アーモンドフィッシュ、空を飛ぶ

杉林重工

第一部

 本能寺みつぐは奇跡的な頭の悪さを誇る女子高生である。それを彼女の友人、矢島七菜香はとてもよく知っている。


「ねえ、テストで百点取りたいから協力して」


 高校一年生の時、最初の期末テストの前。本能寺みつぐは騒がしい教室で矢島七菜香にそう話しかけた。標的が矢島七菜香なになったのは単純な理由で、当時、本能寺みつぐの前の席にいたのが彼女だったからである。


「これ凄くない? わたし超がんばって作ったんだけど」


 そういって彼女が手渡してきたのは一枚のTシャツだった。


「なにこれ」


 七菜香はそれを受け取り、前と後ろを見比べながらそう言った。


「ねねね、実は、みんな気づいてない秘密、教えてあげる」


 彼女は急に声を落とし、顔を近づけろとジェスチャーした。なんだろう、と七菜香は耳を寄せる。


「夏服で、みんなシャツから、ブラ透ける」たまたまなのか、五七五。囁くように、まるで吐息に混ぜるように本能寺みつぐは秘密を口にした。矢島七菜香は呆然とした。そして、言う。


「知っとるわ。っていうかみんな見せてんだよ」


「え。そうなの?」


 きょとんとしてみつぐは言った。


「あ、いや、なんかごめん。でも、みんなそうだよ」


「え、でも男子とかめっちゃ見るじゃん」


「そういうもんでしょ……っていうか、このTシャツなに?」


 大声で喋るみつぐに、教室の視線が集まり始めた。少し恥ずかしくなったので七菜香は話を戻した。


「ほら、テストって絶対にゼロ点になるようにできてるでしょ。だからわたし、その壁、破ろうと思って」


 シュッシュッ、とボクシングのジャブを打つようなジェスチャーをみつぐはする。


「え、うん」


 この時まで、七菜香はほとんどみつぐと喋ったことはなかった。七菜香はテニス部に所属しており、みつぐといえば……このときは知らなかったが、実は彼女は園芸部とバスケ部とソフトボール部に所属し、野球部のマネージャーに登録はしているがそのどれもに参加していないことが発覚する。もちろん本人はどれ一つとして入部したことを覚えていない。なぜならば、彼女はいつも放課後になると、仮入部すらしていない美術部の部室に入り浸っていたからだ。


「でねでね、わたし気づいたんだ。こうして、教科書の内容をTシャツに書いて、前の人に着てもらえばいいじゃん」


「マジか」


 IQスカウターというものがあったら、きっと彼女に向けた瞬間、数値が虚数に転じてメーターが爆縮するに違いない。


「なんでみんなやろうと思わないんだろうね」


「カンニングだからだろ」


「え? なに? カンガルー? 飛ぶ?」


 意味が分からなかった。


「なんでもない。続けて」


「だから、七菜香ちゃんはこれワイシャツの下に着て。ブラと一緒で透けるから。で、テスト中に最高のタイミングでわたしが脱いでっていうから、そしたら七菜香ちゃんがブレザー脱ぐわけ」


 この、みつぐお手製のTシャツ、正面は無地の白だが、背面にはびっしりと教科書の内容が書いてある。手書きで。確かにワイシャツは透ける。まだ少し寒いから、七菜香は制服のブレザーを持ってきているし、今、みつぐの前の席は七菜香である。条件はそろっていた。


「脱いでってテスト中に言うのはやばいから、せめて合図にしよ」


「わかった。じゃあ、必要になったら七菜香ちゃんの耳に息かけるね」


 殺すぞ、という言葉を飲み込み、


「机をペンでこんこんって叩いてよ。それでいいから」


「まじかよ。天才か? 確かに先生、それなら気づかんべ。ありがとう、それでいこうぜ」


 果たして、にやにやしながら七菜香はトイレに行って、彼女お手製のシャツを、(ださいから)着なかった。その代わり堂々とブレザーを着てみつぐに小さな義理立てをした。みつぐは嬉しそうに親指を立てて感謝した。面白いなあ、と七菜香は内心笑っていた。


 ――そう、みつぐの計画には致命的な弱点が存在したのである。


 先生が教室に入ってくる。テスト用紙の束を持った先生が、


「よし、じゃあ期末テストを始める。名前順に席に着け」と指示を飛ばした。


 当然といえば当然である。期末テストでは名前順で席に着くと事前に告知があった。あくまで七菜香とみつぐが前後に並ぶのは、授業中だけ。当然、本能寺みつぐと矢島七菜香は名前順にすると並ばない。


 この瞬間より、本能寺みつぐの計画は崩壊した。


 テストが始まると、みつぐは一人で脂汗をだらだらと流して静かにパニックを起こした末、ついに機能停止した。彼女はテストの最中ずっと、口を半開きにして涎を垂らし、天井を見上げて過ごした。


