秋の日の思い出 4 -アイム・ソーリー -

「きのことたけのこを巡って戦争が起こるんだ」

 真面目くさった表情で、彼はおもむろにそう告げた。

 彼の手には彼の母国で売られている傘の部分がチョコで茎がビスケットのきのこ型のお菓子が一つ。

 モニクの手には円錐の形をしたお菓子が乗っている。こちらは頂点から底辺を少し残してチョコがかかっている。ちなみに土台はクッキーだ。

 きのこが彼の持っているものなら、モニクの手にあるのがたけのこというものだろう。実物を見たことがないので判別しづらいが、きのこ型を見るに、なかなかの再現率なのだろうか。

 口に含めば、ほど良く甘いチョコレートの風味が口内に広がる。しっとりとしたクッキー生地が少し残念だった。

「どうして戦争が起こるのよ」

 彼は大仰に腕を組み、殊更深刻そうに目を閉じた。

「人が争う理由は千差万別、譲れないものがあるのだ」

「つまり分からないってことね。ちなみにコウキはどっちなの?」

「きのこ」

 この意味の分からない争いの火種は、彼の母国に仕事に行っていた人達からの土産なのだという。

 いつも貰ってばかりじゃ申し訳ないと、土産を買ってきた人達が聞いたら苦い顔をしそうな理由で、貰ったものをお裾分けされていた。モニクとしては自分の持ってきたお菓子を食べてほしい所なのだが。

 本日持ってきたのはころころとしたカスタード入りの小さなクリームパフだ。同期の間でもおいしいと噂のお菓子屋さんで求めた逸品である。クッキー生地だから手で食べやすく、かつ一口サイズであるからいいかなと思ったが、如何せん、どうやら彼はカスタードクリームを好まないようだった。

 ころころしたお菓子を見せた時、真っ先に口に出したのは美味しそうという言葉ではなく、これはカスタードか、だった。

「俺の知り合いがほとんどどたけのこでさ、戦争でいつも負けてんの」

「そもそもお菓子の戦争って何なのよ」

「えー? どっちのお菓子がいかに美味しいかについての討論会?」

「アハハハ、平和そうな戦争だね」

「笑い事じゃないんだからな! 三対一という劣勢! それもアイツ等やたら口が回るし……」

「コウキって口が弱そうだものね」

 笑いながらモニクは考えた。彼の言う三人とは誰なのだろうかと。

 南寮にいるやんごとない子供達が東洋の世俗塗れなお菓子を食べるとは思えない。まして、東洋人なんかと言葉を交わそうとすら思わないだろう。

 ならば、彼の世話役になっているダラム、ラーセン辺りだろうか。いや、ラーセンは甘いもの全般が苦手だと、いつだったか彼が言っていた。ダラムはいけない口ではないが、好んで食べる方ではないらしい。

