ハーバリウムの棺桶

雨上鴉(鳥類)

第1話 永遠の幸せ

「あら、あなたも永遠が欲しいのね!」

 可憐な少女は、そう言ってにっこりと笑った。

 

 雨の多いこの町には珍しく、晴れた日だった。道ゆく人の顔も、心なしか明るいような気さえする。だが私の心は反対に、とても沈んでいた。愛する人を、先日亡くしたのだ。

 不慮の事故だった。過剰に荷を積んだ馬車は、細い彼女をいとも簡単に引き殺した。

 死体は、可哀想なほどボロボロで。出かける前まではあんなに美しかった、顔も、手も、足も。跡形もなかった。それゆえに、彼女の死体だと認識するのに、すこしばかり時間が必要だった。

 いや、それを言い訳に、彼女ではないと。そう思いたかったのかもしれない。だが、彼女の指にはめられた指輪は、何度見てもかつて私が贈ったもので。揃いの指輪の片割れは、今も私の薬指で鈍く光っている。

 道ゆく人の幸せそうな顔を横目に、私はとある場所を目指して歩いていた。

 この町には、花屋がある。老舗の花屋だ。彼女のための花を買いに。そう言って家を出てきた。私の憔悴しきった様子を知っていた両親は、気晴らしになるだろうとそのまま送り出してくれた。

 だが、私の目的は花ではない。花も買って帰るつもりではあるが、もっと別の、重大な用があるのだ。

 しばらく歩くと、目的の花屋が見えてきた。こじんまりとしたそこは、綺麗な花がたくさん並んでいた。私は花に造詣が深くないが、一目で質の良い花とわかる。それらを横目に、店内に入る。

 中では、可憐な少女が出迎えてくれた。この小さな花屋によく似合う、可愛らしい少女だ。彼女はこちらに気づくと、にっこりと笑って私に話しかけた。

「あら、お客さまね。何かお探しかしら?この時期のおすすめは、紫陽花よ。デルフィニュームも人気ね。どちらも綺麗な青が涼しげでしょう?お部屋に飾ってもよし、誰かの贈り物へもピッタリ!」

 花の紹介をする彼女は、まさに花の精といった様子だった。ふわふわとした桜色の髪も相まって、おとぎ話の中の花屋に迷い込んだような。そんな不思議な気持ちになる。

「たくさん紹介したけれど、気に入ったものはあったかしら?それとも、あなたには既にお望みのものがあるのかしら?教えてちょうだい?」

 私は意を決して、彼女に問いかけた。

「……オフィーリアは、ご機嫌いかがかな?」

 彼女は特に驚いた様子もなく、にっこりと笑った。とっておきの秘密を共有するように。

「あら!あなたも永遠が欲しいのね!」 

 

「私の名前はリリーよ。覚えてちょうだいな」

 花屋の裏の階段を登りながら、彼女は名前を教えてくれた。螺旋状の階段は見かけより長くなく。あっさりとそこにたどり着いた。

「少し暗いのだけれど、足元に気をつけてはいってね」 

 重たいドアを開け、私を招くリリー。

 この先に進めば、きっと私は戻れなくなる。けれど、それで良い。それで良いのだ。愛する彼女のためならば、なんだってしてみせよう。扉の奥に進んだ。

 中は、リリーが言ったように少し暗く、窓がなかった。たくさんの機材と、小さな椅子がいくつか。机が一脚。それだけだった。秘密の話をするための場所だった。

 そこに佇む、一人の青年。この奇妙な空間でただ一人。彼だけはとても美しかった。紫陽花色の彼の瞳が、ゆっくりとこちらを向く。

 「いらっしゃいませ。ようこそ、僕のアトリエに。僕はレイン。貴方のお名前は?」

 紡がれる一音一音が美しい。そう思ったのは初めてだった。思わずまじまじと見てしまい、反応が遅れた。慌てて名を名乗る。彼は特段不快に思った様子もなく、目の前の椅子に座るよう促した。少し小さい椅子は、あまり座り心地がいいとはいえなかった。

