悪代官に恋をして ~優しい顔には裏がある~

国樹田 樹

第1話 焦がれた人は悪代官

「ええいっ! ならば貴様らの口を封じるまでのこと! であえ! であえ―――っ!」


 ああ……今日もあの人の声がその場に響き渡る。


 重く、低く。


 心地よい艶のある低音。年齢を重ねた渋みがありありと滲み出て。


 蝋燭(ろうそく)の灯る奥座敷から家来や商人と共に荒々しく踏み出してきた彼は、板張りの広縁まで歩みを進めてから声を上げ、ばたばたと駆けつけた他の家来達をけしかける。

 

 そのかけ声を合図に、ラストの見せ場である大立ち回りがまさに今始まった。


 幾つもの白刃がその場を彩り、鋼の草原が現れる。


「貴様の命運もここまでと知れ!」


 白髪の交じる髪を後ろに流し、美しく結われた髷がきりりとした太い眉によく似合う。


 刀の鋭い切っ先を彷彿とさせる怜悧な瞳が、主役である男性を憎々しげに捉えていた。


 くうっ! 渋いっ! 


 今日も渋すぎるっ!


 一斉に斬りかかってくる家来役達を薙ぎ払いながら、私は悶絶どころか七転八倒する心を鋼鉄の精神で堪えていた。


 軽やかに、速やかに。一刀一刀をあの人に教わった通り打ち込みながら、表情にはそれをおくびにも出さず、自らの「役」をこなしていく。


 役、とは勿論お芝居のことだ。


 つまりこれは殺陣(たて)、観客に見せる為の戦闘演技である。しかしだからと言って、集中しないといけないのは同じだが。


 模造刀とはいえ、些細なミスでも大事故に繋がりかねないからだ。


「おのれぇええ!」


 彫りの深い顔立ちのあの人が、その大きな体躯をより大きく見せるように、両腕で刀を振りかぶった瞬間、私に命が飛んだ。


 誰かの剣先に切られた松の葉が、はらりと地面に落ちる。


「成敗っ!」


「は! たああ―――っ!!」


 合図と同時に私は素早く彼を―――手にした小刀で逆袈裟に、ずばっと斬り上げた。


◇◆◇


「あ、ああああのっ! 本日も有り難う御座いました!」


「いえいえ。こちらこそ上手に立ち回って頂いて助かりましたよ」


 ざわざわと後片付けが始まる中、私は起き上がったその人に向け、ばっと頭を下げた。


 すると頭上高くから、くすくすとお腹に響く低い控えめな笑い声が落ちてくる。


 途端、鎖骨辺りから何とも言えない熱が込み上げてきて、私は耳までかっと熱くなった。


 いやああ!

 私の体温調節仕事しろっ! 

 

 こんなんじゃ茹で蛸になるうううっ!

 恥ずかしいいい!


 仮にも役者だというのに、この人の前でだけはどうしても演技ができない。


「葵(あおい)さんの殺陣は本当に綺麗ですね。斬られ役冥利につきますよ」


 下げた顔が粉塵爆発を起こしそうな勢いでヒートアップする私の前で、そうとは知らない彼は賞賛の言葉を贈ってくれた。


 おかげで、余計に顔の熱度が増す。


「そ、そんな、事は……っ! 螢沢(たるさわ)さんが上手に立ち回って下さるおかげですので……!」


 恐る恐る顔を上げながら何とか平静を装い答えを返した。


 名を呼ばれるだけで心臓が口から飛び出そうだ。

 月並みで古いたとえだがまさにそのままの心境である。


 私の名は鳳葵(おおとりあおい)。

 まさかの二文字で名前が完結してしまうが、これが芸名であり本名である。


 年齢二十四歳、役者デビューは十八で養成所を出て直ぐだった。


 以降は時代劇やお昼のドラマの端役などを演じている。


 先程の台詞は勿論謙遜ではない。


 私程度の殺陣技術では、本来ならああも綺麗にばっさりとはいかないのだ。


 タイミングや角度を全て彼が合わせてくれるからこそ、美しく見えているだけなのである。


「葵さんはお若いのに謙虚ですね。僕の若い頃に比べると本当に頭が下がります」


「そんな……」


 ふふふ、と柔らかく微笑む表情に先程までの冷たさは微塵もない。

 あれはお芝居であり、彼の役柄なのだ。


 普段の彼には全く『悪役』らしいところなど無く、温厚篤実(おんこうとくじつ)……そう、穏やかで誠実、そんな言葉が似合う御仁なのである。


 彼の名は螢沢玄尚(たるさわげんしょう)。


 勧善懲悪の時代劇には無くてはならない役どころ『悪代官(ラスボス)』を務める名俳優だ。


 少し薄めの茶色い髪と、同じ色の瞳は奥二重で彫り深いのにどこか優しげ。

 

