第20話 ピカタ


「では、気をつけての。なにぶん、老人の足ではしんどいものがあっての。干し魚と握り飯じゃ。途中で食べるといい」


 僕は竹の皮でできた包みを受け取る。


「ありがとうございます。何か分かれば必ず戻ってきます」



 何度も頭を下げると、彼が指した山手へ向かって歩き始めた。山からは冷たい風が強く吹き下ろして、ウラシマ老人から聞いた「一日がかりだ」と聞いた道のりは、日が暮れる頃にも延々と続いていた。ちょうど、山頂の道から一つの集落が見下ろせる場所だ。僕はそこで野宿を立てることにする。



 老人の注意通り開けた場所へ出て、火を絶やさず、大きな樹木を背にして休んだ。山のように積み上げた木切れがあれば、焚火もひと晩は持つだるう。そこでようやくもらったおにぎりを口にして、干し魚をあぶって食べた。素朴な味わいだったが、滋養、というものに溢れている気もした。



 どれくらいうつらうつらしただろう。焚火の火も消えかけていた深夜、目を覚ましたのは寒さのせいばかりではなかった。寒気、というもので考えれば、それは身体の芯から呼び起こされる、ある種の恐怖だった。僕はそれを、以前に体験している――。


 グルル――。


 低く唸る、獰猛どうもうな獣の声。忘れもしない、オオカミの声だ。火を絶やしていなければ大丈夫だと言われていたが、その火がくすぶり始めている。慌てて手元にあった小枝に火をつけた。手のひらから小さな赤い炎を灯して。


 オオカミは草むらの奥、光る二つの眼で、こちらの様子を伺っている。僕は後ずさる場所もなく、小枝を弱々しく振りかざすだけだ。


 ガサリ、と音を立ててオオカミが姿を現す。僕にはそれ以上、何もできずに声すら出ない。もう、このまま痛みに耐えて転生してしまおうかと思った。竜宮城の姫の話では、輪廻の腕輪がなければ、転生はこの世界で続くと言った。


 オオカミのゆっくりとした前進に、身体が震え始める。どうにかしなければ。指輪の力でどうにかならないか。そう思った時、手元にあった玉手箱が転げた。

いつの間に縛っていた紐がほどけたのか、漆塗うるしぬりのふたがカタリと開いた。その中身が転げ落ちると、オオカミの様子が変わった。小さく唸ると、草むらの奥へと消えていったのだ。全身の力が抜けた――。


 ホッとしたのも束の間。今度は人の――子供の囁きのような声が暗い足もとから聞こえてきた。


「ああ。せっかくよく眠っていたのに起こされちゃったわ――」


 慌てて足元を照らす。そこには小さく羽ばたく何かがあった。


「火を絶やすとまた獣が近寄るわよ。さっさとまきをくべなさい」


 状況を飲み込めないまま、僕は言われたとおりにする。明るくなる周囲の中、謎の声の正体が分かった。小さな――スズメよりは大きな黄色い鳥だ。まさか、これが玉手箱の中身――僕が望んだものの正体なのか。



 とりあえず人の言葉が通じそうなので、僕は小さな鳥に話しかけてみた。


「キミは、玉手箱の中から出てきたの?」


 すると、


「玉手箱? そういうのは分からないけど、長いこと眠っていたのは確かよ。眠っている間の時間は分からないけれど、ずいぶん眠っていたはずよ。ところであなたは?」


「僕は――綾瀬嘉手那。違う世界からやってきた。大切な女の子を探している。竜宮城の姫はキミが僕の役に立つと言ってたけれど、いったいどういうことなの?」


「竜宮城ねえ。さっぱり分からないわ。ただ、あなたは一人で旅をしているみたいね。その話し相手くらいにはなれるかもよ。ああ、私はピカタ。この世界で唯一の黄金鳥おうごんちょうの生き残り」


「黄金鳥?」


「ええ。太古には竜を従え操る部族のペットだった、ってとこかしら」


 ペット――その言葉に僕は肩を落とす。ただのペットの飼い鳥が、僕に道を示してくれるのだろうか。


「キミは、この世界のことをどれくらい知っているの?」


 訊ねてみると、


「さあ。生まれてから数えたのは季節が二回りしたくらいだから――あんまり知らないわ」


 二歳。未来を示すには絶望的な言葉だった。


「とりあえず、この近辺のことなら分かるの?」


「ピカタって呼んでちょうだい。そうすれば答えないこともないわ」


「ピカタは――ドラグーンっていう国を知ってる?」


 しかし彼女――女性の声なのでそういうことにしておく――は、


「知らない名前ね。遠い大陸の国なんでしょう。私が渡るには羽が持たないくらいの」


 やはり手掛かりにはならなかった。竜宮の姫の言葉を恨む。



「とにかく僕は明日、山の下の村落に行かなきゃならない。キミに構ってる時間はないんだ」


「あらやだ。ソーンの村くらい案内できるわ。一緒に連れてってちょうだい。ただ、とにかく鳥は、夜は眠いのよ。あなたは朝まで火の番をしてていいけれど、私は寝せてもらうわ。じゃあ」


 言うと、ピカタは一度広げた羽を閉じて、木の根の隙間で丸くなった。僕には不安しかない。



 またうつらうつらしていると、閉じた瞼の上からでも分かる陽光が射してきた。腰の横に座っていた小鳥の姿はない。と思えば――、


「お寝坊さん。鳥の朝は早いのよ。もう食事を終えて準備は万端なの。ソーンの村には太陽がてっぺんに来るまでには着くわ」


 そう言って羽を広げると空中を滑り降り、僕の肩先に止まった。


「さあ、残り火を消したら行きましょう。山の火事は大変なことになるから」


 僕は思い出して、ウラシマ老人にもらった指輪を、まだ燻るき木に向けた。庭の生垣いけがきくほどの水が手のひらから噴き出す。不思議な気分だ。


「あらあなた、便利な力を持ってるのね。私ものどが渇いた時にはお願いするわ」


 気楽なピカタを肩に乗せて、僕は村落へ続く山道を下り始める。



 ピカタはよくしゃべる鳥で、始終何かを話していた。質問が多く、その割に反応は薄かった。僕が來未を探していることにも興味を示さなかったくらいだ。


「それじゃあカテナはまだこの世界に来て間もないんじゃないの。私だって異世界の話くらいは知っているわ。これでも、噂の竜宮城にいたんですもの」


「だから、玉手箱には何か役に立つものが入ってると思ってたんだ――」


「あら、そんなにあからさまにガッカリしないでよ。私だって何かのはずみで役に立つかもしれないじゃない。それよりのどが渇いたわ。お水を出して」


 僕は憮然ぶぜんとしながらも、両手を合わせて手のひらに水をためる。その縁から彼女が水をついばむ。それが終わると僕も二口水を啜った。


 山のふもとが見えてくる――。

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