「まったく、テストになったら名前順になるって気づかないなんて、七菜香ちゃんてドドポンおっちょこちょいだな!」


 休み時間になると、さっきまで究極のバカ面を下げていた彼女がこんなことをいうものだから、七菜香は思わずイラッとしてみつぐを殴りつけてしまった。


 運悪く本能寺みつぐの下顎に嵌った七菜香の右ストレート。頭も悪いが運動神経も致命的なみつぐは、べったんと地面に倒れ伏して動かなくなった。大急ぎで保健室に担ぎ込まれた彼女は、結局ほかの教科のテストの時間も全て寝て過ごした。起きた後は当然、自分が殴られたことなど微塵も覚えていなかった。おかげで七菜香の拳の中には消えない罪悪感と変なシャツが残ったのである。それからだろうか、七菜香は罪悪感から。みつぐは七菜香とのことを、ドドポンおっちょこちょいでかわいそうな女子だから。という理由で気にするようになったのである。


「わたしさ、ドラゴンに行ってくる」


「東大のことか?」


 本能寺みつぐがそんなけったいなことを言い始めても、高校二年生になれば、すっかり慣れてしまった。ひそかに猛獣使い、ビーストテイマーと呼ばれているのも知っている。休み時間、周りも二人のそんな会話をだいぶスルーしてくれるようになった。


「それな」どれだよ。


「なんで? 東大に行っても阿部寛はいないよ」


「はあ? いるだろ? いや、そうじゃねえよ。わたしさ、バイミじゃん」


「いや、阿部寛はいねえだろ……え、ばい? なんだよそれ」


「知らねえの? ドドポンバカだなあ、七菜香は。POD Stand!! のファンのこと」


「ああ、アイドルね」


 矢島七菜香は思い出す。そういえば休み時間中にみつぐは最近、音楽雑誌を買うようになっていたことを。POD Stand!! は大手事務所が最近売り出し中の男性アイドルグループである。七菜香も名前だけは知っていた。売れているかは知らないが、Spotifyの上位に来ているのは見たことがないのでまだまだだとは思う。


「アイドルじゃねえし。傍にいてくれんだよ」


「あ、そう」


「でね、これのトビ君がもう、ラブなの」


「ラブ」


 彼女の発言に笑いそうになるのをこらえるのにも随分慣れた。スマホでトビ君を調べると、飛田ケイトなるアイドルが所属しているのがわかった。POD Stand!! の王子様らしい。


