2 「──起きるのを、待ってたんだ」


 *



 いつからか、天井をただただ見つめていた。

 太陽の光がカーテン越しに入る室内は薄明るく、シェノンはベッドの横を見た。そこには半透明の砂時計が浮かび上がり、砂は下に落ちきっていた。


「ああ、五年経ったの」


 シェノンは自分が五年眠っていたと分かっていた。自分が魔術によって定めたことだ。

 夢はいつも通り見なかった。

 掠れた声で呟いてシェノンが体を起こすと、借りている部屋の寝室だった。

 魔術によって出来た砂時計に手を伸ばして触れれば、砂時計は弾け消え、シェノンの手首の腕輪型の魔術具に吸い込まれる。腕輪の石の色は透明だ。


「えぇと、まずは何からするんだっけ……」


 まだまだはっきりしない意識で、頭をふらふら揺らしながらシェノンはベッドから降りる。

 そんな調子で立ち上がったものだから、よろりとよろけてサイドテーブルに手をついて、ひんやりと硝子の冷たい感触に少し目が覚めた。


「花?」


 細い花瓶に、星のような形に咲いた見慣れない白い花が活けてあった。

 花は好きだが、特別詳しくないので、名前を知らない。

 しかしそもそも妙だ。

 五年部屋の主が眠っていたのであれば、五年前に自分が持ち帰った花のはずがない。そんなのとうに枯れてしまっているはずで、実際以前眠る前に片づけ忘れていた枯れた花の始末から始めたときがある。


