第189話 空亡㊵ 封神

 硬い石のような感触が口の中を支配する。味はしない。ただ、ゴツゴツとした凹凸が口腔内を切り裂いて出血している。

 これが、亡雫との同化方法。どんな形でもいいから体の中にそれを取り込むこと。


 空亡はまだ完全には顕現させないらしい。これはあくまで、空と亡が妖怪になるための儀式だ。

 龍神を力を弱めるだけなら完全な顕現は必要無いらしい。大方、道長辺りが止めたのだろう。自分たちに反旗を翻されてはたまらないと。


 しかし亡自身、完全な空亡になるつもりは無い。

 空亡の完全顕現にはこの亡雫の他に、もう1つ別の亡雫を取り込んだ上で、片割れを喰らう必要がある。片割れ、つまり兄である空だ。

 この世でたった1人の肉親まで失っては、自分が発狂してしまうだろうと、彼は見積もっていた。


 亡雫を取り込んでから一刻ほど。

 体の内側からせり上がるような強い熱を感じる。内蔵が焼かれるみたいに熱くなって、自分の霊力が消えていくのが手に取るように分かる。

 消えるばかりではない。新たな力も、奥底から這い上がってくる。変質して、形となる。今まで体にあったものより、遥かに大きな力だ。


 やがて熱が引いていく。

 外面には変化は見られない。ただ、彼には分かった。

 自分がもう人ではないということが。


「儀式は成りました」


 掌印を結んで、何やら呪文を唱えていた晴明が、初めて理解出来る言葉を吐いた。


「兄さん……」

「あぁ、俺にも分かる。どうやら、もう戻れないらしい」


 薄暗く、蝋燭が四方を囲む部屋の中で、亡、いや青目の空亡は手を握りこんだ。

 圧倒的な妖力を感じる。別の亡雫も取り込んでいない、まっさらな状態だが、この時点で他の妖怪とは一線を画する力だ。


「次は……? 」

「早速で申し訳ありませんが、龍神の封印に移ります」


 ***


 さびれた社、神社だったのか寺だったのか、それすら区別できない。

 1人の老婆が、腰を曲げて境内に立っている。


「あれが龍神か? 」

「龍神は人間の体を乗っ取ることが出来ます。あれは本来の姿ではありません」


 そう言う晴明の言葉に被せるようにして、しわがれた聞き取りにくい声が反響した。

 まるでやまびこが頭の中で発生しているような感覚だ。


「我を封じようというか、人間ども」


 その問いに、晴明も道満も答えるつもりは無い。

 合掌して、結界の構築を開始する。

 もし龍神が抵抗した場合は、空亡が2人でそれを抑える手はずになっていたが、神は一向に動く気配を見せない。


「知っていたさ。お前たちの企みなど」

「はったりです。耳を貸してはなりません。今は封印に集中を」


 眼前の老婆の口角が持ち上がる。顔の筋肉の限界を超えてまでつり上がった口は、頬が破れても持ち上がり続けた。


「1000年。1000年後に、我の器が現れる。我にとってはほんの一瞬の眠りよ。この結界を寝床に、その時を待っているぞ」


 足元が光り出す。

 眩い閃光がその場を包み込んだ。


連歌れんがとばり百鬼惑乱ひゃっきわくらん神龕しんがんをもって封じる」


 晴明、道満、九大家の面々が、手に力を込める。霊力が帳を下ろして、彼らが紡いだ言葉が鎖となって龍神を捉えた。


「“滅諦めったい封陣ほうじん神龕しんがん”! 」


 大地がわななくように震えて、雲の動きが早くなる。

 小高い山ごと、閃光が龍神を包み込む。

 封印の儀式はもうすぐ完了する。これにて、かの邪神は永遠に眠りにつくのだ。


 だが、赤目の空亡は確かに見ていた。

 顔に張り付いた、冷たくおどろおどろしい、龍神の笑顔を――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る