旧友の日
「いやあ、ペドロは本当に凄い奴だよ」
感心した表情で言ったのは宮崎だ。横にいる安原も、うんうんと頷く。
「本当だよね。あんな凄い喧嘩を見たの初めてだよ」
その点に関しては、智也も同意せざるを得なかった。ペドロは、彼らより年上で暴力慣れしているであろうチンピラを、ものの数秒で撃退してみせたのだ。この学校でうろついている不良たちとは、完全に違うレベルの人間だ。あんなアクション映画のごとき早業を見たのは始めてである。
その時、智也の頭に疑問が浮かぶ。
「でもさ、何であんなこと言ったんだろう?」
あんなこと、とは……昨日、ペドロがチンピラを叩きのめした後に放った言葉である。
「すみません、今のことは誰にも言わないで下さい。お願いします」
今のこと、とは間違いなくチンピラを叩きのめした件だろう。言葉遣いそのものは丁寧だが、その奥には有無を言わさぬペドロの意思がある。その迫力に押されるかのように、智也たちは頷いていた。
「ペドロは謙虚な男なんだよ。目立つのが嫌なんじゃないかな」
安原の言葉に、宮崎も相槌を打つ。
「だろうな。あいつは、本当に凄い奴だよ」
彼の表情は、尊敬の想いに満ちていた。もともと宮崎は、暴力的なものに対する強い憧れがある。もっとも本人は、その想いをおくびにも出さないが。
ペドロは、理不尽な暴力にも屈しない圧倒的な強さを身に付けている。その上に謙虚だ。まるでアクション映画の主人公のようである。
「ところで、ペドロは今日も休んでるみたいだね」
安原の何気ない言葉に、智也はふと疑問を感じた。
「えっ、ヤッちゃん何で知ってるの?」
「い、いや、担任の先生に聞いてきたから……」
ちょっと照れくさそうに答える安原を見て、智也は胸のあたりに奇妙なつかえを感じた。わざわざペドロのクラスまで聞きに行ったのだろうか。まるで、親友を心配するかのような行動だ。いや、それ以上だろう。
「ヤッちゃんもか。実は、俺も行ったんだよ」
少し恥ずかしそうな様子で、宮崎も言った。
そんな二人を見て、智也の胸のつかえはさらに大きくなる。この二人は、いつのまにかペドロに魅せられているのだ。宮崎も安原も、ペドロの行動に注目している。いや、カリスマとして見ているのだ。でなければ、彼が出席しているかどうかなど、わざわざ聞きに行ったりはしない。これでは、アイドルの出待ちをしているファンと大して代わりない。
大丈夫なんだろうか?
智也は、ふと仁平を見た。しかし、この少年は相変わらずだ。ボーッと窓を見つめている。
仁平は、いつもと変わっていない。ペドロの存在に、何の影響も受けていないらしい。智也は少しホッとした。少し考え過ぎなのかもしれない。
・・・
授業が終わった後、小沼秀樹はバイト先に行くため足早に歩いていた。学校は、例によってキナ臭い匂いが漂っている。しかし、今の彼には関係のないことだ。
秀樹は校門を出た後、駅まで真っ直ぐ歩いて行く。その時──
「ようヒデ、ちょっと待ってくれよ」
聞き覚えのある声だ。秀樹は、ゆっくりと振り返った。
そこにいたのは、五分刈りの若者であった。背はやや高めで、頬はこけている。目付きは鋭く、痩せてはいるが強靭な体つきをしているのが見てとれる。そこらの不良とは、違った迫力を醸し出していた。
「ヤク、まさかお前が来るとはね。何の用だ?」
言いながら、秀樹は少年を睨み付ける。この少年は
「おいおい、何を苛立ってんだよ。俺は、話をしに来ただけだ」
「話?」
「俺は今、
少し恥ずかしそうに、薬師寺は言った。だが、秀樹は思わず顔をしかめる。東邦工業高校から来たとなると、ただ事とは思えない。
刑事の大下から聞いた話によれば、東邦工業の生徒八人が何者かに病院送りにされている。その現場には、なぜか浜川高校の制服のボタンが落ちていたらしいのだ。したがって、両校はいつ戦争状態になってもおかしくない状況ではある。
もっとも、目の前にいる薬師寺の表情は穏やかなものだ。喧嘩を売りに来たようには見えない。
この薬師寺は中学生の時、秀樹の同級生であった。しかし二年前、傷害沙汰で鑑別所に入れられている。その後は、プッツリと交流が途絶えていた。本来なら、既に三年生のはずなのだが……どうやら、もう一度高校生をやりたくなったらしい。
