接触の日

「外が騒がしいですね」


 ペドロが声を発した。その言葉に反応し、浦田智也たちは顔を上げる。

 だが、何も聞こえない。


「えっ? あの、何も聞こえないけど……」


 智也が尋ねると、ペドロは立ち上がった。ゆったりとした動作で、窓を開ける。

 その途端、罵声が聞こえてきた。


「おい! お前らみてえな雑魚に用はねえんだ! ハマコウ浜川高校のアタマを出せって言ってんだよ! 聞こえねえのか!」


 怒鳴る、というより吠えるような声だ。仁平を除く三人も、立ち上がって窓のそばに行く。

 校門の前では、数人の少年たちが立っていた。いかにも、な雰囲気の者ばかりである。髪型はリーゼントやパンチパーマで、全員が太いズボンのポケットに両手を突っ込み威嚇するような視線を向けているのだ。

 一方、浜川高校の生徒たちは校門前に終結している。こちらもまた、威嚇するような視線を向けている。


「やれやれ、ついに始まりましたか……何と愚かな連中なのでしょうね」


 ペドロの表情は冷めきっていた。だが、智也たちの表情には怯えがある。皆、顔をしかめて下の様子を見ていた。

 これまでは、他の高校の生徒たちが殴り込んで来るなどというような事態は無かった。そもそも、浜川高校は都内でも指折りの不良が揃っている。仮に他の高校の生徒に喧嘩を売られても、浜川高校の名前を出せば尻尾を巻いて退散していたのだ。

 ところが東邦工業高校は、浜川高校の名前に怯まない唯一の学校であった。今、その東邦工業の生徒たちが敵意を剥き出しにした顔つきで浜川高校の校門前に集まり、アタマを出せと騒いでいるのだ。

 これは、もう戦争状態である。


「本当に愚かな連中ですよ。見てください、あの醜い顔を」


 いかにも軽蔑したような口調で言いながら、ペドロは外を見つめる。

 外では、両校の生徒たちが睨み合っている。普通、こうした場合には教師たちが出て来そうなものだが、出て来る気配はない。何をしているのだろうか。

 そんな状況に、智也は微かな違和感を覚えた。何かがおかしい。具体的にどこかは分からないが、引っ掛かるものを感じる。その違和感の正体は何なのか……と考えていた時、再びペドロが語りだした。


「奴ら不良が勝手に小競り合いを始め、そのとばっちりが大滝さんに来てしまったんですよ。不愉快な話だと思いませんか、皆さん」


 全く感情が込もっていない声である。だが、その言葉は一瞬にして、部屋にいた者たちの心へと浸透していく。今やペドロの信者のごとき人間となっている宮崎と安原はもちろんのこと、一歩引いた立場の智也の心も揺り動かす。先ほどまで感じていた微妙な違和感も、あっさりと消え失せてしまった。


「皆さんは、あと二年この学校に在籍する予定ですよね。このままでいいんですか?」


 目線は外に向けたまま、ペドロは問いの言葉を口にした。


「ど、どうするって?」


 智也が聞き返すと、ペドロは口元を歪めて彼を見つめる。その瞳には、冷酷な光が宿っていた。


「浦田さん、あなたはいちいち教えてあげないと何も分からないのですか? 自分で考えてみてはどうです?」


「えっ……」


 それまでとは異なるペドロの態度に、智也は困惑し何も言えなかった。


「いいですか……仮に今、ダンプカーがこちらに突っ込んで来たとしましょう。浦田さん、あなたはどうしますか?」


「えっ、それは──」


「いちいち他の人に、どうしようか? などと訪ねたりはしないはずです。迫り来る命の危機に際し、何らかの行動を起こすはずですよ。違いますか?」


 ペドロの口調は冷静そのものだった。しかし、彼の言葉は容赦なく智也を追い詰めていく。

 智也は、激しい恐怖を感じた。それは暴力に対する恐怖ではない。ペドロという、全く異質の存在に対する恐怖である。怯えきった表情で、目線を逸らし下を向いた。


「これまでの出来事を思い出して下さい。まず、ウチの高校の不良が東邦工業の不良を病院送りにしました。次いで、東邦工業の不良がウチの大滝さんを病院送りにしたんです。さらに先日、東邦工業の生徒が河原で亡くなりました。この連鎖は止まりません。遅かれ早かれ、火の粉は降りかかってきます。その時、あなたはどうするつもりです?」


