第8話 疑心暗鬼

 部屋へと駆けこんだ僕が見たもの。それは、両手に血だらけのナイフを握りしめて、返り血を浴びて立ち尽くすモニカさんの姿と、泣きじゃくるマリアに抱きかかえられ、血に染まり虫の息のソフィア先生だった。


「何があったんだ! マリア」


 僕はマリアに声をかけるが、マリアはただ泣きじゃくるだけで、らちが明かない。


「マリア、しっかりしろ! ソフィア先生を殺す気か!」


 マリアの頬をパチパチと軽く叩くと、ハッとした顔でようやく僕と目があった。


「先生があの女にナイフで刺されたの。ああ、血がこんなに。どうしましょう。先生が死んじゃう!」


「大丈夫だから、落ち着いて!」


 僕はマリアの手を握ると、彼女にヒーリングをかける。そして、その手に清潔な布を握らせ、刺された先生のお腹へと導いた。


「ほら僕が側にいるから、落ち着いて。このまま、君の魔力を先生に」


 マリアの魔力量ではヒールは難しいが、だが今回はその方がいい。癒しの力を注ぐだけでも延命治療になるだろうから。

 ヒーリングで落ち着いたマリアはコクリと頷くと、深呼吸を一つしてから、柔らかい癒しの光を浴びせかけた。


「そうだ。いいだ。そのまま、ハーマン先生が来るまで頑張っていてね」


 あのナイフで刺されたとなると、内臓まで傷ついているはずだから、下手にポーションは使えない。ちゃんと知識のある医者に任せた方が良いからだ。だが、それまでに応急処置は大事である。マリアが光属性で本当に助かった。


 そうこうしていると、ハーマン先生が息せき切ってやって来た。シャワーを使っていたのだろうか、髪が濡れている。だが、流石に医者だ。状況を即座に判断して、マリアから引き継ぐと、急いでソフィア先生の治療にかかった。


 マリアは自分の魔力量を全て使い尽くし、へなへなになってへたり込んでしまった。だが今回、枯渇するまで使った事で、この後、魔力量が増え、もしかしたらヒールを使えるようになるかもしれない。但し、しばらくは寝込むだろうけれど。


 ソフィア先生は大丈夫そうだ。僕はナイフを握りしめた状態で呆然と立ち尽くすモニカさんの方へと向かった。すると彼女は両手に持っていたナイフを僕の方に向けてきた。

 

「来ないで! 傷つけるつもりなんてなかったの! それ以上近づいたら、このナイフで私は命を断ちます」


 モニカはナイフを自分の首の方へと持っていく。首に当てたナイフで、自分の首に傷がついて少し血が滲んだ。


「待って! 落ち着いて! それで何があったの? なんでこうなったの?」


「違う! 違う! 私じゃない。私は奥様を殺してなんてない!」


 モニカは首を大きく振る。その為に力が入った事で自分の首に当てたナイフがまた傷を大きくしてしまったようだ。


「ダメだ! ナイフを捨てるんだ! 解ってるよ、君じゃない事は。だから落ち着くんだ」


 僕は必死でモニカさんを落ち着かせようとするが、ソフィア先生を刺してしまった事でかなり動揺しているようだ。


「ウソ! よそ者のあなたに何が分かるって言うの!」


「ウソじゃない。解るんだ! ウソを見抜く力、それが僕のスキルだからね」


 まぁ、この際だ、嘘も方便って事で。


「でもでも、皆は私だと思っているわ! 本当に私は、奥様が大好きだったの! だから掛け替えのない大切なお方を殺すなんて、そんな事、絶対に有り得ない! なのに、なのに……」


 モニカさんは、涙をポロポロと流しながら、自分に向けて握りしめたナイフを大きく振りかぶった。


「レテーネ様、今、お側に参ります」


 そう叫ぶと、自分の喉へとナイフを突き立てた。



 ◇◇◇



 僕がモニカさんと対峙している時、事件を聞いて主人や執事たちが部屋にやって来たようだ。


 執事は血まみれのソフィア先生を見つけると、今までの冷静沈着な執事然とした態度は一変する。


「ソフィア! ソフィア! ああ、先生、ソフィアは大丈夫なんでしょうね。お願いです。彼女を助けてください。どうか、どうか。愛しているんです。私は彼女無しでは……ああ……ソフィア!」


 相当に狼狽えだしたのを、「おい。バルド、五月蠅い! 静かにしろ!」と、ハーマン先生に一喝されてしまったようだ。それからしばらくして。


「もう、大丈夫だ。彼女の側にいてやれ」


 ホッとしたように、ハーマン先生は大きく息を吐いた。


 そして一命を取り止めた彼女が意識を取り戻すと、執事のバルドさんは彼女の傍らに来て手をギュッと握りしめる。


「生きてる……。ほんと良かった!」と、涙目でそう言うバルドさんの手をソフィア先生が握り返し、にっこりと微笑んでいる。


 執事のバルドさんは、実はソフィア先生とは密かな恋仲なのだそうで、二人は手紙のやり取りで愛を育んでいたらしい。今回の事で、それが皆に知られる事になってしまった。


 ソフィア先生の無事を確認し、その場に居た者全員が安堵の溜息をついた。


 そして、主人は僕が拘束しているモニカさんに向かって声をかける。


「モニカ。ソフィア先生は命を取りとめたぞ」


 実は、あの時、僕がモニカさんをなだめている隙に、ハルさんにはモニカさんの後ろへ廻ってもらっていた。そしてナイフを自分の首へと突き立てる瞬間に腕に噛みついてもらったのだ。

