第48話 悪評の意味

「いかにも、儂がモノマフの王、イヴァン13世である」


 自らをイヴァン13世と名乗った老人は、改めてライゼルに向き直る。


 案の定、間抜けな顔で驚くライゼルにイヴァン13世は満足そうな笑みを浮かべた。


 これだ。この驚く顔が見たかった。


 先ほどまで舐めた口を訊いていた若造が、実は天地ほども離れた身分の者だった。


 これだけで相当な衝撃のはずだ。


 不本意な形でバラされてしまったが、あとはこいつらからライゼルのことを聞き出せればそれでいい。


「ジジ……あんた…………まさか閣下がモノマフ王国の国王だったとは……」


「フフフ……」


「だったら、なおのこと早くここを離れた方がいい。閣下の背後に賊が……」


「賊ではない。あれは儂の近衛兵。さすがに丸腰で来るはずがあるまい」


 イヴァン13世は軽く手を挙げると、近衛兵たちも手を挙げる。


「おお……。じゃあ、隣の家に潜入することにしたってのは……」


「ほれ」


 イヴァン13世が足元を指さす。


「もしかして、ここのことか?」


「左様」


 ライゼルの問いにイヴァン13世が頷く。


 先ほどの話が比喩とは思わなかったが、大胆な老人という評価は間違っていなかったわけだ。


「じゃあ、犬ってのは……」


「まったく、どこかの誰かがライゼルに絆されてなければ、この儂自ら出張る必要などなかったものを……」


「ご、ごめんなさい」


 シェフィが申し訳なさそうに頭を下げる。


 ということは、イヴァン13世の語っていた犬というのは……


「シェフィ……?」


「はい?」


 よくわかっていないのか、キョトンと首を傾げるシェフィ。


 家出か、あるいは亡命だと思っていたが、その正体はライゼルやバルタザール家を調べるスパイだったというわけだ。


 もっとも、イヴァン13世の口ぶりから察するに、シェフィが間が抜けているというのは本当のようだが。


「ライゼルめ……シェフィがこちらのスパイと知って、まんまと調略しよったわ。まったく、面倒なことをしてくれる……」


「ちょ、調略されてませんって!」


 ずいぶんな言われように、シェフィが抗議する。


「大事な情報は全部事後報告で済ませた分際で抜かしよる……」


「あ、あれは……こっちの仕事が忙しくて……」


「お前はどっちの味方だ」


 シェフィの言い訳にイヴァン13世がため息をついた。


「こいつがもう少ししっかりしていれば、儂が動かずに済んだものを……」


「す、すみません……」


 申し訳なさそうに頭を下げるシェフィを置いて、イヴァン13世がライゼルに向き直る。


「本当はこの町の情報通でも捕まえられればよかったのだが、この際お前でいい。知ってることを洗いざらい吐いてもらおう」


「知ってること?」


 突然話を振られ、ライゼルがたじろぐ。


 いったい何の話だ? こちらもこの地の領主を務めている。大抵のことは知っているつもりだが……


「知れたこと……ライゼルのことよ」


「……ん?」


 思ってもない言葉に、ライゼルが耳を疑った。


 まさか、気づいていないのか? 目の前の男こそ、ライゼルその人だということに。


(カチュア……)


(はい)


 よくわからないが、ここは話を合わせておこう。


「ライゼル・アシュテント・バルタザールか……。もちろん知ってるぞ。

歳は20歳。誕生日は10月10日。好きな食べ物は甘い物。好みのタイプは尻のエロい女で、嫌いなものは努力と徒労」


「待て待て……お前、詳しいな」


 そりゃ本人ですから。


 とも言えず、ライゼルは意味深に肩をすくめて見せる。


「この町で俺が知らないことはない」


「おお……!」


 イヴァン13世が感心した様子で目を輝かせた。


 ライゼルが言ったことは間違っていない。


 自身が領主である以上、大抵のことは知っているのだから。


「それじゃあ、ライゼルのことをもっと聞かせろ。……あいつはどのような男なのだ?」


「陛下」


「お前は黙ってろ」


 シェフィを遮り、前のめりに詰め寄るイヴァン13世。


(自分のことを説明しろと言われても……)


 言うなれば、他人から見たライゼル評のようなものを教えろ、ということなのだろう。


 質問の意図はわかったが、それを当の本人が答えるというのは、少々気恥ずかしいものがある。


 ライゼルは少し考え、


「そうだな……とてもいいやつだぞ」


「ほう……悪人と聞いていたのだが、領民には慕われているのか……」


「気前もいいし、滅多なことじゃ怒らない、懐の広い男だ。……どこかの誰かがスパイだと知ってもなお、配下に召し抱えるくらいには懐が広いぞ」


 じろりとシェフィを睨むと、シェフィがイヴァン13世の後ろで手を合わせて謝る。


「しかし、ライゼルには常に悪評が付きまとっているぞ。商人を脅して金を毟ったり、暗殺未遂に騙し討ちまでする男だと……」


(誰がそんなこと言ったんだよ!)


 もちろんライゼルにとってすべて身に覚えのない話である。


 ここでそれを否定するのは簡単だが、否定したところで向こうが納得はいく証拠を出せるわけでもない。


 それならば、いっそのことその悪評を利用するというのはどうだろうか。


 あくまで、これらはすべて意図がある行動で、やむを得ずそうする必要があった。あるいは、他に狙いがあった。


 そのように説明すれば、ライゼルの株を落とさずに済むのではないか。


 そう考えたライゼルは、不敵な笑みを作りイヴァン13世を見つめた。


「……果たしてそうかな?」


「どういうことだ?」


「そもそも、叔父う……バラギットが反乱を起こす以上、領地を二分する内乱発生するのは明らかだった。正面から戦っては、領民に甚大な被害が出るだろう……そうならないよう、最も効率的に敵を排除しようとしたのだとしたら……」


「暗殺や騙し討ちをする、か……」


 ライゼルが頷く。


「商人を脅した云々もそうさ。借金のために増税したくなかったから、商人を頼ったんだ。……もっとも、どういうわけか脅したことになってるみたいだがな」


「なるほど、たしかに筋が通る……」


 得心がいったのか、イヴァン13世が頷く。


 たしかに、目の前の男の話を信じるのなら、ライゼルの悪評はすべて誤解で、善良な領主なのだということになる。


 しかし、それだけでは説明できないことがあるのも事実だった。


「……そうなると、妙だな」


「妙?」


「この話は、こちらに入る前からいろいろなところで噂されていた。ということは、みながライゼルの悪評を信じていたということになる。……ライゼルが本当に善良な男なら、もっと良い噂が出回っていてもおかしくないはず……なぜこれほどまでに悪評が広まるのか……」


 火のないところに煙立たない。


 悪評が広まるには、ちゃんと悪評が立てられるだけの理由があったのだろう。


 おそらく、イヴァン13世はこのように言いたいのだろう。


 ライゼルとて、この悪評にはまったく心当たりはない。


 ただ、ライゼルの評判が悪くなって得をする人物といえば……


「おそらく、バラギットが流したんだろう。『ライゼルはこれだけ酷い人物だ。だから当主の座にふさわしくない』そう喧伝するために、わざと悪い噂を流したんだ」


「そういうことだったのか……」


 ここにきて、すべての点が繋がり納得した様子のイヴァン13世。


 よかった。これで名誉は保たれた。


 そう息をつくライゼルなのだった。

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