「へえ、まあまあ、スタンダード」


 アイドルらしいかっこよさだけはアリだった。


「でね、トビ君がさ、バカ嫌いだって」


「お前終わったな」


「はあ? どこが? 意味わからん。うるせえ。死ね。バカは黙ってろよ」


 七菜香は黙った。


「ごめん、嘘。賢くならないと無理なの。ねえ、トビ君ね、バカは無理なんだって。どうしよ? テストじゃ人間は測れないのに」


「何言ってんだ?」


 呆れて七菜香は言った。


「ねえ、賢くなる方法ない?」


 お前に限っては何したって無理だよ、と言おうかと思ったが、例え時間をかけてそう説得しても、通用しないぐらい無理なのが本能寺みつぐである。


「そうだなあ」


 そういって、飛田ケイトなる名前を見つめる七菜香。何かに似ている。すると、ふと、思いついた。


「そういえば、うちの兄貴、アーモンドフィッシュが好きなんだよね」


「え、なにそれ」


「アーモンドとちっこい虫みたいな魚が入ったお菓子。兄貴、将棋やんだけどさ、結構強いし。多分賢いべ」


 実際のところは微妙である。名前の知らない変な大学に通っているからだ。


「兄弟いるって初耳なんですけど」


「言ってないからね」


「マジか。実はわたしお姉ちゃんいる」


「知ってる」


「すげえな。天才か。そうか、えっと、アンパンマンパッションの力か。やってるな」


 何の話だよ。


「アーモンドフィッシュな」


「知ってる知ってる。わたしももらったことある。痛そうなのにすごくフランクにちぎるよな」


 何言ってんだろうこいつ。


「とりあえず、なんかスーパーとかに売ってるから食えば? 賢くなるよ」


 もうこれ以上、この話を膨らませたくはなかった。みつぐは一つ前の会話すらあっという間に忘れる。とりあえず行け、といえばみつぐはスーパーまですっ飛んでいくはずだ。


「なんで賢くなんの?」


 しかし、今日のみつぐはいつもと少し違うようだった。彼女の瞳をよくみると、いつになく真剣だ、と七菜香は直感した。


「えっと、ほら、豆とか好きじゃん、豆乳? とかイソなんとかがさ? あのさ、どっかの女優が言ってた」


 適当に思い出した豆エピソードを言ってみた。だが、全然賢さとは関係ない。でもきっと、みつぐには十分だろう。


「確かに。キリタニミレイとか豆みたいに顔ちいせえもんな」


「?」


「で、魚は?」


「うーん、そうだなあ。魚ってなんか食ったら頭よくなんべ。LDHとかAGAとか」


 なんとなく聞きかじったことをぼんやりと七菜香は言った。


「確かに。さかなクンって人間じゃないのに人間そっくりに喋るもんな」


「失礼かお前」


 思わず七菜香は突っ込んだ。


「それに、将棋ってフジイヨダンと一緒だもんな。確かにすげえ。七菜香、ドドポンサンキュー! 食ってくる」


 そういってみつぐは教室を飛び出した。さすがにその勢いを見て教室の数人が顔を見合わせたが、七菜香はそのままスマホをいじってSNSを眺めていた。


「七菜香、ちょっとノート貸してくんね?」


 そんなやり取りが発生したのは、本能寺みつぐがアーモンドフィッシュを四六時中ばりぼりくちゃくちゃ食べるようになって二日後のことだった。その日も、みつぐは口の端から魚の破片を飛ばしながらそう言った。


「なんだよ急に」


「わたしが先週取った授業のノート見返してたんだけど何かいてあんのかさっぱりわかんねえ」


 彼女が広げたノートには、存外細かく文字が書かれている。しかし、確かにすべてに脈絡がなかった。これは何のノートだ。数学と英語、おそらく世界史が混ざっている?


「やっぱバカじゃん」


「はあ? うるせえな。貸せよ。あ、お菓子いる?」


 そういって鞄の中からアーモンドフィッシュを取り出すみつぐ。


「いいよ。いらない。ノートは好きに使いな」


 眉をひそめて矢島七菜香は机の中からノートを取り出す。


「国語のやつ貸して」

「数学さあ」

「日本史の」

「世界史A」

「数学A」

「漢文のノートがいい」

「ねえ、連立方程式ってなんだっけ? 中学でやった気がするんだけどさ?」

「世界ってヤバくね? 日本人がドングリ食ってた時中国人が何やってたか知ってる?」


 それはサルが人間に進化していく様を見ているようだった。


「お、おう、そうだな」


 日に日に本能寺みつぐと矢島七菜香の会話内容が変化していった。賢くなっている、とは言いたくなかった。だが、確実に意味の分からない、いつものみつぐの質問――はそうなのだが、どうも質が変わっているのを七菜香は感じていた。


「矢島さん、本能寺さんに何があったのか教えてくれない?」


 突然担任の先生から呼び出しを食らった矢島七菜香は、そんなことを生徒指導室で訊かれてしまった。さあ、と首を傾げる七菜香を連れて、担任はそっと職員室のドアを開けて中を見せた。


「それで、例題の四番が気になるんです。第五文型の文法から外れていると思うんです」


「実は、たまに例外に見えるような事例もあってね。全部が全部じゃないんだよ。でもそれ、そもそもまだ教科書でやってないところだよね? 来期やるから待ってもいいんじゃない?」


