15.私の穢れた血を洗いに

 帝国へ出発する前日、私はいつも通り市役所に出勤した。


 終戦記念日の騒動から十数日が過ぎ、街で騒いでいた左翼団体も民間人も飽きたのかユゴ市内は普段通りの状態に戻った。左翼団体のやかましい騒ぎ声はもう聞こえてこない。騒動の日々にはいつ市役所に暴徒が乗り込んでくるかわからん、と怯えたような顔を見せていた職員たちの表情は穏やかになっていた。


 出来上がった書類を持ち上げ、歴史課の課長であるおじさんの机まで持っていく。タイプライターを打っていたおじさんが手を止めて、私を見上げた。


「やあ。おつかれさん」


 おじさんは三年経って黒い髪に白髪がたくさん混じってきて、若干老けたように見える。


「明日から七日間、皆さんに私の分のお仕事を押し付けてしまうことになりますが、よろしくお願いします」


 本当は七日間ではなく、永遠に市役所へは戻らないのだが。今度おじさんと会うときは、刑務所の面会室かもしれない。おじさんも、チャグも、私が殺人者になったことを知って驚き、悲しむことだろう。

 皆を悲しませるはめになって申し訳ない。だが心をぶれさせてはいけない。そう自分に注意を促し、私は深呼吸して姿勢を正した。


「どうした? 泣きそうな顔して」


 感情が表情に滲み出ていたのだろう。私は笑みを浮かべて平装を装い、首を横に振った。


「何でもありません」


「そうか。では明日、よい旅を」


 三年前は私に対して色々口調のきつかったおじさんだが、今では同僚として柔軟な態度を見せてくれるようになった。これからもおじさんとは良き同僚でありたかったが、ついにそれも今日で終わるのだ。


「ありがとうございました」


 別れの意味を込めて、あえて過去形にした。


「遅くなる前に早く帰りな」


「はい」


 おじさんと市役所や戦争調査現地で過ごした日々が走馬灯のように脳裏を流れていき、目の奥が熱くなってしまう。流れ出そうになった涙を見られないように、すぐさま踵を返す。私は鞄を持って、事務室の隅にあるロッカーへ向かった。


 上着を着て事務所の入口に向かい、出入り口扉前に置かれた机の上にある退勤表に退勤時間を記入して廊下へ出る。


 三年間通ったこの廊下を歩くのも今日で最後になる。


 市役所を出ると、夕空に羊雲の群れが赤黒みを帯びてひしめいていた。


 通常通りに車道を車が行き交っている。歩道では仕事帰りらしい制服を着た会社員、公務員たちが各々の帰路を目指していた。路上に散乱していた大量のごみも、左翼団体率いる反対運動の行列も、警備していた警察官の姿も見当たらず、至って平穏だった。


 最後に普通のユゴ市の光景を見れてよかった。


 それから人生最後に見る色んなものを私は見回し、目に焼き付ける。最後の空、最後の街並み――。


 ふとチャグのことを思い出し、私は立ち止まる。


 彼と会えるのもこの日が最後になる。


「チャグ⋯⋯」


 今まで無神経な腹立たしいことを言われたこともあるけれど、彼と出会わなければ今の自分はいなかったのだ。父の足取りを追えたのも、職を得られたのも全てチャグのおかげだ。


 もうチャグと会うことは二度とないのだから、彼には感謝の言葉を述べておくのがせめての礼儀だろう。


 ヤケ村に帰る前に博物館へ行き、チャグに会おう。


 駅から反対方向の遠く離れた場所にある博物館へ向かった私は、館内事務室の窓口でチャグはもう帰ったか否か職員に訊いた。


「今日の退勤表に名前が書かれてないから、まだいるんじゃないかな。いつもこの時間帯に帰ってるから待ってな」


 事務室窓口の横に立って待つ事数分、制服姿のチャグが立入禁止通路の奥からやって来た。チャグは私を見るや、びっくりしたように目を丸める。


「ユ、ユミンちゃん。どうしたの?」


「明日から七日間帝国に旅行しにいって留守にするんで、チャグに挨拶しておこうと思って」


 下手な言い訳をしてしまったことをちょっと後悔する。案の定、チャグが『七日間旅行するだけのためにわざわざ挨拶を?』と怪訝そうに眉をひそめたので、焦るあまり次の言葉が見つからない。


