小説 戦後78年最大のドキュメント   大河小説 樺太戦~終戦後7日間戦慄の記録~

長尾景虎

小説 戦後78年最大のドキュメント   大河小説 樺太戦~終戦後7日間戦慄の記録~

小説 戦後78年最大のドキュメント

  大河小説 樺太戦~終戦後7日間戦慄の記録~樺太戦サハリン・シベリア抑留最期の真実


              ~耐え難きを耐え忍び難きを忍び~


                  裕仁 ひろひと しょうわてんのう

                ~昭和の象徴・昭和天皇の人生!

                 わが心の昭和史~

                 total-produced& PRESENTED written by

                   NAGAO Kagetora

                   長尾 景虎

         this novel is a dramatic interpretation

         of events and characters based on public

         sources and an in complete historical record.

         some scenes and events are presented as

         composites or have been hypothesized or condensed.

        〝過去に無知なものは未来からも見放される運命にある〝

                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ



     ーwith history the final judge of our deeds, let us go

      forth to lead the land we love asking his blessing and

      his help, but knowing that here on earth god’s work must

      truly be our own. ー   JFK


  〝歴史をわれわれの究極の審判とみなし、神の恵みと助けをもとめながらも、

この地上では神のみわざはわれわれ自身の所業でなければならないことを心に刻みつつ愛する祖国を導き、前進していこうではないか〟

                     ジョン・F・ケネデイ

                      1917~1963


           あらすじ


 昭和天皇は1901年に生まれた。明治天皇が裕仁と名付けた。そんな明治天皇も死に、乃木希典は後追い自殺を……裕仁は嫡男として皇太子に。しかし、病弱だった大正天皇はすぐに死んでしまう。時代は昭和へ。日露、日清戦争で勝った日本帝国は野望をもち中国などを侵略していく。時代は黒闇の戦争へ……

 昭和天皇は軍部のパペット(あやつり人形)と化して太平洋戦争を黙認する。しかし、日本に勝ち目はない。やがて原爆投下で日本は敗戦。天皇は「人間宣言」をして巡幸してまわる。やがてそんな天皇は八十七歳で崩御……時代は平成へと移る。ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊……冷戦終結…時代は新たな一ページを刻む。

 昭和天皇はいう。

「戦争がさけられないのならばせめて治療法のない兵器は使わないでください」

2014年8月21日に2億円もの費用をかけて『昭和天皇実録』と称する裕仁の87年余の全生涯の研究実録書数十巻(60冊1万2000ページ)が平成天皇皇后に上程された。


『人物表』大河小説 樺太戦

小川岟一…元・日本兵士

川崎忠明さん…元・日本兵士

樺太師団参謀長・鈴木康…

樋口季一郎…元・日本兵士

澤田キミ…元・樺太戦争体験者

栗田八千子…元・樺太戦争経験者

元・日本兵・原田廣記… 金沢さん…元・戦争体験者

昭和天皇裕仁…… 畑中健二…… 阿南惟幾…… 迫水久常……

下村海南…… 下村の妻・ふみ…… 鈴木貫太郎首相……

石原莞爾…… 小磯国昭…… 山本五十六…… 辻政信……

ウムボルト…… 松下ハル…戦争経験者 藤谷和子…戦争経験者

齋藤弘美…戦争経験者 元・日本兵・大杉順治…

        他   


                                   おわり

         1 天子誕生と戦争



  



 戦後78年経て、終戦へのプロセスは戦後最大のドキュメントである。

『降伏(敗戦・ポツダム宣言無条件受諾)』か?『本土決戦(一億総玉砕)』か?

1945年8月15日、日本のもっとも長い一日がそれで、ある。

この物語の主人公は、まず昭和天皇(裕仁)平和を追求する偉大な天皇である。「国民は苦しんでいる。もうじゅうぶんではないか?」そして、それを阻止し、本土決戦・一億総玉砕の道に、戦争継続を謀る陸軍少佐畑中健二「決起すれば全軍が立ち上がり本土決戦・一億総玉砕でも最後には皇国日本軍が勝つ!」、そして陸軍大臣、阿南惟幾(あなみこれちか)「御聖断は下ったのである! 御聖断に納得出来ないならこの阿南を斬れ! 阿南の屍を越えていけ!」、そして、書記官長の迫水久常「最後の一兵まで戦うしかないのでしょうか?」そして、第二十四代内閣総理大臣鈴木貫太郎「この戦争はこの内閣で決着です」、そして、下村海南(号・海南(かいなん)、本名・宏)「なんとしても陛下の玉音放送しかないのではないでしょうか?」

 これは終戦までの最大のミステリーに迫る物語で、ある。

 かつて、『侵略戦争と罪と罰』というような〝かつての日本軍・日本兵は全部、悪であり、ナチスと同じだった〟〝侵略・虐殺〟、というような自虐史観があったと思う。

 まあ、確かに、ある程度の虐殺行為も侵略行為も強姦などもあっただろうが、すべて日本軍だけが極悪だった……などはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)によるアメリカからの洗脳でしかない。

 では、日本軍だけが悪で、連合軍の、都市無差別爆撃や広島長崎への原爆投下は悪ではないのか?