「ここにオフェーリアを探しにきたといいうことは。僕については、ローシュから聞いているかと思うのですが」

「亡骸を、生きていた頃のまま、保存しておく。ここなら、それが可能だと聞いた。貴方の『作品』も、いくつか見せてもらったよ。どれも、眠っているだけのような。それ以上の美しさがあった」

「ありがとうございます」

 机に、そっと紅茶が置かれた。いつの間にか、リリーが用意してくれたようだ。レモンの添えられたそれは、美しい青色だった。

「バタフライピーっていうのよ、綺麗な青色でしょう?レモンを入れると色が変わるから、楽しんでね」

「ありがとう、リリー」

「それじゃあ、私は花屋に戻るわね。何かあったら他の『わたし』に伝えてちょうだい」

 彼女は少し不思議なことを言って、下に戻っていった。薄暗い空間に、私と彼だけが残る。

「さて。処置の説明に入る前に、少し事務的な話をさせていただきます。ローシュにも聞いているかと思いますが、念のため」

 私がうなづくのを確認すると、彼はいくつか書類を取り出し見せた。タイプライターで綴られたそれは、誤字の一つもない綺麗な出来だ。

「まず、確認なのですが。僕が提供する処置は、一般的なものとは違います。この処置──エンバーミングというのですが、通常は葬儀までの輸送のためであったり、損傷の激しいご遺体の修復目的で行われます。僕のところにも、そういった事情で来られる方もいらっしゃいますが、これは一時的なもの、あくまで埋葬されるまでの期間の話です。貴方が求めているのは、その先。ご遺体の永久保存でお間違いないですね?」

「間違いない。元気だった頃の彼女の。あの日の朝笑って出かけて行った彼女の。その姿をずっと、そばに置いておきたい」

「かしこまりました。具体的な処置については、こちらに。長くて申し訳ないのですが、かかる費用や期間などについて書かれております。維持管理についての施設などはローシュから説明があるかと。僕の仕事は最初の処置がメインですので」

 桁の多い数字が羅列している。彼女がずっとそばにいてくれるのであれば。どんなに大金を出したって構わない。この数字如きで、引き下がるようなことはない。

「了承の上、サインを。……ありがとうございます」

 淡々とした態度だった彼は、書類を丁寧にしまうと、にっこりと笑った。美しい笑顔だった。

「何か不安なことがございましたら、遠慮なくお申し付けください。ご遺体がこちらで確認出来次第、処置に入らせていただきます」

「その。聞いてもいいか?」

「はい、なんなりと」

「貴方は、何故このようなことを?」

 死体の永久保存。ずっとそばにいてほしいという遺されたもののエゴ。一般的な倫理観に反く依頼を、こちらはしている。その自覚がある。それゆえに、何故彼がこのような仕事を引き受けるようになったのか、気になってしまったのだ。

 彼はすこし驚いた様子だったが、またにっこりと笑って答えた。

「最初は、一般的なエンバーマーの仕事をしていたのですが。僕の処置を作品として歓迎する方々がいる、そのための場所も用意されている。それゆえに、今こうして貴方のような依頼を受けております。貴方の依頼は、人であれば至極真っ当なものだと。僕は思っていますので。そこに倫理観だとか、善悪だとかは関係ないと考えております。悲しい気持ちを処理するのには、時間がとてもかかる。その時間を提供するのも、僕の仕事の一部です。答えになりましたでしょうか?」

 女神のような青年だなと、そう思った。愛する彼女が、この青年によって蘇るのであれば。これほど救われることはないと。本気でそう思ったのだ。

「雨が降ってきましたね。傘はお持ちですか?」

 窓のない部屋でもわかる雨音。軽やかな音が、今日は耳に心地よかった。

「いや、生憎持っていなくてね。……だが、そのまま帰るよ。今日は、なんだか雨に濡れたい気分なんだ」

 彼の名前がレインだからだろうか。いつもは憂鬱な雨も、今日は太陽から隠してくれる救いの手に思えた。

 

