26 「──見つけた」
*
シェノンが疑う容疑者はラザル・フロストだ。
不定期に自由に長期間外出できたのなら、魔国にも行ける。
この国の人間からするとシェノンの容疑が真っ黒に思えるのと同じように、シェノンにとってはラザルが真っ黒だが、エトにさえラザルが魔王信者だと言うだけでは信じてもらえるか分からない。
なまじ魔術師として、賢者としてそこそこまともな働きをしているので、厄介だ。
だがラザルが魔王の心臓を手に入れようとしていても、今まで心臓の場所は秘匿され、今回場所が分かったとしてもまた移動し、レナルドが封印し直して気配はまた追えなくなったはず。
午前中で魔術具不具合調査依頼を済ませ、シェノンは首都外の竜を見に行くことにした。
道中、ついでに魔狼と魔犬が出たという街中を歩き回る。
襲撃から六日。雨が降りそうな空模様の下、街の中心部では店が営業を再開しており、多くの人々が行きかっていた。
人々に紛れ、エトに魔狼と魔犬が出たと報告があったと聞いた場所の周辺で、シェノンは魔力の流れを見る魔術式を構築し、自らの右目に発動する。
「ううん……さすがにもう浄化されてるか」
魔狼と魔犬の痕跡は、目に見える毛や血はもとより、瘴気や魔力の跡もなくなっていた。
彼らの痕跡は聖王の民にとっては害になるものだ。今回の件で神官も呼び寄せられたと聞いた。浄化されたのだろう。すでに六日経とうとしている。
「魔術の痕跡もなし」
だが首都防壁を無視したからには、突然街中に現れるための術があったはずだ。
シェノンは立ち止まり、頭の中で地図を開き、エトに見せてもらった六日前の全ての報告の記録を思い出す。
どこで魔狼が現れ、どこに移動していったか。
最初、ほぼ同時に四か所での出現報告があった。異なる方角、距離に多少の誤差はあれど、ある一点の箇所に線を引けばほぼ同じ距離の地点だ。
「だから出現ポイントは、この辺りのはず……」
六日前、竜を迎え撃つにあたり、首都内には警報が発令された。防壁近くの住民のみならず、首都にいる人々は家の中に退避していた。
だから死傷者は限りなく少なかった。魔狼が家の扉や窓をぶち破り人間を襲ったが、通りに人が出ていれば死傷者は倍に跳ね上がっていただろう。
場所は街の中心部の建物と建物の間にシェノンは入り込んだ。
「『感知』」
魔物討伐の際にも痕跡追いに使われる通常の魔術では捉えられないので、シェノンは別の魔術を展開する。息を潜め、右目に使っている以外の魔力を抑え、意識ごとその場の空気と同化させる。
「『感度+』」
まだ見えない。感じない。
痕跡が消えてしまっていたなら見ることも感じることもできない。けれど使われたのがただの魔術なら、神官の浄化対象に対っていないはず。
敵は時間経過のみ。
「『感度+』」
二度目の効果増加。すでに意識をぎりぎりまで空気に溶かしている。
これ以上は何かを判別するどころではない。
「──見つけた」
不特定多数の人々の気配に紛れてあった、ほんの数かな魔術跡。
瞬時に用意していた保管魔術式を発動し、シェノンは半径一メートル以内の場のあらゆる時を静止させた。
「……後で、騎士団なり研究室なり調査を頼もう」
証拠の精査は他人に行ってもらわなければ、シェノンでは証拠として認められないだろう。
見張りとして使い魔だけおいて、シェノンは回り道は一旦終了とし、首都を出る門へ足を向けた。
ところが、
「逃亡の恐れがあるため、首都の外にあなたを出すことはできないことになっています」
門で、シェノンは制止を受けた。
どうやら、レナルドの腕輪が外れても、首都外の任務を受けるのは不可能だったようだ。シェノンは一旦牢の外に出られても、容疑者なのだから。
「エトも絶対忘れてたな」
未だ首都外にある邪竜の死骸を一度見てやってくれと頼んできた側なのだ。シェノンは深いため息をついて、どうしたものかと考える。
「一回手っ取り早く戻って、許可書なりもらってくるしかないか」
仕方ない。シェノンはその場で空間移動の魔術式を構築する。構築は一瞬、発動も一瞬。そのはずだったが、突然門番二人が身構える。
「な、何をする気だ!」
槍先を突き付けられて、シェノンは構築が終了し、発動を待つだけの魔術式と門番を交互に見る。
シェノンが他人の魔術式を見て、瞬時に何の効果を持つ魔術か見抜く技は常人技ではない。
普通は読めても時間がかかるもので、六日前に襲撃があったばかりかつ逃亡の危険性があるなどと通達されている魔術師が目の前にいれば、そんな余裕などないだろう。
つまり、ものすごく誤解をされている。
これは大人しく魔術を中止してもひと悶着ありそうだ。「何事だ」と門番の声に駆け付けてきた者も出てきて、シェノンは内心ため息をつきながら証拠保全に魔術だけはそのままに待っておく。
「シェノンさん?」
「……あれ、キース」
これから受ける文句を予想していたら、駆け付けてきたのは第一騎士団副団長キースだった。他二人の騎士を後ろに従えている。
「何かありましたか?」
シェノンはこれ幸いと、事の流れを説明した。
「なるほど。ではレナルドを呼んできましょう」
キースは門番に持ち場に戻るよう指示してから、驚きの提案をした。
「え、レナルドいるの?」
「はい。ちょうど竜の件について進捗を確認しに来ています。待っていてください」
シェノンがエトのところに行くのもそんなに時間がかからないと言う前に、キースは門を通って行ってしまった。
残されたのは、シェノンとなぜかキースの後についていかなかった騎士二人。第一騎士団で見たことのある顔だ。
「あの、ウォレス殿」
「はい」
やけに視線を感じると思っていたら、話しかけられた。
ずっと視線を外していたが、二人の方に向くと、二人は踵を揃え背筋を伸ばしてシェノンの前に立った。
「第一騎士団所属、アレイ・アルノーと申します!」
「同じく、ダグ・グラニエです」
アレイ・アルノーは明るい茶色の実直そうな男で、ダグの方はこげ茶の髪の生真面目そうな男で、両方レナルドより少し年上か。
「シェノン・ウォレスです」
つられて名乗りながら、なぜ自己紹介?と疑問が止まらない。
「シェノン・ウォレス殿」
改まった呼び方をされるのは随分久しぶりだ。
シェノンの背筋が自然と伸びた。
「竜襲撃時は、邪竜を前に庇っていただきありがとうございました」
アレイの言葉と一緒に、二人が深々と頭を下げる。
シェノンは驚きで大きな目をより見開いた。シェノンは普段お礼を言われることなんてあまりないし、頭を下げられたことなんてあっただろうか。
大いに戸惑いながらも、二人が邪竜ヴィヴニールの前から雑に退かせた魔術師だと今更気が付いた。
「礼には及びません。あの場で最も前で戦うべきだったのが私だっただけです」
頭を上げた二人の姿を改めてみると、階級章は金色だった。
「傷や後遺症は?」
「レインズ団長が浄化と治療をしてくださり、一切ありません」
「そうですか」
確かあのときアレイは邪竜の炎を受けていた。手当が遅れれば腕は切断しなければならなかった可能性もあるし、腕から胴体まで影響が及び命を落としていた可能性もあった。
聖王の祝福の力の前では、全ての可能性が消されたようだ。
「ウォレス殿は怪我は大丈夫ですか」
「魔族の影響に関しては、受けにくい方です」
「いえ、その……連行される際に服が血に染まっていましたので」
「ああ……腹に大きめの傷をもらいましたが、そのときにはもう治していました」
「そうでしたか」
竜襲撃に関する話題が一区切りつき、微妙な空気が漂う。
「あの、今日はレインズ団長と騎士団には来られないのですか?」
「えっ、あー今後は行かない可能性が高いです。あれはレナルドが魔王復活の情報が流れる中私の行動の管理をするためだったようなので」
「そう、ですか。……では、もしも、もしもいらっしゃったときには手合わせいただくことは可能ですか?」
えっ、とシェノンは本日何度目かの驚きの声を声をあげるはめになる。
アレイが残念そうな顔をしたと思えば、何を言い出すのか。期待を込めた目で見られ、話したこともない隣のダグに視線をやると、ダグも真剣そのものの顔でシェノンを見ていた。
「あのときのあなたの強さは圧巻でした」
「それは……光栄です」
他にどう言えばいいのか、予想外の展開に見舞われ過ぎてシェノンは戸惑いっぱなしだ。予想外の展開が襲撃なら魔術をぶっ放せばいいだけなのだが、これは……。
「今回の件について私の容疑が完璧に晴れ、そのときまだレナルドとの縁が繋がっていれば」
シェノンが微笑むと、アレイとダグはぼうっと見とれながら、前半はまだしも、後半に不可思議な言い方をしたシェノンに揃って首を傾げた。
「シェノン」
門の方から声をかけられた。
キースが呼んできてくれたのだ。レナルドが門から顔を覗かせ、振り向いたシェノンを手招きした。
「レナルド、手間かけてごめんね」
「別にいい。第一位のところにわざわざ行く必要なんてない」
邪竜が死んだ場所は防壁から少し距離がある。他の竜の死骸はすでに片づけられているようだ。地が抉れたままといった名残は見かけられるが、血の跡などは街の中同様ない。
「ねえ、ラザル・フロストはいる?」
「賢者の? ならいない。襲撃の翌日から現場申請があったがその日はさすがに現場整理があってその翌日から二日いたとは聞いている。気がついたらいなかったそうだ」
「そう」
「そいつはどういう賢者なんだ」
「魔族の生態に関しての知識を買われている賢者よ。ラザルはサンプルを採っていったの?」
「いや新たに傷をつけた形跡はなかったと報告を受けてる」
研究用にサンプルを採っていった形跡はなかったとなると、ラザルは何をしにここに来たのだろう。
「着いたぞ」
ぽんと肩を叩かれて、前を見ると、いつの間にか邪竜の巨体が目の前にあった。
邪竜の体を余裕をもって囲むように魔術結界が張られ、結界内外に騎士団の人間と研究室の人間が半々くらいいる。
魔術結界の効果は、特定の人間ともの以外を拒むもの、結界内の温度を一定に保つもの、結界外に瘴気等が出ないよう遮断するもののようだ。
「入るなら、これ」
レナルドに小さな銀のプレートを渡された。結界を出入りするための魔術具だ。これを持つもの以外は結果に内に入れない。
「防護装備はいるか?」
レナルドが示した方には、簡易的な更衣スペースがあった。ちょうど出てきた者は、専用の魔術服と口元に空気浄化の聖力を用いたマスク、ゴーグル、手袋という装いだ。
魔物の解体を行う者たちも同じ装備を身に着けているものだ。
「いらない」
シェノンは防護服だらけの結界内に足を踏み入れる。レナルドも後からそのままで入ってくる。
シェノンは多少の耐性があって、レナルドは聖王の祝福の効果で無効化でもされるのだろう。
真っ黒な鱗を持つ邪竜はぴくりとも動かない。
シェノンはエトからの頼まれごとと、自らの目的を同時に果たすべく、邪竜の体を魔術視界で解析していく。
体の外から、中へ。徐々に深く、細かく。
体の中心まで至って、シェノンはびくりと体を震わせる。
「どうした?」
傍らに立つレナルドが見逃さず、シェノンに囁く。
「……満ちている魔力の中に、違う力を感じる」
「どこから」
「体の中心。心臓から」
「何の力なんだ」
「今は何とも言えない」
そう言いながらも、シェノンは邪竜のある言葉を思い出していた。「陛下のお力だ」シェノンの思うとおりに魔術が邪竜に働かなかったとき、邪竜は言った。
「直接魔術を使って調べたい」
「許可する」
シェノンは先ほど魔狼出現の現場で使用したものと同じ魔術を使用する。
「『感知』」
意識ごと感覚を邪竜の体に溶け込ませ、より繊細に解析する。
しかし問題の心臓に至った循環、体を絡めとられ、纏わりつかれるような不快感を覚えた。
魔力の流れを見る視界は闇色に塗りつぶされ、ただでさえ希薄な意識が溺れるように遠くなる。
「シェノン!」
意識ごと引っ張られかけたそのとき、レナルドの声がシェノンを引き戻した。
何度か瞬くと、目も前には黒は黒でも鱗の形がくっきりと見え、隣を見上げると心配そうなレナルドがいた。
レナルドに掴まれた腕をはじめ、全身には鳥肌が立ち、不快感が残っているようだった。
まるで、魔王の心臓の気配を感じた時のような。けれどこれは残滓だと感じた。それなら魔王の心臓より悪いものなんて、まさか。
「大丈夫か」
「……大丈夫。ただ、最優先事項が出来たから城に戻る。邪竜の死骸だけど、出来るだけ有効活用したい気持ちは分かるけど、ある程度浄化してその状態のもので妥協した方がいい。それから中心に近いほど使わない方がいいと思う。危険すぎる」
レナルドが止める隙もなく、シェノンは空間移動の魔法を使った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。