「エト? ベルフェ? ……いや、寝てる間にここに花を持ってくる知り合いなんて心当たりなさすぎる……」


 ただ眠っている間は防犯用の魔術が同時に展開されるようにしているので、ぞっとする。眠っている間に殺されてやる趣味はないのだ。


「とりあえずエトに連絡しよ……」


 起きたのは昼だったが、連絡した相手の元への訪問は夕刻となった。

 けれど正直会える時間が取れるのは明日以降と言われると思っていたので、意外だった。


 陽が首都の街並みを橙色に染めてしまう頃、シェノンは魔術師の城の筆頭魔術師の執務室へ案内されていた。


「シェノン」


 部屋の中では、記憶より少しだけ老けた知人の魔術師が待っていた。


「筆頭魔術師になってるとはね、エト。五年って意外と長いね」


 五年の時を感じる出来事が早速一つあった。

 エト・ラルス、五年前までは魔術師第二位だった男は、第一位──筆頭魔術師になっていた。

 先代はかなり年だった。逝去したのだろう。シェノンは先代と関係は悪かった方なので、特に何の感情も抱かなかった。

 ただ、目の前の友人も順調に年を重ねていっているので、いつかくる未来が少し憂鬱に感じた。


「五年ではない。八年だ」

「八年?」

「その話は後だ。早速で悪いが、契約をし直してもらう」


 八年という訂正が気になって足を止めかけたが、優先順位は理解できるので、シェノンは大人しくエトの元まで歩いていく。

 そしてどちらともなく、手を差し出した。

 エトは手のひらに白い魔石を持っていた。

 シェノンと先代の筆頭魔術師が結んでいた契約魔術が宿った魔石だ。見覚えがある。

 リンドワールをはじめとした国に崇められる神・聖王の敵、魔王の祝福を受けたシェノンは、筆頭魔術師との魔術契約によって一定の信頼を得ている。

 契約にはこの国の人間に危害を加えないことや、他者へ禁止する魔術などが定められており、契約事項を一つでも破った際には魔術に焼き切られると定められている。


「契約を、シェノン・ウォレスが承認する」

「契約を、エト・ラルスが承認する」


 契約をさっさと結び直すと、エトにテーブルへ促される。

 テーブルには紅茶とケーキが並んでおり、シェノンはケーキに紫色の目を輝かせた。


「おおおエト、最高。寝た後は甘いものが食べたくなる」

「年がら年中食べているだろうが」

「それは私がよく働いてるから」

「どうせ疲労は全て蓄積してまとめて眠っているときに消化するから感じないだろう」

「気持ちの問題だから」


 屁理屈を言って、シェノンは早速ケーキにフォークを沈ませる。クリームの甘さに浸っていると、向かいのソファに腰かけたエトがじっとこちらを見ているではないか。


「なに?」

「相変わらず、時が止まっているようだな、と」


 染々と言うものだから、シェノンはふっと笑う。


「実際止まってるって知ってるでしょ。あなたは年をとったね、エト。出会ったときは十代だったのに」


 魔術師シェノン・ウォレスは特殊な人生を送っている。

 魔王の祝福による諸々の理由から、自らが作り出した魔術により、ずっと起きている期間とずっと寝ている期間を繰り返して生きている。

 起きている間は眠気も疲労も感じず、五年経つとそれらを解消し肉体を調整する眠りの期間に突入する。

 疲労の蓄積から解消までを一周期とし、起きたときにまた同じ魔術をかけ直す。

 基本的に五年起き、五年眠り解消するというサイクルだ。

 ただ、寝ている間は髪や爪は伸びないなどという意図していない副作用により、出会ったときは外見年齢も十歳差だったはずのエトとは、今では知らない人間が見れば爺と孫くらいに外見差が出ている。


「で、八年て何?」

「正確に言えば八年と三ヶ月と一日だ」

「……それって私が寝てた時間で合ってる?」

「ああ」

「なんでまたそんなに誤差が……今までも『メンテナンス』の関係で数か月伸びたことはあったけど、まだ余裕があると思って眠るまでの期間を一年伸ばした影響かな……」


 むむむ、とフォークをくわえたまま唸るシェノンに、エトは「さてな」と言う。


「手を出している魔術の領域が難解だ。二度と目覚めないとなっても私は驚かない」


 非情なことを言われるが、確かにそれはそうだ。

 シェノンのその魔術が操っているものの中には自分の肉体、目に見えない疲労のほかに『時間』という概念が混ざっている。


「まあ、原因は次眠るまでのこの五年の間に突き止める。それにしても、どうしてそんなに細かく覚えてるの?」


 八年と三ヶ月と一日だなんて。驚きだ。

 エトは心外だという顔をする。


「私の個人的興味ではない。ただ、気にせざるを得ない状態でな」

「どういう状態?」

「……そのうち分かる。それより本来五年で起きるだろうと聞いていた身からすると、誤差は三年と三ヶ月と一日だ」

「やけに誤差を気にしてるけど、どうして?」


 どこかの誰かがご立腹? 

 だとしても魔術契約では、シェノンの眠る期間については不測の事態も考慮して定められている。その他の条件を飲んでいれば文句は言えないはずで、そもそもエトが気にするとは思えない。

 シェノンはケーキをまた食べながら、首を傾げる。


「レナルドには連絡したのか」

「レナルド?」


 誰の名前だと頭がついていかなかったわけではない。

 レナルド・レインズ。

 レインズ公爵家の跡取り息子で、聖王の祝福を受けた稀代の天才。

 シェノンが六年家庭教師をしていて、毎日のように顔を見ていたことだってある。

 唐突に出てきた名前に、シェノンはますます首を傾げる。


「今はここで魔術師をしている」

「へえ。結局魔術師になったんだ? 公爵家の跡取りなら本来父親の仕事を補佐しながら学んでいくものだろうけど、まあレナルドは例外かな」


 確か魔術学院の高等部に編入したはずなので、高等部三年を経て正式に魔術師となったと考えると、すでに五年か。


「私が言うのも何だけど、彼上手くやってる? 周囲のこと置いてきぼりにしてない?」


 周囲の実力考えずに置いてきぼりにして、軋轢生んでない? 大丈夫?


