三章:命と欺瞞のコンチェルト

第一話:不思議な岩と、清い水


  *


「やっぱり、何も感じられないわね……」


 ディアドラは神社の敷地内を探索していた。玉砂利を踏んで参道を進み、拝殿や本殿を覗き、社務所の様子を窺い、そして木々が立ち並ぶ鎮守の森へと分け入ってゆく。


「こちらには少しは清廉な気が残ってるようね。樹木そのものが持つ霊気ってのと、やはり神社の敷地内ってのがあるからかしら」


 意外と森の中が歩き易く、かつ閉塞感が無い事に驚く。神社をここに移すにあたり、元からある樹を生かしつつも不要な樹は伐採して整理したからだろうか。砂利を敷かれた道は広く、暗い雰囲気は感じられない。


 そして少し進んだ先、木々に囲まれつつも少し開けた空間にディアドラはそれを見出した。


「これが……此処のご神体ね」


 ぽっかりと開いた円形の空間、玉砂利の敷かれたその中央。大きく平べったい岩の台座の上に、注連縄を巻かれ祀られた──丸い岩が、鎮座していた。


 大きな卵のような形のその岩は、中心に大きく罅が入り、真っ二つに裂けていた。


「……ちょっと失礼するわね。土足で申し訳無いけど、ごめんなさいね」


 謝りつつディアドラはその岩に歩み寄った。罅を、その断面を覗き込み、丹念に観察する。


 こういう物の運搬には細心の注意を払っている筈だ、移転したのが原因で壊れたとは考えにくい。断面には風化したような感じは見受けられない、恐らくはごく最近に割れたものだろう。


 ならば何故? 誰の手によって? 疑念が湧き上がるものの答えは見付からない。しかもほぼ崩れた様子は無く、真っ二つに分かたれている。このような芸当は、普通の人間がやろうとして出来る事では無い。


 ふうむ、と鼻から息を吐き、ディアドラは腕を組んだ。太い眉根が寄る。嫌な想像が脳裏をよぎる。


 強大な力──そう、圧倒的な力を持つ能力者ならばこれが可能なのではないか。例えば、そう、オボロのような……。


 もしかしてこの割れた岩と、このふざけた殺し合いゲームには何らかの関連があるのだろうか? オボロの言う『勝者に与えられる景品』がこの岩に封印されていた何らかの力だとしたら……。


 そこまで考えて、ディアドラは首を振った。今はデータが不足し過ぎている、こんな考えは自分の妄想でしかない。裏付ける手段が何も無い推論は、ただの妄言だ。


 他に何も気になる物が無いのを確認し、ディアドラはきびすを返した。玉砂利をサクサクと踏む音が心地良く心身を洗ってゆく。


「さて、ここからどうしたものかしらね……」


 歩きながらディアドラは精神を集中させ、霊気を探る。


 さほど遠くはない距離に、先程拳を交えた『子猫ちゃん』──マドイの気配が在る。そのうち襲って来るであろう猫めいたセーラー服の少年の顔を思い浮かべ、少しだけ口許がほころぶ。


 マドイとはまた直ぐにでも戦う事になるだろう。その時には全力で叩き潰すと決めている。実力差を考えれば自分が勝利する事は揺るぎようも無いが、それでもマドイが全力で掛かって来ると言うのならば、全身全霊をもって迎え撃つのが礼儀というものだ。久々に全力を出せるであろう機会に、ディアドラは不謹慎ながらも嬉しさを禁じ得ない。


 ──そして更に、ディアドラの感知に微かに引っ掛かる気配が二つ。


「一つはムサシマル君の物ね。もう一つは……『結社』の陣営の能力者かしら」


 距離が遠いが故に少しぼやけてはいるものの、間違い無く片方は見知ったエンジニアの物だった。ムサシマルが居るのはレジャー区画の西側のようだ。この神社が住居区画の中でも西寄りに位置している為に感知出来たのに違い無い。


「少し遠いけど、加勢に行くべきかしらね」


 神社の入り口、鳥居のある場所まで戻って来たディアドラがその方角を仰ぎ見た。あちらはレジャー区画の中でも自然の多い場所で、確かキャンプ場や森林公園が存在していた筈だ。