 確かに、数十年前はみんな騙されていた。ひたすら、日本軍・日本だけの〝悪・戦争犯罪〟だけを言及したのである。だが、もうそのペテンは通用しない。

 と、同時に、韓国や中国の、「(かつての侵略戦争の)謝罪をしろ! 賠償金を払え!」というのも違うのではないか? と思うのだ。

 韓国には1965年の日韓請求権交渉・国交正常化交渉で、日本は国家としての謝罪もおわっているし、その当時、5億ドル(1860億円・現在の価値7700億円)の賠償金も韓国政府に払っている。慰安婦・徴用工の賠償金も「韓国政府」がその金で払うのが本来正しい。

 また、中国へも国家的謝罪も日本はおわっており、賠償金代わりに中国へのODA(政府開発援助)で、5兆円も払っている。もう、おわっているのだ(北朝鮮はまだ独裁国家なので、払えない)。

また、かつての戦争(太平洋戦争・大東亜戦争)でも物凄い欧米人達のアジア人・日本人差別があったことは否定しようがない。欧米人は日本人をイエロー・モンキー(黄色い猿)イエロージャップ(黄色い日本人野郎)と呼んでいた。

東京や大阪などの無差別大空襲や、広島・長崎の原爆投下もその差別からのものである。

原爆で30万人が死に、大空襲でも数万人が死んだが、〝黄色い猿〟と思っていたからこそ躊躇なく攻撃できたのである。しかも、被害者は非戦闘員で、子供や老人や女性だらけ。

前にアメリカの外交筋の馬鹿が、「ローズベルト大統領が真珠湾攻撃を知っていた……なんてふざけるな!」とか激怒していたが、「お前ら原爆を落としただろう!」と言いたい。

米大統領が真珠湾攻撃を知っていたことはもう常識レベルの歴史の事実だ。それでも外交官か! 欧米での日本人捕虜の虐待は『アーロン収容所』という本に詳しい。

映画『グレムリン』というのがあるが、あの小さくてうるさくて水で凶暴化するギズモーグレムリンは、「日本人」がモデルだとか。そうまで馬鹿にしているのである。

だが、日本軍は〝差別主義者〟の欧米兵士に勝った! とまでは言わない。

けしてあの戦争は『正義の戦争』ではないからだ。ある程度の虐殺も、ある程度の侵略も、ある程度の強姦もあったのだ。日本国のために戦い、戦死なされた英霊たちには失礼だが、過去の日本兵や日本人を英雄やヒロインにしたところで、何も変わらない。

我々は現実を見よう。〝アジア人差別〟〝黒人差別〟はなくならない。

だが、憎しみあっても意味がない。それに最近の日本人だって外国人差別をしているではないか。アメリカ兵は原爆で大虐殺をしてもまったく裁かれない。

ベトナム戦争時でもアメリカ兵は酷いことをやったが、何も裁かれない。

だが、日本だけが過去に〝自虐的〟になって、何でも、「謝罪しよう」「賠償金を払おう」というだけでは何一つ解決しない。

 過去の謝罪も賠償金もおわっている。(北朝鮮へは独裁政権が崩壊してから)

まずは、現実をしっかりと見よう。現実に立脚して戦略を練ろうではないか。



   戦争論(長尾景虎史観)


 まず、戦争を「ゲームか何か」と勘違いしてはいないか? 湾岸戦争やイラン・アフガニスタン戦争での米軍によるピンポイント爆撃や、無人兵器による爆撃・ウクライナ戦争――――「よくこうもうまくピンポイントで爆撃できるなあ」と感心する前に考えなければならないのは米軍が映像で見せているのは「うまくいった爆撃映像」だけ、であるということ。無論、その何倍も誤爆もある。ピンポイントで敵基地を爆破……といったって、そこに敵兵だけがいるだけではなく、その子供や女房や民間人の親戚だっているかも知れない。

 だが、公開映像ではゲーム感覚で爆破される建物だけである。

 だからこそ、過去に、そういう映像を見て、「おもしろい」と抜かした国際ジャーナリストがいた。呆れまくるとはこのことである。

 さて、「平和」の反対は「戦争」であろうか? そうではない。「平和」という(状態)の反対は「混乱」という(状態)。では、「戦争」の反対は? 「戦争」という(手段)の反対は、「話し合い」という(手段)である。戦争は外交の延長にあり、話し合いで何回も話してもどうしても折り合いがつかぬ場合にやむなくもちいる手段である。

 「混乱」という状態。一時的に秩序が乱れる。そう、平和とは秩序にほかならない。

「かつて日本は侵略戦争をした!」「朝鮮や中国などを植民地にした!」「日本はアジアに迷惑をかけた!」「日本は加害者だ。悪だ! 心から反省し、無辜の民を犠牲にした侵略や虐殺を謝罪せよ!」――――これは米国による洗脳(WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム・戦争責任洗脳)である。わずか20年前は日本人のほぼすべてがこの洗脳に騙されていた。

 一度負けたくらいで自国がすべて悪い? 昔は疑問をいうと「右翼!」「戦争美化!」「悪魔!」と罵られた。だが、燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや、である。

『太平洋戦争=大東亜戦争』の敵は、支那(中国大陸)の毛沢東率いる中共軍や蔣介石率いる国民党軍やアメリカ・オランダ・イギリスなど。今の日本人の若者はかつて日本軍がアメリカと戦ったことさえ知らない。無知すぎる!

