてて駆け出し、花束を腕に抱き留めた。間を置いて、コツンと固い物が落ちてきた。


「婚約指輪?」

 ジュリアに拒まれ、聖女には床に投げ捨てられた指輪だった。婚約指輪を拾っていると、そこへ猫も降ってきた。


「白猫嬢、色々と助けてくれてありがとう」

 ズボンのポケットにマタタビを忍ばせていたことを思い出し、取り出す。

 床に片膝をつき胸に手をあてると、マタタビを彼女に贈った。


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