第6話 How to adapt to the UNKNOWN

かい君? どこかにいたらお返事して?」


 しばらくあたしはかつて我が家と呼んでいた場所のあちらこちらをさまよい、積み重なり折り重なった瓦礫がれきの山のひとつひとつを押し退けては、愛しい弟の名を呼んだ。でも――。


「アオイの探している者は、もうここにはいないだろうとマッティは考える」

「でも……」

「それには理由があるからだ」


 ずっとあたしの行動を無言で見守っていたマッティは、ようやくそのセリフを口にした。それでも後ろ髪ひかれる思いでつかんでいた瓦礫を手放すと、あたしは振り返って見つめた。


「どういう……意味ですか? まるで、その場で見ていたみたいじゃないですか?」

「見ることは重要ではない。マッティは『ノグド』の生態を調査して分析している」

「生態? その『ノグド』には行動パターンがある、っていうことなんでしょうか?」


 いまだに『ノグド』が何者で、どういう存在なのか分かっていないあたしには、うまくイメージが掴めていない。身をもって思い知った限りでは、『ノグド』は生きている人間の耳孔じこうから脳内に侵入しようとする。けれど、それだって何のためにそんな残酷で怖ろしいことをするのかは理解できていなかった。


 あたしはもう一度、マッティにこう伝える。


「マッティ? 『ノグド』という生物のことについて、くわしく教えてくださいませんか?」

「理解した」


 マッティはあたしを手招きして、小さなミルクティー色の両手を差し出した。あたしはその手を優しく握りしめて抱きかかえると、マッティが指し示す方向へと歩いていく。あのだ。


「まずこれは『ノグド』にとって重要な移動手段であり、異星上での生命維持活動を可能にするパーソナル・ポッドだ。『ノグド』はこれを『球体スフィア』と呼んでいる」

「う、うん――」


 普通の世界に生きてきたあたしには、あまりに突拍子もない話すぎて、半分も理解出ているかどうか怪しい。が、そこではじめの疑問が湧いた。


「マッティは知っているのかどうか分からないんですけれど……東京の皇居の上に浮かんでいる、これよりももっともっと大きな金属球も、やっぱりこれと同じ『スフィア』なんですか?」

「……マッティはそれを知らない。だが、もう一方で知っているとも言える。それは『ノグド』の『巣』のひとつだと考えることができるだろう」

「『巣』、ですか……」


 あたしの中にずっとよどんでいる違和感の正体がようやく形を成してきた気がする。


「ねえ、マッティ? 彼ら『ノグド』は知的な生命体なんですか?」

「どうしてそう思った、アオイ?」

「どうしてって……」


 あたしは嫌々ながらにもう一度玉座の底の方を覗き込んで、そのグロテスクな形状と姿形すがたかたちを確かめると、それに一番近しい存在をイメージしながら話を続けた。


「どうしてもあたしには、これがナメクジとか粘菌みたいな下等な生き物に思えてならないんです。見た目が似ている――もちろんそれが一番の理由ですけれど、それがこんな複雑な機械を作ることができるのかなって。あ……マッティの言葉を疑っている訳じゃないんですよ?」

「『ノグド』は、こことは別の宇宙で生まれた、生物の、進化形態の頂点に位置する生命体だ」



 別の宇宙――。



 もしもその言葉を耳にしたのが昨日だったとしたら、あたしは冗談だと思ってまともに受け取らなかっただろう。でも今は、こうなってしまった今だからこそ、信じることができる。


「でも……どうしてこんなに無防備なのでしょう? 強くなさそうだし、このスフィアで生命を維持しなければならないんですよね? それってむしろ不都合だし、不便じゃないですか?」

「では、マッティが尋ねる――」


 細く不安定な玉座のへりに立ち上がったクマのマッティは、あたしを試すようにそう告げた。


「もしも別の惑星に行き、その地に順応しようと考えた場合、最適な方法とはなんだろうか?」

「……は、はい?」


 見た目はかわいらしくてキュートなクマのぬいぐるみが出題するには難解すぎないかしら。


 あたしは近頃流行しているライトノベルなどというものは読まないし、荒唐無稽なファンタジーや小難しいサイエンス・フィクションにもうとい。漫画はもちろんのこと、ドラマや映画だってほとんど目にしたことがない。読むのだとしても、教科書か聖書バイブルくらいのものだ。