 それでも有色人種を下等なサルくらいにしか思っていなかったアジア諸国を植民地にしていた差別主義諸国の欧米列強の白人どもに、日本軍は目に物を見せてくれた。

 けして、戦争を美化するのではないが、アジア人は白人に勝てるなどとは思ってもみなかった。奴隷だった。日本人が白人を追っ払ったからこそ、インドのガンジーもチャンドラ・ボースもインドネシアのスカルノもミャンマーのアウンサンも大喜びした。アジア人が白人に勝てるんだ、と。

 もちろん残念ながら日本軍が勝っていたのは最初のうちだけで、最終的にはアメリカ軍の圧倒的な物量作戦には勝てず……惨敗に次ぐ惨敗。ソ連が裏切って参戦するわ……放っておいても負ける状態でも欧米が共産主義勢力への威嚇の為に広島・長崎に原爆を落とし……一般人三十万人を大虐殺。―――とうとう負けてしまった。昭和二十年(一九四五年)八月十五日、終戦。

 なら何故、あのような戦争をしてしまったのか? 軍部が悪かった? 狂っていた?

 ならお前がその当時の日本国のリーダーであったら、日本を守れる策が出せたのか?

(日韓併合・盧溝橋・通州事件・オレンジ計画・排日移民法・ABCD包囲網・石油禁輸・ハル・ノート……)戦後の日本人の公の戦争論といえば、「あの戦争は侵略戦争。英霊は犬死。戦争は嫌だ。絶対に戦場に行きたくない。命が惜しい。死にたくない!」でしかない。

 まあ、「戦争は楽しい。戦争になれ。早く殺したい。早く死にたい」などと思う訳はないのだが。誰だって軍国主義など嫌いなのだ。誰だって戦争は嫌なのだ。

 だが、戦争になれば戦うしかない。殺しが好きなのではなく、殺されない為に敵を殺すしかない。それが戦争だ。

『八紘一宇』『大東亜共栄圏構想』というのも、昔は、わたしも日本軍が戦争をするための単なる言い訳用のプロパガンダ(大衆操作)のキャンペーンだと思っていた。だが、日本軍はある程度は本気だったようだ。日本軍がアジアで戦ったのは同じアジア人ではなく、アジア諸国を植民地にしていた欧米列強の白人たちであった。

『南京大虐殺』というのも大嘘である。虐殺数は三十万人と言うが、当時の南京の人口は二十万人。しかも、三十万人を虐殺するには銃や刀では何十時間もかかる。原爆を二回落とさなければそんなに殺せない。当時、南京に住んでいたひとで、〝大虐殺〟を目撃したひともいない。中国のプロパガンダなだけである。

 中国での『(日本人軍人風の男が)中国人を虐殺している写真』の数々も、とても信用できない写真で、何のために誰が何処で、どうして撮影したのか? 誰が犠牲者なのか? 何の証言も証拠もない第五次資料・第四次資料ばかり―――すべてプロパガンダなだけだ。

 従軍慰安婦や徴用工のペテンもすでに暴かれている。

 吉田清治という故人だが、詐欺師が、講演料目的で大嘘をアジア諸国で話したこと……。

 日本人がWGIPで騙されていたこと……。中国も韓国も、そんな日本人の『自虐史観』を突いていたこと……。最近では神風特攻隊で散った英霊まで、侮辱するような発言があったこと……。英霊たちを「犬死」「無駄死に」と断罪する発言……。

 これらの戦争論は、明らかに間違っている。

 けして、過去の戦争を美化するわけではないが、過去の戦争世代のおじいさんたちが「悪魔」「殺戮魔」「強姦魔」―――という侮辱だけは許すことが出来ない。

 過去に無知なものは未来からも見捨てられる運命にある、ということが至言である。

 そして、我々、日本人が過去の戦争に対する覚悟を決めるときだろう。

 ただ、「ひたすら謝罪し、頭を下げればいい」というのはもはや通用しない。

 覚悟を決めるのは、まさに、今。ときは、今、だ。

                     おわり

(参考文献『戦争論』1,2,3新1小林よしのり著作・幻冬舎より)





 

話を戻す。


 立憲君主と大元帥……

 慈悲深い立憲君主と大元帥……                  

 これが昭和天皇・裕仁(1901~1989)の名称である。

 しかし、実のところは白馬にまたがり軍部の前であやつられるパペット(操り人形)に過ぎなかった。日本人には驚きだろうが、かの昭和天皇は、ヒトラー、ムッソリーニと並ぶ第二次大戦の大悪人のひとりなのだ。                             

 しかし、崩御(死亡)のさい、日本のマスコミはこのことにまったく触れなかった。

 ……死んでしまえば「いいひと」とでもいいたげにお涙頂戴の報道に徹した。

 NHKを初めすべての報道局が昭和天皇の死を報道したが、戦争犯罪に触れたものはひとつとしてなかった。世界はこれに呆れたことだろう。

 先の戦争でも昭和天皇は「もう一度戦果をあげるのがよろしそうろう」などと沖縄戦の一ケ月前に「お言葉」を述べている。

 太平洋戦争末期に出来た近衛内閣の近衛文磨首相は「最悪なる事態は遺憾ながら早々必要なりと存候。一日も早く戦争終結を申し候」と述べた。

 しかし、神の子・天子である天皇は人間らしいことは何もいえない。只、「無駄な血が流れなければよいが…」と他人事のような「お言葉」を述べるだけだ。

なお、この作品の参考文献は、堺屋太一著作、落合信彦著作、藤子不二雄(A)著作、さいとう・たかを著作、小学館SAPIO誌などです。「文章が似ている」=「盗作」ではありません。盗作、無断転載ではなく「引用」です。