「で、僕に会いに来たわけ?」


「うん⋯⋯で、あのさ」


 緊張で喉が硬直する。 


「何?」


 いよいよチャグの瞳に不信感の色が滲み出始めたので、慌てて考えた言葉を私は口にする。


「今から海、行かない?」


「へっ?」


 何で海に行こうなんて言っちゃったんだろうと呆れながらも私は踵を返し、正面玄関のほうへ向かう。


 チャグは私の背後を追って訊いてきた。


「急にどうしたの? 海? まさか泳ぐとか⋯⋯」


「そうじゃないの。話したいことがあるから、誰もいない場所に行きたいの」


「話したいこと?」


「うん」


 私達は博物館を出ると、ユゴ市内を循環する路面電車に乗って海岸線の道路へ向かった。  


 車道中央に位置する駅に降りると、どこからもなく磯の香りが漂ってきた。

 頭上をウミネコの群れが飛び交い、名前通り猫の鳴くような声を響かせている。


 海岸沿いに並ぶ建物の隙間から、夕日に照らされる海原が見えた。水平線から半分だけ顔を出す太陽の光を受けて、海面は赤みを帯びている。


 海と陸を隔てる混凝土の防波堤の歩道をチャグと歩く。まだ冷たい春の潮風が私の頬を撫で、全身に寒気が走った。


 私の後を付いてくるチャグが訊いた。


「話したいって、何を?」


「特に話題はないんだけど、たまにはチャグとのんびりと話したくて」   


 最後の時間を二人で過ごすためチャグと話すという計画は実行できたものの、肝心の「何を話すか」ということについては何も考えていなかった。どうしようと悩んでいると、幸いにもチャグのほうから話題を振ってくれた。


「ユミンちゃん、帝国に旅行しにいくんだって?」


 目的は一つ、父に会いにいくんだろうなと察しているようにチャグの声色は重苦しかった。


「うん。七日に私の叔父さんに会ってね、お父さんの場所教えてもらったの。だから直接会いに行くの」


「叔父さんと会えたんだね。どんな人だった?」


「優しそうな人だった。この人となら家族になってもいいかなって思えた」


 チャグは「よかったね」と少し嬉しそうに答えた後、急に深刻そうな重い口調で訊いてきた。


「ところで、お父さんに会いに行ってどうするの?」


「問い詰めてやるの。ソニさ⋯⋯母さんをどうして虐げたのかって」


「⋯⋯」


 問い詰めてもどうせ良い結果なんて得られないでしょうよ、と言いたげな気配が彼の沈黙から伝わってくる。沈黙の意図に応えるように私は言った。


「謝ってもらえなくてもいいの。俺の子じゃないって突っぱねられてもいいの。それでも直接父に会って、問い詰めるの。どんなことを言われても、話せただけでもけりがつくと思うから」


「⋯⋯そうか」


 これ以上なんと返せばよいかと悩むようにチャグはまた黙り込む。


 静寂が訪れ、会話の流れが完全に詰んだことを察した私は、そろそろ別れの言葉と悟られない程度のお礼を述べようと決心する。


 私はチャグのほうを向いて、一呼吸間を置いてから口を開いた。


「チャグ、父さんと会える機会を与えてくれてありがとう。三年前、チャグがヤケ村に来てくれなかったら永遠に父には会えなかった」


 表情をかげらせていたチャグは、ぱっと明るい笑みを浮かべて返す。


「違うさ。ユミンちゃんが僕達の車に勝手に乗ってまで、お父さんを探したいって頑張ったからだよ」


 あの時、チャグたちの車の荷台に乗っていなければ、何が何でも父を見つけてやると意気込んでいなければ、今の人生はなかった。確かにそれも一理ある。けれど、チャグ、おじさん、おばさん、ホル家族の支援が無ければここまでこれなかったのも事実だ。

