第13話
「んあー敗けたあ!」
「くっくくく」
スマホを机に放りだし、ムシロは前のめりに突っ伏し、机に張り付いた南米に生息するカエルのようになった。
「……なんか言いかけたよね? ムシロ」
「え? ……ああ、そうそう。あっち覚えてないんだけどさ、あれって本当に羽根女が何時来を殺したん?」
エクボの胸の中心が、激しく打った。
まさかムシロが自分に対してそんなことを聞いてくるとは……。
「なんで私にそんなことを聞くの……、ムシロ」
「エクボのそのテンション、本当にこえーわ。
だってさ、あっちと何時来はあの時同じ場所にいたんだよ。なのになんで何時来だけがグラウンドで死んでんだよ」
エクボは、トイレ飯の『なぜグラウンドで死んでいたのかの説明がつかない』という言葉を浮かべながら、「さあ……」と答えた。
「エクボには悪いけどさ、何時来はああ見えてもあっちの友達だったんだよね。警察に捕まったり大変なこともやったらあったけどさー……、あっちの中ではなんかまだ終わってないっていうか」
ムシロの目は寂しそうだった。寂しそうなのに、なぜか乾いた瞳をしていて、それが余計に亡くした者への想いが見え隠れしている。
「ムシロ……」
――そうだよね。友達が死んじゃったら寂しいもんね……。
ムシロの一言に、エクボは急に現実へ引き戻されたような気がした。エクボとムシロの間で、確実に事件に対する目線が違ったのだ。
なんとなく落ち着いて来たら忘れようとするエクボと、当事者で友達を亡くしたムシロ。
落ち着いて考えてみれば当然のことなのかもしれない。エクボはそれに今更気付いてしまった。
「何時来を殺した奴……、絶対許せねー! って思ってたけど、勝手に自殺してちゃんちゃん、って、なんかすっきりしないっての」
「……」
かける言葉が見つからず、エクボは黙ってしまった。自分勝手に事件を忘れようとした自分が情けなくもなったのだ。
「あ、私……、ちょっと調べてみよ……っかな」
ムシロがエクボに向き、「どうやって?」と聞いた。
「これで……」
タブレットを出すと、気味悪く笑った。
「タブレットでなんか分かんの?」
率直な感想をぶつけるムシロに、エクボはもう一度笑うと「多分……ね」、そう言って立ち上がる。
「ってエクボ! どこ行くんだよ、まだ昼休み始まったとこだろー」
「ちょっと、お弁当―!」
ムシロの声を背中で聞きながら、エクボは【怪談トイレ】へと向かうのだった――。
「よお、久しぶりだな」
当然のように当然に、トイレ飯はいた。
「……久しぶりです」
隣の便座に座るが、2週間ぶりのエクボは話すことに迷った。あれを話そう、これを話そう、いや、それかな……。と、思考が左耳から頭をぐるりと一周し、右耳から抜けてゆく。
「あの、ごめんなさい」
「なんだ? なぜ謝る」
「なんか、ずっと来なくて……」
「ん、別に気にしてないぞ。元々俺はいつも独りだ」
「もうお弁当食べました?」
「今まさに食ってるところだ」
「あの……私の今日のおかず、しょうが焼きなんですよね」
「……豚か」
「はい、豚です」
ドンドンドン! とトイレ飯の個室から興奮げに壁を叩かれた。
「ひゃう!」
驚いたエクボは慌てて、上からしょうが焼きを献上した。
「豚のしょうが焼き……、なんて罪な食べ物なんだ。これを開発した人間は、神となり新しい秩序を作ればいい」
「そんな大袈裟な……」
「ん、お前、食べ物を安く見ているな? よし、俺がその考えを改めさせてやろう。
いいか? 人間にとって食べるということは、生きるためだけではなく、幸福感を得るために大事なアクションなんだ」
エクボはブロッコリーを口に入れると、(なんかめんどくさい話になってきたな……)と内心思った。
「人にとって、食物を摂取するというのは、幸福中枢を刺激し、幸せな気分になる。馬鹿にするかもしれんが、この幸福感というのは実に重要なんだぞ」
「はあ……」
「人は、幸福感を感じるとネガティブなマインドを持たなくなる。現状に満足しているからだ。
だが、食べることによる幸福感が得られないとしよう。その場合、人間はどれだけ愚かしくなるか……」
「あの、まだ続きます?」
「なんだ、もっと聞け」
「あ、いえ……、その、お昼休みが終わってしまうので……」
トイレ飯は「そうか」とだけ言うと、とても残念そうな空気を漂わせながら無言になった。
「うまうま」
「……で、なにが聞きたい。しょうが焼きを貰った礼で奮発してやろう」
「じゃあ、あの……」
「なんでもいえ」
本当なら、ムシロのためにあの事件について、トイレ飯なりに思っていることを聞きたいと思ったが、その時のエクボはついつい魔が差してしまった。