 熱しやすい軍部は暴走して、「一億総玉砕!」などと泥沼にひきずりこもうとする。

 これは太平洋戦争の二十数年前に遡らなければならない。


ここから数行は漫画家・安彦良和著作『虹色のトロツキー』(中公文庫)から引用する。

昭和十三年六月満州(まんしゅう)――新京(しんきょう)(長春(ちょうしん))、日本の建国大学に旧・満州国旗がはためく。五族同和のシンボルである。

時代が時代なだけに西部劇などで出てくるようなベンツのクラシックカーが蒼天の元、大学正門にやってくる。参謀旗章の黒いやつだ。

大学内で野良仕事をしていた学生たちは「すげい、ベンツだぞ!」「誰なんだ?」「げ!鬼辻!」等とひそひそ噂している。

辻(つじ)政信(まさのぶ)――関東軍参謀(建国大学創設主任)後ノモンハン事件、シンガポール戦、ダガルカナル戦等の作戦指揮。強引・専断・無情――鬼参謀として知られる。背が低く、痩せていて、丸ぶち眼鏡に大きなネズミのような鼻の軍服の小男。戦後、衆議院議員、ラオスにて行方不明――鬼辻はあるモンゴル人と日本人のハーフの〝将校チョッキを着た〟ウムボルト(安彦良和先生の『虹色のトロツキー』ではウムボルト)、ここではジョルダビドが降り立った。「なんだあいつ?」「学生じゃねえの?」「軍の車で? 偉そうに?」

「ジョルダビド、こい」

辻政信は建国大学の学長に、そのモンゴル系の男子参謀候補生を「例外的に六か月間だけ入学させろ!」と、大声でまくしたてる。辻のくせは主張が強く、怒鳴り声のように要求することである。小心者だが、残虐性がある。この人物の存在がのちに『ノモンハン事件』を一層悪質なものにして、その陰湿で無残な敗北であるが故に、天才・歴史作家・司馬遼太郎(故人)をして「ノモンハン書いたら僕死んじゃうよ」といわしめた。

司馬先生は何千冊もの関連本をあたり、取材も行っていた。それでも書けなかった。

いや、書く(価値)にあたらなかった、のである。

〝建国大学〟五族協和の実現(石原莞爾が唱えた理想・五族とは漢・満・蒙・朝・日の五民族を指す)。辻政信は石原莞爾の心酔者。登張信一郎名誉教授、中山優教授、辻権作教授。〝建国大学〟――それは満州国国務院直属という位置づけで、昭和十三年に開学を見たばかりの大学だった。総長は満州国総理・張景(ちょうけい)恵(けい)の兼務。そして創設委員長は当時の関東軍参謀長・東條(とうじょう)英機(ひでき)……。

見事なまでの国策大学の図式だが、実態は少し違った。

総長職はお飾りであり、東条英機は創設に使なりと担がれた〝御神輿〟にすぎなかった。

元々、建大の理想は東條英機のライバル・石原莞爾の持論『五族協和の実現』に立脚する。

石原莞爾は建国大学の演説で「ソ連との戦争は必ずあるが、すぐにではない。多分、日ソ不可侵条約を結ぶだろうが必ず日ソは戦争状態に突入する」と予言する。

現実に、日本が敗戦を発表した1945年8月15日の玉音放送後、ソ連軍は南下して進撃して樺太や満州国(日本国の傀儡国家・中国東北部)やクリル諸島を占領し、日本人を〝シベリア抑留〟した。天才の参謀・石原莞爾にはそこまで〝見えて〟いた、と描いた。

山本一太沖縄・北方担当大臣(当時)が「ビザなし交流」で北方領土に電撃訪問して不評を買ったがハッキリ馬鹿行為であった。今のプーチン政権は千載一遇の好機なのである。早めに日露安保条約を締結して、「50年間シベリア独占開発権」を握り100兆円出す代わりに石油・天然ガス等を日本にただ同然で50年間提供してもらう。大体にしてロシアにとって北方領土等、9時間もの本土の時差の範囲、でしかないのだ。

馬鹿の一つ覚えみたいにヒステリックに「北方領土を返せ!」と日本人が70年間も叫ぶもんだから反発しているに過ぎない。

プーチン政権は現在あまり国内人気がない。チャンスだ。

国内の人気が高いうちは国民に対して、かつてのメドベージェフ大統領(当時)みたいに「ロシア人の意地」を誇示する必要があるが、今なら変な国民へのPRもいらない。

対中韓国戦略としてもロシア・モンゴル・中央アジアは抑えたい。

20世紀の古いマクロ経済理論に基づいたアベノミクスでは日本の反転攻勢のきっかけにならないことは、すでに指摘してきた。日本の突破口として私が大いに期待しているのはロシアだ。逆に、にっちもさっちもいかないのが韓国。韓国のメディアや教育システムが、あれだけ反日一色に染まると、関係改善のきっかけが見つからない。朴槿恵大統領(当時)は反日を政権のエネルギーに換えている側面があった。そして文在寅政権は、大統領任期の5年間は放っておいたほうがいい(現在は不正疑惑で朴槿恵は辞任したが新大統領がまた朴おばさんと同じ事を言い出している)。経済成長が鈍化して国内の不満が今後高まっていく中で、不満のはけ口にしてきた日本との関係が良化するとは思えない。

