前のエピソード――江夏海戦

　孫策と劉璋が荊州の劉備は侵攻を開始したと聞いた司馬懿は依然として華北にいた。徐州を攻めるつもりなどなかったのである。これは、華北を制するための時間稼ぎの策などではなく。司馬懿は徐州を迫る腹積りだった。これを止めたのは、司馬懿が出会ってすぐに妻に迎えた張春華（チョウシュンカ）であった。司馬懿が準備をしていた時、張春華に言われた一言で、徐州攻めを取りやめ華北攻めに変えたのだ。

　司馬懿「さて、そろそろ孫策と劉璋が我が掌で踊っている頃合いだな。さて、我々も行動を開始するとしよう」

　曹丕「父上が2度も取り損ねた徐州を俺が取れば、父上も俺を認めて、曹昂兄上ではなく俺を後継者に選ぶ。そうなんだな仲達？」

　司馬懿「勿論でございます」

　曹丕「徐州なんてすぐに奪い取ってくれる」

　曹丕は前を歩く女とぶつかる。

　曹丕「このクソ女、前見て歩きやがれ！」

　？？？「あらあら、これはこれは失礼しました。急いでいたもので」

　曹丕「おい、待て。何処へ行く？ぶつかって謝るだけで済むわけがないだろう」

　？？？「見たところそちらも急ぎのようにお見受けしますが良いのですか私のような道端の小石に時間をかけていて」

　曹丕「俺に指図するんじゃねぇこのクソ女がどこのどいつだ名前を名乗れ」

　？？？「あら育ちの悪い人なのね。人に名前を聞く時は自分から名乗るものよ。まぁ良いわ。張春華と申しますの。これで良いかしら。本当に急いでいるの。早く私の考えを話さないと大変なことになるの」

　曹丕「舐めやがって！急いでいるからなんだ！この俺様にぶつかって、黙って許されると思うなよ」

　司馬懿「お待ちください曹丕様。この女性、どうやら私の知り合いでした。御無礼は平に謝ります」

　曹丕「仲達の知り合いか。なら今回は許してやろう。仲達、躾ぐらいはきちんとしておけ。俺は準備に戻る」

　司馬懿「はっ。申し訳ありませんでした」

　曹丕がその場を後にする。

　司馬懿「張春華と申したな？司馬仲達と申す。お前の考えを話してくれないか？」

　張春華「先程の男が曹丕様だなんて、世も末ね。あれの世話をしている司馬懿殿も大変そうね」

　司馬懿「わかってもらえるか。曹操様から呼び出しを受けて向かったのだが仕官を認めぬと言われてな。曹丕様に取り入ったのは良かったのだが。どうも思い通りにならないと癇癪を起こす人でな。こちらも困っている」

　張春華「仕官を許されなかったのは、司馬懿殿が二心を抱いているからじゃないかしら」

　司馬懿「！？二心を抱いているか。ハッハッハ。面白いことをいうものだ」

　張春華「野心と忠心との間で揺れ動いていると言ったところかしら。今は胸に秘めているだけをお勧めするわ。曹操様の求心力を崩すのは容易ではないでしょう。曹丕様に目を付けたのは良いところでしょうね。友人付き合いで懐深く入り込んだのも見事ですわ」

　司馬懿「(この女、恐ろしい。ここまで本心を見抜かれようとは、野放しにするよりも自分のそばに置いて監視した方が良いな)そこまで見抜くとは、このような聡明な女性に初めてお会いした。どうだろう。よければ、私の妻となってもらえないだろうか」

　張春華「あらお会いしてすぐ結婚のお誘いだなんて、いいわよ(この男、要注意人物だけど、とても面白いわ。野心を隠すこともせず。忠心の仮面で取り繕うなんて、クスクス。私の力でこの人を天下人にするのもまた面白いかも。曹操様に伝えに行こうとしたんだけどこの人に話すとしましょう)旦那様、一つお聞きしてほしいことが」

　司馬懿「旦那様？」

　張春華「夫婦になるんですもの司馬懿殿は変でしょう。旦那様とお呼びしますわ」

　司馬懿「うっうむ。して、聞いて欲しいこととはなんだしゅ、春華よ」

　張春華「良いですわね。まだ硬いですが取り敢えず夫婦には見えるでしょうか」

　司馬懿「茶化すでない。早く話せ」

　張春華「せっかちな旦那様ですこと。徐州攻めを考えているのなら十中八九失敗しますわ。失敗すれば曹丕様の立場も悪くなるでしょうね。そしたら曹丕様を担ごうとしている旦那様の立場も危うくなりますね」

　司馬懿「何を言っておる。徐州攻めが失敗するなどと。根拠はあるのだろうな？」

　張春華「えぇ、徐州には、呂布が居ますから。呂布を武力一辺倒だと侮って、居られる旦那様は痛い目に合うでしょうね」

　司馬懿「養父と慕う人間を懐から次々と殺した男、次は劉備に取り入り殺すつもりなのであろう。ほっとくのも良いかと思ったが豊かな徐州に居座られるのは我慢ならん」

　張春華「そもそも、それが間違いなのです。呂布という男は、忠義に熱い漢なのです。漢王室に忠義を立て、義父でもある丁原の意思を継ぎ、董卓となっていた霊帝様をお救いしたのですよ」

　司馬懿「董卓となっていた霊帝様？どうしてお前はそんなことを知っている！」

　張春華「私の母は、宮中に勤めていましたので、見たらしいのですよ。霊帝となっていた董卓と何進の妹が話している内容を」

　司馬懿「どんな話だ？」

　張春華「自分が実は霊帝ではなく董卓であること。そして、王栄とその子である献帝様を排除することに協力して欲しいと。その話を聞いてすぐ母は宮中を逃げるようにして辞め、父と結婚して家に入ったそうです」

　司馬懿「なんと！？それが真ならあの時死んだ董卓は身代わりということになり、霊帝様は何処に？まさか」

　張春華「そのまさかです。それを庇護しているのが劉備です。そして呂布は劉備に忠誠を誓いました。徐州と揚州北部と荊州を分けて考えてはなりません。孫策の野心は荊州の制覇。劉璋の野心は、漢中の略奪と虐殺から推察して、酒池肉林と復讐でしょうか。どちらも失敗するでしょう。今の劉備軍はそんなに容易くありませんよ。片手間に落とせるほどね」

　司馬懿「成程な。その話が真なら徐州攻めはすぐに取りやめるべきだ。春華よ。感謝する。お前のお陰で首の皮が一つ繋がったようだ」

　張春華「旦那様を助けるのは良い妻の仕事でしょう」

　こうして、司馬懿は徐州攻めを取りやめ華北攻めに本腰を入れていたのである。