「歩くとなると、時間が掛かりそうね」


 ディアドラは大きく溜息をつく。目が覚めてからはずっと歩き通しだったのだ、少し疲れが溜まっていた。


「動きはまだ無いようだし、少し休憩しても罰は当たらないでしょ」


 ディアドラは神社の中へと入り直し、手水場でこれ幸いと喉を潤すと、脇に設けられた簡素な機の長椅子へと横たわる。


「失礼するわね、どっこいしょ。はあ……中年には長丁場は堪えるわぁ」


 また大きく溜息をつき、逞しい腕を枕に目を閉じたのだった。


  *


「おい、何こんなとこで寝てんだよオッサン! 殺しちゃうぞ!!」


 少年にしては少し高い声が、ディアドラの意識を揺さぶる。思いのほか深く眠りこけていたらしい。ディアドラがゆっくり目蓋を上げると、目の前には拗ねたような顔で怒るマドイの顔があった。


「あら、おはよ。何なら殺してくれても良かったのに」


「そ、そんな事出来るかよ!」


 ふいっと顔を背けるマドイの仕草になごみながら、ディアドラは大きく伸びをする。手水場の水を掬ってごくごくと飲み、ふうと一息ついて長椅子に座り直した。


 そしておもむろにワンピースの首許を引っ張りごそごそとブラジャーの中を探る。パッドの間に詰めてあった何かを二つ取り出すと、ずいっとマドイに差し出した。


「食べる? お腹空いてるんじゃないかしらん?」


 ほんのりと人肌に温かいそれは──個包装されたどら焼きだった。


 二人長椅子に並んでどら焼きを食べる。


「呑気だなオッサン。まさか放送されたのも聞き逃してるとか無いよな?」


「うとうとしながら聞いたわよ。でも名前も言わないんだったら、情報少なすぎてどうしようもないじゃないの。それよりは体力回復が優先よ」


「肝座ってんなあ」


「伊達に年喰ってないわよ」


 食べ終わったマドイがごちそうさまと手を合わせ、手水場の水を拝借する。ディアドラはマドイの分のゴミも回収して小さく畳み、パッドの隙間に押し込んだ。


「……オッサンは何で戦ってるの。オッサンなのに。もう術士としては体力も限界だろ、アスリートみたいなモンだしさ」


「人生色々あるのよ。そういうアンタはどうなのよ」


「……ボクは孤児だったから。施設では何処でも馴染めなくて、結局飛び出して身体売りながらホームレスやってて。たまたま拾ってくれたのが『結社』でさ、見込みがあるからって能力同化処置を受けて能力者になったんだ」


 細い脚をぶらぶらさせながらマドイがぽつぽつと言葉を零す。伏し目がちにあさっての方向を見ながらマドイは、次オッサンの番、と肘でディアドラを小突いた。


「そうねえ。アタシは昔っからこんなガタイで力も強かったんだけど、女の子になる夢が捨てきれなくてねえ。術士として働くならどんな格好しててもいい、って『組織』に言われて術士やってたのよ。でもね」


「でも?」


「姉夫婦が突然事故で亡くなってね。その子供を引き取る時に、術士辞めて後方支援の仕事に異動させて貰ったの。それからしばらくは普通の社会人みたいな顔して生きてたんだけど、結局その子も交通事故で亡くなっちゃってね、人の命って儚いものよねえ」


「そんで術士に復帰したんだ?」


「そんな感じよ。──つまんない事話しちゃったわね」


 ディアドラは少し目を細め遠くを見詰めている。オッサンも色々あったんだな、と零れたマドイの呟きに、ディアドラは肩を竦めた。


「じゃあ、そろそろ始めましょうか」


 二人は同時に立ち上がる。連れ立って歩き、鳥居をくぐり、駐車場らしき少し開けた場所で距離を取る。


「……本気だぞ、本気だからな。本気じゃないと殺すから」


「わかってるわよ」


 二人は互いに視線を絡ませ、同時に前進から気を立ち昇らせた。


  *


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