 なら、誰だろう――。

「いつか絶対きのこ側に付かせてやる」

 彼は意気込んだ。

 モニクは箱を軽く揺すって、ころころしているお菓子を転がし弄ぶ。クッキー生地のからからとした乾いた音がした。

「食べ物で遊ぶなって」

 彼が酷く微妙な顔付きで言う。

「遊んでませんよー、だ」

 苦しい言い訳をして腿に乗せていた箱を開けて、一つをつまみ出し、自分の口にお菓子を放り投げた。

 クッキー生地は少しだけ水分を吸ってしまったようだ。だが、及第点。美味しい。さくさくとした音を立てながら咀嚼する。

 彼が唇を尖らせた。

「なんでカスタードなんだよ。せめて生クリームと二層してくれれば食べられるのに」

 なんとも贅沢なわがままだ。

「わたしとしては何でカスタードが食べられないのかが不思議」

「いや、俺が育った所が生クリームしか出さない家だったんだよ。おおよそそのせい、アイツのせい」

 また、アイツ――。

「アイツって?」

 彼は隠す素振りすら見せず、あっけらかんと答えてくれた。

「幼馴染みっていうのかな? 一緒に育った奴。アイツが生クリームしか食べないから、俺もそれしか食べなくなったんだ」

「ずいぶん影響力の強い人なのね」

「まあな」

「それなのに、きのこ?」

「それはそれ」

 何故そこだけ影響を受けなかったのか疑問過ぎる。

 まあでも、彼の言うように戦う理由は人それぞれ。譲れないものをこの手に残すためならば、育ちも友情も、思い出すらも捨てて前に進まなければならない。

「……でも、わたしもきのこは嫌いかも」

 きのこ型のお菓子を手にして、茎の部分をくるくる回す。

彼は酷くショックを受けた様子で、でも、どこかおどけた感じで打ちひしがれる。太腿に肘を付き、大袈裟に頭を抱えた。

「我が友、お前もか……ッ」

 映画のワンフレーズを引っ張ってきたような物言いに、モニクは抑揚もなく

「是非もなしー」

 そう返す。彼はますます頭を抱え、天は我を見放した、と小声で言っていた。

 神様だってこんな些細でどうでも良い、微笑ましい戦争なんぞに助力を与えることはしないだろう。

 お菓子の好みで戦争が起こるなんて、なんて羨ましいんだろう。とんだ平和ボケだ。妬ましいほどの幸福だ。

 自分で持ってきたお菓子の箱の中にきのこ型のお菓子を落とし、ころころとした歪な丸いお菓子を頬張る。ねっとりとしたクリームの触感が少しだけ不快だった。

 頭を抱える彼を眇め見て、モニクは肩を落とした。

「だって、きのこって臭いのに味がないじゃない」

 臭くて臭くてどうしようもない。洗っても洗っても臭いは落ちず、放っておけばさらに臭くなる。それなのに、中身は何一つない。虚無だ。

「それにあの群れて生えてくるのも気持ち悪い」

 じめじめとした暗い所からわらわらと生えて広がって、根こそぎ引っこ抜かれて、質の良いものは選り分けられて、悪いものは捨てられて。異臭を放って地面に溶けて、また生える。

 今日は風が吹いていないはずなのに、いつか嗅いだ鉄の臭いが鼻を衝く。

 モニクの隣から納得のいかないといった唸りが聞こえた。

「きのこが嫌いだからって、このきのこが嫌いなんてことは俺が許さん」

「えー、嫌いな食べ物ってその形状見ただけて、ウッてこない?」

 彼は薄水色の空を見上げて、首を傾げた。

「……いや、特に」

「それは、本当に嫌いじゃないということなのですよ」

「それはない。絶対にない」

 酷く真面目な顔で言うもので、吹き出した拍子に足も大きく揺れてしまった。ポンッ飛び出したのは、ころころしたお菓子ではなく、きのこの形をお菓子。

 朽ち果てて乾いた葉の上に転がった。笠のチョコが陽の光を照り返し、じっとこちらを見詰めてくる。

 意にそぐわず、息が口を突いて出た。

「きのこ嫌いなのに、この前、敷地内のきのこ刈って来いって言われてさ。目障りだからって」

 暗い、じめじめした場所に転がっていたなと思い返す。

 それは類に漏れず、わらわらと生えていた物を一つだけ残して、すべてなかったことにした。綺麗にしろと言われたから、言われるままに、少しだけ触る事を躊躇って、全部刈り取ってしまった。汗と一緒に頬を滑った露、今でもそのしょっぱさが舌に残っている。

今、地面に転がっているチョコきのこのような焦げ茶色の笠のきのこも刈った。影に隠れ続けようとしてた赤茶色のきのこも。とげを持った白いきのこも。闇の中で凛然と立ち続けた黄色のきのこ。

 残ったのは噎せ返る腐臭。

「生えてるのを見るのも嫌なのに、刈った後の臭さっていったら! もうこびり付いて、手を洗っても全然流れ落ちなかったの。最悪だよね」

 彼が立ち上がり、チョコきのこを取り上げる。吐息で埃を軽く飛ばすと、口の中に放り投げた。チョコを呑み込んで、

「……シューショー?」

 呟かれた言葉を拾い上げ、音にしてみても、知識の中にある単語をあてはめられない。英語、仏語、伊語。どれにもない。ならば、彼の母国語――。

 彼は眉尻を下げて、静かに笑うばかり。

少しだけ、かっている時のしょっぱさが込み上げてきた。

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