第5話 ベルとうさまの想い

「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」


リビングへ向かうとそこには既にベルナール様がいた。エプロンを身に着けながらキッチンに立っている推しの姿に寝ぼけていた私の頭は一気に覚醒する。流石、ベル様。エプロン姿もとても素敵。やばい、刺激強すぎて鼻血でそう。叫びだしたい気持ちを必死に抑えながら、私は笑顔で挨拶をする。


「おはようございます。ベルナール様。はい。ぐっすり眠れました」

「…そうですか。それはよかった。朝食の用意ができましたので、一緒に食べましょう」

「はい!」


今日の朝食はベーコンエッグとパンだった。こんがりと焼けたベーコンに程よくとろける卵。きつね色に焼けた食パンはサクサクで、熱で溶けたバターの香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。しばらく冷えてぱさぱさの丸パンを牛乳で流し込む生活をしていたので、あったかくて美味しい食事を朝から食べられることに物凄い幸せを感じた。


「さて、これからの日程ですが…」


朝食がひと段落したところで、ベルナール様は今日の日程について説明を始めた。


「私もシルヴァも平日は王宮で仕事がるので王宮にいかなければなりません。この家には私たち二人だけしか住んでいないため、このままだとアデルが一人で留守をすることになります。しかし、幼い貴方を一人にするわけにはいきません」

「はい」


精神年齢は既に成人してるとはいえ、身体は幼児な私は根本的に一人で生活をするのは難しい。何をするにも身長も力も足りないので上手くいかないし、大惨事になってしまう。そのため留守をさせられないという意見には大いに賛成だ。


「そこで、アデルには私たちと共に平日は王宮で過ごしていただきたいのです」

「王宮でですか?」


てっきり託児所的なところに預けられるだろうと思っていた私は、想定外の言葉に拍子抜けした。王宮って私なんかが過ごしても許されるところなのだろうか。


「ええ。実はシルヴァがお仕えしているこの国の第一王子であるロレシオ殿下が、学友を探していらっしゃるのです。アデルにはその学友になってもらいたいと思います」

「ロレシオ殿下の学友…?」


ロレシオ殿下といえば、シルヴァ様が護衛を務めている王子で、ベルナール様が文官として教育をしているお方だ。


「勿論、強制ではありません。それが嫌であれば別の方法で過ごしてもらうことはできます。ただ、殿下は色々と複雑なお立場におり、気軽に話せる友人がいないのです。アデルとは年が近いですし、いい関係が気づけそうな気がしてまして。一度、殿下に会っていただけますか?その後、貴方さえよければ殿下と共に勉強をしてください」

「わかりました。お会いしてみようと思います」


これはチャンスだ。シルヴァ様の死因は王位継承争い。王子に近づけば、何かそれを防ぐためのヒントが得られるかもしれない。それに、王宮で働くシルヴァ様とベル様の姿見れるなんて最高すぎる。ファンとしてこのチャンスは絶対に逃がせない。


「では早速準備をしましょうか。服は既に用意してあります。私の妹のお下がりで申し訳ないのですが、急なことだったので許してください。後で一緒に服を買いに行きましょう」


そういえばベルナール様には年の離れた妹がいたんだっけ。だから子供の面倒を見るのに慣れているのか。服も妹さんのだったんだ。確かに、この子供用のパジャマとか一体どこで用意したんだろうとは思っていたけど妹さんのお下がりなら頷ける。


「いえ、とんでもないです。このままお下がりで問題ありません」

「…遠慮なんていらないんですよ、ソフィア。せっかく念願の娘ができたんですから。愛娘を着飾る楽しみを私に下さい」

「ベルナール様…」


優しい。こんな下級騎士の娘に対して、そんな風に言ってくださるなんて。いい人すぎる。てか聞いた?!私のこと愛娘って言ってくれたよ?!嬉しすぎるんだけど!嬉しすぎて私の心臓破裂しそうなんだけど!


「私達はもう家族なんですから。急なことですし、すぐに私たちを父親として受け入れろとは言いません。でも、徐々に私達をもう二人の父親として頼ってくれると嬉しいです」

「はい!」


そうだよね。ベルナール様は本気で私を娘として引き取ってくれたんだもの。いつもでも私が他人行儀だと悲しいよね。いや、遠慮してるとかではなく推しと話しているという現実が恐れ多いだけなんだけどね。早くこの環境になれるようにしないと。


「ふふ、まずは呼び方からですね。流石にベルナール様と呼ばれるのは悲しいです」


あ、そっか。娘に様付で呼ばれるのはちょっと距離がありすぎるか。えーっと、ベル様でもなく、…ベルさんもちょっと違うし…


「…ベルとうさま?」

「っ!…いいですね、その響き。ぜひそう呼んでください」


満面の笑みでそう言われ、私は大きく頷いた。少し照れくさいけれど、推しが喜んでくれるなら羞恥など捨てられる。


「では、早速着替えましょうか。アデル、服は自分で脱げますか?」

「…え?」


…しまった!今の自分が幼女であることを忘れていた!