「えっ、いや、あの、それは……」


 答えられるはずもなく、智也は黙り込む。すると、ペドロは視線を窓の外へと向ける。


「浦田さん、あのバカ共が何をするか、ここからじっくり見ておいてください。奴らは狂犬と同じです。誰かが駆除しなければ、必ず次の被害者が出ます」


 ・・・


「お前ら、何しに来たんだよ。俺たちはな、お前らと遊ぶほど暇じゃねえんだ。下らねえ用事だったら死なすぞ」


 いかにも面倒くさそうに藤井は言った。東邦工業の生徒たちを恐れている素振りは無い。むしろ、東邦工業の生徒たちの方が藤井の姿を見て怯んでいた。

 だが、ひとりの少年が前に進み出る。髪を金色に染めており、黒い革のコートを羽織っていた。背は高く、藤井と同じくらいはあるだろう。ただし、藤井と比べると華奢ではあるが。


「てめえがハマコウのアタマか?」


「だったら何だ? てめえんとこと違ってな、こっちは忙しいんだよ」


 そう言って、藤井はヘラヘラ笑った。だが、金髪の少年の顔色に変化はない。


「俺はトウコウ東邦工業黒岩クロイワだ。ひとつだけ聞く。ウチの薬師寺を殺ったのは、お前らか?」


「んなもん知らねえよ。だいたいな、トウコウのアホが死のうが生きようが、俺らに何の関係もねえ」


 冷めきった表情で、藤井は言葉を返した。すると、黒岩の目が細くなる。


「そうかい。てめえらは、いっぺん死なねえと分からんらしいなあ」


 言いながら、威嚇の視線を向けてきた。しかし、藤井は余裕の表情で受け止める。

 その時、秀樹が黒岩の前に進み出る。冷静な表情で話し始めた。


「俺は小沼秀樹って者だ。薬師寺とは幼なじみで、中学ン時によくツルんでた。昨日も、薬師寺と話をしたんだよ」


「ンだと?」


 黒岩の顔に、訝しげな表情が浮かぶ。だが、秀樹は語り続けた。


「薬師寺から聞いたぜ。トウコウの連中が、八人も病院送りにされたんだろ。なあ、おかしいと思わねえか? 八人をひとりで病院送りにするような奴が、制服のボタンを落とすようなヘマするか? そもそも、ンなこと出来る奴はハマコウには居ないんだよ──」


「はあ? 俺ならヤれるぜ。なんなら、今この場でこいつら全員ヤってやってもいいんだぞ」


 横から口を挟んできたのは藤井だ。秀樹は思わず顔をしかめる。ちょっと黙っていてくれ、と言いかけたが……既に遅かった。


「おい、どういう意味だコラ」


 低い声で、藤井に凄む黒岩。だが、この男は怯まない。


「るせえよ。だいたいな、アタマの俺と話し合うのにザコが来てるってのはおかしいだろうが。てめえらン所のアタマ呼んで来いよ……てめえみてえなザコじゃ、話にならねえんだよ」