「あなたは、誰なんですか」
「……」
止まった。エクボはすぐに「録路高校の生徒なんですか?」と続ける。
「お前に選ばせてやる」
「へ?」
「俺が誰だか聞いて、もう二度と会えなくなるか。それとも、聞かずにこれまでの付き合いを続けるか」
エクボは慌てた。トイレ飯と会えなくなるだなんて考えてもいなかったからである。
正直、普段の生活に於いてはいてもいなくとも困らないが、怪談トイレに昼休みの間だけいるトイレ飯という存在を知っているのは、きっと自分だけだ。
その秘密を無くすことが、エクボには何故か恐怖であった。
「2週間以上も会ってなくて、よく悩めるな」
「あ……! じゃ、じゃあ、さっきの質問なしで!」
「……懸命だな」
一度止まった箸の音が、また鳴り始めエクボはほっと胸を撫で下ろした。
「ま、仮に前者を選んだとしても、教えなかったがな」
そう言って少しだけ鼻を鳴らすと、トイレ飯は顔を見なくとも声でわかるほど、ドヤ顔(の雰囲気)をした。
「じゃあ……、じゃあ質問変えます!」
「うむ」
「トイレ飯は、あの事件……解決したと思いますか」
トイレ飯は少し考えているように間を開けると、「どうでもいい話かと思っていたが……」、そう切り出した。
「事件はまだ終わっていない」
その言葉に、エクボは踵から背筋にかけて悪寒と寒気が駆け上がってくるのを感じた。
その寒気は、エクボの腕や足に鳥肌を作る。その理由は、まさしくトイレ飯が放った「事件は終わっていない」という発言からだった。
「え……、だって羽根塚先生は……」
「あれは犯人じゃない。少なくとも人は殺していない」
エクボはトイレ飯が前に言った、「注射したのは羽根塚だろうな」と言う言葉を思い出す。
「でも! 警察は一応これで解決したって……」
「どう思うかって聞いておいて、俺の意見に反論するとは、相変わらずスキル高いな。急にそんなこと聞いてくるっていうこと、解放された友達にでも言われたか」
「え……!」
トイレ飯は、「図星か」と一言言うと、1つ咳払いをする。
「それともう一つ。お前も納得してないんだろ?」
エクボが無理矢理この事件を風化させようとした心を、トイレ飯の一言が粉々に破壊した。
覚えておかないほうがいいこと。忘れたほうがいいこと。知っている人間の死を、そんな都合の良い言い分で薄れさせようとしたのだ。
「しかし、俺には関係のない話だ」
「……」
隣の個室が開き、目の前を歩く気配と足音。丁度、エクボの目の前で気配は立ち止ると、トイレ飯は言った。
「お前が俺を巻き込みさえしなければ、な」
「!? トイレ飯……」
すぐに扉を開けて飛び出すが、誰もいない。隣の個室ももぬけの殻だった。
「エクボー!」
恐らくトイレ飯と入れ違いでムシロがやってきた。
「な、なんでこんなとこにいんだよ」
信じられない、といった様子で引きつった笑いをしてみせるムシロに、エクボは尋ねる。
「トイレ飯……あ、いや、今誰かとすれ違ったよね」
このタイミングなら間違いなくムシロは、トイレ飯と鉢合わせしているはず。トイレ飯がどんな人物なのかを聞こうと、エクボはムシロの返事を待った。
「誰かと? 誰ともすれ違ってねーって。……はっ! ちょっとやめろよエクボ!」
エクボがオバケの類を示唆しているのだと勘違いしたムシロは、アイスの冷凍庫に迷い込んだハムスターのように震えた。
「えっ!? 誰ともって、男の人って言うか……」
「ちょっと! マジでやめろって! 怒るよ!」
ムシロの顔は、本気と書いてマジだった。蒼白な顔色と、泳ぐ目。恐怖に震えている彼女が嘘をついているとは到底思えない。
「会ってないなんて……信じられない」
事件も分からないことばかりだが、一番分からないのはトイレ飯の存在である……と、この時初めてエクボは思うのであった。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、二人は急いで教室へと帰るが、エクボの脳裏にだけはすっきりとしないモヤだけが纏わりついていた。
高高田 損は、エリート中のエリートだ。
なぜならば、前代未聞の技術部と化学部を兼任するという離れ業をやってのけるからである。
「奏寺 何時来……」
人知れず呟くのは、何時来の名前だった。そして、スマホを取り出すと何時来の画像を表示させ、ため息を吐く。
「まさか……、死んじゃうなんて。あんまりだ」
高高田はもう泣き疲れて涙も出なかった。
その表情からして、死んだ何時来となんらかの関係があったと見て取れる。
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