「その様子では、連絡はしていないのだな」


 レナルドが上手くやれてるのか答えをもらってないのだが。いや、レナルドは聖王の祝福を受けているのだ。力のコントロールも五……いいや八年前の時点で出来ていた。

 周囲を置いてきぼりにするのはその天性の実力から必然であるとして、軋轢を生むことはないだろう。

 レナルド・レインズは大抵無条件に神聖視される。


「うん。エトが一番。レナルドに関してはどうせもう教師じゃないし、自然の成り行きに任せて偶然会うときが来れば会うかな。……本格的に社会に出たなら、離れることになりそうだし」


 エトが片眼鏡の向こうで目を細めたが、シェノンは紅茶を飲もうとしてカップを持ち上げていて気がつかなかった。


「ああ、でも、」


 カップに口をつけようとして、シェノンの手が止まる。

 任務が終わって暇になれば、次は連絡すると約束した……。


「でもあれ時間的に八年前か」


 約束の期限が明らかに切れていると判断し、突如思い出したやり取りは頭の彼方へ放り、紅茶を飲む。


「この八年と三ヶ月と一日」

「うん?」

「レナルドが」

「レナルドが?」


「第一位、来ましたが何用ですか」


 無遠慮な低い声が、シェノンとエトの会話を切った。

 ノックもなく入ってきたらしい人物の声は何に隔てられることもなく部屋の中に通った。

 それは、聞きなれないようで、知っているような声で、シェノンは振り向いた。


「レナルド」


 とエトが言った。


「俺忙しいんです、が…………」


 不機嫌に満ちた声は途切れ、白い花束が落ちた。

 入ってきたのは、一人の男だった。

 男の中でもかなりの長身で、まず見えたのは、汚れが目立ちにくい濃紺の魔術騎士の制服。

 すらりと長い脚を辿って上の方を見ると、目の覚めるような青色の瞳と目が合った。その美しい瞳が、溢れんばかりに見開かれる。

 シェノンはその顔立ちを見たことがあると確信して、しばし男を見つめていた。


「シェノン……?」


 呆然とした声が、シェノンを呼んだ。

 聞き慣れないようで知っている声だとよく分からない感覚を抱いていた声に呼ばれ、シェノンははっとする。

 声の響きと男の容姿に、彼のここまでの成長前の姿が記憶から抽出された。

 何より、隠しきれない気配を含むこの存在感は。


「レナルド?」


 シェノンは無意識に立ち上がった。

 澄みきった色合いの銀髪に、吸い込まれそうなほど真っ青な瞳を持つ知り合いなど限られている。

 ただ、八年前の記憶とすぐに結びつけられなくて手間取った。

 この男、レナルド・レインズだ。

 最後に見たときは十五歳の、まだまだ生意気盛りだった青年は、明らかに身長が伸び、体格も良くなり、声もまた少し低くなり、端整な顔立ちも大人びて完成されていた。


「いややっぱり八年て長い。随分と──お? おおお?」


 レナルドが大股で距離を詰めてきたと思えば、シェノンの顔に触れる。

 最初は確かに触れられるのかを確認するように指先が触れ、次に輪郭を確かめるように指の腹が触れ、そして、体温を確かめるように掌が触れた。


「八年……三ヶ月……一日」

「八年、三ヶ月、一日?」


 この短時間で、シェノンには聞き覚えがありすぎる期間だった。


「六年経っても、七年経っても、八年経っても起きねえじゃねえか」


 どうやらエトか彼自身の父にかは知らないが、さすがに自分の妙な生き方を聞いたらしい。

 何やら怒気を感じるレナルドの様子に呆気に取られていたシェノンだったが、五年と聞いていたのに起きなかったとご不満なのだろうと当たりをつける。

 レインズ家の暴君は魔術学院ではどうにもならなかったのかもしれない。


「それはちょっとした誤差」

「誤差?」

「うん、そもそも私のその魔術は五年設計で作っているんだけど──」

「三年と三ヶ月と一日が『ちょっと誤差』?」


 あれ? シェノンは、何だかレナルドの様子がおかしいと気がつく。意気揚々と魔術について話そうとしていたら、相手の怒気が何やら強まっているのだ。

 正確には、「それはちょっとした誤差」と言った直後に。


「レナルド、何だか知らないけどちょっと落ち着いて──エト」


 さっき流したけれど、たぶんレナルドをここに呼んだのはエトだ。そもそもなぜ呼んだのか。


