蔡文姫と羊祜

 董祀が蔡文姫によって追い出されて、司馬懿に泣き付き、訪ねてきたのを正論で追い返した後のこと。


 羊祜「やっぱり母さんから聞いてた通り、叔母さんは凄いや。あの司馬仲達を相手に一歩も引かないどころか追い返しちゃった」


 蔡文姫「本当に貞姫の子なのね?」


 羊祜「はい。初めまして、文姫叔母さん」


 蔡文姫「そう。初めまして、羊祜?で良いのかしら?」


 羊祜「はい。并州の上党で太守をしていた父の羊衜ヨウドウと母である蔡貞姫との間に生まれた息子が僕です」


 蔡文姫「蛮族と婚姻して以来、妹と連絡を取っていなかったものだから、こんなに素敵な甥っ子が居るだなんて知らなかったわ」


 羊祜「素敵な甥っ子だなんて。エヘヘ」


 蔡文姫「お世辞じゃないわ。それにしても、1人で私を訪ねてくるなんて、それにその聞こえていたのが間違いじゃなければ、もう私しか頼れる相手が居ないと?」


 羊祜「はい。父と母は、事故で亡くなりました」


 蔡文姫「そんな。嘘でしょ。あぁ。なんてことなの。貞姫」


 羊祜「文姫叔母さんにそこまで想ってもらえて、母もきっと喜んでいると思います。生前、ずっと文姫叔母さんの話をしてくれていましたから」


 蔡文姫「そう。貞姫が私の話を。ロクでもないのが多かったでしょ?」


 羊祜「お爺様の獄死を疑って、1人で捜査してるカッコいい叔母だと」


 蔡文姫「ふふ。貞姫が、そんな風にねぇ。事あるごとに危ないことはやめて、なんて言ってたのに。あの日々が本当に懐かしい。もう、貞姫と話すことはできないのね。うぅ。どうして、事故なんかでこんな可愛い子供を残して去ってしまったのよ」


 羊祜「そのことなのですが叔母様。僕は、事故の内容がおかしいと思っているんです」


 蔡文姫「事故の内容?」


 羊祜「はい。辻斬りにあったんです。でもあの日、父も母も外には出ていないはずなんです。それでも外に出たとしたら。その」


 蔡文姫「羊祜は、何者かによる呼び出しがあったと考えてるのね?」


 羊祜「はい。父は蜀漢に献帝様を奪取されて以降、一貫して、蜀漢の旗の元、今一度一つになるべきだと説いていました」


 蔡文姫「成程。反体制派運動を主導していたのね」


 羊祜「はい。僕も今の魏には大義が無いと考えています。でも父は積極的に動き過ぎてしまったのでは無いかと」


 蔡文姫「そうね。司馬懿なら黙ってないでしょうね。事故の内容が辻斬りと聞いて、1人思い当たる人間もいるし」


 羊祜「叔母様の思い当たる人間って、鍾会殿でしょうか?」


 蔡文姫「いえ。鍾会ならもっと痕跡なくやるでしょうね。恐らく、別の人物ね」


 羊祜「では、曹丕様に仕えている秦慶童殿でしょうか?」


 蔡文姫「秦慶童は、もっとあり得ないと思うわ。曹丕なら優秀な手駒を暗殺に向かわせるなら今敵対していて厄介な司馬懿の暗殺に使うだろうし。それが成功しないこともわかってるから無駄打ちはしないはずよ。そうじゃなければ、持久戦に乗る必要すら無いもの」


 羊祜「失敗することがわかっている?」


 蔡文姫「敵国に送り込むようなどうでも良い相手なら兎も角。秦慶童は曹丕の腹心よ。鍾会と斬り合いになって万が一を考えたら切れない手札よ」


 羊祜「やっぱり叔母様は凄いや。それだけで、推察できるなんて」


 蔡文姫「羊祜もその歳で、広く視野が見えてるわね。流石、私の甥っ子よ」


 羊祜「あの。失礼でなければ、その。蛮族と婚姻なんて、言ってましたが。その方のことを叔母様は深く愛していらっしゃいますよね?」


 蔡文姫「な、な、何言ってるのよ。もう。あんな弱弱の元ダメ亭主のことなんて、私の目的のために利用していただけよ」


 羊祜「叔母様も色恋沙汰となると母さんみたいにわかりやすいです。そういうことにしておきますね」


 蔡文姫「一言余計よ。察したのなら黙っておくの。良い?」


 羊祜「はーい」


 蔡文姫「そもそも好きでも無い相手との間に2人も子を作らないわ」


 羊祜「あの叔母様?何か言いました?」


 蔡文姫「何も。それにしてもこれでまた一つ、司馬懿に対して、恨みが増えたわね。絶対に許さない。父だけでなく貞姫まで殺めるだなんて」


 羊祜「やはり、司馬懿殿の仕業なのでしょうか?」


 蔡文姫「まぁ、蜀漢が暗殺したという線が考えられない以上はね」


 羊祜「蜀漢としては、父のやっていたことは喜ばしいことですよね?」


 蔡文姫「そうね。だから、暗殺理由がない。でも可能性が無いと言い切れないから内訳としては、蜀漢2割、曹丕2割、司馬懿6割ってところかしら」


 羊祜「叔母様は、曹丕様の線も薄いと考えているのですか?」


 蔡文姫「可能性としては、限りなく低いかな。確かに曹丕としても鬱陶しい行動に違いないけれど暗殺するほどの事ではないんじゃないかな」


 羊祜「曹丕様は、親族の子供ですら人質に取る非道を行なったと聞いています。2割というのは低いのではないかと思います」


 蔡文姫「あれは、司馬懿の入れ知恵が強いだろうし、司馬懿と仲違いをした今、悪い噂は払拭したいはず。少なからず司馬懿を警戒している賈詡ならそう考えているでしょう。その進言を聞き入れていない可能性はあるけれど。ずっと曹丕に諫言していた夏侯玄カコウゲンもいる。自らの首を絞める行動は慎むはずよ」


 羊祜「成程。では、叔母様は、どうやって司馬懿殿に抗うとお考えですか?」


 蔡文姫「今は、機会を待つしかない」


 羊祜「時には待つことも重要。理解しました」


 蔡文姫「本当に聡い甥っ子ね」


 こうして、蔡文姫と羊祜の邂逅は、司馬懿を更なる窮地に陥れることとなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る