「いえ、いい大学に通って、いい企業に就職して、安定したいい収入を得ようと思いまして」


 そんな英語教師との会話が聞こえてきた。最近、休み時間になるといなくなると思ったらこんなことをしていたのか、と七菜香は目を丸くした。


「先生もびっくりしちゃった。あ、本能寺さんには悪いんだけど。ほかの先生も嬉しいようななんというか、複雑な気分なの」


 七菜香の様子を察して担任はそういった。


「そうですか。わたしは別に、どうとも思わないですけど」


「そう。矢島さんがそういうなら……別にいじめとかなんか、家庭環境が大変とか、そういうのは」


「ありませんよ、あれに限って」


 そういって七菜香は職員室を早々に後にした。


 その直後の期末テスト、当然のように本能寺みつぐは空前絶後の全教科学年一位を獲得した。曰く、東大の赤本と比較すると絵本みたい、とのこと。


 一方、日本史や数学など、複数の教科で赤点を取った矢島七菜香は、その補習で偶然本能寺みつぐの席を使った。


「うわ、きったねえ」


 机の上には小さなかすが散らばっていた。アーモンドフィッシュに違いなかった。


「ねえ、七菜香、ニナが茂先輩と付き合ってるって知ってた?」


「……まじかあ」


「この前の小テスト、何点だった?」


「……わからん」


「ついに駅前のタピオカ屋つぶれたよね」


「……せやな」


 テニス部の帰り道、友達との会話に空返事。明らかに矢島七菜香から生気が失われていた。


「やっぱさ、本能寺さんのこと気になってんの?」


「んなわけねえじゃん」


 七菜香は即答した。


「じゃあ、彼氏でもできた?」


「うるせえよ」


「あ、そう。でもさ、最近まじでミツグはやばいらしいからもうあんまり近づかない方がいいよ」


「そうなの?」


「だって最近、めっちゃ休んでるでしょ」


「つっても夏休み前だし、いいじゃん」


「いや、この前六本木で見たってマイが言ってたよ。なんかやばいことやってんじゃない」


「え? なにそれ」


「あ、やっぱ知らないんだ。でもそのほうがいいかも。前からあいつ、ほんとやばいじゃん。いい機会だしもう関わんない方がいいよ」


 やばいぐらいしか語彙のない彼女の言葉が頭の中を反響する。最後に会った時にはなぜか語彙すら豊富になっていたみつぐを思い出す。


 そう、テストが終わると、体調が悪いといって本能寺みつぐは学校に来なくなったのだった。


「矢島さん、これ、本能寺さんに渡してくれる?」


「通知表もですか。わたしでいいんですか」


 ついに、終業式まで本能寺みつぐは学校を休んだ。担任の先生はほとほと困った、という顔で矢島七菜香へ、本能寺みつぐの夏休みの宿題と通知表をまとめた紙袋を渡した。


「一番仲良かったでしょ」


「そうですかね」


 謙遜ではない。七菜香にはみつぐのことがよくわからなかった。よくわらなくなっていた。スマホで何度かメッセージを送ったが、ついに既読すらつかなくなったのだ。


「家の場所知ってるってこの前言ってたし、大丈夫ですよね」


「はい。一度行ったことがあるので」


 一年生の時、彼女の家には行ったことがある。飼っている犬に子犬が生まれたから見に来てほしいと言われたのだ。


『はじめまして、みつぐの友達の矢島です。えっと、多分なんですけど、みつぐのお姉さんですよね……あー、その、赤ちゃん? おめでとうございます。えっと、女の子ですか? お名前は? へえ、かわいいー』


 訪れて初めて知ったのだが、みつぐの家はマンションだった。犬を飼うのは難しそうだったし、実際に子犬どころかハムスター一匹とて彼女は飼っていなかった。そのことを問い詰めようかと思ったが、まだ一歳にもなっていないであろうぷくぷくした赤ちゃんを抱きかかえ、ニコニコしているみつぐの姉を前に、そんなことはできなかったのを覚えている。おかげで、結局子犬と何だったのか、もしくは、なぜみつぐが姉の第一子を子犬と呼んだのかなど、それは永遠の謎になってしまった。


 そんな思い出とともに七菜香は本能寺宅にやってきた。インターホンを鳴らすと、本人があっさりと出てきたのだから面食らった。


「ちょうどいい。わたしの理論を一度聞いてほしい。そうしたら考えが整理できると思う。協力してほしい」


 ジャージ姿の彼女は、あっさりと七菜香を家の中に招き入れた。通知表や宿題については、七菜香が家でディズニーでもらった古い紙袋にまとめて渡した。それをみつぐは受け取ると、


「相変わらずのディズニーアピールだな」といいやがる。


「なんかごめん」


 なんか、七菜香は謝ってしまった。


「別にいいよ。わたしも配慮が足らなかった。うん、数学の範囲は別のノートにもうやったから大丈夫そう。日本史のプリントは内容はわかってるから『書き込む』のだけ面倒だな」


「まじか。数学だけでいいから貸してよ」


「いいよ。今までさんざんノート借りたし」


 その一言に、ちょっとした寂しさと、しかし本能寺みつぐとの懐かしいつながりを

感じ、少しだけ頬が熱くなった。


「うげ」


 みつぐの部屋は魔境になっていた。否、もともと魔境だった。前に遊びに来た時もその散らかり様は凄いの一言。床に散らばったプリントと本、雑誌、菓子の袋にショッパーの山。服。そのほか。だが、今は違う。


「なんか、やばくなったね」


「そう?」


 みつぐは首を傾げた。


 彼女の部屋の壁一面に男の写真が貼られまくっている。この前みつぐが言っていた男性アイドルグループ、POD Stand!! の飛田ケイトであることだと、少し遅れて気が付いた。まあ、本人もファンを自称していたわけだし、仕方ないとも七菜香は思った。だが、その一方で違和感がぬぐえない。


 そんな七菜香のことを一切気にせず、みつぐは一冊の雑誌を取り出した。


「この雑誌によると、飛田ケイトはオフの日は六本木のカフェで過ごしたり、ジムに行ってパーソナルトレーニングを受けることになっている」


「わっつ?」


「なんでかっていうと、そもそもケイトは六本木に住んでいて、基本的なことは全部そこで済ますからだと考えられる。発言としての辻褄はあうんだけど」


 そう言いながら二冊目の雑誌を手に取る。


「でも、それには少し疑問が残る。これは一年前の飛田ケイトがデビューしたての時の私服姿なんだけど、全身『しまクロ』であることが確認された。当時も今も、六本木にしまクロはない。どう考えても、六本木に住んでいるようには思えない」


 しまクロといえば有名なファストファッションブランドである。安価でシンプルなデザインが有名だ。とはいえ、六本木にふさわしい品の良さはない、そんなアイテムだらけのショップである。


「え? え?」


 気のせいか、会話にぐんぐん置いて行かれる。否、最初から相手にされていない?


