遠出の日

 その日、浦田智也は不快だった。

 もっとも、彼のような底辺の雑魚生徒が不快だからと言って、誰も気に留めたりしない。智也自身も、不快な気持ちを表さないように努めている。仏頂面をして校内を歩き回っていたところで、得することは何もない。むしろ「お前、何ガンくれてんだよ」などと因縁を付けられるのがオチだ。

 それでも、智也の腹の中では……不快感を与える何かが蠢いていた。

 理由ははっきりしている。小沼秀樹だ。


 あいつ……。

 何なんだよ、あの目は!


 昨日、ゲームセンターで不良に絡まれた時、あの男は助けてくれた。そのことについては感謝している。

 だが、問題なのはその後だ。秀樹は、取るに足らない者を見るような目で智也を見ていた。これまで、何度も浴びてきた目線だ。軽蔑と、さらには失望の入り混じった目。

 智也は確かに臆病な部分はあるが、愚か者ではない。むしろ、人の気持ちを敏感に読み取る能力や観察力には長けている。彼が不良たちの間で今まで無事にやってこられたのも、その能力ゆえである。

 しかし、それが裏目に出ることもある。今回の場合、常人なら気づかなかったかもしれないものに気づいてしまった。

 秀樹の言葉と態度の裏にあるものに。




 腹の底に不快感を押し留め、智也は校舎の中を目立たぬように歩いた。とにかく、オカルト研究会にだけは顔を出さなくてはならない。

 でないと、ペドロに目を付けられるかもしれないからだ。

 オカルト研究会の扉を開けると、既に全員揃っていた。


「智也、お前なにやってんの? 最近、やたらと遅いんだけどさ」


 入ると同時に、宮崎がいきなり文句を付けてきくる。さすがの智也も、ムカッときた。


「あのさあ、僕にも都合があるんだよ。部長でもない君に、いちいち言われたくないんだけど」


 ただでさえ朝から不快な気分なのに、宮崎の上からの物言いは気に入らなかった。

 だが、この言葉はまずかった。途端に、宮崎の表情が一変する。


「な、なんだと! 俺にケンカ売ってんのか!」


 怒鳴ると同時に立ち上がった。智也につかつかと近づいたかと思うと、襟首を掴む──


「おい、俺を舐めてんのかよ!」


 チンピラのような態度で、宮崎は凄んできた。この男が小心者であるのは知っているが、体の大きさには理屈を超えた凄みがある。智也は震え上がった。

 しかし、誰かが宮崎の腕を掴む。

 と同時に、宮崎の動きは止まった。彼の顔は、恐怖で歪んでいる。


「あなたは何をやってるんですか?」


 言ったのはペドロだ。彼は極めて冷静な表情で、宮崎の腕を掴んでいる。ただ、それだけだ。

 にもかかわらず、宮崎は怯えていた。何かに取り憑かれたかのように、無言のまま智也から手を離す。

 一方、智也は恐怖を感じながらも……どこか冷静に、今の状況を分析している部分があった。確かに宮崎は、暴力的なものに憧れる性格の持ち主である。だが、今までは憧れで終わっていたのだ。少なくとも、オカルト研究会のメンバーに暴力を振るうようなことはなかった。

 それが今では、智也に暴力を振るおうとしていた。ペドロが止めに入らなければ、智也はどんな目に遭っていたことか。宮崎は体格はいい。実際、体格だけならそこらの不良に引けはとらないのだ。

 もっとも普段は、不良たちの前では小さくなっている。それは気の弱さゆえだ。そんな宮崎は、確実に変わってきている。それも、おかしな方向に──


 智也がそんなことを考えていた時、ペドロがにこやかな表情で口を開いた。


「皆さん、今日は何か予定がありますか?」


 ペドロの突然の言葉に、皆は戸惑いの表情を見せる。ほんの今しがた、智也と宮崎の間で殴り合いが起きそうな状況だったのだ。にもかかわらず、この男は何を言い出すのだろうか。

 しかし、ペドロはそんな空気にはお構い無しであった。


「もし予定がないなら、授業が終わった後に皆で面白い場所に行きませんか? 交通費その他の費用は、僕が全額出しますよ」




 放課後、彼らはペドロと共に電車に乗っていた。

 電車の中では、ペドロはじっと黙りこんでいた。物思いにふけるかのように、彼はじっと外を見ている。そんなペドロに合わせるかのように、全員が黙ったまま電車に乗っていた。

 やがて、電車内にアナウンスが聞こえてきた。


(次は、小杉。小杉)