「え、えと……」


 かといって、空想力がないかと言われれば、決してそんなことはない。


 ごくごくたまに、息が詰まるような苦しさを感じた時。

 あたしは空想の世界で旅をする。


「や……やっぱり調べるんじゃないでしょうか? その星の大気とか地質とか、環境を構成するありとあらゆる物質を調査して害がないかとか、何が不足しているとかを。違いますか?」

「それは、戻る選択肢が残されている場合だとマッティは思う。そして『ノグド』も同じだ」

……?」


 あたしがイメージしていたのは、太陽系の他の惑星へ向けて飛ばされた探査船のものだ。でもそれは、安全な地球の上で行われるもので、たとえ仮に失敗したとしても経済的な損失こそあれども、命の危険性はほぼゼロだ。


 しかしマッティの質問は、やむを得ない事情で別の惑星へ辿たどり着いた者が、どうにかしてその新たな惑星の環境に順応しなければならないケースでの問いなのだ。できなければ死、である。


「戻れないなら、どうしても、その新しい星で生活しなければならないということですよね」

「そうだ」


 マッティはあたしの手を離さずに、玉座の座面まで飛び降りると、あちらこちらを丹念に観察しているようだ。あたしの目にはどうしてもあの黄色い死骸が映って落ち着かない。


「アオイは不思議に思うだろうか。この操縦席は『ノグド』にはな?」

「あ……!」


 たしかにそうだ。


 ナメクジと比較したら『ノグド』の方が何倍も大きいとは言っても、こんな椅子に似たものに乗ってさまざまな操作をこなすのはむしろ難しいことだろうと思う。


 なら、どうして?


 マッティはうなずき、長い毛足がカールしている自分の頭から、ぴょこり、と生え出た耳を指し示しながらこう説明する。


「異なる星の、異なる世界に順応するためには、その環境下においてもっとも優れた知性と技術を有した知的生命体の身体を借りればいい、そう『ノグド』は考えた。ああ、それは正しい」

「き……寄生する、ということですか……?」

「マッティは、それは正しくないとこたえる」

「?」


 マッティの言わんとすることが理解できなかったあたしでも、嫌でも思い出すことができる。あたしを襲ったあの赤い『ノグド』は、あたしの耳孔から侵入した。そしてきっと、あたしの脳内に入り込んで、あたしをコントロールしようとしたんだと思う。あの時の不快な感覚。


 マッティは再びうなずき、だっこをせがむようにあたしに向けて両手を伸ばした。あたしはマッティを引き寄せて胸に抱きしめると、覗き込むようにその愛くるしい顔を見つめた。


「『ノグド』は進化の果てにおいて、不要と考える器官をすべて捨ててしまった。残ったのが脳とそれに付随する情報伝達のための神経路だ。対象の肉体を統率する器官へ侵入した『ノグド』は、それらを使って必要な器官と機能を取り戻すことができる――その世界に最適化された」

「え……!?」

「だから『ノグド』は対象の肉体を。脳に張りつき浸食して、最低限の機能を残して『ノグド』と入れ替われるように適切に神経路をリンクさせる。効率の良い、優れた適応方法だ」

……ですか。でも、そうされてしまった人間は……」

「死ぬだろう。精神的な面において」



 その星における、もっとも新鮮でフレッシュ最適化されたオプティマイズ最先端のアドバンスド高性能な生体スーツ。


 それには意思や感情などという雑音ノイズは不要だろう。



 しかし、あの人は言っていた――『意識の扉が開いてリンクした』と。でもあたしは、それでもあたし自身のままで、何も変わっていない。そう、『彼が守っている』とも言っていた。


(分からないことだらけだ……頭がパンクしそう。でも、よく知っておかないと生き残れない)


 浮かべた笑みの形を崩さぬよう維持したまま、あたしは頭をフル回転させていた。


(そうじゃないと……櫂君は取り戻せないんだ……!)


 と、マッティは開放的になりすぎてしまったカラの窓の向こうを見つめ、唐突に告げる。


「アオイ、時間がない。準備をしなければ。学びの時間ならまたすぐ来る。追わねばならない」



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