入試の日

 一九九X年、二月──




「君は、本当にうちの高校に来るつもりかい?」


 滝沢栄吉タキザワ エイキチは、目の前の生徒に尋ねる。


「ええ。いけませんか?」


 生徒は、平静な表情で聞き返してきた。周りの酷い風景にも、動じているような素振りはない。

 滝沢は首を傾げた。彼は、浜川高校の国語教師である。今は、入学希望者の面接をしているのだ。

 そんな滝沢の前にいるのは、日本人離れした彫りの深い顔の少年だ。極めて真面目な態度で、背筋をピンと伸ばし椅子に腰掛けている。一見すると、この浜川高校に入学するようなタイプとは真逆だ。冷やかしにしか見えない。

 だが目の前の生徒は、間違いなく入学したいという気持ちがあるらしい。試験を終えた後に、こうして面接を受けに来ている。それも、極めて真剣な表情で面接に臨んでいるのだ。




 滝沢は、なおも質問を続けようとする。だが、それは突然の罵声により中断させられた。


「んだとコラァ!」


「やんのかてめえ!」


 喚きながら、お互いに襟首を掴みあっている二人の少年。どちらも、明らかに標準とは違う学生服を着ている。

 滝沢は、思わず頭を抱えていた。二人とも、この浜川高校に受験をしにきたはずなのだ。なのに、この面接会場で喧嘩を始めるとは……もはや、猿以下の自制心しか持ち合わせていないのであろう。

 それも仕方ない話だった。この浜川高校は、「ゴミ溜め」と揶揄されることもある最低辺の高校なのだ。偏差値は都内でも最低ランクであり、自分の名前を日本語で書ければ合格、という噂すら流れている。暴力沙汰は日常茶飯事、人殺しや薬物のような刑事事件さえ起こさなければ退学されない、とすら言われているくらいだ。

 高校というより、動物園といった方がふさわしい。




 喧嘩を始めた二人は、屈強な体格の教師たちにより追い出されて行った。しかし、未だに不穏な空気が漂っている。滝沢は、ため息を吐いた。


「早く辞めてえな、こんなとこ」


 呟きながらも、気を取り直し面接を再開する。生徒は先ほどと同じく、にこやかな表情を保ったままだ。背筋を伸ばしたまま、パイプ椅子に座っている。周囲にいる他の少年たちとは、まるで違う態度だ。

 滝沢は、またしても首を傾げた。資料によれば、目の前にいる生徒はメキシコと日本のハーフであるらしい。彫りの深い顔立ちも、それゆえであろう。だが、メキシコ暮らしが長かったがゆえに、日本の事情には疎いのかもしれない。ひょっとしたら、この学校の評判について何も聞かされていないまま、入学願書を出してしまったのではないだろうか?


「君、わかってるのかい? 教師の立場で、こんなことを言うのもなんだが……この浜川高校は、都内でも最低辺の学校だよ。名前さえ書ければ、猿でも入学させる学校とまで言われている。ところが、君の成績は悪くない。本当に、うちに来る気かい? まあ、滑り止めのつもりなら構わないんだが」


 言いながら、改めて書類に目を通す滝沢。この生徒の名前は、ペドロ・工藤クドウ。日本人の父とメキシコ人の母との間に生まれ、中学二年までメキシコにて暮らしていたらしい。その後、両親と共に日本に移住し……梅田中学校に転入したとのことである。

 梅田中学では特に問題を起こした形跡もなく、成績も悪くなかったようだ。少なくとも、もっと上のレベルの学校も狙えたはずなのに。

 なぜ、この浜川学校を志望したのだろうか?


「滑り止めではありません。自分の能力を、この学校で試してみたいんですよ」


 ペドロは、はっきりとした口調で答えた。中学二年までメキシコにいたとは思えない、綺麗な発音の日本語である。それに目付きや仕草などを見ると、年齢にそぐわない知的な雰囲気さえ感じるくらいだ。

 しかし、こんな学校で何を試そうというのか。


「自分を試したい、と言ったね。うちの学校で、いったい何を試そうというんだい?」


 気がつくと、そんな質問をしていた。目の前にいる生徒には、不思議なものを感じるのだ。身長は百六十センチ台とさほど大きくはない。しかし、内に途方もなく巨大な何かを秘めている……そんな気がするのだ。今まで、なぜ気づかなかったのだろう。

