第118話 船酔

「それにしても、よく許可取れましたねぇ」

「そうだな」


 2人はゾマリーノの港で王都行きの船を前にしていた。


 先日の一件のあと、少しの間ゾマリーノを観光し、2人は一度ゼバーシュに戻った。

 そして、父ルドルフに王都へと行く許可を得て、改めてゾマリーノに再訪したのだ。


 王都行きの理由は2つ。

 表向きの理由は人身売買の組織の調査、そしてエミリスの剣の修理だ。

 ルドルフもゼバーシュ領内での奴隷商には危惧していることから、その調査ということで許可されたのだ。もちろん調査には危険を伴うが、エミリスが付いていれば心配ないだろうと、二つ返事で了承を得た。

 不安の種だった、マッキンゼ領との問題が鎮静化したというのもその背景にあるだろう。


「しかも王都まで船旅って、優雅ですね。……歩いて行くのかと思ってましたよ」


 目の前の大型船を見てエミリスが感嘆する。

 これに乗って行けば、王都の近くの港に着く。


「エミーは一度も乗ってないだろうからな。かなり遠回りする航路だから2週間かかるけど、それでも歩くよりは早いよ。馬車と同じくらいだな」

「その間ゆっくりできますねー」

「ああ、個室取ってるから楽しみにしとけ」

「はいっ!」


 ようやく乗船の時間になり、彼女は笑顔で船に乗り込んだ。


 ◆


「ううぅ……。も、もうダメです……」


 船が出航してまだ30分も経っていないのに、エミリスは青ざめた顔でげっそりしていた。


「……大丈夫か? こんなすぐに船酔いするとはな」

「船酔い……ってなんです……か……? うぅ……」

「船ってゆっくり揺れるだろ? それで気分が悪くなる人がいるんだ。小さな船ならともかく、こんな大きな船だと酔うのは珍しいけどな」


 あまりに気分が悪くて何もできない。

 もしかして、あと2週間これが続くのだろうか。そんなの絶対無理だと嘆く。


「うっ……!」


 彼女は口を押さえて手洗いに駆け込む。

 個室で良かったとは思うが、それで船酔いが軽くなるわけでもない。


「……はうぅ」


 涙目でふらふらと戻ってきた彼女は、そのままベッドにうつ伏せに倒れ込む。


「……ちょっとはマシか?」

「…………」


 聞いてみても無言でチラッと目配せしただけだ。

 察しろということらしい。

 アティアスはため息をついて言う。


「とりあえずデッキに行こう。遠くを見るとマシになるって聞くぞ?」

「…………本当です……?」

「ああ」

「……連れて行って……欲しいです」


 もう歩くのも嫌なのだろう。彼に運べと依頼してきた。

 これほどになるのも珍しい。


「仕方ないな。……ほら」


 アティアスは彼女を抱き上げてデッキに向かう。

 個室から出ると、海風が気持ちいい。

 この爽やかな空気だけでも、少しは楽になるだろう。


「ほら、立てるか?」

「は、はい……」


 彼女は手すりに掴まって、なんとか自分の足で立つ。


「水平線を見てろ」


 言われた通りに遠くをじっと眺める。

 何度も大きく深呼吸すると、さっきより少し楽になってきた気がした。

 改めて周囲を見ると、大陸が半分、残りは見渡す限り海が広がっていた。


「……綺麗ですね」

「少しはマシになったか?」

「はい少しだけ……。まだまだ胸焼けは取れませんけど……」

「そうか、まぁそれはしばらくかかるだろ。……それにしてもエミーがこんな船に弱いとは思わなかったよ」


 ここまで酷いのがわかっていたら、陸路にしたかもしれない。


「うぅ……。船がこんなだとは思ってませんでした……」


 恨めしそうに彼を見るが、もうどうしようもない。

 ただ、アティアスにも予想外だったことなので、彼を責めることができないこともわかっていた。


「そのうち慣れるよ」

「……だと良いんですけど……」


 ふぅ、とひとつため息をつく。


「ほら、水でも飲んどけ」

「ありがとうございます」


 少し顔色が良くなった彼女に水を手渡す。

 彼女はそれを飲んで、もう一度大きく深呼吸をした。


 ◆


「はぁ……部屋に入るとダメですね……」


 デッキで時間をかけて船酔いが治まった頃合いで、個室に戻ってみた。しかし、部屋に入るとすぐまた気分が悪くなったようで、またデッキに蜻蛉返りすることになってしまった。


 周りが見えないのがどうにもいけないようだ。

 ただ、夜になるとデッキでも星しか見えなくなることから、それが心配の種だった。

 デッキに設置されたベンチに並んで座り、海を眺める。


「仕方ない、もう寝てしまうか?」


 アティアスが提案すると、彼女は怪訝な顔をした。


「部屋に行ったら気分悪くて寝られないです……」

「ここで寝たらいい。そのあとベッドに運んでやる」

「……ええぇ。恥ずかしすぎますよ」

「気にしてる場合か? 寝たら良くなるかもしれないしな」

「うう……。わかりました。ちゃんと見ててくださいよ……?」

「ああ、ほら……」


 アティアスが自分の太腿を叩くと、彼女は少し笑顔を見せてそこを枕にして横になった。

 少しでも気が紛れるようにと、その緑色の髪を撫でる。


「……ありがとうございます」


 一言呟き、ゆっくりと目を閉じた彼女からは、程なく寝息が聞こえてきた。

 かなり身体に負担になっていたようだ。


 ただ、ベッドに運ぼうにも起こしてしまいそうで、通りがかった船員に頼んで毛布を届けてもらい、そのまま寝かすことにした。


 ◆


「……ん」


 辺りが真っ暗になった頃、エミリスは目を覚ました。

 顔に当たる風は冷たいが、体はいつの間にかかけられている毛布で温かい。

 それに自分が枕にしていた彼の太腿も心地良い。


「……ああ、起きたか? 気分はどうだ?」


 彼もうたた寝していたのか、彼女の動きで起きた様子だ。

 彼女は深呼吸してみて、体調を確認する。寝る前までずっと残っていたお腹の重たさは、ない。


「はい、大丈夫みたいです。……アティアス様、寒くはないですか?」


 ゆっくり身体を起こし、彼の様子を確認する。

 昼間の薄着のままこの潮風だと、相当冷えてしまっているのではないかと心配になった。


「良かった。俺はちょっと寒いけど我慢できるよ」

「むー、絶対嘘です。…………だって、こんなに冷えてますよ……」


 彼の頬に触れると、すごく冷たくなっているのがよくわかる。

 きっと、私を起こさないよう、かなり我慢していたんだろう。そう思うと、申し訳ない気持ちと彼の優しさが身に染みる。


「エミーの手は暖かいな」

「違います。アティアス様がそれだけ冷たいんですよ……」


 早く暖めなければ。

 彼女はそう思って、急いで彼の手を取って個室に向かう。


「お、おい、大丈夫だって」

「ダメですっ。私が暖めてあげますから早くこちらに」


 部屋に入ると、そのままベッドに直行する。

 彼女は自分が先にシーツに潜り込むと、彼の手を引っ張って自分の横に引きずり込んだ。


「……強引だなぁ」

「ふふ、私は我儘ですから」


 そう言って微笑むと、ぎゅっと彼に抱き付く。

 先ほどまで毛布を被っていた彼女はとても暖かかった。


「エミーは暖かいな」

「だから違いますって。それだけ冷えてるんですっ!」

「……そういうことにしておこうか」

「もう……。私のせいで体調崩したりしないでくださいよ……」


 慈しむような声で彼女は呟き、更に彼に身体を密着させた。

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