「飛田ケイトはPODの王子様で、両親は銀行員と弁護士。昔からピアノやバイオリンなどの教育をよく受けていた超お坊ちゃま、ていうのがプロフィールなんだけど、やっぱ違うよなあ」


「ねえ、何の話?」


「わたし、ケイトと結婚するから」


「け?」


「結婚」


「うそやん」


 矢島七菜香は混乱した。今目の前にいる女が何を言っているのか理解できなかった。だが、似たようなことを味わったことがあるのを思い出した。


 ――飛躍だ。


 急に矢島七菜香は思い出した。最近はめっきりしゃべらなくなったが、兄は将棋が好きだった。おかげで、幼い頃はよく相手をさせられていた。とはいえ、勝てた試しはほとんどない。向いていなかったんだと七菜香は思っている。将棋ではいつも、兄は必ず七菜香には理解できない変なところに駒を置く。そして、それをまんまと七菜香に取られる。そして、それでもってさらに別の駒を取られていく。あっという間に盤面から兄の駒はなくなり王将がむき出しになる。なのに、最後には自分が負けるのだ。


『もっとよく考えて置くんだよ』

『考えてんだけど』

『そうじゃくてさ、せめて何手か先を読んでやるんだよ』

『お前が急に言うなよ』

『いいじゃん』


 ――飛躍だ。


 そう、七菜香はいつも感じていた。それと同じものを本能寺みつぐから感じていた。いつもの突拍子のないバカ話とは別の、確固たる知性に裏付けされた行動だと直感する。


 そう、そのおかげで、将棋をしているときの兄と同じ、みつぐの思考と行動の間が飛んでいるように感じるのだ。


 ――これが、賢くなるということなのか?


 矢島七菜香は意識が真っ白になった。まさか、ありえない。あの、みつぐに限って?


『みて! お姉ちゃんのパンツ超派手じゃね!?』


『マジだやべえなもうヒモじゃんはっはっはっそんなもん学校に持ってくんな教室で振るな返してこいバカ!』


 そんな会話が懐かしい。


 本能寺みつぐは、そんなことを思い出す七菜香を追いこむように、机の上のアーモンドフィッシュをばりばりとかっ食らうと、続ける。ばりばりばり、と不快な音を立てながら彼女はアーモンドフィッシュを咀嚼する。


「でね。まずはファンとアイドルっていう関係を壊さないと結婚なんて無理でしょ。だから、まずは自然に会おうと思う。そう思って行きつけのカフェに通ったり、バイトしたりして潜り込もうとしたんだけど、ケイトがいない」


「……」


 七菜香は絶句した。


「まさか、ずっとそんなことしてたの?」学校休んで?


「そうだけど? 実際に六本木も張り込んだんだけどいまいちだったわ」


 いたって平静に彼女は言った。


「ねえ、それ、なんかこう、やばくない?」


「何が?」


「いや、やばいって。なんかさ」


 七菜香の語彙が絶滅した。テニス部の友達のことは言えなかった。一方で、お前ストーカーかよ、などとも彼女の心情を考えるといえなかった。そうか、そういうことか、とふと思った。


「それで、改めてケイトのインタビューとかバラエティの発言を振り返ってみたんだけど、よくよく聞いてると、わたしとちょっと違うんだよね、ケイト」


「違う?」


「そう。違和感。なんだか、違う国の人みたいだって思ったの」


 道端を走るトカゲに向かってまっくろくろすけだ! と叫びながら素手で叩き潰そうとしたお前と同じ国の人間は日本にはいない。


「で、気づいたの。例えば指を上げるゲーム、あれ、ケイトはいっせっせーの、って呼んでるの」


「それがどうしたの?」


 七菜香は首を傾げた。


「とりあえず、これみて。これが決定的」


 そういって彼女はパソコンを起動する。それはライブのDVDの特典映像である舞台裏の動画だった。差し入れかなにかだろうか、たまたま余ったお菓子をめぐり、POD Stand!! のメンバーが指を上げるゲームに興じている。


『いっせーのーせっ!』


 画面の中でイケメンたちが声を合わせて叫んでいる。


「なんか変なの?」


 七菜香は訊いた。


「よく聞いて。ケイトは『いっせっせーのっ』って言ってない?」


「まじかよ」


 もう一度その部分を再生すると、確かに飛田ケイトだけそう言っているように聞こえた。本能寺みつぐ曰、千葉の一部地域では例の遊びをいっせっせーの、と呼ぶ、らしい。


「でね、昔、よく海に言っていた話をケイトはよくしててね。この辺を加味して、わたしは千葉出身だと思うし、今もその辺にいると思う」


「ええええ……」


 七菜香は頭を抱えた。


「でもさ、そんなの……」


 マジでストーカーじゃん、という言葉が、言えなかった。


「だからさ、七菜香、一緒に千葉いかない? 夏休み。案内してよ」

 