 その時、ペドロが皆の方を向く。


「皆さん、ここで降りますよ」


 智也はえっ? と思った。他の者たちも、同じ思いであっただろう。

 なぜなら、この小杉駅は東邦工業高校の最寄り駅だからだ。いわば、東邦工業の縄張りのような場所である。

 ついこの前、東邦工業は浜川高校に宣戦布告したばかりなのだ。浜川の生徒である自分たちがうろついていたら、何が起こるかわからない。


「ペドロ、ここはマズイよ……」


 智也は恐る恐る声をかけた。だが、ペドロは笑みを浮かべる。


「大丈夫ですよ。ここまで来てしまったのですから、いったん降りましょう」


 ペドロにそう言われては、智也に返す言葉はない。しかも、宮崎と安原はドアが開くと同時に降りてしまったのだ。

 こうなっては仕方ない。智也もまた、彼らと共に小杉駅にて降りる。すると、ペドロは笑みを浮かべて三人の顔を見回した。


「この先に、僕の知り合いがやっている店があります。ご馳走しますよ」


「知り合いが店をやってるの? す、凄いねぇ」


 智也は、引きつった笑みを浮かべる。ペドロはまだ高校一年生だというのに、店を経営している知り合いがいるというのか。


「ええ、一応は知り合いなんですよ。まあ来てください。お洒落、とは言えない店ですが、ベーコンエッグ丼はなかなかいけますよ」


 ベーコンエッグ丼……普通のレストランでは、あまり聞かない品名である。


「とにかく行きましょう。駅から近いですし、さっさと行けば東邦工業の生徒とは顔を合わせないまま帰ることが出来ます。仮に彼らと遭遇しても、堂々としていれば大丈夫ですよ。それに……」


 ペドロは言葉を止め、自信たっぷりの表情で三人をの顔を順番に見回す。


「万が一の時は、僕が皆さんを守ります」




 こうして、彼らは行き先も分からぬまま、ペドロの後から付いて行った。

 だが、駅から五分ほど歩き到着した場所は、三人の想像の斜め上をいくものだった。

 ペドロが立ち止まったのは、駅前の商店街を外れた裏路地にある店であった。そもそも看板すら出ていないため、何の店かすら判別できない。喫茶店のようにも見えるが中は薄暗く、営業しているのかどうかさえわからない状態であった。

 しかも、周辺はひっそりと静まりかえっている。物音ひとつせず、沈黙が支配しているのだ。人通りもない上、いろんなものの入り混じった嫌な匂いが漂っている。

 智也は、この何とも言えない不気味な空気に圧倒されていた。宮崎と安原も、顔を引きつらせている。

 しかし、ペドロは三人の気持ちなどお構い無しであった。


「さて、行きますか」


 そういうと、ペドロは目の前のドアを開け、店に入っていく。智也たち三人は、後に続くしかなかった。


 店の中には、智也たちが今まで見たこともないような風景が広がっていた──

 狭い店内には、麻雀卓らしき四角いテーブルが数個設置されている。さらに、そのテーブルを囲むように椅子が四脚置かれていた。さらに入口付近には、カウンターのようなものがあった。壁には染みが付着しており、床にはタバコの焦げ跡らしきものが点々と付いている。

 これまでテレビでしか見たことのない、場末の雀荘の風景がそこにあった。ヤクザ映画や刑事ドラマの舞台になりそうな、淀んだ空気が漂っている。

 しかも、客はペドロたち四人の他は誰もいない。ただし、店員らしき者はいる。カウンターから、不気味な男がペドロをじっと見つめている。染みの付いたワイシャツと紺色のズボンを履いた痩せている男だ。年齢は三十代後半から四十代であろうか。目つきや物腰から滲み出る雰囲気からして、堅気には思えない。

 だが、ペドロはすました表情で挨拶する。


「やあ、どうも。今日は学校の先輩たちを連れて来ましたよ。ご馳走したいのですが、構いませんよね?」


 不気味な店員を前に、ペドロはまったく臆していない。笑みを浮かべながら、店員をじっと見つめている。

 すると、店員の表情に変化が生じた。目を丸くし、驚いたような顔つきになる。次いで、奇声を発しながらペドロに近づいてきたのだ。


「オッ! オウ! オウ! オウ!」


 当人以外には、訳のわからないであろう言葉を発しながら、店員はペドロの肩をポンポンと叩く。本人としては、親しみを込めた挨拶であるらしいが……端から見れば、狂人が絡んでいっているようにしか見えない。

 だが、ペドロは落ち着いていた。にこやかな表情で、店員の意味不明の言葉に対し相づちを打っている。智也ら三人は、狐につままれたような面持ちで、そのやり取りを眺めていた。