 この少年は、確実に大物になるだろう。滝沢は、漠然とであるがそう感じていた。理屈ではなく、生き物としての本能の為せる業かもしれない。


「この浜川高校で、自分という人間に果たして何が出来るだろうか、ということですね」


 ペドロは、迷うことなく即答する。しかし、何とも掴みどころの無い答えだ。具体的に何をするつもりなのだろう。滝沢は、さらに質問をしようとした。だが、そこで時間が無いことに気づく。先ほどの乱闘騒ぎのせいで、ペドロとの面接時間は大幅に減ってしまったのだ。


「あ、ごめん。次の生徒の時間なんだよ。もう、いいから」


 その言葉に、ペドロは真面目くさった態度で頷いた。


「わかりました。では、失礼します」


 恭しい態度で席を立ち、一礼する。直後、彼は面接会場である体育館を出ていった。

 その数秒後、滝沢は思わずため息をついた。目の前に座っていたのは、パンチパーマの少年だったからだ。俗に短ランと呼ばれている短い学生服に身を包み、両足を思い切り広げた姿勢で椅子に座っている。


「うちの学校を志望した理由は?」


 滝沢が質問すると、少年は威嚇するような目で睨みつけてきた。


「ああン? シボウ?」


 志望はしなくていいから死亡してくれ、と内心で呟きながらも、どうにか面接を続けた。




 面接会場である体育館を出たペドロは、周囲を見回してみる。校舎は異様に汚く、壁には得体の知れない染みが付着している。さらに地面には、タバコの吸殻がポロポロ落ちていた。行き交う生徒たちは皆、恐ろしく薄いカバンを持ち標準とは違う学生服を着て、やたらと太いズボンを履いているのだ。むしろ、それこそが浜川高校における標準なのかもしれない。

 そんな生徒たちの中を、ペドロは何事も無かったかのように静かに歩いていく。気配を完璧に消し去り、目立たぬように学校を出ていった。

 浜川高校の敷地を出た後、ペドロはゆっくりと周りを見渡した。ここは都内ではあるが、周囲には緑が多い。さらに百メートルほど先には、大きな川が流れている。ペドロは、その川に向かい歩いていった。




 川のほとりに立ち、水面を眺める。川岸には、大量の草が生えている。ペドロの胸の高さくらいまである草が大量に生えているのだ。もっとも川のほとりは、コンクリートで固められている部分もある。

 そんな中、ペドロは川に沿ってのんびりと歩いた。先ほどまでの学校の騒がしさが嘘のように静かだ。時おり、川沿いの道路を車が通って行くのが見える。

 実にのどかな風景であった。


 さらに川沿いを進んでいく。すると、前方の草むらが揺れているのを見つけた。動物の仕業か、あるいは人間が草むらに潜み何かしているのだろうか。そっと近づいていく。

 やがて、ペドロはあるものを見つけた。


「おいおい、こいつは女子高生じゃねえぜ。確実に二十歳過ぎてるよ」


「いや、二十歳どころじゃねえぜ。下手すりゃ三十過ぎてんじゃねえのか」


 勝手なことを言いながら、草むらにしゃがみこんでエロ本を見ている二人組がいた。どちらも標準タイプではない学生服に身を包んでおり、潰れたカバンを無造作に放り出している。顔つきも似たり寄ったりだが、両者には明らかな違いがある。それは髪型だ。片方はリーゼント、もう片方は長髪である。

 そんな二人に、ペドロは音も立てずに近づいて行った。二人のすぐ後ろに立つと、不意に声をかける。


「どうも、はじめまして。お二人は、浜川高校の方ですか?」


 その途端、二人は慌てて振り向いた。だが、目の前にいるのがたった一人であることを確認すると、二人の表情は変わる。


「ああ、そうだよ。お前、俺たちに何か用か?」


 言いながら、リーゼントの男が顔を近づけていく。鼻と鼻が触れあわんばかりの位置で、ペドロを睨み付ける。彼らのような不良生徒が、一般生徒を威嚇する時に用いる動きだ。

 だが、ペドロには怯んでいるような素振りがない。


「それは良かった。是非とも教えていただきたいことがあるんですよ。すみませんが、僕の質問に答えて下さい」


「はあ? 何言ってんの? おいノブオ、こいつ笑えるぞ」


 リーゼントの男は残忍な笑みを浮かべながら、仲間の方を向いた。ノブオと呼ばれた長髪の男も、好奇心を露にペドロに近づいて行く。


「ヒロシ、こいつ外人みたいな顔してるな。でも、日本語うまいぜ」


「そうだな。お前、ハーフなのか?」


 ヒロシとノブオは、ニヤニヤしながら尋ねる。

 だがペドロから返ってきた答えは、彼らの予想外のものだった。


「申し訳ないのですが、下らない質問はやめていただきます。僕の質問にだけ答えて下さい。時間がもったいないですから。まずは浜川高校について、知っていることを出来るだけ詳しく教えて下さい」