 こうして、夏休みの貴重な一日を、矢島七菜香は千葉での人探しに費やすことになった。


「っていうか、この飛田ケイトってもう二十歳超えてるでしょ。都内のどっかで一人暮らししてない?」


「違う。ケイトの収入とSNSの画像から推測してそれはない」


 千葉に行くまでの電車内の雑談で、ふと思ったことを口にすると、耳を疑いたくなる返事が返ってきた。


「なんて?」


 思わず七菜香は聞き返した。


「多分ね。この写真、SNSなんだけどキッチンが広すぎる。PODは確かに事務所は有名だけど、だからといってこの規模の部屋に住めるほど稼げてはいないと思う。同クラスのアイドルと比較しても間違いない。そっちは私生活をだいぶ公開しているからすぐに分かった。都内で一人暮らしをしている場合、基本コンロぐらいしかない狭いキッチンのワンルームみたいだから」


「そ、そう」


「ケイトは一応、実家がお金持ちだし、そのお金で六本木に一人暮らししているって言ってるけど、嘘なのはわたしの調査からも明らか。最近家の写真上げてるけど、同様の間取りの部屋はなさそう。築年数も以外にいってそうだし。あと、さすがに独り暮らしにしては部屋の規模が広すぎて違和感。それに、ジムとかレッスンは最低限しているみたいだけど、インタビューとかで言ってるみたいに趣味としてはしてやってるのは嘘。他のメンバーと比較して明らかに下手だからね。普段は家にいるんじゃないかな」


「あ、はい」


 友達がずいぶん遠くに行ってしまったと七菜香は思った。


「だから、わたしが支えてあげないと」


「?」


 みつぐはそういいながら拳を静かに固めたのを七菜香は見逃さなかった。


 なんといっても今は早朝の夏休みである。通りすがる人々は皆、一様に家族連れかカップルか、友達にしたってみんな行く場所は、


「これ全員、ディズニーに行くんだな。そういえば最近行ってないなー。昔はよく行ってたのになー」


「大丈夫。すぐにわたしもケイトと行くから」


 もちろん泊りで、と付け足すみつぐ。


「聞いてねえ」


 残念なことにみつぐと七菜香は舞浜にはいかない。飛田ケイトの痕跡を探しに、海沿いの町をひた歩くのだ。そう考えるだけで矢島七菜香はすこぶる憂鬱だった。


 最初に音を上げたのは、意外にも本能寺みつぐだった。


「鍛えてねえな」


 昼過ぎ。混み合う駅前の喫茶店に二人は籠城した。少し泣きそうになっているみつぐを、矢島七菜香は笑った。


「うるせえ」


 苦手であろうブラックコーヒーをずずず、と飲みながらみつぐは言った。


「なんでそんなに元気なの」


「一応テニス部だからね」


「そうだっけ? いつもわたしと帰ってたじゃん」


「……気のせいだろ。みつぐはバカなんだから」


「んなわけないじゃん。でも……」


「でも?」


 ずずずずずず。ブラックコーヒーをすするばかり。みつぐはすっかり黙ってしまった。どうやら落胆しているらしい。はあ、と七菜香はため息をつくと、


「歩ける?」


「え? まあ」


 ぼやっとした声でみつぐが答えた。


「じゃあとっとと行くよ。なんか候補ないの? 実家暮らしって言ってたけど一軒家? マンション?」


「わかんない。だけど、実家は早々引っ越さないと仮定すると、家の近くにしまクロがあるはず」


 そういいながら、みつぐはカバンの中からアーモンドフィッシュの小袋を取り出した。マナー違反、と言いたいところだったが、彼女が元気を取り戻し始めたのが見て取れる。止めようと伸ばした手を、しかして七菜香はそっと戻した。


「この近くに一件ある。行ってみよう」


 アーモンドフィッシュを口に流し込みながらスマホをぽちぽちしていたみぐつは、そう言って勢い良く立ち上がった。


「待ってよ。まったく」


 カップを置いたまま店を後にするみつぐに変わり、七菜香がごみを集める。その中には当然、アーモンドフィッシュの小袋があった。


「やっぱ、そううまくはいかないか」


「賢くなったじゃん」


 七菜香はそういって嬉しそうにみつぐの肩を叩いた。どんまい、という気持ちをたっぷり込めて。


「うるせえ」


 夕方。本能寺みつぐと矢島七菜香は小さな喫茶店にいた。本日四件目である。ひ弱なみつぐは何度も疲れた、と泣き言を言って喫茶店に入りたがったのである。この店もそうだった。


『ケイトがいそう』


 という彼女の一言で決まった店だった。確かに雰囲気は『知っている人』向けの良い意味で暗く、落ち着いた感じで、正直言って一人でここに入れるかと言えばそんなことはなかった。


