愚かな殿下へ。そちらの女性はどう考えても◯◯からの◯◯ですが、私は悪女のようなので黙っておきますね
佐佑左右
第01話 婚約破棄
私にはかつて男女の愛を誓い合った人がいた。
さながら我が家の
優しく頼りがいのある彼と過ごした日々の中、幼心にこの幸せがいつまでも続いていくものだと信じていた。
だけど所詮は子供の幻想で、そんな当たり前に思えた幸せはいとも簡単に壊れてしまうものだとあの頃の私はまだ知らなかった。
「――喜びなさいカムシール、将来のお前の結婚相手が決まったぞ。相手はなんとあのルブランテ殿下だ。これは我が家はもちろんお前にとっても大変名誉なことなのだぞ」
そう誇らしげに語って長女の確約された未来に安穏と笑っていた父だったが、またもある日突然「すまないカムシール、あのようなクズがお前の結婚相手で……。王太子という立派すぎる肩書きにのみ囚われ、大事な愛娘を任せるに値する男かどうかという部分を考慮していなかった。こんな愚かな父を許してくれ」とそれまでとは丸っきり意見が変わった。
あの男となにかあったのかもしれないが、敬愛する父からもたらされたまさかの一言に私の心は黒く濁った。
だったらなんのために彼との間にあった真実の愛を引き裂かれたというの⁉
望んだ結婚相手ではないにせよ、それでも父が喜んでくれさえすればまだ救われたわ!
なのに、なのに今さらそんなことを言われてももう遅い――。
すでに私は栄えある立場の公爵令嬢として覚悟を決めたあとだった。
ゆえに自らの幸せはとっくに諦めていたはず、だったのに。
「……あの男さえ消してしまえば。それで幸せになれるのなら自分の手を汚すだけの価値がある」
まさしくあれは悪魔の囁き。
だから私は――。
◆
「カムシール、貴様がこれまでに裏で行っていた再三の悪事はとうに露見しておるぞ!」
キッ、と鬼気迫った表情を浮かべて開口一番に怒り声を放つのは、不本意ながら私の幼なじみにして婚約者でもあるルブランテその人だ。
ふう、これはなんだか面倒なことになりそうな予感がするわね。
とはいえ無視するわけにもいかないので、仕方なく対応することにした。
「……突然どうなさったのですか殿下、身に覚えのない話をされましても困りますので分かるようにご説明いただけますか?」
単に両家の都合で決められた相手で当人同士は好意を抱いてはいないとはいえ、仮にも婚約者に向ける顔ではない。
しかしか弱い女性を演じるつもりのない私は、当然
もちろんすまし顔も忘れずにね。
「しらばっくれてもそうはいかん! ロゼッタが余に泣きながらすべてを告白したぞ、貴様に酷いイジメを受けていたとな! 聞くに耐えない悪行とはまさしくああいうことを言うのだろうな!」
「ロゼッタ……ああ、彼女ですか」
私のターコイズブルーの瞳に、ある一人の女性が映る。
曲がりなりにも一国の王太子であるルブランテの影に隠れるように付き添っていたのは、隣国の出身だという男爵令嬢のロゼッタだ。
こっちでは珍しい褐色の肌に目元の泣きぼくろが特徴的な彼女は、ぶ厚い生地で織られた濃紺のフェイスベールで顔の半分を覆っている。
隣国に伝わる礼装らしいのだが、顔を半分隠すという神秘性もあいまって得も言われぬ妖艶さを醸し出すのに一役買っていた。
そんなロゼッタは一見すると怯えたような様子だが、やはり彼女にそんな態度を取られるようなことをした覚えはない。
「それでええと私がロゼッタさんに酷いイジメを行ったそうですが、さきほども申し上げたように私にはなにも思い当たる節がないのですが」
だからこそ当人としてはそう返答をするより他ならないのだが、
「まだ言うか! 本人の談もあるというのに拙い言い逃れをしようなどとは見苦しいぞ、それでも公爵令嬢か! 恥をしれ、この悪女めが!」
まるで話にならないと内心諦めにも似たため息をつく。
どうやら既にルブランテの中で私が諸悪の根源という前提で一連のストーリーが成り立っているらしく、こちらがなにを弁解しようともそもそも聞く耳を持ち合わせてはいないらしい。
……まあ最初から分かってはいたことだけど。
昔から、いつだって悪役をおしつけられるのは私の方だったもの。
悲しいことに、もう慣れっこだわ。
「ルブランテ様、どうかこの辺りで湧き上がったお怒りを鎮めてくださいまし。その端整なお顔に憤怒の色は似つかわしくありませんわ。わたくしにもなにか至らぬところがあってカムシール様もあのようなことをなされたのでしょう。それゆえ自省するべきはわたくしの方ですわ」
頃合いと悟ったのか、件のロゼッタがおずおずと口を挟んだ。
そもそもの発端である彼女だけど芝居がかったような口調ね。
私とは決して目を合わせないように目を伏せてはいるものの、果たしてフェイスベールの下ではどのような表情を浮かべているのやら。
自分に置き換えてみたらそうね、たぶん笑っているに違いないわ。
だってあまりにもバカらしくて。もちろん簡単に信じ切ってしまうルブランテのことだけど。
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