「ンだと! てめえなんざ俺ひとりで充分だ!」


 怒鳴る黒岩。だが、彼の前に秀樹が立ちはだかる。


「やめねえか! お前ら、おかしいと思わねえのかよ! 最初から、お前らは誰かに利用されてんだよ! ハマコウとトウコウを揉めさせて喜んでるバカがいやがる──」


「いい加減にするのはてめえだよ、ヒデ」


 言うと同時に、藤井の手が伸び秀樹を突き飛ばす。秀樹はバランスを崩しよろけた。

 次の瞬間、振り向き藤井を睨む。


「てめえ、何しやがる!」


「わかってないのはお前の方だ。誰が犯人かなんて、今となったら関係ねえんだよ。こうなっちまったら、ヤり合うしかねえんだよ……そうだろうが黒岩?」


 藤井の言葉に、黒岩は顔を歪めながら頷いた。


「そうみてえだなあ」


 二人のやり取りを見て、秀樹は表情を歪めた。これはもう、手の打ちようがない。この状況は、東邦工業による完全な宣戦布告なのだ。こうなると、理由などどうでもいい。今となっては、どちらも自身の面子のために引くことが出来ないのだ。

 もう、戦いは始まってしまった──

 その時、とぼけた声がした。


「おいおい、お巡りさんの目の前で喧嘩かい?」


 声のした方に、秀樹は顔を向けた。そこには刑事の大下が立っている。さらに彼の後ろには、数人の制服警官がいた。鋭い視線を皆に向けている。

 黒岩は舌打ちする。さすがに、ここで喧嘩をするほどバカではないらしい。


「これじゃあ話にならねえな。また来るぜ。藤井よう、覚えとけ……ウチのアタマが来たら、お前ら全員死ぬよ」


 そう言って藤井をひと睨みすると、黒岩は背後に控えている生徒たちに目で合図する。

 すると、生徒たちは頷き引き上げていく。最後に黒岩が、肩をいからせながら去って行った。

 一方、秀樹はやりきれない思いを感じていた。もはや、この流れは止めようがない。浜川高校と東邦工業、双方の生徒が戦争に向けて動き出してしまった。少し考えれば、分かるはずなのに。

 一連の事件には黒幕がいる。二つの高校を抗争状態にしてほくそ笑んでいる者が。




 秀樹は無力感に苛まれながら、虚ろな表情で辺りを見回した。周囲には、好奇心を露にした生徒たちがいる。

 さらに、窓からの奇妙な視線──


 その視線に気づいた時、秀樹の体は硬直した。絶望感も無力感も忘れ、彼はその者を見上げる。

 二階から、こちらを見ている男は……日本離れした彫りの深い顔立ちをしていた。髪は短めで、派手なタイプではなさそうだ。

 その男の周りにいる者たちには見覚えがある。一学年下の生徒たちだ。確か、皆で発達障害を抱えたヤクザの息子の面倒を見ていたはず。そのようなサークルらしきものがあることも知っている。

 だが、あの外国人のような顔の男は見たことが無い。

 秀樹は、その男から目が離せなかった。何かを感じるのだ。はっきりとはわからない。だが、これまでに感じたことの無い何かが、自分の体内で蠢いている。それは理屈ではなく、むしろ本能に訴えてくるものだ。

 さらに、秀樹の体にも変化が生じた。鼓動は早くなり、同時に手足の末端が強張ってきている。彼は自身の体の異変に気付きながらも、二階にいる奇妙な男から目を離せない。

 すると次の瞬間、男はこちらを見下ろしながらニヤリと笑った。不気味な笑顔だ。こんな嫌な笑顔を見たのは初めてである。背筋に冷たいものが走り、額から汗が吹き出てきた──