バブル崩壊となれば余波は日本にも及ぶ。中国、韓国にしても日本から買わざるをえない機械や部品はたくさんあるから経済的な付き合いは粛々とやっているわけで、目下、中韓との関係改善に外交的なエネルギーを注いでも、アップサイドの要因はない。

新型コロナウイルス対策での『コロナ不況』も根が深い。

企業経営の常道を適用すれば、こうした近隣諸国とは一線を画して、大きく動く可能性が出てきたロシアに集中的なエネルギーを注ぐことで、日本経済に刺激を与えることを考えるべきだ。日本にとって心強いのは2012年5月にプーチン大統領が戻ってきたことだ。

プーチン大統領といえば柔道の有段者で週に1度は鮨屋に行くほどの鮨好きで、日本と日本文化に対して深い敬意と愛情を持っている。

前任者のメドベージェフ大統領といえば、日本を挑発するために悪天候の中、わざわざ国後島に降り立った。彼は北方領土問題についても全く自分の意見を持っていない、情報不足のロシア人の典型的な振る舞いをした。こんなトップとの話し合いは時間の無駄だが、日本贔屓のプーチン大統領なら話は別だ。

4月、安倍晋三首相が日本の総理大臣として10年ぶりにロシアを公式訪問したのは、政府もプーチン大統領を停滞している日ロ関係を動かせる相手と見込んでいるからだ。

プーチン大統領の人気が、ロシアで落ち込みを見せていることも、日本にとって都合がいい。(もちろんこれはロシアのウクライナ戦争前の話である)

人気がある間は、国内に気兼ねして北方領土の返還交渉に応じられないが、今のプーチン大統領なら「I don't care」(気にしない)だ。

プーチン大統領が、日本との関係を正常化することがロシアのためになる、と思えば状況は一気に進展する。そもそも極東の小島など、全土で時差が10時間もあるロシアにとっては〝誤差〝の範囲でしかない。

しかし日本側が史実を曲げて「北方領土は日本固有の領土」などと盛んに喧伝するものだから、ロシアは態度を硬化してきたのである。

北方領土の歴史認識に関しては、日本側に問題がある。

日本の教育では、日本がポツダム宣言を受諾した後に旧ソ連軍が北方領土を不法占拠したように教えているが、史実は異なる。ヤルタ会談やカイロ会談などの戦勝権益に関する話し合いで、当時のスターリンは対日参戦の見返りとして北海道の北半分を要求した。しかしアメリカのローズベルト大統領はこれを認めずに、「南樺太を返還して千島列島の内南クリル(北方四島)をロシアが取る」代案を示した。

最終的に決着したのはトルーマン大統領の時代で、旧ソ連は〝正式な戦利品〟として北方四島を含む千島列島を得たのだ。

明治以前の帰属は双方に言い分があって不明だが、明確な事実は日露戦争以降、日本が南樺太(南サハリン)と千島列島(クリル列島)を領有していたこと。そして第2次大戦の結果、戦勝国の旧ソ連は南樺太と千島列島を奪い取ったのではなく、〝戦利品〟として与えられたということだ。

おかげで敗戦国の日本はドイツのような「国土の分断」を免れた。

こうした視点が日本の歴史認識に欠けている。こういった話は、尖閣問題における中国の姿勢と通じるところがある。〝日ソ不可侵条約に反して宣戦布告なく北方四島を占領した〟と日本では信じられているが、樺太と異なり、旧ソ連軍の侵攻・占領は終戦後である。

北方領土の四島一括返還論にしても、「北方四島は日本固有の領土であり、四島が揃って返ってこなければ日ロ平和条約は結ばない」と外務省が言い出したのも、1956年のダレス米国務長官と重光葵外務大臣のロンドンでの会談がきっかけだ。

当時、領土交渉が進展して日ソ関係がよくなることを警戒したダレスは、沖縄返還の条件として、旧ソ連に対して「(呑むはずのない)四島一括返還」を求めるように重光に迫った。つまり、四島一括返還論は旧ソ連に対する〝アメリカの嫌がらせ〟から始まっているのだ。戦争終了後、10年間もの間、日本はそのような要求はしていなかった。

外務省は長い間「北方四島返る日、平和の日」と書いた垂れ幕を、屋上から掲げていたが、アメリカの忠犬ポチとしての同省の性格がよく出ている。

安倍首相との首脳会談でプーチン大統領は、他国との領土問題を解決した方式として係争領土を等分する「面積等分」を紹介したという。

北方領土問題に関しても「面積等分論」を持ち出す可能性は高く、日本政府と外務省は過去のペテンを国民にきちんと説明し、これを受け入れるべきだ。

そして直ちに「日ロ平和条約」を締結すべきだ。

四島の面積等分なら、歯舞、色丹、国後の3島と択捉島の一部が還ってくる。択捉に関しては面積等分で島の3分の1程度で軍事境界線のような線引きをして中途半端に返してもらうのなら、「島全体を日ロの共同管理」にする手もある。

日ロが接近しすぎるとアメリカが妬くし、択捉上空は重要な航空路でもあるため、共同管理にアメリカを加えてもいい。実は、北方領土問題でロシアの最大の関心は領土ではない。そこで生活しているロシア人の処遇についてだ。

旧ソ連が崩壊したとき、ウクライナやカザフスタン、ベラルーシ、バルト3国などに暮らすロシア人はロシアに引き揚げる場所も資金もなかったので、それぞれの国に残って国籍をもらった。