子どもの着替えを手伝うのは大人からしたら当たり前のことだし、そこに疾しい気持ちなど一切ないのは分かっているけど、推しの前で下着姿になるのは流石に恥ずかしすぎる!


「…あの、私、自分でできます。手伝ってもらわなくて大丈夫です」

「言ったでしょう?遠慮はいりませんよ。それに、この服は後ろにチャックが着いていて持ち上げるのが難しいんです。古いせいでチャックも少々硬いですし、アデルには少し難しいと思います」


あ、ダメだこれ。気を遣って遠慮してると思われてる。何が何でも着替えを手伝うつもりだベルとうさま。


私は覚悟を決めた。ベルとうさまに手伝ってもらいながら着替えることにした。まだ下着がついていたのが幸いだったと思う。ワンピース型の服だったこともあり、私はさっと脱いでそれを物凄い勢いで被った。ベルとうさまはそんな私を微笑ましそうに見ながら、チャックを閉める手伝いをしてくれた。


無事に着替え終わった私はほっと息をつく。


「うん。よく似合ってますよ、アデル。さてと、私も着替えを済ませてきます。少しここで待っていてください」

「はい!」


寝室へ戻っていったベルとうさまを見送りながら、私はとあることに気づく。


…この様子だとお風呂も一緒だよね?!どうしよう!?


昨日は疲れすぎて体力の限界だったので、ベルとうさまから濡れタオルをもらって体を軽く拭く程度で済ませてしまった。しかし、流石にずっとそのままで済ませるわけにはいかない。


面倒見のいいベルとうさまのことだ。絶対に幼女一人でお風呂に入れさせはしないだろう。


ようやく父親の前で裸になることに慣れたところなのに、推しに裸を見せるとかムリ…恥ずかしさで死ねる…。


ああどうしようと一人で悶えていると、いつ間にか準備を済ませたベルとうさまが部屋に戻ってきた。


「お待たせしました。…アデル?大丈夫ですか?もしかしてどこか具合でも悪い?」


その声に私はハッとして、顔を上げる。


「いえ!大丈夫です!床の木目を数えていただけです!」

「…床の木目、ですか?(…アデルにとってはそれが楽しいのでしょうか。小さい子どもの視点は独特で偶に分からないことがありますね)それは面白そう?ですね」


…いや、なんだよ床の木目を数えるって、もっと良い言い訳あるだろ自分。てか、ベルとうさま、不思議な顔で同情しなくていいんだよ。絶対、面白そうなんて思ってないよね。


「あははは。…それよりもベルとうさま、今日もとってもカッコいいですね!」


ベルとうさまの服は執務官の制服だ。緑色をベースに金糸で装飾の入った中世ヨーロッパ風の紳士服を違和感もなく着こなしている。流石私の推しだ。


私の言葉にベルとうさまは嬉しそうに微笑んだ。


「ふふ、ありがとうございます。…娘にかっこいいと言ってもらえるのは、こんなに嬉しいものなのですね」


感慨深そうにそう呟いたベルとうさまに私は首をかしげる。


「ずっと憧れていたんです。こうして娘と過ごすことに。私達は男同士のペアですから子供は望めません。だからこういう生活とは無縁だと思って生きてきたんです。子供がいるという一般的な幸せは手に入らないと諦めていました。…だからアデル、貴方が私たちの元に来てくれて本当に嬉しいんです。私達に子供がいるという幸せをくれて、ありがとうございます」


今にも泣きそうな顔でそう告げるベルとうさまに、私はたまらなくなりぎゅっと抱き着いた。そんな私をベルとうさまはしっかりと抱き留めてくれる。ベルとうさまの温もりを感じながら、私は原作を思い出していた。


ベルとうさまは自分が男であることに複雑な感情を抱いている。特に男同士のカップルであるがために子供を望めないということに非常に憂いていた。ベルとうさまが子供好きなのはもちろんあるが、それ以上にシルヴァ様に子供を抱く幸せをあげたいというのが一番大きかったようだ。シルヴァ様は兄弟がおらず、家族は父親だけで一般的な温かい家庭というものを知らない。だから、温かい家庭というものに強い憧れがあった。勿論、シルヴァ様はベルとうさまに子供が欲しいと言ったことはない。だが、シルヴァ様と付き合いの長いベルとうさまだからこそ、そういった部分を感じ取っていたのだと思う。だからこそ、ベルとうさまにとって養子に引き取った娘の存在は心の救いだったんじゃないだろうか。


「ベルとうさまこそ、わたしのとうさまになってくれてありがとうございます。わたし、ベル様とシルヴァ様がお父さんになってくれてすごくうれしいです。…おふたりがいなければわたし、今ごろお父さんを失った悲しみでこうして笑って過ごすことなんてできていないと思います。だから、ありがとうございます」


私の言葉にベルとうさまは優しい表情を浮かべながら頷いた。そんなベルとうさまを見て、絶対に二人を幸せにして見せようと、私は心の中で密かに誓うのだった。

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