トビトビのケラケラ

「ねえ、なんで秋の星空が綺麗なのか知ってる?」


「なんだ急に。知ってるよ。秋は大気中の湿度が下がって……」


「うわー。面白くない答え」


「なんだそれ。じゃあ、どういう理由だよ」


「あのね、秋の夜空にはね。ダメだと分かっていても、美味しい物を食べてしまう乙女の悲しみが星となって……。ああ、なんて麗しくも切ない星空よ!」


「あー。それはね、冬の前に体に栄養分を貯めこもうとする、動物の……」


「うわー。更に面白くない事言っている人がいる。この人だあれ」


「君の夫」


「うふふ。あっ、焚き上がったみたい」


「おお、いい匂い。今日のご飯はなに」


「それでは今晩のディナーの発表です」


「おっと、その前にちょっとトイレ」


「なによー」


「ごめんごめん。ちょっと待ってて」


「良いよ。準備しとくから」


 御飯の炊き上がりに合わせて焼いていた魚をグリルから取り出し食卓の上へ。

 弱火で温めていた汁物をお椀につぎ、別の料理が入った鉢を並べる。


「あとは炊き込みご飯をよそって出来上がりっと」


 並ぶ食事。私しか居ない食卓。

 不意に子供の頃を思い出してしまう……。




 寂しくても悲しくても誰も居ない家。

 母が帰って来るのをひたすら待ち続けていたあの頃。

 誰も居ない食卓に人形を置き、いつも話し掛けながらご飯を食べていた。


「いいですかぁ。今日のご飯は魔法のコロッケに魔女のスープよ」


「今日のご飯はトビトビのケラケラよ。食べたら死んじゃうかもよぉ」


「なんと、これは森のクマさんが持って来た……」


 母は女手ひとつで私を育ててくれた。

 昼間は工場で働き、夜はお酒を出す店で働いていたそうだ。

 母に会いたくて、帰ってくるまで起きて待っていようとしていたけれど、毎日待ちきれずに眠ってしまっていた。

 だから布団を敷いた記憶が無いのに布団のなかで目覚め。仕事に行く準備をしながら朝食を作る母の背中に待ちきれなかった事を後悔する日々。

 それでも母が帰って来た時に起きている日もあり。そんな時は母は嬉しそうに私を抱きしめてくれた。

 お酒ときついお化粧の香りがしていたのを覚えている。

 今なら貧乏のテンプレ話だと疑われそうだが、当時は本当にそんな時代だったのだ。


 独りで擦り切れるほど読み返していた絵本は、いつしか図書館で借りた本に替わり、教科書に替わって行った。

 母の苦労を少しでも減らしたくて、自分も進学せずに働くと伝えたけれど、母はそれをかたくなに許さなかった。

 母は家の事情で高校を中退して働き始めたそうだ。

 学歴が無い事で苦労したのか、母からは大学まで行くように強く言われていた。

 それが母の生き甲斐だと言われ、必死に勉強して奨学金で高校に通った。


 高校に通い始めてからも独りの食卓でご飯を食べ続ける毎日。

 いつか母と一緒にゆっくりと食卓を囲むのが夢だった。

 でも、大学合格の通知を受け取った日に、過労が原因で他界した母。

 食卓には私しかいないままだった……。

 今でも誰も居ない食卓を前にすると、子供の頃の寂しい記憶と、母に親孝行のひとつも出来なかった事を思い出し涙がでそうになる。




「ごめーん。お待たせ―」


「……うん」


「ん。どうした」


「ううん。何でもない」


「あ、ごめん。食事前に独りにしてしまったね」


「大丈夫、大丈夫。そんな事より食器棚の一番上から、あのご飯茶碗を取って」


「分かった」


 背の高い彼が、私が届かない場所に有るお茶碗を取ってくれる。

 炊き込みご飯の時にだけ使う少し大きめのご飯茶碗。二人お揃いのご飯茶碗。


「さて、今日のメニューの発表です!」


「はーい。待ってましたー。パチパチパチパチー!」


「メインディッシュは秋刀魚の塩焼き。その脇に有るのは秋ナスのおひたし。そして汁物は……キノコ汁でございまーす」


「おおー」


「そしてそして、今日のスペシャルご飯は」


「ドキドキ」


「栗とサツマイモの炊き込みご飯でーす」


「おおー、美味しそう」


「どうぞ召し上がれ」


「頂きまーす」


 彼と向かい合って食べる食事。

 暖かくて楽しい食卓。

 なににも代えがたい幸せな時間。


「おかわりー!」


「わたしも」


「おやおやー。美味しいものを食べ過ぎて、麗しくて切ないのは良いのかな」


「ふんっ。星空に上げるから大丈夫」


「よしっ。じゃあ、とことん食べよう」


「うん。トビトビのケラケラよ」


「なんだそれ」


「良いの。気にしないで」




「秋は本当に星が綺麗だね」


「うん。綺麗」


 食事を済ませ、ベランダに出て彼と星を見ていた。

 今夜は新月で月は出ていない。その分、星が美しく輝いている。


「エホン。さて、この寒空の中で私の背中が空いているのは何故でしょう」


「あ、はいはい」


 彼が私を抱きしめると、背の低い私の頭は彼の胸の位置にくる。

 ちょっと見上げると、大好きな彼の顔が見える位置。


「ねえ、なんで秋の星空が綺麗なのか知ってる?」 


「うん。食べ過ぎた乙女の……」


「違うよ。あなたと一緒に見ているから」


 彼が一層強く抱きしめてくれた。

 夜中に帰ってきた母がしてくれた様に。

 強く、とても優しく……。

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