あの日 異世界へと旅立った君を追って

テヅカミ・ユーキ

プロローグ

プロローグ

 写真もある。やり取りした無数のメッセージも残っている。海へ行った帰りに忘れていった麦わら帽子や、初めてプレゼントしてくれた細い銀色のチェーン。取り囲むすべての人々の中に記憶を残して、君だけが異世界へ旅立った。


――「綾瀬がそう思うのなら、今はまだそれでいいと思うよ」


 友人のセンジャクは、気の毒そうな、静かな口調でそう言う。「いつか受け入れられる日が来るから」とも。

 けれど僕はもう、異世界へ旅立った彼女のことを受け入れている。彼女はこの場所と違う別世界でよみがえり、異世界の神の祝別を受けて冒険の旅が始まっているかもしれない。貴族の屋敷の奉公人として、蔑まれながらも生き直しているかもしれない。だから僕は、彼女の幸せを切に願う。第二の人生の始まりを祝して――。


                 *


「綾瀬君。週末、皆でカラオケ行くんだけど――」


 来ないか? という誘いを口にするのは、教室の最前列でいつも熱心に授業を受けているクオンだ。彼女はいつも僕へ、努めて明るく接してくれる。放課後の、雑然とした教室の中だった。


「イヒンセイリっていうのが、あるらしいんだ。彼女の家で」


 あの日以来、誰もが僕に気を遣ってくれる。二か月前の、学校近くの交差点。不幸な事故、とニュースで片づけられた彼女の旅立ち以来。


「そうなんだ――。いい思い出が探せればいいね。じゃあ、ユウリ君にもそう伝えとく」


 僕は通学バッグを背負い、一人で教室を出る。來未のいなくなった世界で、彼女の席が消えてしまった教室から――。



 彼女の乗った自転車をいてしまったというトラック運転手を憎んだこともあった。彼女の告別式に参列したあと、学校へ出られなくなったこともあった。ちっぽけな遺影の中で、彼女は確かに微笑んでいた。



 けれど、と僕は、ベッドの上に転がるだけの毎日の中で、來未くみの言葉をいつしか回想していた。


 ――「魂はね、死なないの。この世界の肉体が滅びてしまっても、魂だけは別の世界で生まれ変わって新しい人生が始まるんだ。だからもし、私が何かのはずみで嘉手那かてなの前から消えてしまったとしても悲しまないで。時間と空間と世界線を越えて、いつかどこかで巡り合えるから」


 彼女がよく読んでいた小説の話だと言っていた。僕はその時、実際にそんな日が訪れるとも知らずに笑っているだけだった。柔らかな春の日差しが水面を照らす、海に面したヨットハーバーだった。彼女はそこで本を読むのが好きだった。



 僕が考えることはひとつ。來未の残した言葉通り、ここではない異世界で彼女と再会することだ。家に帰れば一晩中、その方法だけを考えていた。


 彼女が言うには、あらゆる世界線は束になり、隣り合い、別世界を構成しているらしい。その数は人知を超えた数で無数に存在していて、だからこそ僕は彼女がたどり着いたたった一つの世界線を目指さなければならない。その手段がこの世界での「死」であれば、それを選択するしかないのだ。


 死を選べば、彼女とまた再会することができる。なのに僕には勇気がない。來未の言葉が真実だったとして、同じ世界へと転生できるだろうか。もしも、本当はそんな世界などなくて、ただこの世界から僕が消え去るだけの結末だとすれば、僕にはこの世界で、いつまでも彼女の影を引きずって生きていくことになる。



 幼馴染の隣同士。僕には來未がそこにいることがいつしか当たり前になっていた。同じ小学校から中学校。そして高校。クラスが離れた瞬間、僕は自分の心に気づいたのだった。來未と一緒でなければ生きている意味がないとすら考えた。寒がりですぐに僕へとくっつき、上目遣いで息を白くしながら笑ってみせていた彼女。安堵感に溢れたその眼差し。僕がいるだけで満足だと言わんばかりの笑顔。


 意を決した初めての告白の夜、彼女はあっけらかんと笑った。



 ――「そんなの、昔っからの生活の何が変わる訳じゃないし。私たちは今まで通りでいればいいんだよ」



 軽くショックでもあり、どこかホッとした気持ちが込み上げたのは間違いない。僕と來未の関係は、誰にも壊せないものだった。十六年生きてきて、絆、というものの存在を知った。そしてその絆はあえなく途切れた――。



 生命の終わり。形の消滅。死――。



 僕はあえぐ。その選択を選べない自分をもどかしく思っている。怖いのは死ではない。彼女に二度と会えないことなのだ。




 そんな、來未のために死を選べない僕に、ある日、唐突にその日がやってきた。


 來未が異世界へ旅立って、65日目の夜だった。睡魔が身体を包んで瞳を閉じで幾時が流れたろう――。




「そこ! 列からはみ出さないで!」


 突然聞こえてきた声は、中年の男の声だった。気がつけば僕は見たこともない景色の中に放り込まれていた。遠く高く、草原の中の道が示す山頂に見えるのは古い王城。延々と続く人の波。取り巻くのは、これもまた古い中世の騎士のような衛兵たちの姿。

 ボンヤリと夢現ゆめうつつの僕は、その状況をまだ把握できていない。ただ、気がついたらそこにいた。素足の裏にはくるぶしまで伝わる大地の温もり。皆、揃えたようなボロ服を着ている。僕もまた例外でなく、薄い麻布に穴を開けただけのゴワゴワとした衣服に包まれている。そして状況が飲み込めない。


 そこへ、


「アンタ、何度目なんだ」

 不意に、列に並んだ前の男が振り返って訊ねてきた。髪は栗色で短く、歳は四十くらい。浅黒く、険しい顔をしている。やけに耳の尖った、ゲーム世界に現れそうな人物だった。


 僕は質問の意味を計りかねて、答えられない。


 男は勝手に話を続ける。


「ああ、その様子じゃ初めてなんだな。ここは転生儀式の城だ。もうかれこれ二十時間は待たされてる。この分だと、今夜も野宿だ」


 言うと男は座り込み、小さなツボを取り出すとポッと火を灯した。気がつけば薄暗い夕時の空が広がっている。空はどこか違和感があり、どこまでも水平に広がっていた。


「スープでも飲むなら作ってやろう。まあ、急がねえことさ」


 僕の頭に過るのは、ついさっきの言葉だ。


 座り込んだ男に合わせて膝を落とすと、僕は訊ねた。


「何の城っておっしゃいました?」


 男は苦笑いを作って、

「だから、転生の儀式があるんだよ。アンタも病気か事故で死んだ口だろ。若いのにもったいねえ。まあ、それももうじきだ。新しい人生が待ってる。せいぜい、転生先がいい世界になるよう祈ってな」






~設定稿です。ご希望があれば、続きも執筆します~

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