 そんな中、ペドロがいきなり智也たちの方を向く。


「皆さん、まずは座りましょうか」


 そう言われたが、さすがに三人とも座ることが出来なかった。見たところ、雀卓らしきテーブルと椅子しかない。高校生の自分たちが、雀卓の周りに座れというのだろうか。


「皆さん、早く座ってください」


 ペドロに促され、皆は仕方なく席に着いた。


「ちょ、ちょうど四人いるし、麻雀できるね……やり方知らないけどさ」


 そう言って、安原が笑った。だが、引きつった笑顔である。しかも、誰も返事をしなかった。

 その時、ペドロが立ち上がる。


「すみません、急用を思い出しました。電話をかけてきます。ちょっと待っててくださいね」


 言うと同時に、部屋を出ていくペドロ。三人は、ポカンとした表情で出ていく彼の後ろ姿を見ていた。




 残された三人は、何とも表現のしようのない気まずい空気を感じながら、じっと黙りこんでいた。店員も、彼らを完全に無視している。

 しばらくは、店内を沈黙が支配していた。だが、その沈黙は長く続かなかった。


「えっ、ここなの?」


 声と同時に、雀荘の扉が開いた。直後、数人の学生服を着た男たちが入って来る。

 智也たち三人を、一瞬にして緊張感が包む。こんな場所に来る以上、明らかに普通の高校生ではないだろう。となると、かかわりあわないようにこの場をやり過ごすしかない。

 だが、そうはいかなかった。入って来た少年のひとりが、すぐに智也たちに気づく。


「おいおい、何かマジメッ子がいるぞ」


 言うなり、その少年は智也たちの座る卓に近づいて来た。いかにも親しげな態度で、肩をポンポン叩く。


「お前らマジメッ子みたいだけど、ネタ買いに来たの? 人は見かけによらねえなあ。俺たちも買いに来たんだけどさ……」


 そこまで言った時、少年は智也たちが何者であるか気づいた。


「おい! てめえらハマコウ浜川高校じゃねえか!」

 叫ぶと同時に、少年は仲間たちの方を向いた。


「黒岩さん! こいつらハマコウっスよ!」


 その時になって、ようやく智也たちも状況に気づく。いつの間にか、東邦工業高校の生徒たちに周囲を取り囲まれていたのだ。


「お前ら、ハマコウか。ここに何しに来たんだよ?」


 髪を金色に染め、黒い革のコートを着た男が智也たちに尋ねる。男は背が高く、痩せてはいるが目つきが尋常ではない。今までに、人ひとりくらいなら殺した経験があるのではないか……そんな雰囲気を漂わせていた。

 智也たちは男の雰囲気に呑まれ、誰も答えることが出来ない。すると、横にいたリーゼントの少年が苛立ったような声を上げる。


「黒岩さん! ンなことどうでもいいじゃないですか! さっさとボコッちまいましょうよ!」


 すると、黒岩と呼ばれた金髪の男は不快そうな表情になる。

 次の瞬間、黒岩の拳が飛んだ。リーゼントの少年を一発で殴り倒す。


「おいトオル、てめえ俺に指図すんのか?」


 黒岩の低い声が、店内に響き渡る。


「で、出すぎた真似して、すみませんでした!」


 すぐに立ち上がり、リーゼントは頭を下げた。他の少年たちは無言のままだ。黒岩の一撃は、店内の空気すら変えてしまった。

 一方、智也はうろたえながら店員の方を見る。しかし、店員は知らぬ存ぜぬといった様子だ。助けてくれそうな気配はない。こんな時に、ペドロは何をしているのか。

 その時、事態をさらにかき乱す発言が飛び出したのだ。


「お、おい! 俺たちに手を出すと、ペドロが黙ってないぞ!」


 言ったのは宮崎である。震えながらも、必死で黒岩を睨み付けていた。

 その様を見た智也は、あまりのバカさに目眩を起こしそうになった。宮崎は、黒岩らに対する恐怖心からペドロの名前を出したのだろうが、この状況では逆効果である。

 そもそも、彼らはペドロのことなど知らないのだ。何の抑止力にもならない。それどころか、相手をさらに刺激するだけだ。


「はあ? ペドロ? 誰だよ?」


 予想通り、黒岩は呆れたような表情を浮かべている。怯む様子はない。

 だが、今度は安原が吠えた。


「お、お前ら! ペドロが来たら終わりだ──」


 言い終えることは出来なかった。言葉の途中で、黒岩が立ち上がったのだ。彼は安原の襟首を掴み、力任せに引き寄せる。


「るせえよチビ。殺すぞ」


 黒岩の冷めた迫力は、一瞬で安原を黙らせた。

 一方、黒岩は呆れたような顔つきで三人を順番に見つめる。

 ややあって、面倒くさそうにため息を吐いた。


「おい、お前ら。こいつら、きっちりシメとけ。一応はハマコウだからな。ただし、外でやれ」


 その言葉を聞いた瞬間、不良たちは一斉に動いた。智也たちの襟首を掴み、強引に外へ引きずり出して行く──






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