第3話 悪代官の妖しい微笑
タレント名鑑に書かれていない情報、というのはかなり多い。
それは螢沢さんにも言えることで、彼が元地方藩主の末裔である事は余程彼について詳細に調べないと知り得ない事だ。
もちろん、私の場合は別である。
好きな人のことは身長も体重も血液型も知りたい。
恋する乙女としては至極真っ当な欲求だと思う……たぶん。
十年以上前に発売された女性誌で、螢沢さんが時代劇俳優としてデビューして間もない頃に受けたインタビュー記事にそれが載っていた。
『世が世ならお殿様!? 時代劇俳優・螢沢玄尚』と。
何でも記事を書いた記者の独自取材によると、彼は二桁を越すうん十代目の跡取りであり、博物館の書物にすら家名が載っているような由緒正しい家柄だそうだ。
そのせいか学歴も華やかで皇族も通う某有名学院の出身であるとか、とにかく華々しい経歴ながら現在ではこの情報を知る人は少ない。
それに、私としてはそんな事はどうでも良いのだ。
私が好きになったのは螢沢さんの血筋や学歴ではなく、彼の芝居に対する姿勢や、終始穏やかな物腰にあるのだから。
ただ、知識として知り理解していたとしても、それを目の当たりにするとは流石に思っていなかった。
……まさか、ここまでとは。
「ひ、広い……!」
「広さだけはね。職業柄練習場所として使えるから、正直助かってるよ」
磨き込まれた板張りの道場の中心で正座した螢沢さんの静かな声が響く。
外は既に夜で、八時を過ぎたところだ。
殺陣練習の約束を交わした私達は、念のため別々にスタジオを出て離れた場所にある個人経営の喫茶店でおち合った。
「ついでに食事も済ませておきましょうか」という螢沢さんの一声でそのまま喫茶店で夕食を食べ(奢っていただきました……!)それから螢沢さんの車に乗り彼の自宅へとやってきたのだ。
最初はなんだかお忍びデートみたいで正直どきどきしていたが、螢沢家に着いた途端、そんな浮かれた気分は一気に霧散した。
初めて訪れた螢沢さんのご実家は、吃驚するぐらい大きなお屋敷だったのだ。
都心から車で一時間半離れた場所にある郊外、小高い丘の上で雑木林を背に古い日本家屋が建っていた。
歴史の古さを物語るくすんだ飴色の数寄屋門に、私はまるで自分がまだスタジオにいるかのような錯覚に陥ったほどだ。
螢沢さんのお家は母屋と離れ、そして二棟の蔵とその隣に道場が連立していた。見事な日本庭園を合わせ、敷地面積を聞くのが馬鹿らしくなるくらいの広大なお屋敷である。
き、記事を読んだから知ってはいたけど……!
なんかここだけ別世界なんですがっ!
「さあ、それでは始めましょうか」
「は、はいっ!」
呆気にとられていたものの、螢沢さんの声で我に返った。
そうだ、今日の私は見学に来たわけではない。
練習、つまりは稽古をつけてもらいにきたのだ。時代劇俳優、螢沢玄尚という大御所俳優に。
建物に圧倒されていた心を引き締め直し、私は竹刀を手に螢沢さんと対峙した。
二人とも既に練習着に着替えている。
私はジャージ姿だが、螢沢さんは剣道の道着だ。何でも本番に合わせ必ず着物で稽古を付けているらしい。
私の場合は忍者装束自体が洋装に似ているので、ジャージで良いでしょうとの事だった。
「葵さんからどうぞ」
「では―――参ります!」
正座から立位へと変えた螢沢さんに促され、私は一歩前に踏み出した。
私の持つ竹刀は通常のものよりかなり短く作られている。これは私オリジナルの練習道具だ。
役である女忍者は常に小刀にて戦闘に望むので、それに合わせている。
だからかなり踏み込まないと相手の懐には入れないし、台本にある殺陣の流れでもそのように設定されている。
私が踏み込むのは螢沢さんの右側、二度度刀をかち合わせてから上に弾き、瞬時に柄を持ち替えちょうど丹田の辺りから右肩にかけて逆袈裟(ぎゃくけさ)に斬り上げるのだ。
「はああっ!」
最初の一歩目で私はぐんっと勢いを付けて螢沢さんに斬りかかった。道場内に竹刀のぶつかるバシッとした音が響く。
順通りでいけば次の二歩目で私は彼の懐に入り、二度目のかち合いの後に柄を持ち替える。
が、再びバシッと竹刀が鳴った瞬間、螢沢さんがにっと口角を上げ、しかしほんの少し眉根を寄せて声を上げた。
「踏み込みが浅いです! もっと思い切りよく!」
「はいっ!」
一刀目から既に螢沢さんに指摘されぐっと腕に力が入る。
私が常日頃から抱いている怯えに気付かれていたのだと察した。
ある意味当たり前である。彼は毎度私の技を受けており、芝居の年数は桁違いなのだ。
幾ら模造刀と言えど金属の塊を振り回す事に対する恐怖は中々消せるものではない。
慣れはしても消えることはないのだ。
特に刀の切っ先など目に当たれば確実に失明してしまう。
そんな凶器を振り回しつつ、斬られたように見せ人混みの中を立ち回るのだ。
殺陣のシーンは芝居の中でも一番緊張感を伴って当たり前なのである。
しかも、相手が螢沢さん―――好きな人ともなれば、傷つけたくない思うのは至極当然のことで。
「葵さん、それでは駄目です。確かに観ている人にはそれなりに映るでしょう。しかし、貴女が目指しているのは『そこ』ではない筈です」
「―――っ!」
バシイ、とひときわ大きな音が響き、私の竹刀が打ち落とされた。
本番にないこれは、私の技を受ける必要が無いと判断した故のものである。
おかげで全てを理解した。
確かに私は一定レベルには達しているのだろう。
殺陣師の先生からも認められる程。
けれどそれは……誰かに感嘆の溜め息を出させるような、目を惹くようなものではない。
単にぎりぎり及第点、というそれだけなのだと。
出演している時代劇の放送回は既に十以上を重ねているというのに、今の今まで気付いていなかった自分に強いショックを受けた。
打ち落とされた竹刀を持っていた手がじんと痺れている。
ぐっと熱いものが瞼の奥から込み上げてくるが、気力を振り絞って耐えた。
これは泣いて良いものではない。
自ら精進し、乗り越えていくものだ。
涙で流して良いものでは決してない。
「貴女が思い切り踏み込んでこれないのは、僕にも責任があるんでしょうね……」
自分のふがいなさに立ち尽くしていると、視界にふっと濃い影がかかった。
低く、それでいて優しい声に顔を上げると、顔の半分に陰のかかった螢沢さんがいつの間にか目の前にいて驚く。
しかも彼はおもむろに、竹刀を持っていない方の手―――左手を、そっと私の頬に添わせた。
肌に直接感じた体温に、全身がびくりと強ばる。
戸惑いながら見つめるも、螢沢さんは楽しげに瞳を煌めかせただけで。
「あ、あのっ……?」
「ふふ。本当に葵さんは素直で可愛いですね。僕を傷つけたくないというその気持ち、こんなにも強く、しかも直接ぶつけられていては、流石にわかるというものです」
「え―――」
道場の扉の隙間から、夜の香気が漂う。
美しい日本庭園に植えられた花の香りだろうか。
月の光が差し込み螢沢さんの顔にあたっている。
整った面には綺麗な、そして壮絶に妖しい微笑が浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます