28 「我が祝福を受ける人間よ」
シェノンは危機感に従い、すぐに魔術城に移動した。
無意識に選んだ先は自らの研究室で、すぐに外に出る。
魔術城は何か騒ぎが起きた様子ではないが、明らかに魔王の心臓が何かに呼応している。邪竜が来たときの比ではなく気配を感じ、心臓の場所が分かる。
地下だ。
魔術城の地下には、区画を変えて重要事項のための施設が存在する。
一つは、先日シェノンが投獄されていた地下牢。
他には古から存在する貴重な魔石など魔術的価値の高いものの保管庫。
そして、魔王の心臓の封印室があるに違いない。
──魔王の心臓、今はレナルドの聖王の祝福の力で人間が出来る最大限の封印を施されている呪物
「……見張りはいないけど、魔術トラップがびっしりね」
地下への入り口は徐々に人気がなくなり、入り組んだ場所にあった。扉には認識疎外の魔術がかけてあり、普通は見えないようになっている。
シェノンもこの辺りに入り口があるはずだと分かっていなければ素通りしただろう。
シェノンは入り口が見える離れた場所から魔術で周辺を解析し、紫の瞳を細めた。
確かに心臓は地下施設にある。だが入り口にある魔術認証は壊された形跡がない。
地下への無条件のパスを持っている者は限られているだろう。
その中に賢者が含まれるとしても、ラザル・フロストのものはエトによってきっと使用不可になっている。
ここ以外に入り口があるなら別だが、まだ来ていない?
でもこんなに近づくほど魔王の祝福の印が反応し、体が進むことさえ拒否したがるのに。
扉を睨むシェノンは、そのとき微かな魔術の気配を感じる。
扉の前に生じた白い魔術式。だれかがそこに現れる。
魔術式を読み取り、シェノンは反射的に攻撃、捕獲、防護、あらゆる状況に合わせた魔術式を構築する。
空間移動の魔術で現れた相手も、背後にいるシェノンに気が付き、魔術を構築した。
一触即発。
顔を見るより先に互いの魔力で警戒を解かなければ、廊下は一撃で惨状を広げただろう。
「シェノン、帰ったんじゃないのか」
レナルドが青い目を見張り、扉の前に立っていた。
シェノンもレナルドだと認識した瞬間魔術式を解除し、肩の力を抜いた。
「一回帰った。でも竜襲撃のときに感じた魔王の心臓が反応している感覚がして。レナルドがここにいるってことは何か起こったの?」
シェノンは険しい表情でレナルドに歩み寄る。
「いや、俺も勘と言うか、嫌な予感がした」
レナルド自身もはっきり言い表しにくい、初めての状態らしい。
「だから警報は一つも反応してないんだが、見に来てみた」
「扉向こうの魔術トラップも発動してないもんね。深いところはまだ手を出してないけど」
「何しようとしてたんだよ。ここに侵入なんかしたら立派な重罪だぞ。シェノン、そういうところは自分から犯そうとしにいかない質だろ」
一体どうしたのだと言いたげに、レナルドは扉認証を正式に通過し、シェノンも入れてくれた。
中は繋目のない白い壁と床の通路で、曲がり角が山ほどあった。通路は人一人しか通れないくらいで、シェノンはレナルドの背にちょこちょことついていく。
「ラザルの件はどう?」
「街の方にシェノンが残しておいてくれた方からは魔力サンプルと、魔術の先が途中までは辿れた。道はそれ以上は無理そうだったが、魔力はラザル・フロストのものと一致した。これで魔狼と魔犬をけしかけた犯人はラザル・フロストで確定しそうだ」
「あとは研究室の方から、一致する魔術跡が見つかればってところ?」
「ああ。だが、どの研究室に頼んでも魔術跡の場所も特定できそうにない。賢者なら可能か?」
「それだけの繊細な作業ならエトなら……」
「あるいは俺がシェノンに教わってやる手もある。久しぶりにシェノンに教わるのもいい」
ちらっと後ろに目をやったレナルドが機嫌よさそうに、ふっと口の端に笑みを浮かべた。
「仕方ない。この件が解決するなら喜んで」
シェノンも魔王の祝福の違和感があり続けるのに、思わず口角を上げて了承した。
──そのとき、シェノンの全身にぞわりと悪寒が走り、魔王の祝福がどくんと今までで最も大きく波打った
