眼差し

 近くの物は見えない速度で通り過ぎて行き。遠くの景色も流れる様に徐々に過ぎ去って行く。

 父が倒れたと連絡があり、数年振りの帰郷。

 本当は戻らなくても良いと思っていた。

 俺の事には関心のない父。昔から兄の事ばかりを褒め、俺の事など気にもしていなかった。

 兄が高校・大学と合格する度に大騒ぎをして祝い。俺の時は母が気を使いささやかなお祝いをしてくれた程度だ。


 てっきり兄が家業を継ぐと思っていたけれど、兄はそれなりの会社に就職して家を出て行った。

 俺は到底継ぐ気も無かったし、父も俺に継いで欲しいなどとは欠片ほども思って居ないはずだから、兄よりも遠くの都市に就職した。

 家を出てからは一度も帰郷していない。帰る必要も無いから。

 今回も母が涙ながらに訴えるから戻るだけで、別に父の容体が気になる訳ではないというのが本心だ。


 電車がトンネルに入り、鼓膜こまくが圧迫されると共に、窓の外を眺める自分の顔が映り込む。

 成人した頃から、しきりと父に似て来たと言われていた。いい迷惑だ。

 あの頃、父と話した記憶は無い。

 父も俺とは話す気が無さそうだったから、就職の事も家を出る事も一切話さなかった。


 ただ、成人式の日に母から色紙を渡された。父が俺に書いた物らしい。

 たわいのない歌が書いてあった。確か教科書で見かけた事がある平凡な歌。ただ見たままの景色を詠んだ歌。

 意味が分からず色紙は何処かへ。捨てたのかも知れない。

 そう言えば、最近見たTV番組で、歌とは詠まれている言葉そのものを良しとするものと、歌に込められた背景まで含めて評価されるものとが有ると言っていた。

 特に気になった訳では無いが、父が書いたあの平凡な歌の意味を検索してみようと思った。

 何となく覚えていた出だしの言葉で検索を掛ける。だが、電波が途切れていて結果は表示されなかった。


 長いトンネルで自分の顔を見ながら、家を出てからの日々を思い出す。

 相変わらず誰にも期待されず、ただ毎日を過ごしているだけの空しい日々。

 仕事に熱中しているつもりでも、ふとした瞬間に違和感を覚え嫌な気持ちになる。

 そんな時には、期待されずに育った環境を恨み、父の事を腹立たしく思ったりもしていた。

 窓の外が明るくなり、外の景色が飛び込んで来る。

 また鼓膜が変な感じがするから、耳抜きをして元に戻す。

 そろそろ到着だ。




「良く帰って来たね」


 病室の前で俺を待って居た母は涙目で迎えてくれた。

 しばらく振りの母。少し歳を取った気がする。

 今まで一度も帰郷しなかった罪悪感で胸が苦しくなった。

 母に促され病室に入ると、父はベッドの上に座り外を眺めていた。

 俺に気が付くと頷いただけで、「わざわざ帰って来なくても良かった」という様な事を言われた。

 ちょっと体調が悪くて寝込んでいただけなのに、母が大げさに伝えて周りを混乱させたらしい。

 それでも数年振りに見た父は、病室だからかも知れないが、背が曲がり肩を落とし随分と老け込んだ様に見えた。


 電話の着信で一旦病室から出ると、後から母も出て来て廊下で父の事を話し始めた。

 医者の話では大した事では無いとの事だったが、とにかく最近は塞ぎがちで寂しそうにしていると。

 そして、意外な事を伝えられた。俺が居なくて父が寂しがっていると。


「お袋さん。そんな訳ないだろ。親父おやじさんは俺の事とか気にもしていなかったじゃないか。大好きな兄さんの事ばかり可愛がって、俺の事なんか……」


 そう伝えると母は大きくかぶりを振った。父は兄には期待していなくて、本当は俺に期待していたのだと。

 有り得ない話だった。愛情を注がれる兄とそうでは無かった俺。

 父に可愛がってもらった記憶なんて皆無だ。


 その時、メッセージの着信があり画面を開くと、さっきの検索画面が現れた。

 父から貰った歌の解説を表示させる。


 ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ


 『万葉集』に収められ、歌聖と呼ばれる柿本人麻呂かきのもとのひとまろの詠んだ歌。

 誰もが知っている「東から日が昇り、振り返ると月が傾き沈んでいく」という様を詠んだ平凡そうな歌だ。

 けれども解説では、当時皇位継承の争いが続いている中で、父と兄を相次いで亡くしたまだ若き軽皇子かるのみこが、皇太子になるべく立太子りったいしの儀式に挑む事への祝言しゅうげんや祈願、失った父や兄への鎮魂を込めた歌だと説明してあった。


 廊下の腰かけに座り、父が俺に伝えたかった事を考えてみた。

 記憶を必死で辿る。

 そそっかしい兄を優しく見守る父の眼差し。不器用な兄が受験をパスすると、とてつもなく喜び安堵の眼差しで見つめる父。やっと就職が決まり家を出て行く兄を涙目で見送る父。

 父は要領の悪い兄の行く末を本気で心配していたのだ。手先の器用さや忍耐が必要な家業を継がせるのは無理だと思いながら。

 そして、父は俺がどの様な人生を選択するのか黙って見守っていてくれたのだ。

 ただ一度だけ、成人となる俺への祝言と共に、後に文武もんむ天皇となられた若き軽皇子かるのみこの様に家業を継いで欲しいとの願いを込めた歌をしたためて……。

 父が書いてくれた歌に込めた気持ちが分かり、心が震える。




 病室に戻ると父は相変わらず外を眺めていた。母はリンゴを剝いている。


親父おやじさん」


 俺の呼び掛けに父が振り返った。


「家業を継がせて下さい」


 頭を深々と下げ、父の返事を待つ。


つらいぞ」


 顔を上げると、父は眉間にしわを寄せ睨みつけていた。


「今の仕事はどうするつもりだ」


「最初から分かっていたけれど、俺には合っていないと思う」


 俺の返事を聞き父は深く溜息を付いた。

 長い沈黙が続き、母がすすり泣く声と、廊下で話している人の声だけが病室に響いていた。


「いつ帰って来る」


「抱えている仕事をきちんと片づけたら直ぐに」


 途端に母の嗚咽が一段と大きくなった。


「おちおち入院なんぞしとられんな!」


 急に背筋を伸ばし、嬉しそうに俺を見つめる父。

 思い出した。

 小さい頃、俺を抱き上げてくれた父の眼差まなざしを。

 真っ直くに俺を見つめ、笑顔で抱きしめてくれた。

 父はちゃんと俺の事を見てくれていたのだ。

 あれからずっと。

 そしてきっと、これからもずっと……。



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(使用したお題:「うた」《和歌or俳句の使用》)

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