「おい、聞いてんのか?」


 不意に、中年男の声が聞こえた。秀樹は我に返り、辺りを見回す。

 刑事の大下が、奇妙な表情を浮かべて秀樹を見つめていた。


「あ、すみません。大丈夫です」


 言いながら、秀樹は再び上を見る。しかし、外国人のような男はいつの間にか姿を消していた。


「お前、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」


 大下の声が聞こえたが、秀樹は曖昧な作り笑顔で頷いた。


「ええ、大丈夫です」


 ・・・


「すみません、あの喧嘩を止めようとしていた人は誰ですか?」


 騒ぎが終わった時、ペドロが声を発した。その途端、部室にいた全員が反応し彼を見つめる。


「えっ? あ、あいつ誰だっけ?」


 安原は、不安げな面持ちで皆の顔を見回した。すると、宮崎が答える。


「あ、あいつ? 確か三年の小沼って人だよ」


「小沼、ですか。彼は、普通の生徒っぽく見えますね。制服も標準だ。にもかかわらず、他の不良たちから一目置かれているようですね。いったい何者ですか?」


 ペドロの問いに、すました表情で宮崎が答える。


「あの小沼ってのは、空手の黒帯持ってて凄い強いらしいよ。この学校でも、喧嘩なら一番かもしれないんだって」


 したり顔で語った。自分が事情通だということを、ペドロにアピールしているのだろうか。智也は呆れたが、そんな表情はおくびにも出さない。


「そうですか。それは聞いてないな」


 呟くようなペドロの言葉だったが、智也は聞き逃さなかった。聞いてない、だと? それはどういう意味だ?

 だが、その言葉に違和感を覚えたのは智也ひとりだけらしい。宮崎も安原も、外の様子をじっと見つめている。

 どういうことだろう? 智也は眉をひそめながら、窓際にいる三人の表情を観察した。

 ペドロは不思議な顔つきで、床の一点を見つめている。宮崎や安原とは、違うことを考えているのは間違いない。


 あれは、観察者の目だ。


 智也の頭に、そんな考えが浮かんだ。宮崎と安原は、明らかに今の事態を恐れている。恐れつつも、好奇心ゆえに目が離せない。まさに怖いもの見たさ……そんな状態だろう。

 ところが、ペドロはまるで違うのだ。あくまで冷静に、今の事態がどのように展開していくかを観察している。さらに、次の手を考えているようにも見える。

 その時、智也はペドロの不思議な魅力に気づいた。もともと彫りの深い顔立ちではある。だが、それだけではない。単純な美醜を超えたものがある。全身から発している圧倒的な存在感もさることながら、全てを見通すかのような瞳には、吸い込まれそうなものを感じる。

 智也は、ペドロの横顔から目を離せなくなっていた──


「どうかしましたか、浦田さん?」


 不意に、ペドロがこちらに目を向けた。智也はビクリとなり、思わず愛想笑いを浮かべる。


「えっ? い、いや……ペドロは凄いなあと思ってさ。僕は、不良たちの喧嘩なんか怖くて見れないよ」


 そう言いながら、智也はヘラヘラ笑った。内心の動揺を悟られまいとする笑いである。だが、少し引きつった表情にもなっている。

 そんな智也に向かい、宮崎が舌打ちをした。


「お前は、本当にビビりだな。あんな奴ら、ただのクズじゃねえか──」


「浦田さん、あなたは正直ですね。実に面白い人だ」


 宮崎の言葉を遮り、ペドロは智也に近づく。鼻と鼻が触れ合わんばかりの位置まで顔を近づけて来たのだ。

 智也は異様なものを感じ、思わず目を背ける。なぜか、鼓動が早くなっていた。それは、恐怖のせいだけではない──

 すると、ペドロは笑みを浮かべる。その手が、彼の頬に触れた。すっと撫でる。


「いいですか、怖さを知らないのは、ただの愚か者です。本当の勇気とは、恐怖を感じながらも適切な行動が取れることです。智也さん、あなたの中にも勇気はあるんですよ。あなたが、その存在に気づいていないだけです」


 言いながら、ペドロは皆の顔を見回す。宮崎も安原も、今では外のやり取りなど見ていなかった。ペドロの発言に注目している。

 智也はといえば、不思議な感覚に覆われていた。ペドロに頬を触れられた瞬間、形容の出来ない何かが体内に湧き上がるのを感じたのだ。それが何かはわからない。

 呆然となっている智也に、ペドロは静かな口調で語り始める。


「人間にとって最大の敵は自分自身だ、と言った人がいました。もちろん、それは間違いではありません。しかし、最大の味方もまた自分自身なんですよ。その存在に気づくことさえ出来れば……皆さんは、より高い次元に立つことが出来るようになります。少なくとも、外で騒いでいるバカ共など及びもつかないほどの位置にね」






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