シェノンが喉の奥で呻きを押し殺すのと、レナルドが表情を硬くしたのは同時だった。
「封印が破られた」
言うや否や、レナルドはシェノンを抱き寄せ防護魔術で囲み、高出力の魔術を真下に向かって放った。
すぐに落下する感覚に包まれたのもわずかの時間で、魔術が最下層まで至る一瞬で空間移動の魔術で下に着いていた。
「ちっ、真下だと思ったが外れたか」
床をぶち破った魔術は、封印を破っている侵入者を仕留めるためのものだったようだが、手ごたえがなかったのか。
忌々し気にしたレナルドに下ろされ、シェノンも地に足をつける。
部屋の破壊をきっかけになり始めた警報がうるさいほどだ。
白い室内には部屋の材質の白い細かい砂塵が舞い、その向こうにうっすら侵入者の姿が見える。
背丈、体格、そして砂塵の間から垣間見えたくすんだ金髪。
「ラザル・フロスト、尻尾を出すのが早いのね」
「ラザル・フロスト、心臓から離れろ」
シェノンが魔術を放つのと、レナルドが放つのは同時だった。
この部屋にあるのが聖遺物なら話は別だったが、あるのは魔王の心臓という呪物。破壊できるならしたい代物なので、配慮も何もない殺傷能力の高い魔術だった。
だが、シェノンの魔術は吸い込まれるようにして、レナルドの魔術は弾かれる。
シェノンは邪竜の時を思い出して小さく舌打ちする。
「誰にそのような口をきく?」
ラザル・フロストの声が言った。
シェノンは彼の口調に違和感を抱く。ラザルはこんな話し方ではなかったはずだ。シェノンに対しても、レナルドに対しても。
『ラザル・フロスト』はくつくつと笑い、振り返った。
「我が祝福を受ける人間よ」
それは、ラザル・フロストではなかった。
顔かたち、見た目は彼でしかないが、視線と話し方に含まれる有無を言わせない響きは──シェノンに五百年前の記憶を思い起こさせる。
目の錯覚か。そこには闇色の髪を持ち、底知れない銀色の目をした神が立っていた。
瞬きのあとには幻は消えていたが、無意識に、シェノンの足が一歩下がる。
「まさか」
紫の瞳に本能的な恐怖が宿った様子に、レナルドは異変を感じる。
「レナルド、あれは、魔王よ」
シェノンの声は、ともすれば聞き落としかねないほど掠れていた。
「──キース! 騎士団だろうと誰も地下に入れるな! 死ぬぞ!」
レナルドが騎士団内の連絡用の魔術具に怒鳴った。警報が鳴り、騎士団が緊急出動してくるところだったのだろう。
「どうして、それは、ラザルの体のはず。まさか、魂を定着させたの……?」
邪竜が心臓に宿していたのは、やはり魔王の魂だった。
心臓よりも力の宿ったものなんて、魂しかない。
ゆえに邪竜に干渉したシェノンは魔王の魂に触れ、敵わなかった。
シェノンは魔術師として魔王に勝てない。魔術師としての力が大きいと言っても人間の中でだ。人を越えた力を出せるとすれば、祝福の力を用いての話で、その力を与えた元に勝てる道理はない。
それでもあのとき力の主導はヴィヴニールで、シェノンが干渉したから影響させられたにすぎないと推測していた。肉体がなければ外には自分から影響を与えられない。でなければ魔王の力で邪竜はもっと人間を圧倒出来た。
もし、眷属である魔族が魔王の魂に体を差し出し、魂が体の宿主となるなら別だ。だが……
「でも今回人間として生まれたラザルの体が耐えられるはずが……」
信じられない思いで混乱していたシェノンは、はっと思い至ったことに、顔をしかめる。
「だからラザルは、魔狼を食ったのね」
「相変わらずおまえは察しがいいな。その通り、ヴィヴニールが下手をやったからな。力を貸すだけでは愚鈍な配下たちは聖王の祝福を受ける人間にすら勝てないらしい」
シェノンは、魔王に言葉を返され様子が尋常ではなくなっていく。
そんなシェノンを見て、レナルドは彼女を背に庇い、今まで構成していた聖力を組み込んだ封印魔術を魔王に放った。
それから魔王にだけ話が通じている様子の話をシェノンに説明を求める。
「どういうことだ」
