第51話 乗馬
「と、いうことですので、しばらく私が乗馬の指導をさせていただきます。……エミリス様」
城で乗馬の練習をすることになり、その指導担当になったのは良く見知ったノードだった。
アティアスはその間、兄のトリックスの所にと言って行ってしまった。
彼が教えてくれるのかと思っていたが、教えるのはそれほど得意じゃないということで、代わりに担当を付けてくれたのだ。どんな担当が付くのか不安だったが、幸いノードならよく知っているので良かったと思う。
「ノードさん、私に『様』はやめてくださいよ……。それに敬語も……」
エミリスが抗議する。
全く同じことをアティアスに何度も言われているにもかかわらず、自分は拒否していて申し訳ないと思いながらも、やはり慣れない呼ばれ方は嫌だった。
ゼバーシュに来るまではノードからも呼び捨てにされていたのだが、アティアスと結婚したことで立場が変わり、周りからの言葉遣いが変わったことに彼女は違和感があった。
元々は孤児の使用人だったことを考えると、世間的にはシンデレラストーリー。いわゆる玉の輿である。
ただ、本人にとってはそれは結果であって、狙った訳でもないし、むしろ以前のように彼に仕えているほうが自分らしいと思っていた。
それを知っているノードは、ふっと笑っていつものように話しかける。
「冗談だよ冗談」
それを聞いて彼女はほっとした。
こんな調子でずっと指導されたら息が詰まってしまう。そもそもノードはアティアスに対しても敬語を使ったりしなかったし、それが許されてもいたのだ。
「良かったです。それと、ご指導お願いしますっ」
彼女は頭を下げて、ノードに指導をお願いする。
「エミーは前と全然変わらないな。とりあえず改めておめでとうと言っておくよ。……アティアスと一緒になれて良かったな」
妹を見るような目で彼が話すと、彼女が深く頭を下げる。
「はい。ありがとうございます」
「今になってだから言うけど、俺は初めからいずれそうなるって踏んでたよ。……あいつ、すげー気に掛けてたからな、エミーのことを」
「……そ、そうなんですか?」
急にそんなことを言われて少し恥ずかしくなる。
「ああ、あいつは一度決めたら曲げないからな。たぶんだが……剣の練習するって決まった頃くらいから、そのつもりだったんじゃないか」
「そんな以前から? ほんとですか?」
そんなにずっと前から自分を大切に思ってくれていたとは知らなかった。
でも確かに、ずっと良くしてくれていたのは分かる。
「直接は聞いてないけどな。そもそもエミーがあれだけアピールしてたろ? そのつもりがなきゃ普通は一緒に居たりしないだろ」
「そ、そんなものなんでしょうか……?」
自分ではそんなに彼に迫っていたつもりはなかったからよくわからないが、彼の感覚ではそうらしい。
「そんなもんさ。だから俺にとっては想定通りだったよ。ただ、くっついて少しは落ち着くかと思ったけど、また旅に出るってのは困ったもんだ。……ま、これからのお守りをよろしく頼むぜ」
「はい、頑張ります!」
「まぁ長話もなんだ、そろそろ練習しよう」
「はいっ! よろしくお願いします」
改めて彼女は深々と頭を下げた。
◆
「アティアスさまー、足がゴワゴワしますー」
乗馬の練習しているエミリスの所にアティアスが戻ると、開口一番に彼女が泣きついてきた。
彼女は普段スカートだが、今日は乗馬をするとあって見慣れぬパンツスタイルだ。
立場上は伯爵の子女であるため、場合によってはサイドサドルにドレススカート姿で馬に乗るようなこともあるだろうが、今回は冒険者としての旅である。そんな恰好で出歩くのは目立って仕方がない。
「ま、まぁ慣れるまでは結構キツいからな……。そのうち慣れるよ」
初めて馬に乗った頃を思い出しながら、アティアスが諭す。
エミリスはベンチに座って自分で足をマッサージし始めた。
「おう、用事は終わったか?」
「ああ、すまんな。どうだ、なんとかなりそうか?」
ノードに様子を確認する。
「そうだな、まぁ歩かせるくらいならあと何日かやれば充分だろ。あとは乗りながら覚えてくれ」
「ありがとう。じゃ、また明日も頼むよ」
「わかった。明日は朝からか?」
「いや、昼からにしよう。午前中は用事があってな」
アティアスが説明する。
「りょーかい。……今日はこのくらいにしとこう。馬の世話はしとくよ」
「すまんな。……エミー、今日は帰ろうか」
「あ、はーい! ノードさん、ありがとうございました」