旧ソ連が横暴を極めていた時代の裏返しで、在留ロシア人が各国でいじめられたり、虐げられている話がロシアで伝えられている。

親戚や友人などもひどく気をもんでいて、内政上は、大切な問題なのである。北方領土に暮らすロシア人が同じ憂き目に遭うことをプーチン大統領は憂慮しているはずで、解決策を提示しなければいけない。

キーワードは「寛容」で、少なくとも3つのオプションが考えられる。

第1は日本国籍を与える。第2は、グリーンカードのような形で居住権を与えて、ロシア国籍は残す。3つ目は一時支度金のようなものを支払って、本人が希望するところに移住してもらう。

このような人道的な選択肢を与えて優遇する国はいまだかつてないから、ロシア人も感激するし、日ロ友好に前向きになってもらえるだろう。

領土問題を解決し、平和条約を締結すれば互いの行き来も投資も非常に楽になる。すでにエネルギー分野のビジネスは動き出していて、サハリンで発電した400万キロワットの電力を直流高圧送電で日本に送るプロジェクトがサハリン地方政府から出ている。400万キロワットといえば「原発4基分」である。海底ケーブルを使えば、これを東北電力や東京電力の管内まで持ってこられる。

サハリン側は25年の実動を目標にしているが、急げば5年以内に可能だろう。

これに刺激を受けたのがウラジオストクで、バイカル湖から東のオイルやガスがパイプラインでウラジオストクに集まってくるプロジェクトが進行中だ。これをLNG(液化天然ガス)で輸出したり、海底パイプラインを敷設して直接日本に持ってきたり、現地で発電した電力を(東電の送電網が完備している)直流高圧送電で、新潟の柏崎・刈羽などに送る案が有力である。

日本海側に受け入れ基地を造れば、福井や新潟など、退潮する原発を代替する産業拠点となり、環日本海経済圏の重要基地として期待できる。

そうすれば、新潟、富山、石川、福井などで、LNGやガスパイプラインの陸揚げ基地争奪戦となるだろう。

「日ロ経済連携」の第1ラウンドはエネルギーであり、ガスパイプラインや直流高圧送電で日本とロシアがシームレスにつながる。この意味は非常に大きい。カタールなどからバカ高いLNGを買っている日本としては、価格交渉力がアップするだけでなく、アメリカのシェールガスに涎を垂らす必要もなくなるからだ。

第2ラウンドは、日本企業の輸出基地を極東ロシアに展開することだ。極東ロシアに工業団地を建設し、現地で組み立てて、シベリア鉄道でサンクトペテルブルクなどの西部の主要都市、さらにヨーロッパに製品を送るのだ。

極東ロシアの生産拠点とシベリア鉄道による陸送ルートを確立すれば、対ロ輸出の枠組みが広がる。また、先々、ロシアがEUに加入すれば日本はEUの隣国となり、産業政策上、非常に重要な基地ができる。産業と仕事が少ない極東ロシアでの雇用創出は、願ったり叶ったりだ。

さらに、日本海を挟んで、子供や学生などの人的交流も活発に進めて、両国にある警戒感や猜疑心を解きほぐしていく。

第3ラウンドは原子力。日本は核廃棄物の最終処分場を持っていないし、中間貯蔵施設すら圧倒的に不足している。そうした施設の受け入れにロシアの広大な国土の一部を使わせてもらう。ロシアが不得意なことを日本が補完し、日本にできないことをロシアに助けてもらうのだ。

北方四島にこだわるあまり、関係の深化が手つかずだった日ロ関係には、互いの閉塞状況を打ち破って突破口となりうる経済的に魅力ある項目がいくらでもある。

安倍政権は気合を入れて今年中に平和条約を締結し、目玉の乏しい第3の矢(成長戦略)に本稿で述べたような前向きなロシアプログラムを加えるべきではなかろうか。(大前研一レポート2013年7月31日「北方領土は日本の領土」という外務省のペテンのカラクリ) 

安倍首相が訪露し、モスクワのクレムリンでプーチン大統領と首脳会談をしました。まあ、日本人も「馬鹿の一つ覚え」みたいに「北方領土を返せ! 返せ!」ではなく、ロシアとの間でシベリア共同開発や日露間の経済交流を密にしてから「ところで北方領土ですが…」という外交センスが欲しい。「日露安全保障条約」「まずは二島返還」で「ひきわけ」「はじめ」ということだよ。ロシアのイシャエフ極東発展相(当時)は2013年2月27日、北方領土問題について日露がまず四島の共同開発を通じて協力関係を築き、そのうえで解決を将来の世代に委ねるべきだとの見解を表明しました。

またプーチン大統領と森喜朗元首相の会談について「首脳会談に繋がる建設的な会談だった」と評価し、首脳会談での成果に期待するという。だが、大前先生はイシャエフ氏には申し訳ないが日露の共同開発を日本側が受け入れることはないだろうといいます。

「共同開発」となれば「帰属問題」を明確にする必要もあり、パスポートの問題など細かい点の調整も必要となる。四島一括返還を主張しているだけでは堂々巡りになるだけなので意味がない。

