第6話作品

「お電話ありがとう、フラワーショップ『アウター』よ。あら、久しぶりね!ええ、ええ。分かったわ、伝えておくわ。あなたも気をつけて来てね。ふふ、お茶請けは何がいいかしら?用意しておくわね。ええ、また後で」

 下に降りると、リリーが電話で話していた。誰だろう?知っている人のようだけれど。

「あら、おはようレイン!よく眠れたかしら?」

「うん、しっかり寝たよ。電話があったみたいだけど、誰か来るの?」

「ええ、ローシュからよ。あ、飲み物はコーヒーでいいかしら?」

 リリーの提案にうなづき、テーブルにつく。花屋のスペースには、ラッピング待ちのお客様用に小さな机と椅子がある。朝はここでご飯を食べている。食べながら今日入荷した花を確認するためだ。少しお行儀悪いけれど、朝は時間があまりないから仕方ない。

「ローシュ、なんて言ってた?」

「ハルカおにーさんの誕生日パーティーの時に、オフェーリアに会いたいってお客様がいたでしょう?あの方が今日お店に来たいそうなの。ローシュも一緒よ、あなたに話があるみたい」

「ああ、あのお客様」

 ミス・マリアンヌ。亜麻色の髪のご令嬢のことをぼんやりと思い出す。話があるってことは、オフェーリアへのプレゼントが決まったのだろう。思ったより長くかかったな。季節はすっかり春に変わっている。

「十時ごろお見えになるそうよ。……でも、少し不思議なことを言っていたわ」

「不思議なこと?」

 コーヒーを受け取る。まだ朝は肌寒いので、暖かいコーヒーがとても美味しい。一緒に出されたトーストには、はちみつがたっぷりかかっていた。

「ええ。お茶菓子を用意するわって話したの。そうしたら、四人分お願いされたのよ。一人はあなただと思うのだけれど、人数が合わないわ。わたしが食べないことは、ローシュも知っているはずでしょう?」

 リリーの言葉に、二人して首を傾げる。僕、ローシュ、マリアンヌ。普通ならこの三人分でいいはずだ。実はマリアンヌがとても食べる人だったりするのだろうか?

「ともかく、来てみないとわからないわね。言われた通り四人分作るわ。何がいいかしら?」

「あ、あれがいいな。ココアとバニラの、ぐるぐるしてるクッキー」

 数日前にリリーが、おやつとして作ってくれたクッキーだ。ココアとバニラの生地が二層になっていて、ロールケーキのように渦模様になっている。サクサクでココアの味もしっかりして、とても美味しかった。

「あら、気に入ったのね?いいわ、それにしましょう!材料も丁度あるし、すぐに作るわね。その間花屋はお任せしていいかしら?」

「うん、やっとくよ。久しぶりだけど、ブーケ上手くできるかな」

「レインなら心配ないわ。それに今日はお花の量も多いから、作りやすいと思うわ。何かあったら、わたしでも『わたし』でも声をかけてちょうだいね」

 お皿、下げちゃうわね。リリーはお皿とマグカップを回収して、二階へと消えていった。しばらくしたら、クッキーの焼けるいい香りがしてくるだろう。楽しみだ。

「さて。僕も仕事しよう」

 花屋の方の仕事は、ほぼリリーに任せている。自分でやるのは随分久しぶりだ。ブーケ、作るのは好きなんだけど。綺麗に作れるかな。他の花も、今日はどう並べてみようかな。やっぱり表はチューリップがいいだろうか。そんなことを考えながら、作業に取り掛かった。

 

 何人かお客様の相手をした頃。店のドアが開いた。チリンチリンとドアベルが鳴る。

「いらっしゃいませ。……あ、ローシュ」

「おや、今日はキミが店番かね?珍しい」

 入ってきたのは、ローシュだった。オリーブグリーンのコートがよく似合っている。

「うん、リリーは今クッキーを焼いてるの。だから今日は僕が店番。いい匂いがしてるでしょう?」

「ふふ、この香りはそういうことだったのだね。お茶請けを用意すると言っていたが、これは楽しみだ」

 話していると再びドアベルが鳴った。入ってきたのはマリアンヌ。その後ろにもう一人見えた。誰だろう?