しかし、よりによって東邦工業とは。
「で、トウコウのお前が
秀樹の言葉に、薬師寺は険しい表情でため息を吐いた。
「やっぱり、お前も知ってたのか。けどな、俺はそんな面倒くせえことに関わる気はねえ」
「じゃあ、何しに来たんだよ?」
「お前に聞きたいことがあるんだよ。ハマコウに、ウチの学校のバカ共を病院送りにしそうな奴はいるのか?」
「わからねえ。ただ、ウチのアタマの藤井は……トウコウが来るなら潰す、って言ってる。完全にやる気だぜ。ったく、面倒くさい話だよ」
言いながら、秀樹はちらりと周囲を見回す。辺りには、浜川高校の生徒がうろうろしていた。ここでは、ちょっと話しづらい。
「ちょっと場所を変えようぜ」
二人は、川のほとりで腰を下ろす。薬師寺はタバコの箱を取り出し、一本咥えた。さらに、秀樹にも差し出す。
「吸うか?」
「いいよ。タバコはやめたんだ」
「そうか」
そう言うと、薬師寺はタバコに火を点けた。
「あのなヒデ、ウチの連中は相当カッカきてるぞ。ウチのアタマの
「勝手にやってくれよ。俺には関係ない」
吐き捨てるような口調で答えた。
「はあ? お前、それでいいのか?」
「いいよ。ハマコウはバカばっかりだからな。俺も、ハマコウでアタマやってる藤井に言ったんだがな、聞く耳なしだ。向こうが来るならやってやる、の一点張りだよ」
「そうか。参ったな。俺も、こんなことには関わりたくねえんだよ。いい加減、平和な高校生活を送りてえのにな」
そう言いながら、薬師寺は煙を吐き出した。
「ヤク、お前も随分と丸くなったな」
秀樹は、思わず苦笑する。この薬師寺、中学生の時は手の付けられない不良だった。よその学校と揉めた時は、盗んだバイクに乗って他校に殴り込んだ。また授業中、屋上で酒盛りをして倒れ、病院に担ぎ込まれたこともある。
そんな薬師寺の口から、平和な高校生活という言葉が飛び出るとは。完全に予想外だ。
「俺も、いい加減バカやってる歳じゃねえからな。もうすぐで十八だぜ。高卒の資格だけは取っときたいんだよ。それに、鑑別所にぶちこまれたら……つくづく嫌になってきた。真面目に生きるのが、ある意味じゃ一番簡単だよ。一番難しいけどな」
「何を哲学者みたいなこと言ってんだよ。そんなキャラじゃねえだろうが」
笑いながら、秀樹は薬師寺の肩を軽くこづいた。
「あのなあ、鑑別所とか行けば嫌でも考えさせられるんだよ。本物のクズを大勢見たからな。ああは成りたくねえ、心底からそう思ったよ」
そう言う薬師寺の表情は歪んでいた。恐らく鑑別所の中で、見たくないものばかりを見せられてきたのだろう。
秀樹は、改めて薬師寺の横顔をじっくりと見つめた。中学時代と比べると、確かに変わっている。向こう見ずな雰囲気は薄まり、代わりに思慮深さが出てきている。鑑別所という特殊な環境は、薬師寺にとってプラスの効果をもたらしたらしい。
「なあヒデ、俺はお前がハマコウにいるって聞いたから、わざわざ来てみたんだよ。もしかしたら、戦争を避けられるんじゃねえかと思ってな。でも、この様子じゃ止まりそうもないな」
「ありゃあ止まらないよ。ウチのアタマの藤井も、その取り巻きもバカばかりだ。一応、俺もその犯人を探すよう進言はしてみたんだよ。ところが、聞く耳もたずだ」
「そうか。実はさ、病院送りにされた連中に話を聞いてみたんだよ。そしたら、相手はひとりだったって言ってた」
「ひとり、か。ウチに、そこまでの奴はいたかな」
秀樹は、自身の記憶を探ってみた。もっとも学校の不良連中の詳しい情報など、今となってはほとんど知らない。
それでも、単独で八人を病院送りにするような奴は……ひとりしか思い当たらない。
「そんなこと出来そうなの、アタマの藤井くらいしかいないぜ」
そう、秀樹の見る限り……浜川高校にいるのは、基本的に雑魚ばかりだ。あらゆる努力を避けて通り、流されるままに生きてきた者が大半である。でなければ、もう少しまともな学校に行っているはずだ。