 

 嬉しさと、もう会えない寂しさがない交ぜになった気持ちに駆られながら、私はチャグに手を差し伸べた。


「ありがとう、チャグ。私をここまで導いてくれて」


「こちらこそ。僕もユミンちゃんと会えて色々考えさせられることがあったよ」


 永遠の別れとは知らずにそう言うチャグに対し、罪悪感を抱く。


 私達は握手を交わした。三年前より一回り大きくなったチャグの手が、私の手をしっかりと握り締める。


 もう二度と彼のこの手を握ることもない。そう思った時、脳裏をチャグと過ごした三年間が過ぎっていった。


 初めてヤケ村で出会った日。

 屋根裏部屋で一緒に戦況報告書を読んだ夜。

 分遣隊基地で私をそっと抱きしめてくれた時のぬくもり。

 君を助けたいんだと言ってくれた時の涙が出るほどの嬉しさ。

 父を可哀想にと言った無神経さに、初めてチャグに腹が立った日。

 履歴書の書き方を教わり、見事戦争調査隊に入れたこと。

 花火を二人で見た夜⋯⋯。

 

 何も心残りはないと思っていたのに次々とチャグとの思い出が否応なしに脳裏を過っていって、胸が急に苦しくなる。


 まるで行かないでと繋ぎ止めるように私の手を固く握るチャグの手をそっと解き、私は踵を返して彼に背を向ける。


 涙が目縁に溜まってきて零れ落ちそうになるのを必死に堪える。





 さよなら、私の生涯唯一の友人。



 ◆ ◆ ◆



 チャグと最後の時間を過ごした後、私はヤケ村に帰り自宅の戸を開けた。いつものように作り置きした夕食の雑炊を啜っているソニさんの姿が目に飛び込む。


 彼女が雑炊を食べ終わるのを待ってから、私は口を開いた。


「ソニさん、あのね」


 ソニさんは顔を上げて、私を見た。


 彼女を誘い出すために私は嘘を付く。


「私、これから残業になって明日までに帰ってこれないから、今からまたホルさんの家で留守番してくれる?」


 ソニさんは嫌そうに顔をしかめる。


「お願い。残業さぼったらクビになって雑炊作れなくなっちゃうわ」


「ご飯、食べれんようになるんか⋯⋯」


「そうよ。三年前の里芋と山菜だけの貧しいご飯になるわよ」


 仕方ないなと呆れたようにソニさんは表情を緩めて項垂れる。


「⋯⋯今から行こう、ソニさん」


 ソニさんは頷いて立ち上がった。


 私はソニさんと共にヤケ村を出て、ヨト駅から汽車に乗りアサ町を目指した。


 アサ町に着くとタクシーに乗って、以前店を焼かれたお姉さんを連れて行った避難民収容所へ向かう。場所は市役所内にある住所表からこっそり調べておいた。


 塀に囲まれた建物の前でタクシーは停まった。塀の中には白壁の二階建ての四角い建物があり、一階のカーテンで覆われた窓から明かりが漏れている。建物の前には低木がところどころに植わった小さい庭があった。塀には鉄柵があり、勝手に出入りできないようになっている。

 ここが店を失ったお姉さんのいるアサ町避難民収容所だ。


 ソニさんは着いた場所がホル宅ではないことに気づいたのか、眉をひそめて落ち着かない様子を見せた。


「ここ、家じゃない」


「ソニさん、いいから降りて。運転手さん待ってるから」


 車の扉が自動的に開かれると、ソニさんは大人しく降りた。一瞬逃げ出すのではないかとひやりとする。


 私が降りると、タクシーは走り去っていった。私は塀に貼り付けられた呼び出しボタンを押し、施設職員を呼び出す。建物の入口扉のほうからジーッと音が鳴って暫くすると、一人の女性職員が飛び出してきて、中庭の小道を通って鉄柵の鍵を開ける。