「ご機嫌よう、レイン様。突然の訪問、お許ししただきありがとう」

 マリアンヌは一礼すると、軽やかに笑った。ガーネット色の瞳が楽しそうに輝いている。

「今日は貴方に、大事な用があって。オフェーリアへのプレゼントが決まったのよ!オフェーリアが気に入ってくれるかどうか、良く見ていただける?」

 マリアンヌはそう言うと、後ろにいた人物の背中を押した。

「……え?」

 前に出た人物は、マリアンヌより少し小さい少年だった。金色の髪に、翡翠色の瞳。華奢な身体で、一生懸命背筋を伸ばしてこちらを見る彼は。

 ──出会った頃のエレンに、とても良く似ていた。まるであの日に戻ったように。

「さぁ、ご挨拶を。練習した通りにやれば大丈夫よ」

 マリアンヌに促され、少年はおずおずと口を開いた。

「初めまして、レイン様。僕はオラトリオといいます。えぇと、オフェーリアに会いに来ました。どうか、よろしくお願いします」

 とても緊張しているのか、少し震えた声で彼──オラトリオは自己紹介をした。そこでようやく、自分が動揺で硬直していることに気づき、慌てて笑みを作った。

「初めまして。オフェーリアに会いにきてくれてありがとう。こちらこそ、よろしくね」

 上手く笑えている自信はなかったが、オラトリオは気にした様子もなく笑いかけてくれた。その笑みは子供特有のもので、少しだけホッとした。どうやらエレンに似ているのは見た目だけらしかった。

「あら、もう来ていたの?久しぶりね、ローシュ!……あら!」

 タイミングよくリリーが戻ってきた。珍しく驚いた顔をしている。リリーは仕様上、あまり驚きの表現が得意ではないようなので。

「見たことのないお客様ね。ローシュ、今日のお菓子が四人分なのは、この方のためかしら?」

「ご機嫌よう、リリー君。それで正解だよ。この良い香りはまさにそれかね?」

「ええ、丁度焼けたところよ。みんな二階へ上がるでしょう?準備するわね」

「まぁ、嬉しいわ。甘いもの、大好きなの」

「ふふ、それなら良かったわ!」

 花屋の看板を一旦closeに変更する。全員いない間に誰かきたら困っちゃうから。裏口から二階へ上がる。仕事部屋は、裏口からじゃないと入れないようになっている。重たい扉を開けて、全員を中に入れる。リリーも含めると五人。ちょっと窮屈だが仕方ない。

「こちらに座ってください。ローシュは僕の隣でいい?」

「ああ、構わないよ。では、失礼して」

 僕の横にローシュ、向かいにマリアンヌ。斜め前にオラトリオの順で座った。リリーが焼きたてのクッキーと紅茶を持ってきてくれた。

「ふふ、自信作なのよ!いっぱい焼いたから、たくさん食べてちょうだいね。紅茶にミルクが必要だったら、こちらを使って。砂糖はこの瓶の中よ」

「丁寧にありがとう、リリー様」

「リリーでいいわ、堅苦しいのは嫌いなの。それに、仰々しく呼ばれるほどの存在じゃないもの」

 カップに紅茶が丁寧に淹れられていく。琥珀色の水面が揺れる横で、そっとオラトリオの方を見る。彼は緊張した様子で座っている。顔だけ見れば、本当にエレンによく似ているけれど。仕草や態度が、違う人物であることを証明している。