だから森氏とプーチン氏との間で「今年中にいくつかの策をだして、それをベースにまた話し合いましょう」と上手な言い回しをしている。

日本の北方領土の歴史認識はある意味尖閣に対する中国に似ている。中国が最近トーンダウンしているのも「歴史的には台湾の問題だ」と中国人が気付いたからです。そもそも日本が「北方四島一括返還」を主張したのは1956年の米ダレス国務長官と重光外務大臣との会談がきっかけです。米国は北方領土問題が解決して当時のソ連と日本が近づくのを嫌がり、「沖縄返還」の条件として、ソ連に「四島一括返還請求」することを求めたのです。要するに米国の嫌がらせです。森氏は正しく理解していますが、政治家やジャーナリストの中にもこの事実を知らないひとが沢山います。

日本とロシアの両政府は先ごろ、極東地域でのエネルギーや農業、インフラ開発で関係を強化することで合意した。日本はロシアからパイプラインで天然ガスを引くだけでなく、 ロシアで発電した電力を直接購入すべきだ。日本は、ロシアとの経済関係強化は北方領土問題が解決してからだ、という態度をとってきた。日ロ間には平和条約もないのだが、外務省は「北方領土 かえる日 平和の日」と呪文を唱えて今日まで引き延ばしてきた。ビジネスマンにとっては信じられないくらい面倒くさいビザの取得をお互いに意地悪しているとしか思えないほど難しくしている。

しかし過去70年間、北方四島を実効支配してきたのはロシアで、このまま行けば次の70年間も膠着状態のままだろう。つまり日本側が交渉のテーブルについてコマを一つ進めなければ、前には進まないのだ。さいわい、3.11の後にはエネルギー問題が国家の緊急課題として浮かび上がってきたし、ロシア側でも極東シベリア開発が重要な政治課題に浮き上がってきた。お互いにじっくりと話し合う好機が到来したと言える。日ロ両政府は11月20日、貿易経済に関する日ロ政府間委員会を外務省で開いた。両政府は、ロシアが重視する極東地域のエネルギーや農業、インフラ開発で協力する方針で合意した。日本は経済関係を強化することにより、北方領土問題の交渉を進めたい考えで、ロシアは資源分野に偏った経済構造の転換や、極東で高まる中国依存からの脱却を進める考えだ。

 現在、ロシアの極東地域では、中国が存在感を強めている。特に天然ガスなどの資源を多く買っている。またヒトについても、中国の黒竜江省などからロシアの極東地域へ、大量の労働者が出稼ぎに行っている。ロシアはこの中国依存に危機感を強めており、このバランスを変えようとしている。そこでロシア政府は、日ロ関係を重視し、極東地域へ日本を呼び込もうとしているわけだ。今回の日ロ政府間委員会では、ロシア側から外務、運輸などの各省次官級やカムチャツカ州の地方知事など80人が来日した。相当、気合いを入れていることがわかる。

まず、極東・シベリア地域において、エネルギー、農業、インフラ、運輸分野の共同プロジェクト実現に協力していくことで日ロ両政府の見解が一致している。個別の分野については、医療においてロシアは日本企業の進出を歓迎する意向だ。ハイテク医療機器、医薬品普及支援も強化される。また、都市環境においても、交通渋滞解消などインフラ整備を協議する作業部会が設置されることとなった。

日本にとって喫緊の課題であるエネルギー問題でも進展があった。石油・天然ガスの対日供給は互恵的な条件で実施すべきとの認識で日ロ両政府が一致。「サハリン3」プロジェクト(サハリン北部沖の区域における石油・天然ガス開発事業)への日本企業の参画に対し、ロシア側が配慮する姿勢も見られた。「サハリン3」プロジェクトに象徴されるように、従来、日本側から見た日ロ経済関係と言えば、天然ガスを調達することが主な目的とされてきた。その際は、パイプラインの建設が大きなテーマとなる。天然ガスをわざわざ液化してタンカーで運び、日本でまた天然ガスに戻すのは効率が悪い。そこで、サハリンから北海道(あるいはウラジオストクから新潟あたり)までパイプラインを引いて、天然ガスをそのまま送り届ける必要がある。ロシアはヨーロッパ向けのパイプラインを何本も持っているし、最近着工された黒海を通る南ルートは2兆円のプロジェクトと言われているが、ロシアが全額負担している。いずれも数千キロの長さだ。

ウラジオストクと新潟の距離が800キロと言われているので、決して遠くはない。サハリンからガスのまま北海道の石狩湾から内浦湾(噴火湾)へ抜けて太平洋を南下させ、茨城県鹿嶋市あたりにパイプラインを引いても1000キロくらいで決して驚くような長さではない。ロシアにはガスプロムという世界最大の天然ガス企業があるが、アメリカのシェールガス開発によって、ガスの値段が下がり経営的に打撃を受けている。また、ガスプロムの顧客はほとんどがヨーロッパ勢であり、アジア市場に弱いという事情も抱えている。

こうした焦りがロシアにはあるので、それをうまく利用して、日本はなるべく有利な条件で天然ガスの調達を進めていくべきだろう。いずれにせよ、多くの原発が停止し火力発電への依存度を高めている日本に天然ガスを売りたいロシアと、安定的な天然ガスを廉価に調達したい日本の利害はかなり一致していると言える。

ロシア国営最大手ロスチフチは2012年10月22日、同三位のTNK-BPの買収を決めた。

欧米メジャーを抜き171億ドル(1兆3000億円)での買収となった。2012年のウラジオストクAPECでロシア側がインフラに1兆7000億円遣った事があきらかになった。孤島に橋を架けたり、火力発電所などを造ったという。プーチン大統領と野田首相の首脳会談が実現し、2012年12月訪露で合意した。また、LNG基地建設も提携していくという。そうだ、そうやって経済交流を密にしていけば領土問題も円滑にいくというもの。いいぞ。それこそ「外交で勝つ」だ。