「はい、どうなさいました?」


「この人を預かってほしいんです」


 ソニさんの「え?」という小さな声が聞こえた。話が違うじゃないか! と思っているのは間違いないだろう。申し訳なく思いながらも、私は女性職員に向かって頭を下げて懇願する。


「私、もうこの人と生活することができないんです。だからお願いします」


「中でお話を窺います。どうぞ」


 話を聞いても、施設側が入所拒否を決定すればソニさんを預けてもらうことはできない。


 緊張感に動悸が激しくなる。


「どうしましたか?」


 頭の中に浮かんだ選択肢は、このままソニさんを置いて独り逃げること。


 今思いつく最善の方法はそれしかなかった。


 ソニさんを勝手に押し付けられた職員には大変申し訳ないが。


 後ろめたさを抱きながら私は後ろを振り向き、ゆっくりと歩き出す。無言で踵を返した私に戸惑ったらしい女性職員の困ったような声が背後から聞こえた。


「あの⋯⋯」


 私は肩越しからソニさんを見つめ、最後の別れの言葉を投げかける。


「さよなら、ソニさん」


 彼女はこれから施設の人たちから手厚い精神治療を受ける機会を与えられ、それなりに平穏に暮らしていけるのではないだろうか。もう穢らわしい娘と生きる日々を送ることも、心を壊す必要もないのだ。

 ソニさんがようやく希望の光を掴んだような気がして、私は嬉しくなった。


 ソニさんは行かないでと言うようにこちらへ手を伸ばし、訊いた。


「⋯⋯どこいく?」


「私、アッちゃんに仕返ししにいくの。今までソニさんと私をいじめた分の罰を受けてもらうために」


 ソニさんはわけがわからないというようにきょとんとした顔を浮かべる。


「アッちゃんを⋯⋯?」


「仕返ししたら、二度とこの国には戻れないの。だからソニさん、今日からここで暮らして頂戴。ソニさんをいじめるアッちゃんをこらしめてやるから、絶対自殺しないでね」


「ここで、暮らす?」 


 私は前を向いた。


「そうよ。今までありがとう。それとソニさん⋯⋯これからは第二の人生をちゃんと歩んでね。たった一人の屑のために、全てを失うことなんてしなくていいのよ」


 ソニさんたちから数歩離れた後、私は思い切って駆け出した。


 駆け出す瞬間、感情が針のように鋭く尖って突き上げてきて胸が痛んだ。


「あっ、ちょっと!」


 女性職員が声を張り上げる。私は構わず車道を挟んで向かいにある歩道へ駆けていき、全速力で住宅地の夜道へ逃げた。


「ユミン! 待って!」


 背後からソニさんの叫び声が轟いて一瞬立ち止まりそうになるが、走れ、逃げろと自分に言い聞かせて更に足を早める。


「私はまだ心が壊れてないんだよぉーっ!」


 ソニさんの叫びは遠ざかってやがて聞こえなくなり、閑静な住宅地の静寂が私の聴覚を満たす。


 針のように胸に突き刺さってくる感情に翻弄されて、私は無意識に「⋯⋯母さん」と呟いた。


 母さんと言ってはいけないのに、母親だと思ってはいけないのにと自分を咎める。


 しかし一方で、胸のひりつくような恋しさを覚えていた。


 私は心の中でソニさんに願った。


 ソニさん、もうこれ以上鬼畜なんかのために自分の人生を壊そうとしないで。

 これからは自分のために生きてね。



 ◆ ◆ ◆



 ヤケ村に独り戻った私は、無人になった自宅の出入口戸を開けた。背後から降り注ぐ月光が家の中を照らし、ごみだらけの土間を明るみにする。


 もう汚いことこの上ない家で暮らすこともない。今後私が過ごすであろう刑務所の部屋はここより少しマシであることを願う。


 十年暮らした家の中を見つめた後、私は裏手に向かい農具をしまっている木造蔵の戸を開けた。クワスキなどの棒に挟まれて旅行用のリュックが置かれている。明日、帝国へ向かうために準備しておいたものだ。私はリュックを取り出し、蓋を開けて中から鉄製の四角い箱を手に取る。