「どこ見てんだよ」


 ところが、エトに向けた顔は強制的に戻された。

 レナルドに顔を掴まれて戻されたのだ。


「俺が聞いてるんだ。こっち見ろよ」


 眼前の青い瞳が、シェノンを鋭く睨んでいた。

 笑ったり、不機嫌になったり、拗ねたり。シェノンが知るレナルドはそんな感じだ。

 だが今、レナルド・レインズは異様さを全面に感じる様子でシェノンを問い詰める。


「……誤差は誤差だけど?」


 様子が妙だと思いながらも、レナルドの機嫌が過去最高に悪いとして、シェノンには彼のご機嫌を取るつもりはない。

 適度に流すことを許さない空気を相手が出すというのなら、正面から臨むまでだ。


「どれだけ私の魔術について細かく聞いたかは知らないけど、眠る時間は、体調によって蓄積した疲労の消化と調整期間が伸びたり短縮されたりすることで前後する可能性がある。単純な魔術の不備もあるけど」


 どうあれ誤差以外に言い方なんてない。シェノンが断言するとレナルドは舌打ちでもしそうな顔をした。


「じゃあ、どうして教えてくれなかった」

「私の生き方について? 言う必要性がなかったから。だって私がいなくても、レナルドに不都合はないでしょうし、実際なかったでしょ」

「──シェノン」


 と、忠告するときの声で呼んできたのはエトのもので、直後レナルドに胸ぐらを掴まれた。


「レナルド」


 今度はエトはレナルドを制するべく呼んだ。


「なによ、レナルド」


 ところがシェノンの方は協力して宥めようとしないどころか、苛立ちを見せた様子で対峙する。

 エトはもう知ったことかとソファーに落ち着き、ティーカップを持ち上げた。我関せずだ。

 そしてシェノンの様子に、レナルドもまた苛立ちを見せる。


「──起きるのを、待ってたんだ」


 それが、極限まで苛立ちを抑えた声が吐き出した言葉だった。

 真正面から、至近距離で届けられたので、鼓膜が破れているのでなければシェノンにも聞こえている。

 当然、この一瞬で突然難聴になる出来事はなかったので、聞こえていた。


「………………へ?」


 だからこそこんな反応になった。

 シェノンは完全に虚を突かれきょとんと目を瞬く。

 待ってた? え? 何を? 混乱するシェノンを待たず、レナルドは容赦なくシェノンをより引き寄せ、続ける。


「俺が、どんな気持ちでシェノンが起きるのを待ってたか知らねぇくせに。俺に不都合があったかなかったかを決める資格はシェノンにはない」


 強烈な感情が込められた言葉だった。

 言葉だけを見ればレナルドの自分勝手な主張に捉えることも可能だっただろうが、虚を突かれていたシェノンはもろに感情ごと喰らって思考が滞っていた。


「なんで、待つの」


 意味が分からない。

 どうして待つ。自分を、レナルドがどうして待つ必要がある。

 シェノンを待つ者などいない。家族はいない。奇跡的に友人はいるが待つ待たないという関係ではない。レナルドにとっても、自分がいてもいなくても違いは絡む相手が一人減るだけだろうに。

 シェノンのその認識がそもそもの間違いだと知らしめるかのように、


「好きだからに決まってるだろ」


 レナルドは真正面から言葉を叩きつけてきた。

 シェノンの頭は完全に使い物にならなくなった。


「ちっ」


 シェノンが全ての音が遠くなっているかのような感覚に陥っている中、舌打ちの音がした気がした。


「本当に全然気づいてなかったのかよ、腹立つ」


 くそ、と今度は悪態をつく声がした。


「とりあえず、今日から俺の側にいてもらう」


 シェノンが我に返ると、胸ぐらからはいつの間にか手が離れていた。

 いやいやいやそれよりも。


「は?」


 シェノンは色んなものに対しての感情を込めた一言を出すので精一杯だった。

 隙だらけだったのは言うまでもない。

 そんなシェノンの髪を避けて、無防備な額をとん、とレナルドの指が軽くノックした。軽く光が迸り、魔術式が見えた気がした。


「拒否権はない。連れていく」


 天才を前に隙を見せれば、どうなるか。

 魔術の気配に対抗魔術は間に合わず、シェノンの意識は混乱から真っ黒に塗りつぶされた。









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