 数ヶ月後。処置が終わったとの知らせを受けて、再び花屋へ向かった。出迎えてくれたのは、リリーではなくレインその人だった。

「お待ちしておりました。どうぞ、こちらに」

 以前と変わらない美しい彼は、そのまま私を例の部屋へ案内した。大きな重たいドアを開けると、ショーケースが目に飛び込んできた。思わず、早足で近づく。

 そこには、あの日と変わらない、いや、それ以上に美しい彼女の姿があった。生前によくきていた、淡い水色のワンピース。夏が好きだと言った彼女のために、この服を着せてほしいとお願いしたのだ。二人で遠い海まで行ったことを思い出す。あの日も晴れていた。日差しが眩しかった。そんな記憶。

「いかがでしょう?何か気になるところはございますか?」

「いや、ない。申し分ない。語る言葉も見つからないくらい、美しい」

「ありがとうございます。ご自宅までの輸送準備も整っております。ぜひ、一緒に帰ってあげてください。きっと、奥様も喜びます」

「ありがとう、本当にありがとう。なんとお礼を言っていいか」

 思わず涙がこぼれる。彼女が死んだあの日。見るも無惨な姿で帰ってきたあの日。あれほど神を呪った日もないだろう。それが今、救われた気がした。私の愛した彼女は、こんなにも美しいのだ。

「どうか、貴方にも。永遠の幸せがありますように」

 彼女を連れて、店を後にする。その後ろで、彼はそう見送ってくれた。

 彼女を喪って。私の幸せは無くなったと思っていた。だが違った、違ったのだ。この先にも、彼女と共に歩む幸せがあるのだ。そう確信して。

 

「あら、レイン。お客さまは帰ったのね?おつかれさま」

 来客を見送って。花屋の方に顔を出すと、リリーが出迎えてくれた。どうやら水の入れ替えをおこなっていたようだ。

「こちらこそ、店番ありがとう」

「ふふ、どういたしまして!……レインの作品を求めてくる人は、後を立たないわ。わたしには、永遠がなんなのかわからないけれど。きっと、素敵なものなのでしょうね」

「ふふ、そうかもしれないね。……ああ、この花。持って行っていい?」

「どれかしら?ああ、紫陽花ね!大丈夫よ。ああでも、こっちの方がいいかしら。あなたの目に一番近い色だもの。『彼』もきっと喜ぶわ!」

 その言葉にありがとう、と返し。紫陽花を手に階段に向かう。先ほどは上にいたけれど、今度は下に。

 僕とリリーと、少しの人間しか知らない、秘密の部屋。僕の宝物が眠っている場所に。

 鍵を開けて、中に入る。少しだけ地上の光が入る窓からは、道ゆく人の足元だけが見える。

「ただいま、エレン。今日の花はね、紫陽花だよ。綺麗でしょう?ふふ、近くで見せるね」

 部屋の真ん中に安置されたショーケース。その中には、僕の宝物が眠っている。

 ショーケースの蓋を取って、中の花を入れ替える。昨日はユリの花だった。

「僕の目の色なんだって。ふふ、喜んでくれる?……嬉しい」

 僕の宝物は、動かないけれど。確かにそこにあって。熱も鼓動もないけれど。それでも温もりを感じる。綺麗、綺麗なエレン。ずっと一緒にいてくれる、大好きなエレン!

 空調の音と、道ゆく人の影でゆらめく夕暮れの光。そこにただ横たわるエレンは、この世のどんなものより綺麗で。どこにもいかない、僕だけのエレン。

 ショーケースの蓋を閉める。繊細なエレンの身体は、壊れやすいから。大事に、大事にしまっておく。艶やかな金色の長い髪も。

 僕のことを撫でてくれる大きな手も。大事に、大事にしまっておく。

「大好きだよ、エレン。……明日もくるね」

 扉が閉まり、静かになる。物いわぬ部屋の主は、今日も幸せそうに眠っている。

 

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