第191話 空亡㊷ 壊れた夢

 自分の思い出が壊れていく様を、亡は佇んで見ることしかできなかった。

 龍神の関東への移送計画、それに伴って龍神の巫女の住まいも移ることになった。

 この社には、元々神楽が住んでいた。

 亡は、自分と死んだ妻の繋がりが少しずつだが、現世から無くなっていくのを感じた。


「やっと出ていくのか……」

「神様の呪いを宿しているんだって。気味が悪い」


 ――うるさい。守ってもらっている分際で。


「前の巫女も気持ち悪かった。女のくせに牛を持ち上げたんだぞ」

「俺は死んでもらってホッとしてるよ」


 何も見えない。聞こえない。

 ただ、集まってガヤガヤと喚き立てる民衆の元へと、足が動いていたのは分かる。

 止めたのは兄だった。


「兄さん……」

「気持ちはわかるが、せ。俺たちがそんなことしたら、あの子供立ち直っはどうなる? 」


 そうだ、まだ俺たちには守るべきものがある。


 まだ神楽との繋がりが完全に消えた訳ではない。彼女が守ろうとしたものを、自分が守り続けることで、そのえにしを繋ぎ止めようと彼は決心した。


「あの兄弟も……」

「妖怪なんだってな。おお、怖い怖い」

「早くくたばってくれれば……」


 だが、それでもまだ耳鳴りは止まない。


 ***


 その日は久しぶりに孤児院へ挨拶に行く日だった。長期に渡る妖怪退治が完了したのだ。

 また子供が好きそうな菓子やおもちゃを両手に抱えて、屋敷を出ようとした時。


「亡さま! 亡さま! お助けください! 」

「知代! 何があった! 」


 孤児院で保護者代わりに務めている女の1人。血だらけで、所々に刀傷が見える。


「孤児院が、町人たちに……! 」


 この時、亡の足は天狗よりも速かっただろう。体中の全ての力を足に込めて、風を切るようにして走った。


 ***


 肌が熱い。喉が焼ける。瞼を閉じても、大きくなっていく炎が、目に残り続けた。

 亡は黒い石炭のようなものを抱いていた。それは人の形をしていて、先程まで微かに動いていたが、今は身動ぎひとつしない。

 孤児院に保護された、子供だったものだ。


「近頃、都で発生してる怪死事件! 妖怪の仕業なんだってな! 」

「妖怪に育てられてる子供だ! 化け物に違いねぇ! こいつらが犯人だろ! 」


「……その妖怪は、俺が退治した。昨日だ」

「化け物の言葉なんて信じられるか! お前に関わる人間、皆殺しにしなけりゃ安心できねぇ! 」


 抱いていた死体の首から上が、頭の重さに耐えきれずに地に落ちた。

 次第に腕や足も、ボロボロと崩れていく。


「そうだ! こいつも殺せ! 」

「殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 」


 耳鳴りが酷くなっていく。世界の音が遠くなって、色が消えていく。


「そんなに血が見たいなら、見せてやろう」


 殺せ、殺せ、殺せ、虫の鳴き声だ。

 害虫は駆除しなければならない。

 手をかざす。そして、力を込める。


「“現世うつしよ”」


 虫の首が1つ減った。

 もうひとつ、もうひとつ、駆除する度に心の奥底に喜びが滲む。


「ふ、ははっ! 」


 気分が昇って、駆除の手も進む。

 虫たちは逃げ惑っているが、空亡の力から逃れることなどできない。


「ははっ! はははっ! 」


 赤、赤、赤。

 そうだ、これが見たかった。ずっとこうしたいと思っていた。


「ふはははは! ひーははは!! 」


 思わず腹を抱える。潰れていく虫共が面白くて仕方がない。

 潰す、潰す、潰す。殺し尽くす。


 やがて、大量の赤い液体を残して、虫は駆除された。

 亡の胸中に広がるのは、満足感だ。


「なんだ、もっと早くこうすれば良かった。なぁ、神楽」


 両膝をついて、土に吸われていく血を眺めていると、また笑いが込み上げてくる。


「はははっ! ははっ……、ひっ、ぐ……! ははっ! はははっ! ふっ、ぐ……! 」


 開かれた口に入る塩水が、彼の無力を象徴していた。

 血と肉の生臭い匂いと、人肉の焼けたすえた悪臭が、彼の鼻腔を刺激し続けた。

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