 周りにはこの辺の高校生か大学生ぐらいが多く、明らかに自分たちが部外者だと感じる。そこでみつぐはブラックコーヒーを、七菜香はカフェオレを頼んだ。


「苦そうだな」


 みつぐのことだ、多分何も考えずに頼んだに違いない。口にした瞬間頬が緊張したのがすぐにわかった。そのまましばらく口に含んだ後、困ったように上下の唇をなめていた。そもそも、こんなに暑いのにブラックコーヒーを頼むセンスもやばいと七菜香は思った。


「うるせえ」


 こうしてみつぐをからかうのも久しぶりな気がする……実際にそうだった。みつぐはテストが終わったらほとんど学校には来ていなかったのだから。


「まあ、元気出せよ。っていうか、アイドルだったらネットに隠し撮りとか上がってないの?」


「PODはそこまでメジャーじゃない」


 自虐ともとれるような発言をみつぐはした。


「確かに。同じ事務所でもMight Height Hereは滅茶苦茶見るもんな」


「見ねえよ。わたしは見てねえから。わたしにはケイトしか見えない」


「え? そうなの?」


「いや、まあ、ちょっと調べはしたけどね」


「ああ、そう」


 七菜香の声のトーンが少し落ちた。


「とりあえず今日は帰ろう。東京まで遠いし」


「そうだな」


「あと七菜香死ぬほど役に立たねえし」


「知るか。こんなとこ来た事ねえからな」


「嘘つき。まあいいや。明日からはわたし一人でも頑張るから」


「明日もやる気?」


「当たり前だろ。何のための夏休みだよ」


「休めよバカ」


 そういっても、もうどうにもならないのは、もちろんよく知っている。


「それにさ、千葉って広いだろ」


「狭い。三重よりは小さい」


「どういう比較?」


「ごめん。どうでもいいな。とにかく帰ろう。もう少し、考える。また話してくれる? 定期的に整理したい」


 どうせ、またこんな小旅行かあのオタク、もといストーカーの部屋に呼びこまれるのだろう。


「別にいいけど」


「じゃあ、そういうことで」


 そういって案外あっさりみつぐと七菜香は喫茶店を後にした。多分、みつぐは明日も千葉に足を運ぶから、だろうが。


 電車の中では二人はもうほとんど喋らなかった。みつぐはずっと思案顔だったし、もちろん七菜香も疲れていた。


「じゃあね。まあ、困ったことがあったら言えよ」


 結局、お互い別の方向の路線に分かれるまで静かに過ごした。七菜香はそう言って手を振った。


「うん。今日は役に立たなかったけどありがとう」


 みつぐは手を振り返すと返事した。


「殺すぞ」


「嘘嘘。じゃあね」


 そういって七菜香は駅のホームでみつぐを見送る。みつぐは電車に乗ってそのまま七菜香の視界から消え去った。七菜香は別の方向なので、反対側へぼとぼと歩く。みつぐの前ではテニス部だから、なんていったが、実際のところ不良部員なので体力はたかが知れている。一応夏休みなので合宿もあるが、七菜香は出席する気はない。


「ってわけで、みつぐは今日も何も気づかなかったよ」


『そっか。ありがとう。マジ感謝』


「なんか軽くない?」


『そんなことないって。ねね、次、いつ会える?』


「いつでも。だって夏休みだし」


『そっか。じゃあ今!』


「今? 早くない?」


『だってすぐ会いたいじゃん。それに『お礼』もしたいしさ』


「もー、ショウマって、わたし今外で電話してんだからそういうの無しじゃん」


『そうだったの? じゃあ、後でメッセする』


「えー、そうじゃないけどさー。でも、わかった。行くよ?」


『マジで? 結局七菜香もじゃん』


「うるさいなあ。誰のせいだと思ってんの」


『七菜香が勝手にそうなっただけでしょ。おれのせいにしないの』


「うっさい。もう切るからね!」


 そういって七菜香は電話を切った。そして踵を返す。なぜか? 決まっている。


 ――今から千葉に戻るから、である。


 愛のキューピッド、という言葉があるが、それは矢島七菜香の兄か、それとも本能寺みつぐなのか。それはとても悩みどころだ。


「仁助、友達いなかったっけ」


「いるけど」


 遡ること二か月ほど前。矢島家宅。居間でスマホをいじっていた矢島仁助に七菜香は声を掛けた。矢島仁助とは彼女の兄である。歳は二十一歳、大学生である。


「そうじゃなくってさ、将棋するやつ」


「いるよ。将棋研究会だし」


「そうじゃねえ。昔」


「昔?」


 仁助は宙を見上げて思案した。


「ああ。ショウマのこと?」


「うーん、それかも。確かさ、家でよく遊んでたよね。千葉のころ」


「そうそう。ショウマじゃん。あいつの家、共働きだったからよく遊んでたけど。どうかしたの?」


「ねえ、大分ヤバくなってない?」


「なにが?」


「わかんねえけど」


「ショウマ? 今ヤバいの?」


「は?」


 突然スマホを耳に当て始めた兄に七菜香は小さくパニックになった。


「そう? なんか妹がショウマに会いたいって言ってる」


「言って……」


 ねえ、と続けたかったが、正直言って興味はあった。


 そこからさきは、自分でも驚くほどとんとん拍子だった。


 金沢将馬は矢島家が千葉に住んでいた時、隣に住んでいた家の子である。金沢家は両親共働きのため、金沢将馬はよく矢島家に遊びに来ていた。だが、矢島家は七菜香が小学生の時に東京へ引っ越し、金沢家とはそれきりだったのである。