 その言葉を聞いた途端、二人の顔つきが変わった。


「んだと? てめえ、誰に向かってンな口利いてんだよ!」


 喚きながら、ヒロシはペドロの襟首を掴んだ。

 その直後、不良生徒の表情が変わった。


「な、何だこいつ……」


 襟首を掴んだままの姿勢で、呆然とした表情になる。ペドロの襟首を掴んだ瞬間、手に伝わってきたのだ。目の前にいるのは普通の人間ではない、という情報が。

 次の瞬間、ノブオの目にはとんでもない光景が映っていた。

 ヒロシは悲鳴を上げ、その場で前のめりに倒れる。ペドロは彼の腕を掴んだのだ。そして、何かをした……ように見えた。何をしたのかは、全く分からなかったが。

 ひとつはっきりしているのは、ペドロが何かをした直後、ヒロシの右腕があり得ない方向に曲がっていたことだ――


「時間には限りがあります。さっさと教えてくれませんか。浜川高校の現在のリーダー格は誰です?」


 あまりにも無機質な、ペドロの声が聞こえた。だが、ヒロシは腕を押さえて倒れている。その口からは、呻き声しか聞こえない。

 すると、ペドロは足を上げた。

 呻いている少年の首めがけ、自身の足裏を降り下ろす──

 何かが砕けるような音が響き、ヒロシの呻き声が止まった。その首は、不自然な形で曲がっている。生きている人間には、あり得ない状態だ。

 その墓にいたノブオには、何が起きたのか理解できていなかった。彼にはペドロを止めることも、その場から逃げることも出来なかった。町の不良少年に過ぎない彼の目の前で起きた出来事は、理解できる範疇を遥かに超えていたのだ。

 ノブオは呆けたような表情で、その場に立ち尽くしている。今の彼には、目の前にいる者から恐怖を感じ取ることすら出来なかったのだ。ヘビに睨まれたカエルのように、思考能力を失い木偶人形と化している。

 そんな不良少年に向かい、ペドロは穏やかな表情で口を開いた。


「申し訳ないですが、僕はそろそろ帰りたいんです。早く質問に答えて下さい。あなたの知っていることを、全て」


 ・・・


「おいおい、何なんだよこりゃあ……とんでもねえなあ」

 刑事の大下俊樹オオシタ トシキは、思わず顔をしかめていた。

 浜川高校から一キロほど離れた川原に、二人の少年の死体が横たわっていた。発見したのは、散歩をしていた近所の老人だ。朝の六時に、川原にて犬の散歩していたら死体を発見し、慌てて通報したとのことである。

 被害者の二人は、金子博カネコ ヒロシ伊藤信雄イトウ ノブオ。浜川高校の生徒であり、喧嘩やタバコや恐喝などで何度か補導歴があった。そんな二人の遺体は全裸で、胸のところには「浜川高校潰す」と下手くそな字で書かれている。ご丁寧にも、油性のマジックによるものだった。


「こりゃあ、不良同士の揉め事でしょうかね?」


 若い刑事が、大下に尋ねた。だが、大下はかぶりを振る。


「そんな訳ねえだろ。見ろよ、この首の折れ方。こんな真似が出来るのは、プロレスラーくらいだろう。たかが不良高校生が、こんな真似は出来やしないぜ。しかも妙なことに、こいつらはほとんど抵抗してないんだよな」


 言いながら、大下は死体を指差す。


「こいつらには、防御創らしきものが無い。つまり、両方ともに抵抗すら出来ないうちに、一発でやられたんだよ。まあ、こっちは別のようだがな」


 そう言って、大下は金子を顎でしゃくる。


「この金子博は、ご丁寧にも腕をへし折られた挙げ句に首の骨を潰されてる。そして、この伊藤信雄は一発で首を折られてる。こんなの、並の人間に出来ることじゃないぜ。ヤクザだって、ここまで見事な芸当は出来やしねえよ」


「そうですか。いったい、どんな奴がやったんでしょうね……」


 呟くように言った若い刑事に、大下は顔をしかめて見せた。


「俺も二十年近く刑事やってるがな、こんなのは初めて見るな。はっきり言って、人間の仕業とは思えねえよ」





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