第53話 弱点
「うぁー、今日は暑すぎます……」
うんざりする声でエミリスが呟く。
一日おいて出発の日、天気は快晴だった。天気がいいのは悪いことではないが、今は夏である。ここゼバーシュでは夏でもそれほど暑くない日が多いが、今日は朝からうだるような暑さだった。
「久しぶりに朝から暑い日だな」
二人は日差しを避けるために、つばの大きな麦わら帽子を被っている。
「あぁ……溶けてしまいそうです……」
彼女は暑さが苦手なようで、ビシッと背筋を伸ばしたいつもの姿勢とは違い、ぐてーっとして揺らめいていた。
「人間離れしてるとは思ってたけど、実はスライムだったのか?」
「私のどこを見たらそうなるんですかぁ……」
「……軟体動物になりかけてるところ……かな?」
「ひどいっ!」
アティアスの軽口に口を尖らせて彼女が非難する。
少しでも暑くならないようにと、薄手の風通しの良い上着と、同じく白いプリーツの入った膝丈のスカート。それに乗馬のために黒いスキニーのようなぴったりとした茶色のパンツを身に付けていた。腰には久しぶりに帯剣している。
「魔法で自分の周りだけ冷やせたら良いんだけどな」
彼が言うが、さすがの彼女でもそれはできなかった。
せいぜい氷を作って首筋に当てて冷やすくらいだ。
「うう……私、暑いのだけは苦手なんですよね……」
ふらふらしながら彼女が呟く。何気なく言ったのだろうが、ふと気になったので聞き返す。
「……暑いのだけ?」
「……? ええ……そうですけど……」
不思議そうに答える彼女に言う。
「エミーの苦手なものなんて、今じゃいくらでも言えるぞ? 例えば……」
「……例えば?」
「ゴキブリとかナメクジとか……」
「…………うぇ」
彼女はそれらを目に浮かべたのか、心底げんなりした顔を見せる。
「……他にもいっぱいあるだろ? 苦手なものだらけだ。それにエミーの弱いところ……むぐっ」
「わ、わかりましたっ! そのくらいで勘弁してくださいっ」
話の続きが予想できた彼女は、顔を真っ赤にして慌てて彼の口を手で塞いだ。
「ははは。ま、そう言うわけだ」
「……むむぅ。なんかすごく負けた気分がします……」
◆
「じゃ、気をつけてな。馬達もよろしく頼むよ」
城でノードから二頭の馬を受け取る。
そのうち一頭は、エミリスが練習でずっと乗っていた馬で、馴染みがあった。
「ああ、今回はそんなに長く無いと思う。秋には一度戻るつもりだ」
「新婚旅行とでも思って楽しんできな。……エミーも気をつけてな」
「はいっ、行ってきます!」
二人は荷物を馬に乗せ、自分たちもそれぞれ鞍に跨る。
「さ、行くぞ」
「りょーかいです」
アティアスの馬に続いて、ゆっくりと城を出る。
しばらくはゼバーシュの街中を進むので目立って恥ずかしいが、気にしても仕方ない。
馬は徒歩よりはずっと速く、すぐに街の門まで着いた。
「ご苦労。しばらく街を出てくる。警備を頼むぞ」
アティアスが門兵に挨拶すると、兵士は直立して返事を返す。
「は、ありがとうございます。アティアス様。エミリス様もお気をつけてください。お帰りをお待ちしております」
「ありがとうございます。行って参ります」
『様』と呼ばれるのは慣れないので背中がむず痒くなるが、こればかりは仕方ないと諦め、彼女も挨拶して門を出る。
ここからはしばらく街道を進むことになる。
◆
数ヶ月前に通った街道だが、季節が変われば風景も変わる。
まだ春だった前回と異なり、盛夏の今は草木も濃い緑で鬱蒼と繁り、虫の声が色々なところから聞こえてくる。
すれ違う人達も徒歩は少なくなり、馬車か馬が多かった。
「暑いですけど、馬だと歩くよりだいぶ楽ですね」
「そうだな、歩くとそれだけで汗が出るからな……」
アティアスの後ろに続くエミリスが馬上から話しかける。
「季節によって、旅の危険とかも変わるんでしょうか?」
「野盗は減るけど、魔物や獣は変わらないな。むしろ冬は冬眠してる獣もいるから、夏の方が危ないかもしれない。あと夏は蜂とか出るから気をつけないといけないな。……それよりも、夏は熱中症になったりすると命に関わるから、その方が危険かもな」
「なるほど……」
確かにこれだけ汗が出ているのだ。しっかりと水分を摂らないといけない。