「それじゃあ、わたしはこれで。花屋の方にいるから、何かあったら『わたし』に言ってちょうだい」

「うん、わかった。ありがとう、リリー」

 リリーが去り、部屋には静寂が訪れる。口火を切ったのはローシュだった。

「さて、早速だが。聞きたいことが山ほどある顔をしているレインのために、説明するとしようか」

「もう、意地悪しないでローシュ。でも、聞きたいことがいっぱいあるのは本当。──ミス・マリアンヌ。彼を連れてきたのは、どういうことでしょう?」

 僕の仕事は、遺体を綺麗にすること。それなのにまさか、生きたままの人間が来ると思っていなかった。一体どういうことなのだろう?マリアンヌはゆっくりと口を開いた。

「それを説明するには、まずオラトリオの経緯から話す必要があるわ。長くなるのだけれど──」

 オラトリオは、元々マリアンヌの遠い遠い親戚に当たる。三ヶ月ほど前に、オラトリオの家は火事に見舞われた。オラトリオを残して、両親、メイドや執事、果ては飼い犬まで。何もかも、全てなくなってしまった。原因はまだ調査中とのことだが、犯人に目星はついているらしい。

「それで、私の家に引き取られたわけなのだけれど。──オラトリオには、もう時間がないの。心臓が弱くて、保って一年とお医者様に言われたわ」

 オラトリオの方を見ると、にっこりと笑ってくれた。その様子からは、とても体調が悪そうには見えない。薬で症状を抑えているのだという。彼が唯一生き残ったのも、たまたま病院に行っていたからだ。

「そこでお願いなのだけれど。この子を、オラトリオを貴方の作品に出来ないかしら?本当は他に用意するつもりだったのだけれど。この子なら、きっと良い作品になると思うわ。それに、それがこの子の願いなの」

「レイン様の作品を見せてもらいました。ローシュ様には、無理を聞いてもらったのですが……」

 ローシュの方を見ると、大袈裟に肩をくすめた。

「流石のワタシも、己のコレクションがお子様向きではないことくらい、承知しているとも。だがまぁ、彼ほど己の死を真剣に見据えているのであれば、大丈夫だろうと思ってね。キミもそういう相談、受けるだろう?」

 確かに、死期が近い人がエンバーミングの話を聞きにくることはある。あらかじめ依頼されていれば、それなりに準備もスムーズになるから。けれど、流石にこんな子どもに依頼されるのは初めてだ。

「オラトリオ。……その、僕の作品を見てくれたんだよね?怖くなかった?」

 思わずそう聞かずにはいられなかった。僕の扱うものは、ご遺体だ。本来なら、大人でも目を背けてしまいたくなるもの。こんなに幼い子供に、本当に見せてしまって良かったのだろうか。オラトリオは、目を丸くしながら答えた。

「そんな、恐ろしいだなんて!──けれど、そうですね。今までの僕なら、怖いと思ったかもしれません。けれど、レイン様のお話を聞いて。作品を見て。ああ、これだと思いました。あんなに美しいものは、他に知りません。僕は、貴方の作品になりたい。あの美しいもの達のうちの一つになりたいのです」