 物腰は丁寧で柔らかく、それがより一層彼の上品さを際立たせている。

 目尻にある薄い皺は、今は書き足されて深く濃くなっていた。


 螢沢さんは年齢は三十八歳と若いものの、衣装とメーキャップで変身を遂げればお見事、イケ渋悪代官へと変身してしまうすごい人だ。


 もちろん見た目だけではなく、それは彼の演技力あってのものなのだが。


 本人曰く「老け顔なので…」との事だが、その実歳にはそぐわない威厳と実力故だと周囲は(私含め)思っている。


 つまり、役柄は悪役だが本来はもの凄く渋くて上品で格好良い人なのだ。

 この螢沢玄尚という人は。


 演技は上手いわ格好良いわ渋いわ人柄良いわってミスターパーフェクトですよ螢沢さん!


「おい葵。お前玄兄(げんにい)に媚びる暇があんなら、あの酷い殺陣どうにかしろよ」


「……高遠(たかとお)さん」


 滾る心をどうにか顔には出さず耐えていたら突然、目の前に女優さんばりに綺麗な顔と長い髪が広がった。


 流れる黒髪がライトに照らされ輝いている。


 私よりもきめ細かな肌と涼しげな目に予告なく上から覗き込まれて、思わず背中がのけ反った。


 それが不満だったのか、端正な顔は途端にぎゅっと眉根を寄せ顰めっ面を浮かべた。どうやら私の反応がお気に召さなかったらしい。


「毎度毎度、踏み込みが浅いんだよ。玄兄が合わせなきゃ、お前の殺陣なんて見れたもんじゃねえぞ」


「すみません……」


 仏頂面した女顔の男は、機嫌の悪さを隠しもせずに目を細め意地悪く言い放つ。


 私は役の名残もあってか(性分もだが)ただ頭を下げるしか出来なかった。

 何しろ自分は此奴の命令に絶対服従の役柄、女忍者なのだ。


 この会話の途中で無遠慮にも顔ごとずいっと割り込んできたのは、たった今撮影が終わった時代劇『華の清之介お江戸事件帖」』主役である高遠理人(たかとおりひと)さんだ。


 元はメンズ雑誌のイケメンコンテストからモデルとしてデビューしたが、とあるCMで演じた侍役で人気を博し、この度晴れてお昼の時代劇にて主役に抜擢された。


 ある意味かなりの大出世だ。

 が、そこにはやはり裏というか、背景がありまして……


「こら理人、葵さんにその言い方は何だ」


「玄兄」


「あ、っいいえ螢沢さん、本当のことなので……っ」


「駄目だよ葵さん。理人をつけ上がらせちゃ」


「何だよソレ」


 急に至近距離で怒られて戸惑っていると、螢沢さんがすかさず高遠さんに注意してくれた。


 高遠さんはむっとした顔をしていたが、おかげで私はアップになっていた高遠さんの顔が離れて内心ほっとする。


 世間ではイケメンと言われているが、どうも私はこの人が苦手だ。


 好きな人の血縁者だというのに、あまり良い印象がない。

 毎回こうやって突っかかってくるし。


 ……叔父の螢沢さんはこんなにイケ渋紳士なのに!


 そうなのだ。


 現在売り出し中の高遠理人は、時代劇俳優である螢沢玄尚さんの甥っ子だったりするのである。


 しかも高遠さんは殺陣の経験者。時代劇に対する地盤があったからこそ、今回彼が抜擢されたのだと監督も口にしていた。


 剣劇は経験があるかないかで評価に大きく差が出てしまうからだろう。


 同じ売り出し中の人なら、少しでも経験のある方が現場としても有り難いのだ。

 

