第26話 ファネル

 その娘は二十歳。ファネルと名乗った。


「ファネル‐エストゥラル‐リングラードと申します――」


 赤い羅紗布らしゃぬのに覆われた豪奢ごうしゃな馬車の中で、彼女はそう名乗った。


「あの――綾瀬嘉手那です。いろいろと説明しづらいんですけど、異世界から来ました」


 その言葉にも、真正面を向いた彼女の目は揺れない。


「むしろ、そういった方を求めています。どうか、今日はこのまま私の邸宅へお泊りください」



 ところで――と僕は小声でピカタに訊ねていた。


「あの時計、どうして直ったの? まさか電池式じゃないよね」


「ああ。あれはゼンマイ巻きよ。歯車に埃が詰まった時によくある症状なの。小さな雷の火花で散り散りになるわ」


 そんなことを知っているピカタに驚いていた――。




 石畳で揺れる馬車の車輪が十分ほど跳ねた頃、緑の芝が広がる庭園へたどり着いた。


「カテナ様。こちらです。お足もとにお気をつけて――」


 馬車を降りると驚いた。メールンの教会ほどの屋敷が、目の端から端まで広がっていたのだ。ひと目でいいところのお嬢様だと分かる家だ。


 その感想を裏切らず、たどり着いた場所へ向けて黒いスーツの老紳士が歩み寄ってきた。


「ファネル様。また市井にお出かけで? なるだけ、そういったことはおやめいただきたいのですが」


 何かお決まりの言葉を彼女へ告げた。


「いいの今日は。それより部屋を一つ作ってちょうだい。すぐによ。特別なお客様だから、晩餐ばんさんと――それから着替えの用意も。カテナ様、背は55テールほどでよろしいでしょうか」


 そのテールが分からない。


「まあ、見たとおりです」


 とりあえず、ごまかしておいた――。


 門をくぐって三分。屋敷の入り口には衛兵のように二人の屈強そうな男が構えていた。それが大きな声で敬礼をして、三メートルほどの背の高い両開きのドアを開ける。


「ファネル様! お帰りなさいませ!」


 彼女はその声にもまったく構わない様子で歩いてゆく。濃い緑の絨毯じゅうたんは二階へと続く螺旋らせん階段へ伸び、白い手すりは細かい彫刻がなされていた。正直な話、僕の格好で入っていい屋敷ではなかった。


 そんな気持ちで進みあぐねていると、


「ああ、文告げ様。この屋敷では黒髪を隠すその被りものも必要ありません。どうぞ、お取りになってください」


 ファネルが小さく笑んだ。



 緊張は解けないまま、二階へと案内される。こういう時はお決まりとして家長に会わされるのだ。教会でも、教皇に会わされた。気が引き締まる。


「文告げ様――カテナ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


 黒い木製のドアの前へ立った時、彼女が振り返ってそう訊ねてきた。


「え、ええ。僕はファネルさん、と呼んでもいいんですか」


「構いません。それではまず、祖父に会ってください――」


 言うと、彼女はゆっくりとドアを三度ノックした。


「ではカテナ様――」


 返事のないドアを、彼女が開けた。部屋は多少、薄暗い。窓いっぱいにカーテンを引いたような部屋だ。


 ファネルに続いて入ると、まずは長いソファーが目に入った。そして隣に揺り椅子――ロッキングチェアがあり、そこへ影の形だけで人の姿があった。


「ファネルか――」


 しわがれた男性の声が、それでも重厚に響く。


「ええ、お爺様。今日は素晴らしいお客様をお連れしましたわ」


 また、影だけの重厚な声が響く。


「客人――とな」


「ええ。アキト様、お爺様に挨拶なさって」


 僕は緊張を隠せず、上ずった声で、


「あの――綾瀬嘉手那と申します。異国から来ました」


 僕の緊張を隠すようにファネルがすぐに続ける。


「すごい文告げ様なのよ。文告げの鳥を操って、何にでも次々と答えましたわ」


 ファネルの言葉に興味を持ったか持たずか、ロッキングチェアがひと揺れしたあと、老人の声が告げた。


「文告げ鳥とは珍しい――どちらから参りましたかな」


 僕はその不思議な威厳に、直立不動で答える。


「日本という国です。異世界のことはご存じですか――」


 老人はゆったりと答える。


「知らぬ名前ですな。しかし、それはどうでもよいこと。ファネルの招いた客人じゃ、ゆっくりしておいきなさい」


 ホッとしたところへ、ファネルが心細げに言う。


「お爺様は目が悪いのです――まったく見えないという訳ではないのだけれど」


 まさかそれを治せというのだろうか。それはさすがに無理だ。


 しかし、しばしの間があり、


「カテナ様、広間に行きましょう。カステナの甘いお茶でもお淹れしますわ」


 彼女がドアを開ける。僕はロッキングチェアの影に頭を下げ、彼女に従った。




 三メートルほどの幅がある、窓の多い廊下を進むと、絨毯の色が赤く変わり、ひらけた大部屋へと出た。白いクロスのかかったテーブルと柔らかそうな生地を張った藤製とうせいの椅子が六客。応接間、といった感じだ。


 ファネルが足を踏み入れると、即座に黒っぽいメイド服を着た女性が現れた。


「シモーネ。お茶を淹れてちょうだい」


 メイドは無口に頭を下げ、奥へと引っ込んだ。


「さあ、カテナ様。お座りになって。異国のお話――それから文告げのお話も聞きたいわ」


 僕は、彼女が引いてくれた椅子へと座る。ピカタは肩に止まったまま何も語らない。


 僕はまず、彼女へと訊ねる。ヤイリ少年の言葉を思い出して。


「この町は、殉教者の町と聞いたんですけど。教会とか、その、どういった神様を拝んでいるんですか」


 ファネルが丸テーブルを挟んで椅子へと座る。


「長い歴史の話だわ。もう、二百五十年前の――」


 彼女のとび色の長い睫毛が少し伏せられる。


「この町、コリントを中心としたナステル王国はその昔、長い戦争を戦って負けたのです。平和だった国は、敗戦を境に絶対王政の厳しい国家になりました。けれど王政が始まって数年、他国から伝来したヤウェという神を崇める民族がその教えを広め、民衆の一部がその人間的で自由な教義を信心し始めました。けれどそれをよく思わない国王が兵士を使って迫害を始めたのが二百と六十年前」



 黒服のメイドが戻り、金の装飾がなされたカップとティーポットを並べた。そのままお辞儀をして戻ってゆく。


 ファネルはカップへお茶を注いで僕の前へ差し出すと、話を続ける。


「民衆と国王軍の争いは五年もの間続き、ヤウェを信じる清教徒たちは処刑されたり監獄へ閉じ込められました。そこへ現れたのが三人の賢者様。賢者様たちは民衆に力を与え、その奇跡と引き替えに命を落としたといいます。その賢者様を処刑した黒髪の国王アルビス三世、その血を引く悪しき一族が、リングラード家。私の血筋――呪われた家系なのです」


 言うと、カップを手にして静かに口にした。

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