第88話 背負った友

「なんだ? この結界」


 地面に描かれた巨大な五芒星は白く光っていた。芙蓉はその身に走る奇妙な感覚を知覚していた。


「霊力が、抜けていく? 」


 力が抜けていくような、そんな脱力感を感じながら、芙蓉は霊術を使って拳銃を出現させようとする。


 だが銃は現れない。確かに収納用の霊術でしまったはずだが、取り出すことができなかった。

 葵や朝水に連絡を取ろうと、無線を使おうとするが繋がらない。術による交信を試みても無駄であった。


「阻害されてる、か」


 強力な阻害術と、何らかの方法で封じられた霊力。


 ――晴明と道満って、やっぱり安倍晴明と蘆屋道満のこと、だよな。あの2人だったらこれくらいはできる、のか?


 空亡が呼んだ2人の名前。十中八九、かの有名な伝説の霊術師であった。


「ちっ、とにかく他の奴らを……ん? 朝水か! 」


 木の下で蹲っているのは、彼女の同僚、東雲朝水だ。


 体調が悪いのか呼吸が浅い。


「おい、大丈夫か? 」

「敵、ですか……」


 朝水は薙刀を構えて立ち上がった。

 明らかに芙蓉を敵として認識している。


「道、開けてもらいますよ」

「お、おい! どうしたんだよ! 」


 驚きつつも、芙蓉はすぐさま距離を取った。


 ――幻惑術か? くそっ! 奇妙な術ばかり使いやがって!


 朝水の曇った眼が、彼女が正常な状態では無いことを如実に示していた。


 ――だったら一発ぶん殴って、目覚まさせてやる!


 芙蓉は朝水の薙刀による一撃を躱し、反撃に出た――。


 ***


「芙蓉さん! なんで!? だって、私は! 」


 刺し貫かれた芙蓉の傷口を手で抑えながら、半狂乱になったように朝水は叫び出す。


「幻惑……術だ……お前は、悪く……ゲホッ」

「喋っちゃダメです! 」


 彼女の出血も、口からの吐血も止まる気配は無い。朝水は何度も治癒術を試すが、この結界内では霊術の発動は不可能である。


 芙蓉の脇に手を差し込んで、朝水は体格差の大きい彼女を背負った。


 そしてそのまま走る。


 ――結界の外に出れば、治癒術が使える!


 膝が悲鳴を上げていた。背負うだけでも辛かったが、それに加えて走るという動作をすれば足に負担がかかる。


「悪、かった……腹、蹴っちまって……」

「喋らないでって言ってるじゃないですか! 後で聞きますから、今は大人しくしててください! 」


 芙蓉の声はか細く、糸のように頼りがない。それでも、口から血を吐きながら彼女は続けた。


「多分、、だから……話して、おきたくて……」


 彼女の口から出た、“最期”という言葉に反応して、朝水は声を荒らげる。


「そんな訳無いでしょう!? この私が隣にいて、死ぬなんてこと、あるわけない! 」


 息を切らし、骨が軋んでも彼女は足を止めない。

 だが、いつまで進んでも結界の切れ目が見えてこない。


「どんだけデカイんですか! この結界! 」


 苛立ちを隠せずに彼女は叫んだ。走っても走っても、終わりが見えない。


「お、お前の……オエッ! ハァッ……猿みてぇな、生き方は、嫌いだけど……お前自身は、良い……友達、だったよ」

「喋るなって言ってるでしょ!? ちゃんと治して、後でいくらでも聞きますから! 」


 背中に背負う芙蓉の呼吸は、どんどん浅くなる。

 じきに、ひゅーひゅーと空気が抜けるような呼吸へと変わった。


 視界がぼやけても、朝水は走るのを止めない。度々よろけ、けそうになっても、決して足は止めなかった。


「死なせない……! 私の、前でなんて……! 」

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