 彼女は驚いてナイフを取り落すと同時に、僕が飛び込んで行って彼女を拘束した。


 僕とハルさんの連携プレイで難を逃れたってわけだ。


 ◇◇◇


 しばらくしてソフィア先生の容態も落ち着いたのを見て、彼女たちに事の経緯を聞くことになった。


 マリアがまず話し始めた。


「あのひとにお母様のドレスを返して貰おうとソフィア先生と二人で彼女の部屋に行ったんです。あのドレスはお母様の大事な思い出の品なんです。だから……」


 だが、上手く話し合いは進まず、言い争いになってしまったのだそうだ。


「あのひとはお父様が了解してくれたのだから、これは私のものになったと頑なに聞いてくれません。私には他に沢山形見の品はあるでしょう。と、そう言うので……」


 最近、お母様のお部屋から宝石やら小物類が頻繁に無くなる事が多々あって。その事をマリアはソフィア先生に相談していたらしい。そこで、その犯人はあなたでしょうとソフィア先生がモニカに詰め寄ったらしいのだ。するとモニカが――――。


「何を言ってるのか分かりませんわ。それより、私を殺そうとしてるのは、あなたなんでしょう! 今日も私に鉢を落とせる犯人はあなたしかいませんものね。私を亡き者にしたうえで、まさか旦那様の後妻に収まろうと……。まさか、まさか、あなたが奥様をも……」


 あの時、僕ら三人は一緒にいたので、流石に犯人ではないだろうと踏んだらしい。

 そこでモニカは館の中や庭を見て回ったようだ。ノッカー場にはパオル夫妻とハーマン先生の三人を目撃したが、ソフィア先生だけは庭にいなかった事で、彼女が犯人だと思い込んでしまったようだ。


 それにモニカはソフィア先生には奥様を毒殺したのは自分だと勘ぐられているとの思い込みもあって、それが間違った確信に変わった。


「私が悪いのです!」

ソフィア先生が口を開く。

「売り言葉に買い言葉で。奥様だけでなく、マリアお嬢様をも殺そうとしたのはあなたなんでしょうと、モニカ奥様に詰め寄ってしまって」


 そこで、理性を失い乱心したモニカが近くに置いてあった果物ナイフを振り回して、そしてマリアをかばおうとし、突き飛ばしたはずみでソフィア先生が刺されてしまった。


 ◇◇◇


 お互いに「疑心暗鬼を生ず」だった事で、糸はもつれて最悪な方向に向かう事になったわけだが、なんとかそれは回避できたようだ。


 だが、僕は少し気になった事があって、自室に軟禁されているモニカさんに会いに行く事にした。


 モニカさんはハーマン先生の誠心誠意のケアのお陰で何とか落ち着きを取り戻しているようだった。


「ところで、どうしてマリアにドレスを返さなかったのですか?」


 マリアにとって母親の形見として大事に思っている事はモニカさんも知っていたはずだ。そこまでモニカさんがドレスに固執する意味が解らなかったのだ。

 すると、意外な答えが返ってきた。


「実は、あのエメラルド・グリーンのドレスは何か良くない感じがしていました。それで、奥様にあまり着ない方がいいとお伝えしていたのですが、でもそれは私の感と言うだけでしたので……。


『モニカは本当に心配症ですね。このドレスを着るのは商会の宣伝の為ですよ。それは旦那様のお役に立てる事になるのですから』と、頻繁に着て出かけられておられました。


 ですが、奥様は徐々に体調を崩されていって……」


 奥様が亡くなると、モニカさんはあのドレスへの不信感がどんどん募っていったようだ。あのドレスは呪われている。万が一、あのドレスをお嬢様が身に着けてしまって、大切なお嬢様もまた奥様と同じ病になるのではないか? と。


 そこで、それなら、取り上げて隠しておく事をモニカさんは選択した。


 嫌われ憎まれても、どんな事があっても、このドレスだけはお嬢様には着せられないと、モニカさんはそう心に決めたそうだ。


 それを聞いて、モニカさんの感はすごいと脱帽してしまった。素直にその事をマリアに伝えれば良かったのに。それならあそこまで嫌われるような事はなかったのでは? とそう言ったところ……。


 自分の立場で、旦那様や、ましてや商会への不信と思われるような事など、口には出来ませんからと。そして最後に震える声で絞り出すように続けた。


「私はもう、誰も愛せないし、愛されなくていい。失う事の辛さを二度と味わいたくない。もう耐えられないのです」


 モニカさんの瞳から大きな涙が零れ落ちた。

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