第37話 病に倒れる


 ようやく目的地の南海にたどり着いた。



 桂陽を出た時は三万の兵を率いていたが、今は二万を下回っていた。


 それに半分近くの兵が元気がない。


 馴れない土地で満足な食事も出来ず、夜な夜な猛獣の襲来に怯えて寝不足気味。


 こんな状態で南海攻略をしなくてはならないのだ。


 指揮官である俺もやる気が出てこない。



 しかし、そんな状態でも元気な奴らは居る。



「むふぅ~、あれが南海か。早く暴れたくて腕が鳴りおるわい」


「漢升殿。俺達の出陣はまだですか?」


「慌てるな、文長!わしも我慢しておるのだ。お主も我慢せい」


「は、はい。我慢します!」


 こいつら元気だよな。


 やたら元気な声を聞くとこちらの気が滅入る。


「孝徳殿、まずは使者を派遣致しましょう。我らの目的を告げて相手の出方を見るのです」


「ああ、うん。任せる」


 なんだろうな。どうも体がダルいんだよな?


 何も考えたくない。


「分かりました。では使者は私が選びましょう。それと孝徳殿。顔色が優れませぬな? 少しお休みになれますか?」


「うん? ああ、ちょっと熱っぽい感じがするな。顔に出ていたか?」


「ええ、少し」


 う~ん、どうも体に力が入らないんだよな?


 これは風邪なのかな?


 土地が変わって気温も上がったから体がビックリしてるのかな?