「……この前現れた邪竜は、体に魔王の魂を一時的に宿して、心臓まで運ぼうとしていたんだと思う」
「魂を?」
「『私たち』だって巡ってる。心臓を壊せていなかったのに死んでいるはずのない神の魂が廻らない道理はない」
レナルドにとっては、最近知ったばかりのこの世の摂理。レナルドは今では自分より大きな力を持った存在と相対することがないが、目の前の男に底知れなさを感じていた。まるで、聖王と対話したときに感じたものに近い。
「あのとき、シェノンが邪竜と違う力を感じるって言ってたのはそういうことか。だがその魔王の魂がラザル・フロストの体に入っているのはどういう繋がりだ。魔王信仰者のラザルが魔族に接触しに行ったのか」
「……っ、ラザルは」
シェノンは言い淀む。そうだと誤魔化しかけて、思いとどまる。
「ラザルは四百年前、あなたの前の聖王の祝福の受け手に殺されるまで、魔王の近くにいた魔族よ」
「──ラザル・フロストは人間じゃないのか」
「今回は人間よ。でも前は違うの」
「人間の中には前は魔族が混じっている可能性があるって言うのか?」
レナルドの信じがたいという響きの言葉に、その背の後ろでシェノンは首を振る。
「普通はあり得ない、はず。だって聖王の民は聖王の民の中の環で廻るはずだから、どうしてラザルが人間として生まれたのか分からないの」
無条件にその環が混ざるはずはない。条件が分からなかった。
だから、ラザルが何者か信じてもらえるかという問題の他に、人間の中に魔族がいるかもしれない疑念が何かの拍子に広がらないかという懸念があって、言うのを躊躇っていた。
「教えてやろう、我が忠臣の行いを」
パキ、と何かが割れる音がした。
レナルドの封印魔術を砕き、魔王がぬるりと会話に入って来た。
心臓を置くための台座に腰掛け、魔王は笑う。
「
実際、ラザルは賢者として魔物の生態の知識を提供し、その座を確固たるものにした。
「そして、此度人間のままの体では私が体を操れないため、魔狼を取り込んだ。魔族にとって、共食いは食べた者を自分の一部にすることを意味する。捕食した者の力の一部が自らの力となり、肉体となる。私の心臓を戻すまでの一時しのぎだったが、戻った今私の肉体が再生するのを待つだけだ」
魔王の視線がシェノンを掠め、笑みの形に歪む。
途端にシェノンの体は拘束されたように動けなくなる。息さえも自由にすることが困難になる。
「ならその体、元々は聖王に与えられたものだ。おまえ本来の肉体が再生するまで制限を受けているんじゃないのか? ──聖王に感じるほどの力をおまえに感じないぞ、魔王」
魔王の視線の先が、レナルドに移る。魔王はレナルドを睥睨し、凍える声を出した。
「聖王の祝福を受けし人間」
「私を『殺した』人間」
「忌々しい」
「あの屈辱を忘れるものか」
魔王の声が震えた。同時に、シェノンの魔王の祝福が焼けるように痛む。
あの無表情の下で、煮え滾るほど魔王が怒り狂っている。
「お前は必ず殺していく」
神は明確な殺意を人間に向けた。
──四百年前、聖王の祝福を受けた者は魔王を討ち果たしたが、魔王の呪いで首都に帰還後ほどなくして命を落とした。
そんな事実を思い出し、シェノンは前に出た。
「レナルド、下がって」
だがレナルドもまたいつの間にか、瞳の青が鮮やかになるほどの怒りを燃やし、魔王を睨みつけていた。
「その心臓、また取ってやるよ」
「レナルド下がって!」
「下がるのはシェノンだ。──聖剣、」
「レナルド、駄目」
レナルドは聖剣を発動させようとしていた。
それだけは駄目だ。レナルドと魔王を戦わせたくない。レナルドを失いたくない。
そのためにシェノンに何が出来るだろう。魔王の魂に心臓が戻り、魂がラザルの体を依り代に力が奮える今──。
シェノンは、魔王に向かって指をさした。
「『空間移動』!」
魔王の四方の空間が魔術で切り取られ、そして、消えた。
封印室に残ったのは一人。
レナルドだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。