「水だけ飲んでても駄目で、塩分とかもな。何もないところで倒れたら死ぬぞ」
「はい、気をつけます。……私としては、暑いとチョコを持ち運べないのが辛いです」
心底悲しそうに彼女が溢す。
夏は溶けてしまうのでチョコは持ってきていない。これまで毎日のように食べていたのに、急に食べられなくなるのは悲しかった。
「その方が痩せるかもな」
「べ、別に太ってないですし!」
いつもと同じようなやり取りをしながら二人は街道を進んでいく。
◆
以前に宿泊した宿場町には昼過ぎに到着した。
「やっぱり速いですねー」
「馬だからな。一旦馬を預けてここで食事しようか」
「はいっ」
宿場町でも馬を一時預かりして水や食料を与えてくれる店がある。そこに馬を預けて、二人は食事に向かう。
行ったのは以前エミリスが破壊した店だ。
店に入ると、以前と同じ店主がいたので話しかける。
「久しぶりだな。かなり以前のことだが……その後は大丈夫だったか?」
店主も二人の顔を覚えていたようだった。
「ああ、この前は……。ゼバーシュ伯爵の。はい、すぐにお支払い頂き、店が再開できております」
「それは良かった。ここへ寄ったついでに食事でもと思ってな。……酒は飲まないから安心してくれ」
「ははは。またお寄り頂いて光栄です。ごゆっくりなされてください」
エミリスはアティアスの後ろで気まずそうにしていた。そんな彼女に店主は声をかける。
「お嬢ちゃん、心配しないでいいよ。店も元通りだし、またいつでも寄っておくれ」
「……はい、先日は失礼しました」
深々と頭を下げる。
「こっちの話だが、これは俺の妻になったんだ。……もし何かあったら俺が責任取るよ」
店主は驚きつつも、笑顔で応対する。
「それはおめでとうございます。サービスしますのでお寛ぎください」
「ありがとう」
二人はテーブルに着き、食事を注文する。
時間のない旅行者が多く来る店のためか、すぐに料理が運ばれてくる。
今回は馬肉の煮込み料理を選んだ。
アティアスは普段から煮込み料理をよく食べており、それはエミリスが特に得意な料理ということも理由のひとつだ。
「馬肉はあまり食べた経験ないですが、癖がなくて食べやすいですね」
「そうだな。逆に癖が無さすぎて煮込みには合わないかと思ってたけど、味付けが良いのか、これは悪くないな 」
「むふー、これは一度チャレンジしてみたいです」
彼女は味を盗もうと、じっくり分析しながら食べている。
もしかして味覚も人一倍あるのでは……と思ったりもするが、もちろん真相はわからない。
「こちらは店主からのサービスでございます」
給仕が二人のテーブルに新しくプレートを持ってきた。先ほどの店主が気を利かせてくれたようだ。
夏場らしく、さまざまなフルーツに彩られたホールケーキがプレートに乗せられている。
「うわぁー!」
エミリスがそれを見て目を輝かせる。
甘いものが大好きな彼女にとっては、もちろんケーキも好物のひとつだ。
「良かったな」
「はいっ、ありがとうございます」
給仕に礼を言い受け取る。
食後にお茶を飲みながらケーキを頂く。ケーキは二人で分けたが、その大部分が彼女の胃袋に格納されたことは言うまでもない。
「……普通に食事を食べてからでも、あれだけケーキを食べられるのか」
アティアスが呆れたように言う。彼女は何事もなかったかのように首を傾げる。
「普通は食べられると思いますー」
「絶対普通じゃないからな。エミーは自分が特殊なんだということをもっと自覚した方がいい」
彼女の言う普通は胃袋に限らず、全く普通じゃないことはもう分かりきっている。
ただ、その普通じゃないところに助けられている彼にとっては、別に問題ではなかったのだが。
「ぶー。そんな特殊な私を選んだアティアス様も特殊なんですー」
笑いながら彼女が返す。いつもの光景だが、そんな彼女が可愛いと思う。
「……そうだな。変わり者同士で良いじゃないか」
帽子を被っていて髪は撫でられないが、その上にぽんぽんと手を乗せると、彼女は彼の空いた方の手をがしっと掴む。
「ふふふ……もう逃がしませんからね。……私の弱いところを知ってるのはアティアス様だけで充分です」
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