 箱の中には拳銃が入っている。銃弾数は確認したところ三発だった。父と遭遇したその時、絶対失敗しないように撃たなくては。


 箱をリュックの中に入れ、私は蔵の戸を閉めた。




 午前四時。夜が明けて、峰から顔を出した太陽が山の表面を照らし出す。家の中で目を覚ました私は外に出て焚き火を炊き、雑炊を作り食べた。朝早い朝飯は胃に重たいが、船が午前中に出るので我慢だ。


 朝飯を食べ終えて皿を裏手の小川で洗った後、蔵にしまっておいたリュックを取り出して背負った。ずっしりと重く、腰に負担がかかる。


 さぁ、出発だ。


 私は歩き出した。


 自宅前の畦道に出ると、私は後ろを振り返って家を見た。鍵はかけていない。二度とこの家に戻ることはないからだ。


 私は背筋を伸ばし、自宅に向かって頭を下げる。


「長いことお世話になりました。⋯⋯それでは」


 ヨト村に続く畦道を進んでゆく。村人たちは既に起きて、各々の所有する畑の中で農作業をしていた。


 リュックを背負って畦道を歩く私に、村人たちはいつもの冷たい視線を投げかけてくる。結局、戦争調査隊に入って彼らと接触する機会を減らしても、村人たちの私に対する気持ちは何一つ変わらなかったらしい。


 十六年間、この村にいてごめんなさい。今まで辛かったよね。私は周囲から飛んでくる冷たい各視線に謝った。


 畦道の遠くからびっこを引いてやって来るおばさんの姿が見えた。


 通りすがりに、私はおばさんに言った。


「私、これから帝国に行ってあなたの仇を討ってきますので」


 おばさんは私を一瞥し睨みつけた後、無言で去っていった。何を馬鹿馬鹿しいことを、と彼女の瞳が訴えていた。構わずに私は続ける。


「本当よ。楽しみにしていて。仇を討ったら⋯⋯」


 その時は、私をあなたたちの仲間に入れてくれたら嬉しい。

 


 ◆ ◆ ◆



 青空には雲ひとつなく、海面は小波が立つほど穏やかで渡航には最高の日だった。

私は叔父が乗り降りした入場口の前に立ち、連絡船が来るのを待っていた。


 終戦記念日の騒動が収まった影響か、私の前後にはたくさんの共和国人が並んでいる。出張へ行くのか、或いは旅行へ行くのか。背後の親子が「早く街に着いて美味しいもの食べたいね」と楽しそうに話している。聞こえてくる客たちの会話はどれも愉快そうで、約半月前の帝国への憎悪が溢れていた街の雰囲気が嘘のようだった。


 連絡船到着予定時刻の十分前に、北大陸のほうから白い巨影が迫ってきた。埠頭へやって来たのは、叔父の乗ってきた客船と違い、三階建ての大きな客室施設がある大型船だ。


 船が着いてタラップを上がると、細かな振動が床から突き上げてきて身体中の肌が少し痒くなる。


 出発時刻丁度になると、煙突から黒煙が拭き上げる共に唸るような汽笛が轟いた。


 船がゆっくりと動き出し、横に身体を引っ張られるような感覚を覚える。


 いよいよ出発だ。私は船の後部に向かい、広場を囲う鉄柵に身を寄せて、海面に引かれた澪の帯の彼方に広がるユゴ埠頭を眺めた。港とその背後に広がる街は段々と遠ざかり、霧がかったようにぼやけて色褪せてゆく。


 黒ずんで水平線に横たわる影と化した共和国に向かって、私は軽く手を振った。


 さよなら、共和国。


 今後一生、あの国の土を踏むことはないだろう。


 私は共和国とは真逆の方向を向き、水平線の彼方に広がる北大陸を見た。


 さぁ、ゆこう。







 私の穢れた血を洗いに。

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