 その、金沢将馬と飛田ケイトの顔はとても良く似ていた。そして、あまり賢くない矢島七菜香ではあったが、将棋でよく一緒に遊んでいた、将棋の駒とそっくりな名前の男の子は何となく覚えていたし、飛田ケイトなるあまりにも将棋の駒をもじったような名前の男と顔が似ていれば、それはもう、すぐにピンとくるものである。後に飛田ケイトこと金沢将馬曰く、


『なんか芸名考えろって言われてさ。真っ先に将棋が浮かんだわけ』とのこと。案の定であった。


 突然金沢将馬に連絡を取り始めた仁助から、将馬からの伝言を聞くことになるのはそれから一時間後ぐらいだった。そのうち東京に行くからついでに会おう、とショウマが言っている、と仁助は告げた。テスト期間の最中だったがそんなことを堂々無視して仁助と七菜香は金沢将馬は旧交を改めたわけである。その日のことを、矢島七菜香はこう述懐している。


『顔がイイって思った』


 一目ぼれである。ついで、金沢将馬はというと、


『昔から好きだった』


 という驚愕の事実を後に七菜香にだけ告げた。二人が付き合いだしてちょうど一週間後、七菜香が数学の補修を受ける羽目になったころである。仁助はもちろん蚊帳の外。二人を久々に引き合わせただけであったが、その後の影響は計り知れない。


 七菜香はその後、たびたび千葉へ通った。もちろん彼氏である飛田ケイト改め金沢将馬に会いに行くためである。そして、ほとんど毎日、彼にSNSでメッセージを送ったり電話で話しに話した。それはさながら、矢島家が引っ越した後、七菜香と将馬が会えなかった空白の時間を埋めるかのようであった。


 そんな中、七月中旬、本能寺みつぐが千葉に行くと言い出したのだから驚いた。しかも、いつ教えたのか自分でも覚えていないのに、みつぐは七菜香が千葉出身だったことをしっかり覚えていた。故に案内しろとまで言ったときは冷や汗すら出た。


「あーマジ疲れた。適当に町ブラするってもマジ無理。足やっばい」


 矢島七菜香は嘆いた。


「はいはいお疲れさまでした」


 ベッドの中で金沢将馬は言う。


「はー、確かにみつぐ、言うことは鋭くなってきたけど、結局ダメだね」


「そっか。やー、急に七菜香から会うのはヤバいって言われたときは超ショックだったけど、大丈夫そうだね」


「でも、なんかあいつ、大分ストーカーっぽくなりそうだったから気を付けた方がいいよ」


 金沢将馬の腕の上で彼女は言った。


「大丈夫。ばれないって。そう思ってるから七菜香だっておれに会いに来たんじゃん」


「だって今日はみつぐが大人しく帰ったからじゃん」


 そういって布団の中で七菜香は将馬に背を向けくるんと丸まった。


「なに、どうしたの?」


「別に。言ったじゃん。疲れた」


「えー、まだ今日は一回だけじゃん」


 どこか不機嫌な彼女を、将馬は背中側から抱きしめた。


「じゃあさ、マッサージしてあげよっか」


「いらない」


「今日のお礼。変なファンからおれを守ってくれたお礼」


 そういって七菜香の耳を将馬は甘く噛んだ。


「あ」


 急な刺激に、思わず七菜香の声から吐息とも悲鳴ともつかない小さな声が漏れる。びくりと震える彼女の体を全身で感じ、将馬は微笑んだ。


「なんだかんだいって、七菜香ってノリいいよね」


 そういいながら将馬の手は早々に七菜香の下半身へ伸びていく。七菜香は敏感に体をひねらせた。


「ちょっと……」


「いいじゃん」


「マッサージじゃないの?」


「そうだけど?」


「もう……じゃあ、もっと気持ちよくして」


 そういって七菜香は体を反転させて将馬に向き直った。将馬はすかさず七菜香に覆いかぶさると、彼女の両手首をしっかりつかみ、マットレスに押し付ける。声を抑えるため、七菜香は唾を飲んで小さく背を逸らした。その様子を確認すると、無理矢理彼女の両足の間へ、将馬は自分の足を割って入れた。そのままゆっくりと身を沈める。顔が近づき、当然の如く二人はキスをする。ゆっくり啄むような動作が続き、水音が激しくなるうち、どんどん二人の影は低く深く重なっていく。

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