「すまんが少し休ませてくれるか。どうも頭が回らないんだ。前衛の指揮は黄忠に、後軍の陳到には警戒体制を取らせてくれ。使者の返事は…… どう、するかな?」


 あれ? なんかダメな感じがする。


「孝徳殿無理を為さらず、後は我らが。魏延、孝徳殿を床にお連れせよ。疲れが溜まっておられるようだ。なるべく静かにな」


「は、はい行きましょう。劉封様」


「す、すまん。あ、後は、任せるよ」


 俺は魏延に支えられながら専用の天幕に向かった。


「劉封様。ゆっくりとお休みください。南海の兵は俺が蹴散らしてやりますよ!」


「ふふ、ありがとう魏延。俺は、大丈夫、だから。早く、もどっ、て……」


 あ、もう、ダメだ。


「劉封様? 劉封様? え、あれ。や、ヤバい。だ、誰かー! おい誰か居ないかー! 軍師を! 徐庶様を呼んでくれー!」


 魏延の慌てた声を聞きながら俺は意識を失った。




 徐庶が南海に使者を派遣すると意外な事に南海太守 士祗しきは抵抗する事なく俺達を迎え入れてくれた。


 どうやら交州史刺兼蒼悟太守呉巨が劉備の後ろ楯を受け、劉備が兵を派遣した事を聞き付けていたらしい。


 南海城は小城で守備兵も多くない。


 籠城しても合浦太守 士壱しいつの軍勢は合浦と南海の間に有る蒼悟の呉巨に阻まれてしまう。


 なので無理に抵抗する事はしないと決めていたそうだ。


 それどころか交州の実質的支配者士燮は俺達と話合う用意が有ると言っている。




 俺はそれを南海城の一室で徐庶から聞いた。



 俺は気を失った後に南海城の一室に運ばれて寝ていたらしい。


 三日ほど寝た後に目を覚まして心配する皆の顔を見て状況を説明され、そして自分が病に掛かっていると知らされた。



 病名は『傷寒しょうかん』『腸チフス』だった。



 腸チフスの症状は風邪に似ている。


 初期症状が風邪と似ているので誤解してしまうのだ。


 俺は体のダルさと熱っぽい感じから風邪に掛かったと誤解していた。


 そしてこの傷寒に掛かっているのは俺だけではなかった。


 兵の半分近くが傷寒に掛かっていたのだ。


 それに馮習も傷寒に掛かっていた。



 その事実を知らされた時に俺は死ぬのかと思った。



 その後は悪夢と夕方から朝方までの間に高熱にうなさ昼間は体の怠さの倦怠感に悩まされた。


 嘔吐、下痢を繰り返し一月ほど寝たきり状態だった。


 鼻血が出た時はもうダメかもと思い死を意識した。


 と同時に現代に帰れるのではないのかと淡い期待を抱いていた。



 しかし、幸運な事に張仲景の弟子達が居た事で大事には至らなかった。



 どうやら現代に帰れるのではという思いが良い方に作用したようだ。


 弟子達は俺の早い回復を見て驚いていたが、俺からしたら彼らの献身的な介護が無ければ死んでいたと思う。


 俺は彼らに感謝しつつも長沙に戻ったら、改めて張仲景に感謝を告げようと思った。



 熱も下がり合併症の症状も出てない事が確認されると南海太守士祗と面会した。



「お初にお目にかかります。士燮の次男南海太守士祗と申します」


「まだ満足に起き上がれなくてね。このままで失礼するよ。私は劉封。我が君劉備様の名代だ」


 俺はまだ寝たきりだ。


 上半身を起こした状態での会見となった。


 相手に弱みを見せる事になるが、いつまでも待たせる訳には行かず、俺の体調の良い時に呼びつけると言う強気なのか弱気なのか分からない交渉を行う事となった。


「傷寒に掛かったと聞いておりましたが、これほど早く回復された方を私は見た事が御座いません。貴方様はよほど強い運気をお持ちのようですね」


 強い運気か。悪運の類いじゃないのかな?


 それとも誰かに取りつかれているのか取り憑いたのやら?


「ふふ、ありがとう。それで要件とは?」


「はい。我が父士燮は合浦に向かっております。一月後には到着の予定です。そこで合浦にて父上との会談をと思っておりますが…… どうでしょうか?」


 一月後か?


 それだとこっちを発つのは早くとも十日後くらいか?


 俺は傍らに待機している徐庶を見る。


「劉封様は回復なさったとは言えまだまだ安静にしておらねば成りませぬ。とても一月後の会談など無理な相談ですな?」


「そうですか。分かりました。父上には劉封殿の回復を待つように伝えて置きまする」


「すまんね。士祗殿」


「いえいえ、お体お大事に。ではこれにて」


 そう言って士祗は部屋を出ていった。



 ふぅ、疲れる。まだ体に力が入らない。


「どう見る。元直?」


「会談を急がせる理由は無いと思いますが、いささか妙ですな?」


 そうだな。俺はこんな状態なんだ。


 それなのに会談を急ぐ。


 士燮からしたら俺の心象を悪くするのは悪手の筈だ。何か有るのかな?