勉強もスポーツも最低点。しかも彼らは「俺はまるで努力しないから成績が悪いんだよ」というセリフを免罪符として使う。そんな人間だから、喧嘩も中途半端にしか出来ない。
ひとりで八人を病院送りに出来るような凄腕など、いるとは思えない。
「そうか。もうひとつ、気になることがあるんだよ。やられた連中だがな、言ってることがバラバラなんだよ。でかい奴にやられたとか、ちっこい奴にやられたとか」
「いや、そんなもんだろ。いきなり不意打ちなんて食らったら、相手がどんな奴だったかなんて把握できないぜ」
秀樹は答えた。人間の記憶など、本当に曖昧なものなのだ。特に犯罪のような想定外の事態に遭遇した場合、被害者の記憶など当てにはならない。
犯罪者を捕らえてみれば、目撃者の証言とは全く違った人相の持ち主だった。それは、珍しいことではないのだ。
「ああ、そうらしいな。でも、ひとつ気になることがあるんだよ。病院送りにされた奴だけどよ、みんな一発でやられてるんだよな」
「一発、か」
「ああ。熊殺しのウィリーが暴れたんじゃねえか、てくらい凄かったらしい」
冗談めいた口調の薬師寺に、秀樹は思わずプッと吹き出していた。熊殺しのウィリーとは、かつて話題になっていた空手家である。二メートルを超す長身と百キロを超す体格で、映画にも出演していた。
「ウィリーが相手なら、みんな殺されてたぜ。ただ、はっきりしたよ」
「ん? 何がだ?」
尋ねる薬師寺に、秀樹は顔を歪めながら答える。
「そんなこと出来る奴は……俺の知る限り、ウチの学校にはいねえ」
「そっか。ったく、どこの誰がやったんだろうな。人騒がせな奴だぜ」
「わからん。ただ、俺はかかわる気はねえよ。ヤク、お前も関わるな。こんなアホな喧嘩に首を突っ込んでも、何も得しねえし」
そう言うと、秀樹は立ち上がった。
「せっかく来てもらったのに悪いけどな、俺は今からバイトなんだよ。今度、お互い暇な時にゆっくり話そうや」
「ああ、バイトなのか。すまなかったな」
のんびりした口調で言うと、薬師寺はタバコを一本取り出した。
「俺は、こいつを吸い終わったら帰るよ」
「そうか。また今度、暇な時に会おうぜ」
秀樹はそう言って、足早に去って行った。実のところ、バイトは遅刻することになってしまう可能性が高いのだ。急がないといけない。
後に秀樹は、この時の自身の行動を後悔することとなる──
・・・
薬師寺はのんびりとタバコを吸いながら、川面を見つめていた。
「すみませんが、高校生の喫煙は法律で禁止されていますよ」
不意に、背後から声が聞こえてきた。穏やかなものだ。
薬師寺は、面倒くさそうに振り返る。声の感じからして警官ではない。恐らくは補導員か、あるいは世話好きな近所の人間であろう。それにしては声が若い気はする。
予想は外れていた。そこにいたのは、外国人のような顔の少年であった。迷彩柄のトレーナーを着て、落ち着いた様子でこちらを見ている。
薬師寺は、思わず首を傾げた。自分は、おとなしく言いなりになるようなタイプには見えないはずだ。
この少年は、怖くないのだろうか?
「ああ、わかったよ。すまねえな。すぐ帰るから」
言いながら、薬師寺はタバコを捨てて立ち上がった。ここで喧嘩などヤる気にはなれない。見れば、相手は外国人のようである。日本のことが、今ひとつ分かっていないのかもしれない。
だが、事はそう簡単にはいかなかった。
「あなたは、東邦工業高校の方ですよね?」
顔に似合わず、少年の口から出るのは流暢な日本語であった。薬師寺は思わず首を傾げる。
「あ、ああ。そうだよ。よく知ってるなあ」
薬師寺から返ってきた言葉に、少年はニヤリと笑った。
「そうですか。実に素晴らしい展開だ」
そう言うと、少年はゆっくりと近づいて来る。一方の薬師寺はポカンとしたまま、少年を見つめていた。
次の瞬間、背中に冷たいものが走る。その時になって、やっと理解したのだ。目の前にいるのが、普通の人間ではないことを……薬師寺は、半ば本能の命ずるまま身構える。
しかし、何もかもが遅かった。
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