 にしても、螢沢さんの妹さんは十六歳にして彼を産んだそうで……彼が若くして叔父さんになったのはそれが理由らしい。


 現在二十四歳の私としては、正直異次元の世界である。


 おっと話を戻そう。


 螢沢さんは話のラスボス悪代官。

 そして高遠さんは主役の辰巳清之介という役どころで、私は先に言った通り主役清之介に仕える女忍者という配役だ。


 そして勿論、全員に殺陣のシーンがある。


 確かに私の殺陣の技術は螢沢さんに比べればてんで駄目だ。


 が、しかし、この高遠さんよりは大分マシだと断言出来る。

 だって同じ殺陣師の先生がそう言ってるし。


 だから本音では「うるせえええ! お前に言われたくねええんだよおおお!」なのだが、そこはやはり好きな人(螢沢さん)の手前、良い子ぶりっこしたいのが女というものだ。


「理人。葵さんを呼び捨てにするな。それに、現場では僕のことは名字で呼べと言っただろう。お前こそいつまで経っても立ち回りが上手くいかないじゃないか。斬られ役の皆さんにご迷惑をおかけして。先程の釜石君との斬り合いも右からだったのに左から斬り込んだだろう。ああいうのは怪我することに繋がるからやるなと常々―――」


「う……な、なあ玄兄、なにもこんなところで説教垂れなくても……!」


「説教とは何だ。そもそもお前は共演者である葵さんに対して失礼が過ぎる。いくら同じ事務所の後輩だからってこの世界いつ抜かれるかなんて誰にもわからないんだからな」


「げえええ~…」


 私が内心で反論していたら、既に螢沢さんがお説教モードに突入していた。

 

 豪華な悪代官のキンピカ衣装そのままで腕組みして懇々と教えを説いている。


 それがまた格好良……って本当は私も楽屋で着替えなきゃいけないんだけど、そっちのけでついつい見入ってしまった。

 

 螢沢さん、主役に笑顔で怒ってるのが死ぬほど格好良いです。

 背中からドス黒いオーラが出ているせいか、スタッフも全員触らぬ神に祟り無しとばかりに華麗にスルーして作業を進めています。


 笑顔で激オコの悪代官最高です。

 怒られてる主役はどうでも良いです。


「てめぇ葵、主役の俺が怒られてんのに何ニヤついてやがんだ……っ」


「え? は、はい!?」


 ぽーっと螢沢さんに見とれていたら、高遠さんに怒られた。

 なぜバレたし。


 しかし再び、私の前に螢沢さんが立ちはだかり、高遠さんの不機嫌顔から私を守ってくれる。


 広い背中が眼福です。

 叶うなら抱きつきたいけど変態になるので自重します。


「理人? いい加減にしなさいね? 葵さんを呼び捨てにするのも、そうやって子供のように突っかかるのも」


「ぐ……」


 にこにこにこ。


 笑顔の螢沢さんが少し小首を傾げて高遠さんに問いかける。


 その仕草を可愛い!と後ろから眺めていたら、螢沢さん越しに高遠さんにぎん! と睨まれた。


 へーんだ!

 螢沢さんの睨みの演技に比べたら、全然恐くないやい!

 

 螢沢さんの睨みはまさに、肉食獣かもしくは蛇に睨まれた時のように身体も心も竦んでしまう。

 たとえ演技とはいえあれを見ていたら、若造の睨みなどへでも無くなる。


 が、余裕こいていた私に沸点の限界値が超えたのか、高遠さんは白目と頬を赤くして、般若の如き形相を浮かべていた。


 これには流石に私もビビる。

 美人の怒り顔は迫力なのだ。


 ちょ、一応イケメンとか言われてるくせに!

 面影も無いよーっ!


 キレたヤンキーにしか見えないよーっ!


「~~~っ次に下手な殺陣見せたら許さないからな!」


「は、はい!」


 赤ら顔で私に捨て台詞(主役なのに悪役みたいだ)を残し、高遠さんは足早に自分の楽屋へと帰って行った。


 一応反射で返事をしたものの、彼は聞くつもりは無かったようだ。


 芝居で嫌がらせをするような人ではない(そんな事したら螢沢さんに本気で怒られるだろうし)ので、あまり心配はしていないけれど、普段の突っかかり方とは少し違ったのでそれは微妙に気になった。


 まあ、若いから苛々してる時もあるのだろう。


「やれやれ……あの子は本当に、いつまで経っても子供なんですから」


「あ、あはは」


 と、後には困った顔で私に笑いかけてくれる螢沢さんと、私が現場に残されたのだった。

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