ロシアのメドベージェフ首相が日本の北方領土である国後島を訪問し、「ロシアの領土だ。1コイン分たりとも日本に渡さない」と発言したこともありましたね。まあ、日本の交渉の窓口はメドベージェフ首相ではなく、プーチン大統領です。大人げない反発やデモはやめて欲しい。(ロシアのウクライナ侵攻前の記事です)



北海道の北に広がる大陸・サハリン。ここは昔、樺(から)太(ふと)と呼ばれる日本の領土でした。炭鉱や製糸業で栄え、昭和二十年の夏には人口二十万人に達していました。

その樺太を襲うソ連軍の艦砲射撃……終戦後の八月二十日のことでした。

ソ連軍三万五千兵VS樺太日本民との戦いが七日間続いたのです。

北海道・札幌に当時を知る川崎忠明さん(82歳・2017年度当時)は言います。

ほとんど知られてこなかった樺太戦争について語ってきませんでした。当時、忠明さんは小学生。父親の哉(や)平(へい)さんを戦争で亡くしています。一度も戦争を経験せず、終戦を告げる玉音放送を聴いたといいます。昭和二十年八月十五日、忠明さんは当時十歳でした。当時のことを鮮明に覚えていました。

「銭湯の湯船近くで同級生たちと走り回って……でも親たちは怒らない。それが印象的でした。あれだけ大騒ぎしても誰も怒らない。なんというか、戦争が終わって、ほっとしたということでしたんでしょう」

しかし、終戦後にソ連軍の艦砲射撃や爆撃機の空襲にみまわれます。

「誰も予期せぬようなソ連軍の露(ろ)助(すけ)(ソ連軍)による爆撃で父は直撃で……。空襲警報が鳴り響いて、父は近所に避難を呼びかけてる中でのことでした。下半身がなかったことだけは覚えている。ほぼ直撃だったんじゃないか。

父親にしてみれば天皇陛下様の終戦の玉音放送をラジオで聴いてからなので「何で? 戦争はおわったんじゃないのか?」という気持ちでの最期だった筈。樺太では戦争は八月十五日ではおわらなかった。八月二十三日にやっとおわった。しかも、ソ連軍に捕まったひとたちはシベリア抑留でそこからが地獄だった……」

第88師団(樺太師団)元・日本兵 大杉順治さん(90歳・2017年度当時)「終戦の玉音放送のとき、樺太の部隊ではおおきな停電があって放送が聴けなかった。だから、樺太の上層部は終戦を隠し通して「樺太死守」を命令していた。卑怯なもんだよ。俺らは終戦も知らずソ連軍と戦闘させられた。ソ連軍の艦砲射撃や空爆で一般人も兵士も大勢死んでさ。屍が累々と連なっていた。しかも、樺太部隊にはまともな武器もない。市民にも「竹槍で戦え」って。そりゃあ、わかるけど……無茶苦茶だった。大工さんもいるし本当の一般人を『国民義勇戦部隊』なんていってソ連軍と戦わせた……勿論勝てるわけない。ほとんど玉砕……かわいそうだったなあ」

原田廣(ひろ)記(き)さん(80歳・2017年度当時)「うわーっていう爆撃機の音と、ダダダダッという機関銃掃射の音、それからモノに当るバキバキという音がしてね。そのときは……ソ連軍に見つからないように夜中に移動してね。本土への引き揚げ船の港まで……疲れ果てて子供は動けなくなり。いちばん可哀想なのは子供を捨てる親ですよ。母親が……」

石田桂一さん(85歳・2017年度当時)「崖から落とすんですね、子供を……。動けなくなって。それだけ避難は大変だった。自分の子供をおとして歩かねばならない。ある意味半狂乱状態でしたね」

元・日本兵 金沢さん「3歳4歳の子供なんて……歩け、逃げろ、っていったって歩けないのよ。だから、一家でね、〝生きて虜囚の辱めを受けず〟っていうでしょう?だから、逃げられない一家は最期に缶詰を一家五人で食べて、そして最後に兵隊さんから手榴弾をもらって………ぱーん! ってね、かわいそうに………死んじゃった」

陸軍第88師団(樺太師団)では終戦後にもかかわらず、「南樺太を死守せよ」という不可解な命令文がきていた。

師団No2の樺太師団参謀長鈴木康大佐はすでに師団の武装廃棄を進めているところだった。「もう天皇陛下様の玉音放送もおわって、終戦の筈なのに〝南樺太を死守せよ〟? 意味が分らない……戦争はおわったのではないか?」

樋口季一郞(きいちろう)中将も「何故なんだ? 樺太師団にはまともな武器もない。どうやってソ連軍の艦砲射撃や空襲や南下を防ぐのだ? 頭がおかしいのか!」

もうパニックである。

「武器もないのにどうやって戦うのだ? バカヤロー!」

旧・樺太師団や樺太市民で逃げ遅れたものはみんなシベリア抑留の地獄を見ることとなった。また、有名な、真岡港の郵便局員女性が壮絶な自決をとげる〝真岡郵便電信局事件の悲劇〟も起きている。まさに戦争の悲劇、である。

話を戻す。



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