「兵はどうだ?」


「残念ながら病に掛かった者達半数が助からないそうです」


「そうか、俺のせいだな。俺が焦って出陣を早めなければ、こんな事には成らなかっただろうな」


 俺は両手に力を込めるが手に力が入る事は無かった。


「情けない、本当に情けない!これで一軍の将だと? これで劉玄徳の後を継げるのか? は、はは」


 乾いた笑いしか出てこない。


「孝徳殿、お気を落とさず。貴方は生きておるのですぞ!生き残った事を誇りに思いなされ」


 誇りに? 無理だよ。


「すまん。横になる。誰も入れないでくれ」


「分かりました。では失礼致します」


 素っ気ない態度を取ってしまった。


 徐庶に悪い事をしてしまったな。



 その日俺は久しぶりに劉封の記憶を見る事が出来た。


 俺の中には三つの記憶が有る。


 一つは日本人柳保の記憶。


 もう一つはこの世界で生きてきた劉封孝徳の記憶。


 そしてもう一つが……



 記憶は赤壁以後の記憶だった。



 赤壁の戦いの後に劉備は江陵の南対岸の場所、公安に駐屯していた。


 この場所に居を構えた理由は周瑜に有った。



 周瑜は江陵を攻略した後に軍を南に展開して南荊州四郡を制圧、そして四郡と江陵を結ぶ狭い土地を劉備に宛がったのだ。


 しかしこの土地は狭く劉備の下に群がる旧劉表配下の者達を抱える事が難しくなった。


 これを打開する為に劉備は孫権に直接交渉をしに向かった。


 劉備は荊州南郡を貸して貰えるように嘆願。


 孫権は周瑜と魯粛の策を入れて、まずは劉備に妹を与えて呉の土地に止まらせた。


 その間に周瑜は益州平定の準備を始める。


 魯粛は魯粛で孫権に劉備を帰して南郡を与えるように進言した。


 劉備は魯粛の計らいで南郡を得て公安に帰った。孫権の妹を連れて。



 この時、周瑜と魯粛は別々に動いていたようだ。


 その後程なくして周瑜が病没。


 周瑜の代わりに都督に命じられた魯粛は直ぐ様江陵を劉備に譲っている。



 これで劉備は江陵と荊州南郡を得たのだ。



 俺の知っている演義や正史とは違った話だ。


 しかし劉封の記憶は間違っていないだろう。


 これが真実の筈だ。



 そう、もう一つの記憶は俺の前世『劉封』の記憶だ。



 演義や正史では荊州南郡は劉備自ら兵を出して平定した事に成っていた。


 しかしこの領土の領有を孫権がした為に劉備は孫権に会って荊州南郡の領有の正当性を主張し、それならと孫権は妹を劉備に与えて荊州南郡は妹の引き出物として与える事にしたと成っている。



 これが荊州領土問題だ。



 孫権は荊州は俺の物だと主張し、劉備は荊州は劉表の子劉琦から譲られた物だと主張した。


 これが劉備と孫権の争う原因になったのだ。


 そして俺は孫権がなぜ荊州の領有を主張するのか不思議に思っていたが、劉封の記憶を見て納得した。


 後々問題になった荊州南郡の租借問題は元々は孫権が荊州南郡を得た後に、劉備に貸した事で起きたと言う事だ。



 だからあれだけしつこく孫権は返せ、返せと迫ったのか。


 そして劉備はそれをのらりくらりと交わしていたのだな。



 しかし今は荊州の領土問題が発生する事はないだろう。


 なぜなら江陵も荊州南郡も劉備が自らの手で手に入れたからだ。


 周瑜も文句は言ってこないだろう。



 そして劉封の記憶は劉備が益州に向かうところで途切れた。



 俺の前世の記憶はまだ完全には戻っていない。


 何かの拍子で見る事が出来るのだ。


 知りたい情報が前世の記憶に有るのにそれを自由に引き出せないジレンマが俺には有る。




 翌朝目覚めると体の不調は無くなっていた。



 そして久しぶりに立ち上がり体を伸ばしていると徐庶と潘濬が部屋に入ってきた。


 二人は俺を見てギョッとすると直ぐに駆け寄り床に戻そうとした。


「大丈夫だ。今日は体の調子が良いから立ち上がっただけだ。無理をしている訳じゃない。本当に大丈夫だから」


「そ、そうですか。ですが無理はよく有りませぬぞ」


「そうです。ですが昨日よりも顔色が良く成りましたな。ほっとしました」


 心配ばかりさせてしまったようだ。


「それでどうした。こんな朝早くに。何か問題か?」


 二人は顔を見合わせて頷くと俺を見る。


「今日の孝徳殿の体調を見て申し上げようと思ったのですが、どうやら大丈夫のようですな」


「だから何なんだ。承明?」


 潘濬は咳払いをした後に発言した。


「南海の兵の噂で、近々孫呉の兵がやって来るとの話です」


「それは本当か?」


「何でも船を使って来るとの事で南海の商人達の話が兵にまで伝わっているそうです」


 これはもしかして孫呉の交州平定と時期が重なったのか?


 孫権め!荊州が取れないと判断して、それならばと交州を掠め取れると判断したか!


「なるほど士燮との会談を急がせる訳だな」


「どうなさいますか?」


「決まっている。合浦に向けて兵を出す!俺も行くぞ!」


 起きてからすこぶる調子が良い。


 生まれ変わった気分だ。



 交州を孫呉に渡してたまるか!



 この土地は俺達の物だ!

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