第128話 救済

 しばらくすると、いつの間にか震えが収まっていることに気付いた。


「アティアスさまに撫でられるの、大好きです……」


 顔は見えないが、うっとりした声で彼女が呟いた。


「そうか。満足するまで付き合ってやるさ」

「ふふ……。アティアスさまと初めて会った日の夜も、落ち着くまで……こうして撫でていただいたのを覚えています。あのときから……私はアティアスさまがいないと生きていけなくなったんです」

「……俺だって、エミーがいなかったら、もう生きていなかったかもしれないな」


 エミリスはぐるっと身体を回して、正面から彼に抱きついた。


「すみません、少し眠くなってきちゃいました……。胸をお借りしてもいいでしょうか……? 気持ちよくて……」

「ああ。ゆっくり寝たら良い。どうせ真っ暗で何もできないからな」

「はい……ありがとうございます……」


 歩き疲れていたのか、彼の胸に顔を埋めたまま、エミリスは寝息を立て始めた。

 起こさないように気をつけて、アティアスも目を閉じた。


 ◆


 翌朝、うっすらと周りが明るくなってきたころ、2人は目を覚ました。


「とりあえず軽く腹ごしらえしよう」

「承知しましたー」


 エミリスもよく寝たようで、機嫌良く返事をして荷物から保存食を取り出す。


 節約しながらも行動できるだけの食料を補給し終わって、今後のことを相談する。


「……今日はなんとか森から脱出したいな」

「ですねぇ……」

「せめて方角が分かればな……」


 西から森に入ったことから、西に向かえば王都の方向の筈ではある。

 日が見えればわかるのだが、木々が鬱蒼としていて、それもほとんど見えないのが厄介だった。


 そのときだった。


「――おい、お前らどうした……?」


 突然、周囲に声が響いた。


「――えっ⁉︎」


 エミリスがそれに驚いて、ビクッと体を震わせたのが見える。

 声の方に顔を向ければ、そこには30歳くらいだろうか、黒い短髪の男が鋭い目付きで立っていた。


「どうしたと言われてもな。……道に迷って困ってるだけだ」


 アティアスが自嘲しながら答えた。

 それを聞いた男は、ふっと笑う。

 ベージュ基調のその男の格好は、アティアスには見覚えがあった。王都の魔導士の通常服だ。


「そうか。……変な魔力が一帯に広がってたから、何事かと思ったが、ただの迷子か。ドワーフの村にでも行くつもりか?」

「ああ、そのつもりだったが、これではな。とりあえず森を出ようと……」


 エミリスはまだ警戒しているのか、アティアスの側で黙っている。


「村に行きたいなら案内くらいしてやる。……それにしても、そこの女、この程度の魔力干渉も破れないのか?」


 男はエミリスの方を見ながら言った。

 彼が言っているのはこの森のことだろう。


「それだけの魔力があっても、扱いがなってないな。どうせ俺が近づいたのすら、気づけなかったんだろ?」

「…………」


 男の言葉に、エミリスは顔を強張らせる。

 図星だったのだろう。常に周りを確認しているつもりでいたが、この男にあっさり近づかれたことに、先ほどあれほど驚いたのだ。


「ふん、別に取って食うつもりもない。……ただ、あまり魔力を撒き散らすのは感心しないな。俺みたいに、それが感じ取れる奴もいるってことを覚えとけ」

「……はい」


 彼女は青ざめた顔で声を絞り出す。


「……王都の魔導士か?」


 アティアスの問いに、男は答える。


「ああ。一応名乗っておいてやる。俺はワイヤードって呼ばれてる。……お前らは?」

「俺はアティアス。……アティアス・ヴァル・ゼルム。こっちは妻のエミリスだ」


 アティアスの返答に、ワイヤードは「ほぅ」と感嘆する。


「わざわざゼバーシュから来たのか。ご苦労なことだな。……まあいい。ついてこい」

「ああ」


 アティアスは頷き、ワイヤードの後を歩く。


「……アティアス様、大丈夫なのですか?」

「……他に選択肢あるのか?」

「いえ……ないですけど……」


 心配そうにエミリスが小声で耳打ちする。

 アティアスとしては、得体の知れない男だが、ここで迷っているよりはマシだと考えていた。


「疑うのは構わんが、全部聞こえてるからな?」


 振り返りもせずにワイヤードは言う。

 それを聞いて、エミリスは押し黙って、後ろに付いて歩くことにした。


 30分ほど歩いた頃だろうか、エミリスが「あっ」と小声で呟く。

 それが聞こえたのか、ワイヤードが答える。


「なるほど。このくらいの距離で、もうわかるのか」


 エミリスが感じたのは、恐らくドワーフの村人達の気配なのだろう。

 ワイヤードは残りの距離を知っていることから、彼女の探知範囲が、どれほどあるのかがわかったのだ。


「ならもう俺の役目は終わりだな。またそのうち会うだろう。……じゃあな」


 ワイヤードは2人に一方的に話し――その瞬間、ふっとその姿がかき消えた。


「――えっ!」


 アティアスは驚きの声を漏らす。

 ただ、エミリスはそのまま黙っていた。


 しばらく呆然としていたアティアスが呟く。


「……なんだったんだ……?」

「たぶんですけど、最初からそこにいなかったんだと……思います。幻のようなものとしか……」

「そう言っても、確かに目の前に……」

「私にもわかりませんけど、気配はずっと存在してませんでしたから」

「存在してない?」


 彼女の話にアティアスは首を傾げて聞き返した。


「ええ、最後まで私の探知にかかりませんでしたし、空気の揺らぎとかもありませんでした。つまり、息もしてません。それに匂いも。……じゃあ何? って言われても答えられませんけど……」

「それは……謎だな。幽霊か?」

「嫌すぎますね、それ……」


 エミリスはワイヤードが現れたときと同じように、青ざめた顔をしていた。

 しかし、気を取り直す。


「とりあえず、今はドワーフの村に行きましょう。もうすぐですから」

「ああ、そうだな……」


 2人は人の気配のする方に歩き出した。

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