「おう、また明日な。……帰ったらアティアスによくマッサージしてもらえよ」
ノードが笑いながら馬を牽いて厩舎に帰っていく。
「アティアス様。では、帰りましょうか」
「そうだな」
◆
「はぅー! んふー!」
エミリスはぐりぐりと太腿をマッサージされるがままに、痛さと気持ち良さの入り混じった声を上げる。
たまにマッサージをしてくれることがあるが、いつものようにベッドでうつ伏せになり、顔を枕に埋めて手でぎゅっと掴んでいる。
二人でお風呂に入ったあとなので、今は薄手の寝衣に着替えていた。
「どの辺りが気持ち良い?」
満遍なく指圧しながら彼が聞く。
「あっ……もう少し上が良いっ……ですっ!」
「……このへんか?」
「あうぅっ‼︎ そこですっ!」
気持ち良いのだが、痛みも強くて呼吸がどうしても浅くなり、息ができなくなってくる。
「ああっ! ちょっ……ちょっととめてっ! 息がっ」
「仕方ないな」
と、言いつつ最後に強く力を入れる。
「ふぎゃーーっ‼︎」
彼女は叫び声を上げ、背中が弓形に仰け反る。
一瞬動きが止まってから、ばたっと枕に顔を埋める。
「……はうぅ……酷いですよぅ……」
ぼそっと呟く。目には涙が浮かんでいる。
「あはは、すまん……ちょっと面白くて」
「むむー、弄ばれました。もうお嫁に行けません。アティアス様が責任とってくださいっ」
エミリスが顔を上げて彼の方に身体を向け、ジト目で睨んでくる。
「もう結婚してるだろ……。これ以上どうやって責任取れって言うんだ?」
そう言いつつも、それ以上抗議できないよう彼女の口を自らの唇で塞ぐ。
「むぐぅ…………んっ……」
一瞬驚くような顔を見せたが、すぐにうっとりと幸せそうな表情に変わる。
唇が離れたあと、彼女は小悪魔のように囁いた。
「……ふふ、では身体を張って責任とってもらいましょうか」
彼女は仰向けになり、両手を広げて彼におねだりをする。
「……なら満足するまで可愛がってやらないとな」
彼は改めて彼女に口付けをした。
◆
「いい感じだな。これはこれで可愛いぞ?」
翌日、出来上がった伊達眼鏡を持ち帰り、部屋で早速掛けてみたエミリスを見て彼が褒める。
「えへへ、そうですか?」
彼女は鏡を見ながらいろんな角度に顔を向けて確かめる。彼女の赤い瞳は、フレームと少し色の入ったレンズのおかげで、確かにあまり目立たなくなっていた。
結婚式まで伸ばしていた髪は短く切り、今は初めてアティアスと出会った頃のような長さだった。短いほうが幼く見えて、彼女にはそれがよく似合っていた。
「慣れるまでは違和感あるかもな。しばらくは付けたままで慣らした方がいいだろ」
「確かに視界の周りが少し邪魔に感じますね」
鏡と向かい合う彼女を後ろからそっと抱く。なんとなく、ついそのまま彼女の頭に顎を乗せてみた。
背の低い彼女の頭がちょうど良い高さなのだった。
「むむぅ、私の頭はアティアス様の顎を置く台じゃないですよぅ」
「すまん、つい」
そう笑いながら、彼女を抱く手に少し力を入れる。彼女は仕方ないなぁ、という表情で彼に身体を委ねた。
「ふふ……このくらい構いませんけどね。……でも、そろそろ昼食を作らないと」
名残惜しそうに彼の腕の中から離れて、厨房に向かう。
彼女の歩き方には少し違和感があった。昨日の乗馬の練習でしっかりと内腿が筋肉痛になってしまっていたのだ。
「……足大丈夫か?」
「大丈夫じゃないですけど、大丈夫ですー」
以前の剣の練習の時よりはずっとマシだったので、充分我慢できる範囲だったのが救いか。
◆
最終的に合計で3日間、エミリスは乗馬の練習をした。
自在にとはいかないものの、歩く止まる曲がるなどの基本的な乗馬技術を身に付けることができた。
ノードは「あとは旦那様に教えてもらえ」と言って元の仕事に戻っていった。
「準備もあるし、練習で疲れたろ。とりあえず一日休んで、明後日出発にしようか」
「はい、承知しましたー」
「出発したら1日掛けてトロンまで行く。そこでしばらく休憩だな。それからテンセズまで。移動だけならテンセズまで3日で行けるけど、それだと疲れるから1週間くらいかけてゆっくり行こうと思う」
「ここに来たときとちょうど反対ですね」
アティアスの説明に彼女は頷く。
「そうだな。道もわかるだろうから馬に慣れるのにちょうど良いだろ。テンセズでしばらく情報集めてから、北のマッキンゼ領に入ろうと思う」
「わかりました。お供します」
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