 オラトリオの目は、どこまでも真っ直ぐで。その瞳の翠に、めまいがした。あの日の記憶が過ぎる。違う、彼は違うけれど。その目はどこまでも最愛の人エレンに似ていた。

「そう。……そう、なんだね。うん、わかった。そういうことなら、僕が君の力になるよ。オラトリオ、君の望みを叶えよう」

 逃げ出したくなる気持ちを堪えながら、オラトリオに笑いかける。上手く笑えている自信はなかった。

「本当に⁉︎嬉しい……!ありがとうございます、レイン様。本当に、本当に嬉しいです」

 頬を赤らめて、オラトラオは何度もお礼を言った。それはまるで、誕生日にプレゼントをもらった時のような。いや、それ以上の期待と興奮と、歓喜が入り混じっていた。

 それからいくつか事務的な話をした後、マリアンヌとオラトリオは帰って行った。ローシュと僕だけが部屋に残る。

「ローシュ。今回のことは、貴方の仕業?」

「おや、心外だね。そんなに怖い顔をしないでおくれ。綺麗な顔が台無しだよ」

 よほどひどい顔をしていたのか、たしなめられてしまった。眉間の皺を伸ばす。うーん、確かに凝り固まっている。指摘されても仕方がない。

「ワタシはただ、二人の背中を押しただけにすぎない。まぁ、初見は確かに驚いたがね。世界には似た顔が三人いるとはよくいうが。まさかそのうちの一人に遭遇するとは、夢にも思わないだろう?」

 紅茶を飲む。冷めてしまっていたが、それでも美味しかった。水面に映る己の顔は、心なしか不安げだ。

「そう、偶然。ただの偶然だって、あくまでもそう言うんだね?」

「ああ、偶然だとも。まぁ、下心がなかったかと問われると、ノーとは言いづらいがね?ワタシ個人としても、彼がキミの作品になるのであれば、是非ともウチで展示したいとも」

「そう。僕の作品を褒めてくれるのは嬉しいけれど、今はちょっと複雑かな」

 子供を処置したことがないわけではない。それこそオラトリオと同様、病気で若くして亡くなった方の処置をしたことだってある。でもその時は、遺族の方の願いで行ったことだ。あんなに幼い子供が、自ら僕のところに来たことは一度もなかった。

「ふむ。今回は、本当にワタシ個人ではなくオラトリオ自身の意見を尊重した形だ。キミは今まで通り、その時が来たら仕事をしてくれたらいい」

「うん。……うん、分かってる。分かってるよ、ローシュ。いつも通り。いつも通りだよね、それだけだよね?」

「キミが動揺するのも仕方がない。何せ、本当に似ているからね。オラトリオエレンは。けれど、キミの言う通りいつもと変わらない。変わらないさ。今回も美しいものを期待しているよ、レイン」

 そろそろお暇しようかね。ローシュはそういうと部屋を出て行った。僕はそれをぼんやり眺めながら、しばらく動けずにいた。

 

「エレン。エレン。ねぇ、聞いてエレン」

 夜の十時頃。今日もエレンに会いに行く。今日の花はポピー。いろんな色があるけれど、白を持ってきた。エレンにはどんな色でも合うけれど、白が一番似合う気がする。ショーケースの蓋を開けて、花を入れ替える。いつもの通り。いつもの通りなのに、なんだか今日はとても悲しかった。胸が苦しい。

「ごめんね、いきなりびっくりしちゃったよね。なんだか落ち着かなくて。エレンに会いに来たら、治るかなって思ったんだけど。そう上手くはいかないみたい」

 花を入れ替えて、すぐにショーケースの蓋を閉めた。泣いてしまいそうなこの顔を、エレンにあまり見せたくなかった。

「今日ね、昔のエレンに似ているお客様がきたの。もうすぐ死ぬから、作品にして欲しいって。うん、うん。その時が来たら、ちゃんと仕事はこなすよ。きっとこなしてみせる。だけど、だけどね」

 ショーケースの上に雫が落ちる。ああ、やっぱり我慢できなかった。

「どうしたらいいか分からなくて。おかしいよね、エレンに似てるってだけで、エレンじゃないのに。僕のエレンはここにいるのに。なんでこんなに、涙が止まらないんだろう。ふふ、ごめんね。ごめんねエレン」

 もう今日はここで寝よう。毛布を被って椅子に座る。ショーケースの台に寄りかかると、エレンが近くに見えた。昔怖い夢を見た時に、エレンがこうして一緒に寝てくれたことを思い出す。あの時もエレンは笑っていた。いつでも、今でも。エレンは僕に笑ってくれるのだ。近くなった眠りの気配に任せて目を閉じる。

 雨の降る部屋に、主人と子供だけが眠っている。

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